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恋のキューピッドの、始まらなかった恋のお話

掲載日:2014/11/15



 恋愛なんて面倒くさい。そう言ってのけた彼に、私は理由を尋ねた。

 彼はしばらく黙ってから、重い口を開いて。

 そうして語ったのは、些細なすれ違いが大きな亀裂となって、ケンカ別れとなってしまった元カノの話。


「今となってはもう、過去の恋だ」


 職場の同期の宮本は、そう話を締めくくった。

 休日出勤した帰りに寄った、会社からほど近いカフェ。

 お酒が入ってるわけでもないのに、なんで恋愛相談なんて受けているのか。

 けれどこれは私が望んだこと。

 私はこの時を待っていた。

 やっと、やっと彼の口から本音を聞くことができそうだ。


「未練はないの?」


 私は慎重に言葉を選んで、問いかけた。

 宮本は気難しいところがある。彼の警戒心を刺激してはいけない。

 同期としては仲がいいほうだけれど、友人と呼べるかは微妙な間柄。

 そんな私に、ここまで話してくれただけでも、奇跡に近かった。


「ない……なんて、言えるわけない」


 宮本はうつむいたまま、絞り出すような声を発する。

 長い前髪に邪魔されて確かめようがないけれど、握りしめた自分の拳を見ているんだろう。

 その手で、つかめなかったものを思い出しているのかもしれない。


「ずっと、ずっと好きだったんだ。簡単に忘れられるような気持ちだったら、こんなに苦しんでいない」


 拳を、強くテーブルに押しつける。

 力を込めて叩きつけないのは、さすが理性的な宮本らしい。

 音を立てない拳が、余計に彼の苦しみを表しているように、私には見えた。


「でももう、すべて終わったことだ。過ぎ去ってしまったものは、二度と取り戻せない」


 一つため息をついてから、宮本はきっぱりとそう言った。

 あきらめきれるように、自分に言い聞かせるように。

 見えない涙を見たような気がした。

 いや、きっと気のせいじゃない。

 ずっと、彼女と別れたその時から、宮本の心は涙を流しているんだろう。

 涙の海に自分の身が沈んでしまうほどに。

 今も、泣きやむことができずにいるんだろう。

 その涙を止めることができるのは、きっと、私だけだ。


「まだ、終わっていなかったら?」

「え……?」

「私、知っているの。あなたと同じように、まだ過去の恋を終わらせられていない人を」


 私の言葉に顔を上げた宮本は、訳がわからないとばかりに眉をひそめる。

 これだけでは、まだ理解できなくて当然だ。

 彼もまさか、こんな偶然があるとは思ってもみないだろうから。

 私だって、最初に宮本を見たときは驚いたものだった。


「あなたと同じように、苦しみながら、必死に前を向こうとして、それでも過去を忘れられない人を、知っているわ。誰よりも明るく純粋で、ドジなところも愛らしくて、でも、たまに寂しそうに笑う人。あなたのほうが、彼女のことをよく知っているんじゃないかしら?」


 一言一言、ゆっくり紡いでいくごとに、宮本の目が驚愕で見開かれていく。

 そう、私は宮本の元カノの友人。むしろ、親友と言ってもいいくらいの関係だ。

 宮本も彼女の口から聞いているはず。『大学でできた友だちのあーちゃん』のことを。

 そして、その顔はやっと思い出したのかしら。私の、高橋 梓という名前を。

 職場では誰もあーちゃんなんて子どもっぽいあだ名で呼ばないから、今まで気づきようがなかったんだろう。


「ねえ、いい加減に素直になってみたらどう? 本当は過去になんてしたくない……いいえ、できないんでしょう? 今もまだ、好きなんでしょう?」


 私が問いを重ねても、彼の表情は変わらない。

 けれど、迷うように揺れる瞳は、隠しようがなかった。


「違うのかしら、『むぅくん』?」


 彼女のつけたあだ名で呼ぶと、宮本の表情が崩れた。

 宮本の名前は、零。私とは違って、名前とはまったく関係のないあだ名。

 いつも無表情かむっとした顔をしているから、むぅくん。

 そんなふうに彼女が言っていたのを思い出す。

 ねえ、私の大切な親友。

 あなたの大好きなむぅくんは、今、泣きそうな顔をしているわよ。

 あなたのことが、まだ好きなんだって、叫び出しそうな顔をしているわよ。


「俺は……」


 宮本は、しばらく口を開いたり閉じたりを繰り返した。

 何を言えばいいのか、何を言いたいのか。

 自分が何を望んでいるのか、吟味するように。


「まだ……間に合うんだろうか。取り戻せるんだろうか。過去にしなくても……いいんだろうか」


 ささやくような声で言いながら、自分の手のひらに視線を落とす。

 男性らしく筋張った、大きな手。

 そんなに大きな手なら、本当に欲しいものの一つくらいは、しっかりつかめるんじゃないかしら。


「やってみなければわからない、でしょう?」

「そう、か……」


 宮本はかすかに表情を和らげる。

 微笑みとも言えないくらいの、ほんの少しの変化。

 けれど、私にはそれで充分だった。

 彼の想いは、充分伝わってきた。

 用意しておいたチャンスは、どうやら無駄にならずにすみそうだ。


「あのね、このあと七時から、彼女と待ち合わせをしているの。一緒にご飯を食べましょうって」


 いきなり話を変えた私に、宮本は面食らった顔をする。

 彼女、というのが誰を指しているのかは、話の流れでわかるだろう。


「でも私、用事入っちゃったのよね。断るにも、もうあの子も家を出ちゃったでしょうし。ねえ、私の代わりに行ってきてくれないかしら?」

「高橋……」

「待ち合わせ場所は南口改札前。お願いできる?」


 宮本はほとんど考える様子も見せず、席を立った。

 本当はさっさと行きたいんだろうに、野口さんを一枚、伝票に重ねるようにして置いた。

 ブラックコーヒーとカプチーノで、ちょうど千円ピッタリだ。

 こんなところも、律儀な彼らしい。


「ありがとう、高橋。恩に着るよ」

「今度おごってね~」


 お礼を告げて去っていく宮本に、私はひらりと手を振った。

 恋のキューピッドなんて割の合わない仕事、誰が無償でなんてやってやるものか。

 カプチーノ一杯分くらいじゃ、すまさないんだから。


「……すっきりした顔しちゃって」


 急ぎ足で遠ざかっていく背中をウィンドウ越しに眺めながら、私は苦笑をこぼす。

 あの調子なら、きっとうまくいくだろう。

 何も知らない親友は、きっと腰を抜かすほどに驚くだろうけど。

 今日の食事は、親友の誕生日の前祝い。

 きっと、彼女にとって最高の誕生日プレゼントになったことだろう。

 ようやく、肩の荷が下りた心地がした。

 胸に去来した一抹の寂しさには、気づかないふりをする。


 最初は、大切な大切な親友の恋を応援するためだけに近づいた。

 打ち解けてみると、思っていた以上に接しやすいいい人で。

 親友とのことを引きずっているのも、うかがい知ることができて。

 親友のためだけじゃなく、彼のためにも、二人の仲を取り持ってあげなければ、と強い使命感を覚えた。

 宮本と話すのは楽しくて、一緒に仕事をすると妙に息が合って。

 もし、親友の元カレだと知らなかったら、恋に落ちていたかも……なんて。

 そんな、どうしようもないことを考えてしまったりもして。


 この気持ちは恋ではない。恋にはしなかった。

 最初から彼が誰なのか知っていたから。

 好きになってはダメなのだと、わかっていたから。

 恋はしていないから、失恋もしていない。

 悲しむことなんて、何もない。




 でも、始まることもなかった恋のために。

 一筋涙をこぼすことくらいは、許されるかしら。







「書き出し.me」にて書いたお話を加筆修正しました。

元文はこちら→https://kakidashi.me/novels/863

書き出し:「今となってはもう、過去の恋だ」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 役目を終えた、キューピッドの涙は切ないです… まして自分の恋敵にさえなれなかった相手が親友なんて…皮肉なのに、梓の人柄に救われました。 [一言] 野口さん…って私、ちび○○子ちゃんの登…
2017/02/09 16:58 退会済み
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