九話
(ネフィ! 無事でいてくれっ!)
ファラオを全力疾走させ、学生アパートへと急ぐ。
部屋の前でファラオを乗り捨てると、ガチャガチャとあせりつつ鍵を開け、不吉な予感を振り切るように扉を思い切り開けた。
「大丈夫かっ!? ネフィ!」
あの魔術男がまた現れたのか――それともあいつの仲間がネフィを狙ってきたのか?
不安をかき消そうと、オレは大声で必死にネフィの名を呼んだ。
「秋サン、お帰りなさいデス、早かったですネ?」
ズルッ――ガコンッ!
部屋に入ってすぐ、聞こえたネフィののんきな返事。
オレはすべって転び、床でアゴを打ってしまった。
盛大な騒音にネフィがオレを気遣う。
「大丈夫ですカ、秋サン?」
「……うん……ネフィ。とりあえず無事でよかったよ、ところでオレを何で呼んだの?」
「ハイ……その、コレの使い方を教えていただきたくテ」
部屋のユニットバスを指さし、首をかしげるネフィ。
(そういえば昨晩、フロに入っていいよって言っておいたんだった――まあ、敵襲とかじゃなくてよかったのかな)
「じゃあ使い方を教えるよ――って! ネフィ……そのカッコ……!」
脱力感を覚えながらオレは立ち上がり――そしてネフィを見て絶句した。
「……? フロはハダカで入るものだト、秋サンが昨日言ってましたカラ」
そこにいたのはバスタオルを巻いただけの美少女。といってもバスタオルでは小柄なネフィですら全て隠せるはずもない。
したがって細い脚のおよそ九割弱、そして形良く柔らかなバストが上半分、オレの目の前にさらされたわけで――。
ブフゥゥ……ゴン!
噴き出した鼻血の反作用で、今度は後頭部をぶつけてしまうオレ。
「ダ……大丈夫ですカ!? 秋サン!」
心配したネフィは、かがみこんでオレの顔をのぞきこむ。
それはつまり、オレの目の前に胸の谷間、しなやかな足とその付け根が現れたことを意味していて――。
ネフィは着ヤセする性質らしい。
小柄で細身の体には存在すべからざる量感のオッパーツ、もといオーパーツが手の届くところにある―― それは、ある意味、敵襲よりやっかいな事態。
しどけない格好のネフィをユニットバスに押し込み、使い方を口頭で教えてから風呂に入らせ、そこからオレが落ち着きを取り戻すのにたっぷり三十分かかったのだった。
「おフロ……トテモ気持ちいいものデスネ」
「そっか……よかったな」
ユニットバスのドアに背中をあずけ、オレはどぎまぎしながら返事をした。
今までネフィはファラオに搭載された洗浄機能だけで暮らしてきたらしい。そのせいで風呂の使い方を知らないと言われ、何か聞かれたら教えるため、オレはドアの前に立っていたのだった。
(いや……もしかして、一人でいるのがイヤなのかも知れないな)
小さかったころ、昼寝の途中で目を覚ますと母が買い物に出かけていたことがあった。周囲に誰もいないことが無性に悲しくて泣いてしまったことを思い出す。
先ほどのネフィの呼び出しも、あるいは心細さのせいだったのかもしれない。
無理もないだろう。ネフィは今までずっと一人でがんばってきたのだ。ようやく少しの安らぎを手に入れたネフィの心情を思うといたたまれない。
だから今、お風呂程度のささやかなものながら、人間らしい生活をネフィにあげることができてオレは少しうれしくなる。ちょっとした保護者の気分ではあった。
しかし――一方でオレも若いオスなのだ。ドアの向こうに一糸まとわぬネフィがいると考えただけで理性が吹き飛びそうになる。
先ほど見たネフィの姿が脳裏に浮かび、それを思春期の妄想力が補完しかけて――。
(ダメだ! それはネフィの信頼を裏切ることになる。そう、脱げちゃダメだ……脱げちゃダメだ……脱げちゃダメだ……)
脳内での人体補完計画。オレが強引に抑えつけていると。
「――秋サン」
声はオレが寄りかかる扉のすぐ内側から聞こえる。
ということは――つまり、背後三十センチ以内に、生まれたままの姿のネフィがいるというコト。
ガチガチに緊張して声すら出せなくなったオレに、ネフィは小さな声でささやきかける。
「……秋サンも……おフロ、入りませんカ?」
恥ずかしげに言われたセリフ。その破壊力にオレの脳内血流は一気に沸点に達した。
(つまり……あなたと合体したい……と!)
異世界では混浴が当たり前なのかも知れないとか、こっちの風習を知らないだけかもしれないとか、そういう考えは一万年と二千年前からポイ捨てして、オレの手はドアノブにかかった。
ひねる――カギのかけ方は教えたはずなのに、かかっていない。オレは勝手にOKサインと受け取った。
カチャリ――心拍数が二百越えを達成して今にも止まりそう。それでも、オレがまだ見ぬ大人のフロンティアへ進もうとしたところで――。
ファオ――――ン!
ファラオの発する警戒音が絶妙のタイミングで響いた。
(やっぱりなのか? やっぱりこうなるのか?)
少年誌的なルールなのだろうか?
なぜか、いつもイイところで邪魔が入る気がする。
しかし、ともかくファラオに発動させておいた『警戒』の魔術に何かが引っ掛かったことは確かだ。
実になごり惜しいけれど、危険があれば放っておくことはできない。オレは玄関へ足を向ける。
と――。
ゴ、ズゴ――――――ゥン!
いきなり響く爆発音。
ドア越しに体を揺るがす大音響にオレの神経は混乱を起こし、ふらふらとよろめく。
「――出て来い。今のはワザと外したのダ。だが出て来ないならバ、次はその犬小屋に当てるゾ?」
外から失礼な男の声、だが冷徹な響きに不思議なアクセントが交じるということは――。
「敵みたいだ! ネフィは中にいて! オレが見てくる!」
風呂場のネフィに呼びかけ、オレは外に出る。
「秋サン!? 待ってくだサイ!」
ネフィは追いかけてこようとしたが、オレは後ろ手に玄関を閉めた。
玄関先に干してある安物ビニール傘をドアに立てかけ、ネフィが出てこれないようにする。




