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四話

 キンコーンッ!


 玄関から叩きつけるようなチャイムの音。オレもネフィも思わず身を震わす。


(この……乱暴なチャイムの鳴らし方。まさか……)

 このタイミングで最も会いたくない人物の顔が頭に浮かぶ。


 不吉な予感は的中して――。


「押切っ、いるんでしょ? 返事くらいしなさいよ!」

 古いアパートに響いたのは蓮手塔子の声だった。


「ねえっ! 給料日前でお金がないだろうから食べ物持ってきてあげたわ!」

 いつもなら、これ以上ないくらいありがたい喜捨である――けれど今だけはやめてくれ。


「べ、別にあんたのために作ったんじゃないからね! お祖父さまの誕生日に作ってあげる料理の試作品なんだから――でも、ありがたく食べなさい!」


 嗚呼……いつもなら感涙にむせび、かけら一つ残さず、美味しくいただいたろう。

 だが今は――。


「あれ? 鍵が開いてる? 押切ったら不用心なんだから!」

 

 ガチャ……。

 

 その音は地獄の門が開く音に聞こえた。


「ネフィ! 少し離れて!」

 最悪の事態を避けるべく、ネフィに小声で話しかけた。だが――。


「す、スミマセン。まだ足が痺れてマス」

 万事休す――漢文で習った言葉をオレは体感する。

 

 そして――。


「しっかり栄養とってないから、あんな変なことをしたりするのよ! あれ? 

 暗いわね。それに焼きソバの匂い? でも若いんだし、あたしの料理なら入るでしょ?」


 塔子が部屋に入ってきた。

 蛍光灯のスイッチを探る音――蛍光灯が瞬くと室内はまぶしい光に包まれる。



 

 数秒の沈黙。

 立ちつくす塔子の手には大きな紙袋。それがボトリと落ちた。


「お、お、お、お、お……」


 塔子は陸に上がった海獣のような声を出した。

 無理もない――塔子の目に飛び込んだのは、畳の上、オレと異国の美少女が絡み合う姿。

 ひどく扇情的な姿である。


 と、なれば――。


「お、押切のバカーッ!」


 予期した通り塔子の大絶叫が響く。


「押切の不潔っ! 色魔っ! 淫獣っ! もうっ、知らないんだから!」


 バンッ!


 言いたい事を言いたいだけ言うと、塔子は叩きつけるようにドアを閉め、Uターンして帰っていった。


「……ああ、もう!」


 ようやくネフェルタリを体の上から下ろし、急いで塔子の後を追った。

 だが、アパートの周りには彼女の姿はない。


「あの、ワタシ、何カ失敗をしましタカ?」

 ネフェルタリも部屋から出てきた。不安げな顔でオレを見つめる。


「いや、君が悪いわけでもなく――かといってオレが悪いというわけでもなく、運が悪かったんだよ……ふぅ」

「秋サン、元気がないデス」

「あえて言おうミスであると――うん、なんでもない」

 とりあえず気のきいた一言のつもりが、元ネタを知るはずもないネフェルタリには不発。

 

 ああ――それにしても明日の学校が怖い。

 

 


 アパート前の道路、オレがまだ見ぬ明日の恐怖に怯えていると――なぜか空気の流れが止まったような気がした。


 同時に、申し訳なさそうにしていたネフィの表情が急変して――、


「秋サン、伏せてくだサイ!」

「ん? なんだよ、急に?」

 鋭い目つきに変わったネフィにオレは戸惑う。


「いいカラ、早クッ!」

 ネフィはかまわずオレに飛びかかり、全体重を使って引き倒す。


「痛っ! 何するんだ! ネフィ…………!?」


 予期せぬ転倒にオレは抗議の声を上げかけ――そして絶句した。

 さっきまでオレが立っていた地面に突き刺さった数本のナイフを目にしたからだった。

 固いアスファルトをバターのように切り裂き、突き立つ刃。

 夜目にもまがまがしい銀色の光。


(もしこれが、背中に刺さっていたら?)

 考えただけでオレの顔から血の気が引く。



 一方、ネフィは冷静だった。

 夜の帳の中、とある一点に視線をやると鋭く短い声を放つ。


「出テ来なサイ! ソコにいるの分かってマス!」

 数秒――何も起こらない。


(これで、誰もいない所に声かけてたら恥ずかしいよな)

 などと場違いなことを考えていたオレだったが。


「……フフフ、魔術の気配を感知シテ来てみれバ、やはりアルカディアからのエージェントでしたカ?」


 ネフィが声をかけた暗闇の中、黒マントの男が突然、姿を現した。

 うさんくさい格好――タキシードに、フリルシャツ、紫のカマーバンド。

 いまどきマジシャンでも着ないような、コテコテの魔術師スタイル。

 その上に、これまたうさんくさいチョビヒゲつきの浅黒い顔が乗っている。

 

 こんな目立つ男がいれば、すぐ分かるはず。

 なのに、この中年男は本当に突然現れた。

 いや、現れたというより、最初からそこにいたかのように――オレたちがそれに気付かなかっただけのように思える。

 そう感じたオレの考えを裏付けるように、魔術男はこう言った。


「初歩の魔術《認識阻害》を使っただけだというのニ、コチラが攻撃をしかけて見せるまで気づかぬトハ。アルカディアもずいぶんと青二才を送り込んできたものですネ?」


 嘲るかのような口調――使う人間の品性はまるで違うが、言葉のアクセントはネフィの話すそれとよく似ていた。

 よく見れば浅黒い肌や漆黒の髪など、男とネフィでは共通する特徴もある。


(……知り合い、なのか?)


 状況はよく分らなかったけれど、向こうは刃をこちらに向け、ネフィは鋭い視線をあちらに向けている――少なくとも友人ではない。強敵と書いてライバルと読ませるような関係でもなさそうだ。



「たとえ青二才でもアルカディアのエージェントを倒したとなれバ、手柄になりマス。

 ……そこのエージェント、私の秘技《寸鉄刺人》のエジキとなりなサイ!」


 魔術男が腕をふるうと、その指の隙間に妙な形の小さなナイフが出現した。

 何のためらいもなく、魔術男はこちらにソレを向け――そして、小さく腕をふるう。


「避けてくだサイっ! 秋サン!」


 ネフィの言葉に、オレは反射的に従った。

(というより、よろめいて尻もちをついただけだったけれど……)


 そのオレの顔のそば――さっきまでオレの心臓があった空間を銀の閃光が飛んでいく。遅れて音と衝撃が鼓膜を荒々しく刺激した。


(しょ、衝撃波!? 音速を超えてるのか!?)


 絶対に人間業じゃない。ナイフをそんな速度で射出するなんて芸当、シールズでも、グリーンべレーやメジャーリーガーにだってできるわけない。


「うわ――――っ!」


 近辺のアスファルトに外れたナイフがサクサクと刺さっていく。当たれば絶対にタダでは済まないだろう。 二度、三度とオレが避けられたのは奇跡以外の何物でもなかった。


 だが、奇跡はそれ以上続かない――。


 右に、左に、オレの転がる先へ。なぶるよう着弾するナイフに行き場所を失い、オレは思わず動きを止めてしまう。

 マズイと分かってはいたが、体が動かない。

 オレは絶望に満ちた思いで音速ナイフの発生源――魔術男を見やった。

 奴はオレの視線に応え、チョビヒゲをゆがませてニヤリと笑う。


(楽しんでるのか?……っていうか、オレはココで……死ぬのか?)

 いかなる原理なのか、魔術男の手にまたしてもナイフが現れる。


 オレは――十六年の平凡な人生の終りを覚悟した。


「ヤメナサイ! そのヒトはアルカディアとは関係ナイ! ただの一般人デス!」

 ネフィの必死な声が響く。だが、それすら魔術男にはごちそうのようだった。笑みを大きくするだけの効果しかもたらさない。


「フフフ、どうせ姿を見られてしまったのデス。最初から殺すツモリだったですヨ。

 ちなみに《認識阻害》の魔術を使っていますカラ、いくら大きな音を出しても助けはきまセン……ではサヨナラデス、異世界の少年サン?」

 

 そういって魔術男は、いたぶるようにゆっくりナイフを持った手を動かし――。




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