二話
昼休み。佐久間先生からオレはようやく解放された。
少ない残り時間で昼ゴハンを片付けようと席に着く。
焼きそばパンと紙パックのコーヒー牛乳を机に並べていると、上から影がさした。
「なんだ、お前か、搭子?」
「なんだじゃないわよ。押切こそ、どうしちゃったのよ?」
細い腰に手を当てガミガミ言うのは我がクラスの学級委員。
その名も蓮手搭子
ここいらでは名の知られた実業一家、蓮手家のご令嬢だった。
祖母が北欧の生まれ、クォーターの塔子は日本人離れしたスタイルと美貌の持ち主だ。
もっとも強烈に高飛車な性格から近付こうという男は入学一か月で絶えたという伝説も持っている。
「なにが伝説よ!」
塔子が柳眉を逆立てる。
あら、どうやら思っていたことを口に出してしまっていたらしい。
四月の入学式早々、まだ中身を知らない時期、外見にだまされて声をかけてしまったのが運のツキだった。
見た目はヴィーナス、内面ゴルゴンな彼女の最初の犠牲者がオレ。
それ以降、なぜかオレに食ってかかるようになってきたのだった。
「だから……だれがゴルゴンよ!」
あ、失敗した。またしても心の中が口に出てしまっていたらしい。
「ふざけないで!」
ドンッ!
オレの机をたたく。壁ドンならぬ机ドン。
彼女の波打つ茶色の髪がふわりと揺れた。
「あ……シャンプー変えた?」
「バカ! あんたが、そんなんだから……」
塔子は顔を赤くする。
それでいて吊り目がちの大きな瞳を、さらに吊り上げて怒りを表してきた。
「せ、せっかく、あたしお姉ちゃんにとりなしてあげようって思ったのに」
同級生の塔子と担任の佐久間先生は従姉妹にあたる。
(ちなみに学園の理事長は彼女たち二人の祖父なのである)
「いや、それはいい。どうせそんなに怖くないし」
「ああもう! 生徒にこんなにナメられて、お姉ちゃん本当にかわいそう。だから一族総出で教師だけはむいてないって大反対したのに……」
三十路で童顔の従姉に心から同情する塔子。それはそれで失礼な気もする。
「それよりさ、塔子はアレ……鈴木とやらのこと変だと思わないのか? 趣味とか、それどころの話じゃないような気が……ていうか浮かんでるし」
オレは視線をさっきから、ちらちら視界に入る金色の物体に向けた。
「なんなのよ押切? さっきから転校生にずいぶん食ってかかるじゃない?」
「転校生? アレがか? どう考えたっておかしいだろ。あんな物理法則とか無視しまくったオカルト物体」
フリーダムを初めて目にしたザフト兵のような気分でオレは言う。
「いたってふつうの男の子じゃない。むしろ一々敵視するあんたの方がおかしいわよ?」
塔子は転校生に同情するような口調。
「え、お前にはアレがその……ノーマルに見えるのか?」
「あんた本当に大丈夫? 深夜までアニメ見たり、ゲームやったりしてるから、そんな風になるのよ。病院行った方がいいんじゃない?」
あの塔子にまで心配されるとは――。
オレは頭を抱えた。信じていた自分の理性を怪しく感じはじめる。
(だけど、やっぱり……)
何度見直しても、そこにいるのはファラオ――となれば。
(よし! ならば放課後、全ての決着を付けてやる!)
「ちょっと押切、やめなさいってば! 妙な様子が続くんなら病院に連れてくわよ!
あ……勘違いしないでよね! 別にあんたを心配してるわけじゃなくて……あ、あくまでクラス委員としての義務感で連れていくんだから!」
オレの決意を感じ取ったのか、塔子があわてていった。
「もちろん分かってる。オレはだいじょうぶさ」
「そ、そう。なら……いいんだけど」
適当に答えたオレに塔子は少し不満げな顔をする。
オレは離れた席に座る(というか安置されている?)金色をにらみつけた。金青のしまに縁取られた無表情がオレを見返してくる。
(決戦は夕方――それまでは大人しくしておいてやる)
内心に誓ったオレを塔子が不安そうに見つめていた。
――――――――
「すみませんでした。冗談のつもりが、つい悪ノリしてしまって……」
開口一番、オレは頭を下げた。
「えっ? その……分かってくれればいいの」
不意を突かれた佐久間先生は戸惑っていた。
放課後、オレが呼び出されたのは資料室。職員室隣にある通称『説教部屋』。
そこでは昼休みと同じく、エンドレスで八回ほど説教してやろうと佐久間先生が待ちかまえていた。
だが、裏をかいて見せたオレの従順さに先生は困惑している。
反省の念を述べ、落ちこんでみせると、今度は先生の方があわて出した。
「大丈夫なの! 押切くんが本当はイイ子だってこと、先生ちゃんと分かってます!」
この人の純粋さは本当に教師向きではない気がした。
(しかし、ここはもう一押し――だな)
「このままではオレの気がすみません! 鈴木くんに謝って、その後は彼がこの学校になじめるように協力するつもりです! キリッ! 」
オレは背筋を伸ばしていった。
「まあ、とってもえらい子なの!押切くん!」
佐久間先生はオレの手を握った。目には涙まで浮かんでいる。
目的のため、罪悪感を押し殺し小さなその手を握り返す。
「では鈴木くんを呼んでくれませんか? ちゃんと謝らなきゃ」
「ええ、先生に任せなさい!」
ポンと薄い胸を叩き、放送ブースに向かった佐久間先生の背後。
オレは抑えきれぬ得意に笑み崩れていた。
「すまない鈴木くん。悪ノリしてしまうオレを哀れんでくれたまえ」
(たまえ……だって、我ながら、何年前の学生だよ?)
オレの口から出たのは思いっきり芝居がかった言葉。うさんくさいセリフだ。
しかし佐久間先生には、そうでもなかったらしい。
首をコクコク、メジャーリーガーの首振り人形のように揺らしてうなずいている。
一方、転校生――謎ファラオは相変わらず無表情のまま。
(まあ仮面の表情が一々変わったら、それこそ完全にオカルトだけど)
佐久間先生に呼び出されやってきたソレ(彼?)は職員室に入室するときも二度ほど頭をぶつけていた。
バスケ部顧問を務める体育教師は「デカいな、うちの部に来ないか?」などと勧誘している。
そんなこんなで、エジプトからの物体Xはこちらへやってきた。
今も目の前でプカプカ、物理法則を無視して浮かんでくれてやがる。
ツッコミを入れたい思いを必死で隠し、オレは歯が浮くような言葉を続けていた。
「君に対してヒドいことをしてしまった償いのため、オレを案内係にしてくれないか?」
エセ優等生っぽい言葉使いで本題を切りだす。
「そうしなければ気が晴れないんだ。助けると思って頼むよ?」
佐久間先生に視線を向けると、彼女はやけにキラキラした瞳で受けて言う。
「ほら、鈴木くん。押切くんもこう言ってくれてるから受けてあげたらいいの。
学校に早く慣れることができるし、二人の和解にもなる一石二鳥なの!」
(ロマンチック乙女モードに突入した佐久間先生はもう止められまい!
三十路乙女をなめるなよ! 状況によっちゃバーサクより怖いんだぞ!)
小さな勝利感にひたるオレ。
鈴木ファラオとやらの無表情な顔にも今度ばかりは困惑が見て取れた。(ような気がした)
ファラオはどこから出ているのかわからない、いつものあの妙な音を出す。
ファオーン――。
いったい何を言っているのかは相変わらず分らなかったが、オレは強引に話を進める。
「遠慮するなよ。ね、先生そうでしょ?」
「ええ。鈴木くんも転校生だからって、あまりひかえ目にしていると友達が出来ないの。
せっかく押切くんが言いだしてくれたから、お友達を作るといいの」
先生は引き続き乙女モード。狙い通りの状況である。
「というわけで、さっそく校内を案内してあげるよ」
ファーン。
「ほら……早くいきなさいなの。二人とも仲良くするのなの」
ファラオが上げかけた抗議らしき声を無視し、佐久間先生はファラオを職員室の外に押し出したのだった。
オレは小さくガッツポーズ。そしてどこの誰とも知らぬ誰かと内心で通信する。
(こちらスネーク、ミッション第一段階終了。引き続き任務を遂行する)
(しめしめ……)
典型的な小悪党のセリフを心中で吐きつつ、オレは校内を歩く。
後ろには、ちゃんとあのファラオがついてきている。
先ほどから「じゃあ、ここまでで」といったような意味らしい「ファオーン」を発していたがオレはことごとく無視して、ここまで連れてきたのだった。
できるだけ自然な様子で校内を案内しながら、オレは目当ての場所を目指す。
「ここが金字塔学園高等部の第二体育館だよ。第一体育館と違って狭くて天井も低いから部活では人気がないんだ。あっちには――」
そう言って、オレはさりげないしぐさでファラオを先に進めさせる。
このオスカーものの素晴らしい演技により、ファラオは疑うこともなく第二体育館の中へ入っていく。
続けてオレも館内に入り……、
――後ろ手に静かに鉄の扉を閉める。
カチッ――。
無人の館内に鍵が施錠された音が響き渡った。その音にファラオは振り返る。
(というか体ごと180度ターン。正直、なめらかすぎて気持ち悪い動作だった)
ファーン。
勝手に意訳し「げえっ!孔明の罠か!」と都合のいい解釈をし、脳内で吹き替えをするとオレはにやりと笑う。
「これでもう出られないだろ? 鈴木ファラオ(仮)オレが聞きたいことは分かるな?」
ファラオの無表情の中にも危機感が見て取れたのはオレの優越感のせいだろうか?
オレは得意満面だった。
(脳内では『関』の旗と『張』の旗が高々と掲げられ、蛇矛と青龍刀が、今まさに敵陣へ突入しようとしていた)
フォーン。
しかし、ファラオからは相変わらずの無表情、そして意味の分らぬ怪音声。
「おい! 中にだれかいるんだろ! ふざけてないで出てこいよ!」
思わず頭にきたオレは、プカプカと無責任に浮かぶファラオを小突いた。
と――。
「きゃあッ!」
「きゃあっ? きゃあっ?」
大事なコトなので二度、繰り返してしまった。
一年B組鈴木ファラオの中から聞こえたのは女の子の声。
鈴を鳴らしたような可愛らしい声だった。
「お前……中にはミイラじゃなくて女の子が入ってるのか?」
よく考えれば変な質問だった。
だが、こんなワケわからん物体から美少女(推定)の声が聞こえたのだ。オレの混乱も必然だと思ってもらいたい。
ファオーン。
ファラオ(たぶん美少女入り)は必死で体を左右に振った。
(固定されているので首を振ることができないからだろう)
「いや否定してもムダだって。明らかに女の子の声が聞こえたから……」
かまわず、オレはファラオ(たぶん美少女)につめよる。
と、ファラオは冷や汗らしきものをたらし始めた。
(どういう機能なのだ?)
「ああもう! コレってどこを押せば開くんだ? 早く出て来いよ!」
逃げようとするファラオ(おそらく美少女)にしがみつき、表面をいじりまわす。
オレの手がマスクのやたらと長いアレ(資料によると付けあごヒゲらしい)にかかろうとしたところで、ファラオ(おそらく美、以下略)は必死に身をそらした。
「ははあ……さてはそれが開閉スイッチだな」
ようやく見つけた。オレはにやりと笑ってファラオに近づく。
フォーン。
首を――ではなく体を左右に振ってファラオが否定するが、オレはだまされない。
「ええい! 観念しろ!」
グイッと伸ばした手があご(というか権威を示すための付けヒゲ)に届いた。
「さあ。引っ張ってやるからな。ぽちっと……もといグイッとな!」
オレは勝ち誇った。ファラオは体を左右に振るが、絶対に手を離すものか!
グイッ!
オレは勢いよくアゴを引いた――が、何も起こらない。
「ん? 違ったか?」
一瞬、失敗の予感。だが、すぐにファラオはあの怪音を発しはじめた。
ファーファーファー、ファ、ファ、ファファ。
徐々に間隔が短くなっていく怪音――これは間違いない。開閉音だろう。
ファファファファファァァァァァァー……。
短くなった怪音が、ついに一つの音に聞こえはじめる。
(もうすぐ開くぞ!)
オレはファラオの顔を見つめた。
「見せてもらおうか! 場違いなファラオの素顔とやらを!」
ジジジジジジジジジジ――!。
だが訪れたのはハードディスクが起動したような音。そして強烈なオゾン臭。
同時にオレの髪が逆立つ。手足の硬直と痺れる感覚。
(もしかして……これって撃退用の電気ショックですか?)
内心で問いかけたオレに、ファラオがうなずいたように見えた。
オレは崩れ落ちる――床に叩きつけられる直前、すでに意識は闇に落ちていた。




