十七話
「ごちそうさま…………じゃあ、オレは行かなくちゃ」
食後のあいさつとともに、オレは立ち上がった。
「ちょっと! どこ行くの!? お兄ぃっ!」
オレの声に何かを感じ取ったのか、美冬がオレの腕をつかむ。
両親たちもオレたちのただならぬ雰囲気に目を大きく開いていた。
(小さいころから美冬はカンが良かった。遠くに行こうとすると腕とか服をつかんで泣いて止めてきた)
懐かしさに涙がこぼれる。それでもオレは行かなきゃならなかった。
(だって、ここはオレだけが幸せな世界――だが元の世界では、今もネフィは苦しみ続けているんだ!)
家族と過ごせる世界。オレがそれをどれほど待ち望んだことか。
捨てなきゃならないのは、なによりツラかった。でもオレはもう覚悟を決めていたのだ。
ただ、ここを立つ前に一つ、美冬には言わなきゃならないことがあった。たとえ自己満足でも――、
オレは美冬の方に向き直る。
「美冬……ゴメン。美冬はどんどん可愛くなってくのに、オレはただのゲームとアニメ好きなだけのオタク。兄として情けなさすぎたから負い目を感じてたんだよ。
それでよけいに二次元に逃げ込んで、部屋に引きこもって……美冬を遠ざけて冷たく当たってたんだ。あのときも徹夜でゲームして眠いから旅行に行かないなんてダダをこねて、そのせいで父さんや母さんまで……」
高ぶった感情。言ってることがゴチャゴチャになってくる。涙と鼻水が止まらない。
オレはうつむいて鼻と目を強くこする。
そんなオレを小さくて柔らかな何かが包み込んだ。驚いて顔を上げると間近には妹の顔。
「……美……冬?」
オレを抱きしめた美冬は小さな手で頭をなでてくる。
「お兄ぃが何を言ってるのか私には分からないんだけど――でも、お兄ぃはお兄ぃだよ?たとえマンガばっかり読んでたり、ゲームばっかやって相手してくれない時でも……
小さいころからずっと変わらず、私の大好きなお兄ぃなんだから!」
「美冬……ありがとう」
もう十分だった――これが現実でも幻でもよかった。
心の中につかえていたものが、すっとなくなっていく。
「秋くん? 美冬ちゃん……? どうしたの?」
異変を感じた母さんが口を挟もうとし、その肩を父さんがつかんで止める。
「秋……お前どこかに行かなくちゃならないのか?」
たずねられオレは小さくうなずいた。
交わした視線だけで父さんは何かを悟ったみたいだった。
「いきなり男の顔になったな?……そんな顔されちゃダメとは言えんだろう」
強く優しい父さんの笑顔がオレにはまぶしい。
一方、納得できないらしい美冬がオレにつめ寄る。
「お兄ぃ……ちゃんと帰って来るよねっ!?また会えるんだよね!?」
オレはもう一度うなずいた。
「…………いつか……必ず会えるよ。美冬、それまで少しのお別れだ」
別れを告げると同時に浮遊感。周囲の景色が光を帯び始める。
「お別れ? ねえ……? どういうことなのお兄ぃ? この光は何なの!?」
やがて光の粒になったリビングの風景が、さらさらと崩れはじめ――。
「お兄ぃ―――――い!」
妹がオレを呼ぶ声とともに、幸せな世界は溶けて……消えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
オレは先ほどの神殿に戻っていた。
右手にはたしかな重み。
『オーブ』はオレの手の中でゆらゆらと発光していた。
「ほう? 戻ってきたか……じゃが少年、それでよかったのかね?
あの世界はお前さんにとって、いつまでも浸っていたい世界じゃったろうに」
問いかける老人・亜門雷蔵。思えば、さっきの世界で聞こえた声もこの人のものだった。
学長のある意味残酷な質問。オレは痛みを感じながらもこたえる。
「ええ……幸せでしたよ。すごい幸せでした。でも幸せすぎて気づいちゃったんです。
今までオレが傷を抱えて生きてきたことは変えられないって――」
久しぶりに家族と会ってようやくわかった。
命を賭けることになってもピンチの女の子を放っておけなかった理由。
それは死んでしまった妹の代わりに女の子を助けたい。罪滅ぼしをしてから家族のところへ逝きたい。
そんなふうに心の底で考えてたからだったんだ。
「家族ときっちり話ができた。おかげで死を望むような気分は無くなりました。
でもピンチの女の子を放置できない習性は消えない。それが家族を失って一年たったオレなんです。
そしてこっちにはオレの助けが必要な女の子がいる。だから、向こうの世界で生きつづけても彼女を見捨ててるっていう罪悪感は無くならない――これが帰って来た理由です」
「ふむ、なるほど……少年は思いのほか強い心の持ち主のようじゃな? 悪人の手に渡ることを避けるため『オーブ』に仕掛けられたトラップ《幻実世界》を切り抜けるだけのことはある」
オレがぶつけた視線を受け止め、学長は感心したように言う。
妙に照れ臭くなったオレはあわてて否定した。
「オレはそんなにたいした人間じゃないです。ゲームとアニメが好きなだけのただの高校生ですよ」
「いや。昔から言うじゃろう?《好きこそものの上手なれ》じゃよ。
お前さんが幻想系魔術にたいして耐性があったのは、おそらくゲームやらアニメやらで他人の作り上げた幻想に慣れておったからじゃろう。それにゲームのおかげでファラオの手動操縦も巧みにこなしたようじゃしの」
「そうか! それでファラオの認識阻害魔法がオレに効かなかったのか……っていうか学長! あの戦いを見てたんですか!?」
疑問に感じていたコトが一つ解決した。
それはよかったのだが、どうやらこのじいさん最初から事情を知っていたようだ。
「そうじゃ。わしは『オーブの番人』、いや……もはや元番人かのう?
オーブの悪用を恐れたとある方の命令で異世界からこの世界に渡り、それから長い年月、ずっとこの地に隠されたオーブの番をしておった。
そして、この地で妻と結ばれ子を授かり……いや、そんな話はどうでもよい。とにかくオーブの安否に関わりそうなことは全部把握しておるぞ。
異世界の住人が現れ、この学園を嗅ぎまわっておったから、魔術の反応には注目しておったんじゃ」
「それじゃ……オレがどうしてオーブを手に入れに来たかもご存じなんでしょう?
なぜオレを行かせてしまうんですか? コレがネフィの父親たちに渡ったら、この世界はヤツらのものになってしまうのに」
不安に思ったオレに学長はにやりと笑う。
「そうはならんよ。なぜなら――」
老人の楽しげな視線を背中に受け、オレはファラオの中へ戻った。
目指すはピラミッドの一面――先ほどからさざ波のように揺れ、輝いている空間。
ふり返って再度、顔を向けると学長は笑顔のままうなずいた。
「塔子が差し向けようとした警護のものは追い返しておいた。一般人が魔術師を相手にしたところでケガ人を増やすだけじゃ。
それゆえ今は学園内には見られて困る相手もおらん。だから安心して行けよ、少年。
自分が今、何をすべきか、そして何をしたいかを強く念じるのだ。
忘れるな……オーブもコフィンも強き願いによって、その力を最大に発揮するのじゃぞ」
(そうだ……なすべきことも、やりたいこともオレのこの胸に確かにあるんだ)
決意は強く揺るがない。そんな思いをオレは声に乗せる。
「はいっ! じゃあファラオっ! いっきまーす!」
魂の雄たけびとともにオレはファラオを加速させ、揺れる光の中へと突き進ませた――。




