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十六話


『オーブ』にふれると同時に閃光と衝撃が走った――だが、それは一瞬で消える。

 くらまされた感覚を取り戻すのには数秒。

 頭をふって目を開くと、そこは――。

 


 見覚えのある景色、懐かしいにおいがした。

 オレはベッドの上にいるのだろうか?

 見上げた天井には記憶どおりのシミ。形、数のすべてが脳裏に焼きついたままの姿で目の前にある。


 白昼夢にしてはリアルすぎる感覚。オレは硬直したまま、混乱した頭でグルグル考えつづけた。


(こ、ここは……!?)


「どうしたの? お()ィ……?」


(いや……そんなわけない)


「ねぇ、お兄ぃ?」


(だってここは……もうないはず、オレの家は……)


「もうっ! お兄ぃってばぁっ!」


 パジャマがわりに着ていたジャージ。そのそでが乱暴に引かれた。

 無理やりふり返らされたそこには――。


「み……ふゆ?」


 そこにいたのは美女への階段の第一歩目にいる美少女。

 一つ年下の妹、押切(おしきり)()(ふゆ)だった。


 彼女こそ、オレが困ってる女の子を放っておけなくなった理由……なのだが。


「なっ……なんで美冬がここに!」

 ベッドの上、驚いて後ずさったオレに美冬は口をとがらせる。


「なんでって、秋兄ぃが旅行に行かないっていうから、家族全員が行かないことになったんじゃない!」


 腰に手を当て、あきれたような口調は記憶にある妹そのまま。

 そう……俺の妹がこんなに可愛いわけがあった。


 だが――。


(いや違う……あのとき、みんなはオレをおいて出かけた)


 記憶――思い出すのもつらい過去の傷あとをなぞる。


(行きたくないってゴネたオレを美冬は最後まで連れて行こうとして……)

 

 オレは歯を食いしばった。


(出発時間が遅れて、車が渋滞につかまって……そこに居眠り運転のトラックがつっこんで――)


 突然鳴った警察からの電話。

 部屋で寝ていたオレはジャージのまま、あわてて病院に向かい――。


 線香の煙る暗い部屋、霊安室で白い布をかけられた三人と対面した。


「見るのは顔だけにしといたほうがいい」


 オレに確認させるため、そう言って布をめくった警官の沈痛な表情。


 現れたのは包帯を巻かれた父親と母親の蒼白な顔。

 そのときは混乱して涙も出なかった。

 けれど、いつも笑ってた妹の生気を無い表情を見て、オレははじめて泣いたのだった。

 

 あのときのことは、思い出すだけで震えが止まらない。

 目頭の熱さを必死でこらえていると、美冬がオレの顔をのぞきこんできた。


「どしたの……お兄ぃ? 寝ぼけてるの?」


 心配そうにオレの方を見る妹は、目の前でピンピンしている。


(どうして……こんなコトが……いや、なんでオレはここにいるんだ?)


 頭がふわふわしてきた。

 落ちついて考えようとするが、そもそも今いる世界と来た世界、どちらが現実だったのかすら分らなくなる。


『これは幻であると同時に現実でもある。認識上の現実――そう《幻実》というべきものじゃろうか? お前さんが望むなら、この幸福この上ない世界で生きつづけることができるぞい?』


 脳内で響く声にオレはぼんやりとうなずいた。

 いや本当はこっちの方が現実だと信じたかっただけかもしれない。


 美冬と両親が逝かなかった未来。

 それは今までオレが望みつづけてきた世界だったから。

 なにか大切なコトを忘れているような気がする。だが思いだそうとすると頭の中に霧がかかったような感覚が生まれ、考えがまとまらなくなった。

 

 このままでいいじゃないか――とささやく自分と、必死で思い出そうとする自分。

 せめぎあいがオレの思考をマヒさせる。


 そんなオレの体を無理やり起こすと、美冬はオレを一階へ行くようにうながした。


「ねぇ? お兄ぃ、早く朝ゴハンを食べに行こ?おなかがいっぱいになれば、ちゃんと頭も働くよ?」

 美冬に手を引かれて階段を降り、オレはリビングへ向かう。そこには父と母の姿もあった。


「お兄ぃっ! 早く早く!」

 先にテーブルについた美冬がオレを呼んだ。

 父、母、美冬が笑顔でオレを見つめる――家族写真の最後の一葉そのままの姿がそこにあった。


「秋くん? 早くご飯を食べちゃいなさい」


 あやすように言うのは母さん――押切千夏。オレをいつまでも子供扱いする母さん。

 あの頃はいつも腹を立ててたけれど、今はその声がとても懐かしく、優しく聞こえる。


(あの事故の日、オレは起こしにきた母さんを無視して……)


「そうだぞ、秋……旅行には行かなくてもいい。だがその代わり、昨日の約束だった食器棚作りを手伝ってもらうからな?しっかり栄養を付けておけよ」


 包み込むような笑顔を向けてくる父さん――押切春彦。

 日曜大工が趣味のおせっかいな父親にオレはいつも反抗していた。

 けれど失って初めて、父さんがどれほどオレを温かく見守っていてくれたか痛感させられていた。


(そうだ……事故の前日、父さんと食器棚を作る約束をオレは守らなかった)


「う……うん」


 きりきりと痛む心を押し隠し、オレは小さく返事をして席に着く。

 父さんと美冬の間――亡くしていたはずのオレの居場所。

 引越しの時に捨てたはずの椀でミソ汁を飲む。油揚げと白菜――いつもの母さんの味。


「お兄ぃ、これ私が作ったんだよ」

 美冬が差し出してきた卵焼きをオレはほおばる。

 ちょっと焦げていて塩辛くて、でも白いゴハンにはよく合っていた。


「……う、うまいよ」

 じっとこちらを見つめる美冬にそう言うと、満面の笑みが妹の顔に浮かぶ。

 両親もそのほほえましい姿を見て笑っていた。


 それは、とてもとても幸せな光景。

 幸せで、幸せで、とても幸せで――幸せすぎて。


 だから、オレは気付いてしまった。


(ちがう……これはちがうんだ)


 今の今までモヤがかかっっていた頭が急にクリアになった。同時に――。


(ネフィっ! それにオーブ!)


 ここに来るまでのいきさつが全てが思い出された。

 そして、これからやらなきゃいけないことも――。


(…………でも、あと少し)


 目の前にある幸せを手放したくなくて、せめて朝食を食べ終わるまで、この世界に浸ることにする。


 ゴハンを二度お代わりした。

 ゆっくりと十分かみしめて食べる。だが、もうそれ以上は腹に入らなかった。



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