一話
夏休みも明け、高校一年の二学期が始まる。
夏の間に謎の美少女との出会いがあったわけでもない。
不発のリビドーを抱えたままのオレは始業式を終え、教室にいた。
九月始まりの二学期――暦の上では秋。しかし体感的には真夏。
いまだ三十度を超える気温、照りつける強い日差しにオレは温暖化を実感する。
窓際の席は、こういうとき厄介だ。
日焼けしやすい体質のオレは直射日光にさらされ半分焼けする。
(あしゅら男爵、キカイダー、メタルダー、サイクロンジョーカー。すべて窓際に座っていた時のオレのあだ名である)
かといって、日よけにカーテンを閉めれば、吹き込む風に揺れる防火布がうざったいことこの上ない。
窓を開けないという選択肢もあり得ない――熱中症では死にたくないから。
こうして最近ではもう慣れた(というかあきらめた)オレは無念無想でカーテンの往復ビンタにさらされている。
「……夏休みの課題提出は、それぞれ教科の最初の授業で回収するそうで~す」
この年齢にしてすでに妥協を知ってしまったオレが、担任である佐久間友美先生 ♀(三十路で独身。でも、小柄で可愛い)の話を右から左へ聞き流していると、
「……以上が今日の連絡事項ですの~。
さて、おまちかね。次は二学期からこのクラスに加わるお友達を紹介しますの~」
どんよりしていた教室の空気が活気を帯びた。
『転校生、それは学生に残された最後のフロンティア』
と宇宙探索的なナレーションを入れるまでもなく、単調になりがちな学生生活には貴重な刺激だ。
転校生なんて、どうせ三日で慣れるのは経験で分かっていたけど、それでも興味を禁じ得ない。
「鈴木くん? 入ってきてくださいなの~」
三十路ロリこと佐久間先生のファニーボイスが響く。
鈴木くん……どうやら男子らしい。平凡な苗字だ。
まあジークフリードほど俗ではないけれど。
女の子であってくれと切実に願っていた男子のモチベーションが一撃で下がった。
『ただの人間には興味ありません!』とかのたまってくれる美少女を期待していただけに、オレも失望を禁じえない。
そんな男たちの内心など知らず、呼びかけに応えて教室の前の扉が開いた。
他の級友たち同じく、オレも好奇心の視線を向けるが、その時とき――、
バサッ!
不意の突風。はためいたカーテンにオレが視界を数秒奪われる。
ガンッ!
「あっ! 鈴木くん! 頭に気を付けてなの!」
佐久間先生の心配そうな声が聞こえた。
どうやら鈴木くんとやら、教室入り口の鴨居に頭を強打したようだ。
(頭をぶつけるってことは……ずいぶん身長が高いな。きっといけ好かない奴に違いない)
中背……より少し小さいオレは見てもいない奴の性格を勝手に決め付ける。
と、そのとき、なにかが金色に光った。
(あれ? 今のは? それにずいぶん固い音だな。石頭なのか?)
突然の発光と物音、疑問に思っているうち、ようやく視界が戻った。
転校生はすでに教壇――佐久間先生のとなりに立っている。
その姿を、ようやくオレは目にすることができた。
その瞬間――、
「ファ……ファラオ?!」
オレは思わず立ち上がり大声を出してしまった。
いや。別にオレがおかしくなってしまったわけではない。
――そこには、たしかに本当にファラオが立っていたのだから。
見れば見るほどファラオ――いや、正確に言えばファラオの棺だった。
そこにいたのは、カーナボン卿とカーターが掘り出したアレ。
ツタンカーメン王が納められていた、アノ棺にそっくりなアレ。
(しっかり歴史の資料集を出してまで確認してしまった)
どう考えても、そこにある方がおかしい。
しかし、クラスの皆の好奇の視線はその転校生ではなくオレの方に向けられている。
「あの……? どうしたの~? 押切くん?」
佐久間先生のリアクションまで困った生徒に対するアレだった。
「いや! だっておかしいでしょ? ファラオですよ? ファ・ラ・オ!」
オレは自身の名誉のため断固として抗議した。
「ええ。彼はたしかに鈴木ファラオくんなの。それの何がおかしいの?」
佐久間先生は本気で言っている。
根がまじめな三十路ロリ――佐久間先生は悪ふざけをするような人ではない。
周囲の級友たちの態度までオレの方を変な人扱いしている。
「押切くん。まさか高校生にもなって、他人を名前でからかうつもりなの?」
本当に悲しそうに言う佐久間先生にオレは言葉につまる。
だが、彼女の隣には、やはりファラオの棺。
全長二メートルほど。独特の濃ゆい無表情。
あごと顔の周りにしましま模様のなにか。そして金箔張りのボディ。
おまけに、おでこにはコブラの彫像まである。
「いや! 絶対におかしいですって! だいたい、なんでそんなかっこうで学校に――」
言いかけたオレを佐久間先生はさえぎる。
「押切くん! 今度は他人の姿形を非難するつもりなの?
押切くんはもっと他人に配慮できる人だって私は思っていたの!」
先生は本気で怒っている。
「いや、だからそもそも、その鈴木というかファラオが……」
納得のいかないオレは食い下がろうとするが――。
「初対面の人を呼び捨て?! もういいの! 押切くん。後で職員室に来なさいなの!」
佐久間先生は完全に頭に来ていらっしゃるようだった。
温厚な人なのだがこうなると手に負えない。一学期を共にしてそれだけは分かっていた。
周囲もオレが空気を読めない行動を取ったと認識している。
納得がいかないまま、しかし雰囲気に耐えられなくなったオレはしぶしぶ着席する。
佐久間先生はファラオの棺――鈴木ファラオとやらに笑顔を向けた。
「鈴木くん? ごめんなさい……本当は悪い子じゃないからね?」
ファーン
謎の音がファラオの口から響く。なぜか佐久間先生は涙ぐんだ。
「ありがとう。鈴木くんは優しい子なの。それじゃ黒板に名前を書いて自己紹介してくださいなの」
ファオーン
もう一度、謎の音が響くとファラオはすべるように黒板へ向かう。
(どう見ても浮いてるし! どう考えたっておかしいだろ!)
内心では思ったが、クラス内でこれ以上立場をマズくするわけにはいかない。
チョークが勝手に浮かび、文字を書き出したところまでは我慢できた。
だが――。
「おい! それ神聖文字〈ヒエログリフ〉だろ!」
「押切くんッ!!!」
突っ込んだオレは佐久間先生に連れ去られ、たっぷりお説教された。




