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after coffee  作者: 小林 小鳩
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#05

互いの体温を移すように触れられている間、TVの音を消して耳をそばだてている。

それは漏れる吐息や肌を吸う音を聴くということだけでなく、柔らかい時間に何か悪いものが飛び込んできやしないかと注意するという意味で、野良猫のようにじっと耳をそばだてている。

路地裏で誰にも見つからないようにひっそりと暮らす野良猫のような気持ちで生きている。

この人になら飼われてもいい、という優しい人が現れたら、大人しくついていくのか。それとも暮らしは厳しくても気ままな野良を選ぶのか。

ふたつにひとつだけ、なんて残酷だと思ってしまう。



今日の夕飯はアサリのみそ汁とポテトサラダと、新作のシーチキンとたまねぎとコーンの春巻き。

「ポテトサラダとかマカロニサラダとか食べる時、いつも思うんだけどさ。ほとんどでんぷん質で出来てるのにサラダって名乗ってるのは納得がいかない」

「いつもそんなこと考えてたのか……」

浅川はなんでも小難しく考えすぎ、と嶋野は少し口角をあげて笑う。

週末は金曜の夜に来て日曜の午後に帰ることが多いけれど、今週は土曜の夕方に来た。

明日嶋野が帰る時に一緒に家を出て、駅前のレンタル屋にDVDを返しに行こうかな。いや、月曜の朝に返却ポストへ入れよう。それがいい。

部屋の中で密に接していても、外を並んで一緒に歩くのはなんだか恥ずかしくてまだ出来ない。

俺がそうしたいと言えば嶋野は拒否しないと思うのだけど、なんとなくそうやって他人に甘える自分にはまだ耐えられないのだ。

「そういえばさー、1人暮らしを始めようかと思うんだけど。どう?」

突然、嶋野がそう切り出した。

「どう? って……別にいいんじゃない。独立してもおかしくない歳だし」

「だよね。長年実家暮らしだったから資金はあるし。ここの3階空き部屋ありって階段のところに看板出てただろ。実はさ、明日内覧行こうと思って」

「あ、そう……いいんじゃねえの。嶋野がそうしたいなら。」

「まあ、ここは候補の1つだから。まだ考え中」

 ……もし1つ上の階に嶋野が引っ越してきたら。それなら今まで通りか、うちに来る回数ももっと多くなるだろう。

今だって半同棲のようなものだけど、今までの微妙な関係が近くなりすぎることによって逆に悪い方に変わっていってしまうのではないか、なんて嫌な想像もしてしまう。

環境の変化によって、表面上は変わらなくても小さなところでずれが生じて、今の関係が維持出来なくなることを恐れている。どんなことも素直に喜べない性分なのだ、俺は。

結局は自分以外の誰かのことを、心の内全部を開いて飛び込んだり受け止めたり出来ないのだ。

他人を好きになれるようになったばかりで、それが出来るようになるにはきっと長い時間がかかるだろうし……そもそもそんなこと出来るようになるのだろうか。

他人を全て信じられるようになるなんて、自分には贅沢すぎる望みだ。

どうしようもなく不甲斐ない。


食後の甘くないカフェオレを飲み終わって、だらだらとベッドの上で重なったり離れたりしながら映画を観る。

ひざの上で猫みたいに扱われたり、服の下を弄られたり、気まぐれに手を払いのけたりの繰り返し。

「そういや前に、俺のこと近所の猫に似てるって言ったじゃん。あの猫、見せてよ」

俺がそう言うと嶋野は、見せてよって俺のものじゃないのに、と。

俺もおまえのものじゃないけどな。それは心の中で思うだけ。

他の誰かに自分のことを全て好きになられてもいいと思えるほど、無防備にはまだなれないけど。

少しだけなら差し出せるようになりたいとは思ってる。上手く出来ないだけで。


朝ならいつもいるからと言うので。日曜の朝に少し早起きして、嶋野家があるマンション近くの駐車場へ、例の猫を見に行った。

外を2人だけで歩いたことなんて数えるくらいしかないから、なんだかそわそわする。

横を歩くのが気恥ずかしくて1歩後ろを歩くと、嶋野はペースを落として並んで歩いてくれる。

あれ、と嶋野が指差した方を見ると、少し太った真っ白なふわふわした毛並みの猫が、空車スペースにでんと仰向けで寝転んでいる。

「全然似てない」

「質感が似てる」

質感ってなんだ。もさもさと腹の毛を撫でてやると、白猫は気持ち良さそうに目を細めた。絶対似てない。

耳の後ろと、あごの下。猫も人間も撫でてもらって気持ちのいいところって一緒なのかな。

もっと撫でて、とでも言うように喉を鳴らして腕にすり寄ってくる。俺はこんなことしない。絶対似てない。

「触らないの?」

「だから、愛嬌振りまいてちやほやされてふんぞり返ってるようなやつを、甘やかしたくないんだって」

「随分な言い方だな……じゃあ、こいつは嶋野に似てる」

「まあ、似てるよね」

そういうとこ、あっさり認めるんだな。

「子供の頃にさあ、俺、同級生に八方美人だって言われたんだよね」

「大体合ってんじゃん」

「まあね。小さい時に親が、誰にでも優しくしていつでも愛想良くしていれば誰からも好かれるって言うから、ずっとそうしてて。実際友達いっぱいいて好かれてたから、俺のこと嫌いな人間なんていないと思ってたから」

「……それは物凄い馬鹿だな」

「子供の頃の話だからね。……だから優しくしてたつもりなのに、自分のことを批判するようなことを言われたのがショックで。意地の悪いことをそいつにしたりして。まあ、今思えば友達だと思ってた奴らにも影で色々言われてたのかもしれないよな」

正直、ちょっと安心した。嶋野はいつも善人で余裕で生きてるもんなんだと思ってたけど。案外そうじゃないのか。誰かに好かれたり優しくされたりしたいと思うのは、同じなんだな。

「だって人格全部ぶつけてハイリスク・ハイリターンな人付き合いするよりは、適当に愛想よくやり過ごした方が気が楽じゃん。それぞれが自分以外の何人もの人とも人付き合いしてるんだし、環境が変わって関わる人数が増えれば埋もれていくんだからさ。いいとこだけ見せてれば充分かなって」

「そんなの、みんなそうじゃないの」

「……だからさ、みんな自分みたいに相手を傷つけなければいいって、心の底からそう思ってないこと言って適当に調子を合わせてやりすごしてるんだって思ったら。誰に何を言われても信用出来なくて、他人が怖くなって、いつもどっか穿った目で見るようになって。だから浅川と一緒にいると、安心出来るんだと思う」

ああ、これはずっと探してた答えだ。

なのに俺は嶋野の顔を見る自信がなくて、しゃがみ込んでうつむいたまま白猫の背中を撫でる。

「そりゃあ、口は悪いし素直じゃないし愛嬌もないけど。でも本当のことしか言わないから。

おまえが言うことなら全部信じられるから」

いつも俺はひねくれたことしか言えないのに、何でそれを本当のことだって言えるんだろう。

何でそんな風に思ってくれるんだろう。

「俺、ずるくて嫌なやつだろ?」

いつものように笑って言うけど、いつもとは違う。

こんな風に自分の話をする嶋野は、初めてだ。俺はずっと嶋野のことを、勘違いしてた。

「……子供の頃の自分が他人に優しくしてもらいたかったかどうかは、今となってはわかんないけどさ。

おまえにとっては悪口だけど、そいつにとってはそれが他人とのコミュニケーションの取り方だったんじゃねえの。

結果としてお互い嫌な思いをすることになったけど、たぶん悪気があって言ったんじゃないと思うよ」

「そう言ってくれると嬉しいよ」

本当に伝えたい大事なことってどうして言葉にすると薄っぺらくなるんだろう。

自分の言葉では充分に伝わってないような気がして、もどかしい。

「本当にそう思ってるから」

「うん、わかってる。浅川が適当なこと言う訳ないもんな」

ぽんぽんと頭を撫でる、俺よりも大きな手のひら。

他人には見せない本当のことを、俺だけに見せてくれた。

こんな人にはもう一生出会えないかもしれない。こんなにも自分が誰かに愛されていると実感したのは、生まれて初めてだ。

俺も、嶋野だけは信用出来る。その言葉を言いかけて呑んで。

「……あのさ、もし嶋野が1人暮らししたら、たまに嶋野の部屋に行っていい?」

「当たり前だろう。たまにじゃなくて毎日来ていいよ。服でも本でもなんでも置いていいよ」

嶋野の靴に白猫があごをすり寄せると、嶋野はそうっと背中の毛を撫でた。俺にそうするみたいに。


誰かが自分の為に食事を用意してくれるのも、俺が誰かの為にコーヒーを淹れるのも。

一緒にここにいて下さい、という意思表示なのかもしれない。

この世界のどこに行っても、どんなテーブルについても居心地は悪くて当たり前だと思っていたけれど。

嶋野が俺の為に用意してくれた食卓は、とても居心地が良くて、まるで「ここにいていいよ」と言ってもらえているような。自分という人間が他の誰かと寄り添うことを許されたような。そんな気持ちになる。


思う存分撫でてもらって気が済んだのか、白猫はにゃあと一声鳴いて車の下へ潜っていってしまった。

「じゃあ、そろそろ行くか」

「うーん、俺一回家帰る。用事が済んだら夕方また行くわ」

「夕飯は?」

「浅川の家で作るよ。なに食べたい?」

嶋野と別れて、朝の水色の空を見上げながら、駅の反対側の我が家まで1人で帰る。

パーカーのポケットに手をつっこんで、頭の中で鳴るリズムに歩く速度を合わせて、日曜の早朝の人気のない道を1人で歩いて帰る。

でももう、いつもの1人とははっきりと違うのだ。

この日々がいつまで続くかはわからないけど、当分はそれを当たり前だと思って続けていきたい。

コーヒーが冷めてしまったら、また温かいものを淹れ直せばいい。そうやって2人で乗り越えていければいい。


自分以外の誰も立ち入らせないような、1人だけの時間も。

肌と肌の距離をなくして体温を確かめ合うような、1人じゃない時間も。

どちらかじゃなくて、どっちも楽しめるようになれればいい。

遊園地のコーヒーカップのようにぐるぐる回って近づいては離れる、そんな距離でいるのがちょうどいいように思える。


俺は一人が好きで、一人の時間がないと辛くて、他人と交わるのは苦手で。

きっとそれだけは永遠に変わらないのだろうけど。

人懐っこい猫がいつでも自由に出入り出来るくらいの、小さなドアは開けている。

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