エリア・ゼロへ
とても月が綺麗な夜だった。いや、正確に言うなら月を背景にして微笑んでいる彼女はとても美しかったというべきだろう。
月を美しいと感じたのも事実だけれど、俺からすれば月は彼女を引き立てるためのいわば一部としか見ておらず、二つの目は月の光を受けて輝いている女の子へ向けられている。
『綺麗な月・・・・』
月を眺めながら髪を掻き分けるしぐさ、手の中でさらさらとこぼれるように揺れる髪、陶器のように白くも美しい肌、彼女の仕草の一つ、一つに釘付けになってしまう。
『太陽よりも月の方が大好きなの、月は奴らと違う。太陽の外に出たら身を焦がすような苦痛を与えない、荒々しい光もなければ、苦痛を与えることもない。私の存在を認めてくれる唯一の存在といっても過言じゃないわ』
月を眺めながら微笑む彼女だが、その目は笑っていない。
何を思って月を見ているのか、当時の俺はまったく理解できていなかった。仮に理解できていたとしてもどうすることもできなかったのは目に見えている。ただのどこにでもいるような子どもなんかに本当の意味で化け物といえる彼女へ太刀打ちできるわけがなかった。
『ねぇ、ナイト』
月から視線をそらしてはじめて目が合う。くりっとした黒真珠色の瞳の中に俺が映る。
彼女の瞳に俺がどう映っていたのかはわからない。有象無象の一つか、大事な存在と見られていたのか、すくなくとも傍に一人誰かいるという認識はされていただろう。それほどまでに彼女の他者への関心は薄い。
自分を生んでくれた家族にすら愛情を抱いていたのか怪しいところだ。
昔はそんな彼女じゃなかった。
だれにも優しく、慈愛に満ち溢れていた。
彼女が彼女じゃなくなったのは“能力”に目覚めたことだ。能力によって彼女の全てが狂った。
一度狂った歯車が元に戻らないのと同様に能力という歯車が加わったことで彼女は狂った。
誓約により彼女は全てに関心をなくした。
周りの人間も、
動物も、
植物も、
最愛の家族すらも彼女は感心を示さない。
生きているようで生きていない。それが目の前にいる彼女の全てだった。
あの時まではそうだった。
とても月が綺麗なあの日、珍しく彼女が関心を示して、傍にいた俺に囁くように告げた。
「起きたか」
「あれ、俺は・・・・」
「非常事態のため、特別通路へお前を運び込んだ」
目を覚ますと、薄暗い通路の中に俺はいた。
傍にはCGTの隊員が背中に大型ライフルらしきものを担いでいる。
「特別通路?」
「シティには非常時に通行することが可能な秘密通路が地下に網のように設置されている。私達が向かっている場所もそのひとつ」
「へぇ・・・・ところで、アンタは?」
「・・・・伊織汐、CGTの隊員、識別コードR1」
「それはそれはどうも。俺は相馬ナイト、そこらへんにいるような人間です」
「ウソ」
俺の挨拶を彼女は一蹴する。
どうもこの街で出会う人間は人様の挨拶を一蹴することが趣味なのかもしれない。
「思うところはあるがいいや・・・・なんで俺達は秘密通路なんてものを歩いているんだ?」
「コードE0が発令された。CGT、捜査官は早急に本局の地下へ向かわなければならない」
シティの治安維持局には一般の人が知らないような発令コードが存在する。発令コードは場所と数字を示しており、E0の場合、第零地区をさすことになる。まぁ、そのままエリア・ゼロと読めばいいだけだ。
ん?
「は、待て待て!俺は捜査官じゃないぞ!」
「情報によれば免停と聴いている」
「いや、そうだけど」
「コードE0において、免停者問わず本局の防衛に勤めなければならない、捜査官のアナタならレベル5以上の事項ぐらい理解しているはず。尚、これに拒否権は存在していない」
内容を朗読するかのようにぺらぺら喋る目の前のCGT隊員へ俺はげんなりとした表情を浮かべてみるが、相手はまったく反応しない。
「よって、相馬ナイト、私と一緒にエリア・ゼロへ向かう」
淡々と語る彼女へ俺はため息を零す。
何がどうしてこんなことになっているのだろう。
あれか、翌朝のHRなどをボイコットしたことが原因なんだろうか?
神様がいるのなら学校さぼっただけでこんな事態を引き起こさないで欲しい。
「まぁ、行くけどさ」
エリア・ゼロが倒壊なんていう事態は俺としても避けなければならない。最悪、力を使ってでもだ。
「それで、この通路はどこへ向かっているんだ?確かエリア・ゼロへの直通はなかったはずだが」
「本局へ、私達は本隊とはぐれてしまっている。大部隊と合流して情報を収集すべき」
「あまりお勧めできないなぁ」
「なぜ?」
「本隊って情報が一番混乱しやすいところなんだよなぁ・・・・特に、指揮している人間がダメダメすぎると余計に指揮系統が滅茶苦茶になりやすい」
ボックスシティの治安を守っているのは捜査官とCGTの二つだが、その上、つまり上層部だが、中にいる人間全てが有能というわけではない。中には金の力などでのし上がったものなどがいる。俺を免停させた男もそんな一人だったし。
加えて、レベル5以上の防衛というのは捜査官とCGTの二つを組み合わせて対処に当たることになる。
前にも述べたが能力者で構成されている捜査官と無能力者で構成されているCGT、この二つの溝はかなり深く、街を守るためとはいえ、手を取り合って協力するとは思えない。
余計に混乱すると思うんだよなぁ。
「ならば、アナタの案は?」
「あまり頼りたくないんだが・・・・」
二つの巨大な力があるとどちらが船長かわからない、情報も錯綜している可能性が高い。
頼りたくなかったが俺は通信端末を起動させる。
目当てのアドレスを引っ張り出して手短にメッセージを送った。
一分も関わらずに返事が来る。
電話という形だが。
『うぉおおい!?てめぇ、どこに居やがる!』
「電話口で怒鳴るな!お前に聞きたいことがあるんだよ」
『奇遇だな。俺もてめぇへ用事がある。お前の傍に砂原沙織はいるか?』
「・・・・いねぇけど、彼女がどうかしたのか」
まさか、彼女の名前がここで出てくるとは思っていなかったので少し動きが固まってしまう。
――嘘つき捜査官。
あの時、彼女へ告げた言葉を思い出して、ズキリと心が痛む。
『なら、てめぇに伝えるぞ。エリア・ゼロへの侵入者は二つだ。一つはキメラ、もう一人が砂原沙織だ』
「・・・・は?」
俺は安部から告げられた言葉に驚きを通り越してなんともいえない感情に包まれてしまう。
「いやいや、ないだろ?彼女捜査官なんだし、その捜査官が帝都を襲撃するって本末転倒もいいところだろ」
『お前、砂原沙織が捜査官である前に大事なことを忘れているだろ』
電話の向こうで安部が呆れた声を出す。
何が言いたいんだ?
俺の思考を読み取ったかのように安部が言う。
『砂原沙織は捜査官の前にあの金十字鷹虎の娘なんだぞ?何かのきっかけで父である鷹虎の野望を継いでシティを危機に陥れるなんてことがないなんて絶対に言い切れるか』
「言い切れるね。彼女はそんなことをしない」
迷うことなく俺は答える。
彼女は捜査官であることに誇りを持っていた。少なくとも俺にはそう見えた。
だから、彼女が人を傷つけることに手を染めるなんて信じられない。
『根拠は?』
「俺の勘だ」
『ハッ!信じられねぇな』
「なんとでもいえ、質問に答えてやったんだから俺の求めている情報をよこせよ」
『・・・・まぁ、いいだろう。何を欲しているんだ?』
「現在の帝都の状況、俺がいる場所からエリア・ゼロへの最短ルート」
『俺の質問と割りにあわねぇ!最短ルートだけ教えてやる』
「・・・・ま、いいや、頼む」
『メールで送ってやる。自力でたどり着くんだな』
「わかってる」
『まぁ、健闘を祈っておいてやるよ』
「抜かせ」
電話を切って、少しして安部からメールが送られてくる。
メールの中身はマップで、俺が居る場所からエリア・ゼロまでの最短ルートが赤い線で表示されていた。
「・・・・それが近道というわけか」
「あぁ」
携帯の画面を見ながら俺と伊織は暗い道を歩き始める。
▼
安部彦馬は騒がしい廊下を突き進む。
滅多に発令されないコードE0に加えてレベル5の防衛によって職員達はてんでわんやの状況になっている。
その中で安部彦馬はエリア・ゼロへ向かおうとしていた。
エリア・ゼロ、第零地区ともいわれる。その場所は帝都の地下深くに存在しており、入り口から奥まで迷路のようになっている。地区の使用理由も不明、一説では全ての始まりで、ボックスシティ創設の秘密が隠されているという話もある。
エリア・ゼロへの入り口は帝都、治安維持局本局にしかない。
本来なら完璧といえる防衛網が展開されているはずの本局はタイミングが悪いことにほとんどの上級捜査官が出払っており、CGTも相馬ナイトの輸送のため人員が減少していて襲い掛かるキメラを処理できずにいた。
「(おかしい・・・・)」
通路を歩きながら安部彦馬はこの状況に気持ち悪さを抱いていた。
本局へキメラが襲うことなど今に始まったわけではない。何度か襲撃はあったし、施設が損害を受けることもあった。
「(だが、これはいくらなんでも被害を受けすぎだ)」
治安維持局は敵の襲撃においては常に後手へ回ることが多い。だが、これはいくらなんでも被害を受けすぎだと安部は感じている。
タイミングが良すぎる襲撃、
対応できない本局、
そして、砂原沙織。
安部彦馬の中では彼女が敵として君臨した場合の脅威がシミュレートされている。
シティに潜んでいる金十字教の残党が娘の存在を知り一斉に行動を起こすことによって、本局が壊滅、街が掌握されてしまう結末だ。
だが、それはあくまで砂原沙織が金十字鷹虎の娘、金十字三夜であることが前提となっており、彼が目にした資料どおり、金十字三夜が死んでいたらこれは成り立たない。
もし、砂原沙織が金十字三夜ではないとしてもこのタイミングで治安維持局へ反乱を起こす理由が思いつかなかった。
「エリア・ゼロへたどり着かないとわからねぇってことか・・・・」
エリア・ゼロへの入り口は本局に設置されているゲートのみだ。
安部は通路を進んで、広い空間にたどり着く。
開けた場所には漆黒の扉があった。
“神のみぞ知る”と名づけられた扉こそがゼリア・ゼロへ行くことが出来る唯一の入り口だ。
既に扉は侵入者の手によって開けられており、入り口周辺は誰の姿もない。
安部はもう一度、ハックして手に入れたマップを開いて場所を確認する。
「よし、行く――」
向かおうとした安部の頭部へ通風孔から落ちてきた相馬ナイトと伊織汐が直撃した。
数秒間、意識を失う。
▼
「てめぇ、俺を殺すつもりかぁ!」
「悪かったって、まさか通風孔が襲撃で脆くなっていたとは思わなくって・・・・いっそ、死んでくれればよかったのに」
「てめぇ!前々から気に食わないと思っていたがそこまで腐っていたとはなぁ!ここで引導渡してやろうかぁ!」
「上等!お前をぶっ飛ばして退職金代わりにてめぇのへそくり頂いてとんずらこいてやるよ!」
「いい加減にしろ、時間の無駄」
通風孔から落ちて体のいいクッション代わりにした安部と最終決戦を繰り広げようとした俺達の前に無言でライフルを向けてきた彼女へ謝罪をして、俺は重厚な扉を見る。
“神のみぞ知る”と名づけられた扉、もう二度と見ることのないと思っていたのに、四年過ぎた今になって再び入ることになんて思ってもみなかった。
本当に人生というのは何が起こるかわからないと昔の偉い人はいったもんだ。
「安部、マップのデータ」
「俺が案内人じゃ不安かよ」
「信用して、前に秘密通路使って逃げたのはどこの誰だったか?忘れたとはいわせねぇぞ。早くデータをよこしなさい」
しばらくして安部のデバイスから俺達へエリア・ゼロのマップがインストールされた。
エリア・ゼロはボックスシティを支える大事な場所であると同時に膨大な迷宮地区でもある。
迷ったら最後、二度と出ることの出来ない奈落の入り口ともいわれていて、非常時でも入ることに抵抗を感じる場所だ。
入る場合、マップが命綱となる。
ただし、命綱であるがマップも完全ではない。
マップどおり進んでいたとしても新しい道が発見されたりすることもあるので全幅の信頼を寄せていると奈落へ迷い込んでさよならというのもざらにある。
そんな場所がなぜあるのか?一説では対戦終期に作られたという兵器を保管するためという話があるが定かではない。
わかっているのはエリア・ゼロは秘密の宝庫であるということくらいか?
「さてと、行きますか」
「待てよ」
入り口へ向かおうとした俺を安部が止める。
「なんだ?」
「お前、奴らがどこへいくのか検討ついてんのか」
「当たり前だ」
「断言できる根拠は?」
「敵がこのシティを壊滅させるのなら、向かう場所はひとつしかない」
エリア・ゼロは迷路となっていて、さまざまな場所につながっている。
どこに繋がっているのかなどを本局は把握仕切れていない。だが、一箇所だけ、絶対に立ち入ってはいけない場所が在る。
そこが露見されればこの街は終わりを迎えてしまうといわれる、立ち入ってはいけない場所だ。
「その場所というのは?」
ライフルの調整を終えた伊織が尋ねてくる。
お互い自己紹介は先ほど済ませた。
現在はシティを脅かす敵を追い払うという利害の一致で行動している。
だから、可能な限りの情報を教えろと彼女の目は語っていた。
「ホワイト・セントラル。誰も立ち入ってはいけない場所だ」