符術の試行錯誤と卵の孵化
丁寧に擂り潰した魔石をインクに混ぜたものにペン先を浸し、同じく魔石の粉末を混ぜた水に浸した上で自然乾燥させた短冊型の紙へと、前もって教授された魔法陣と魔術文字を描きます。
ちなみに私の字は達筆というわけではありませんが、基本に忠実で読みやすい……と、学園にある図書館で持ち出し禁止の奥義書の写本をした際に、見回りをしていた司書さんが感想を述べられたものです。
読みやすい字を書くよう心がけているのは、闇の森の庵で勉強していた際に、レジーナからさんざん注意されたお陰でしょう。
ちなみにこの世界の文字は平仮名と片仮名、さらにローマ字を崩したような表音記号で形作られています。漢字のような表意記号も一応ありますが、こちらは『古代文字』とか『神聖文字』などと言われ、一般では使われておりません。
なんでも太古の昔には何千何万という表意文字があったそうですが、現在は学者か聖職者でもない限り使用しない上に、かの『神魔聖戦』によって重要な聖典や貴重な記録の多くが散逸或いは消失し、結果として本職であるセラヴィでも神聖文字は五百字程度しか把握していないとのことです。
常用漢字でさえだいたい二千文字だったと記憶していますので、文化というモノは使う機会がないとどんどん衰退するものだと、改めて認識させられる事実ですわね。
それとあまり関係はありませんが、聖職者や教徒に対する洗礼名は、例えば『フランシス』という場合、正式には『腐乱死酢』という珍走団の落書きのような字が当てられるそうです。
いまのところ私はどの宗教にも携わっていませんが、神学の授業でそれを聞いた瞬間、今後一生無宗教でいようと決心したのは言うまでもありません。
そのついでにセラヴィの正式な洗礼名を尋ねたのですが、あからさまに話題を変えられて教えてもらえませんでした。
そんな訳で、充分にインクが乾いたところで、私はその符へ起動術式とともに起動用の魔力を送り込みました。
「――風よ!」
刹那、閃光とともに一瞬にして燃え上がり灰と化す符。
ほとんど原型を留めない成れの果てが、ぽろぽろと風に乗って飛んでいきました。
「「「ああ~~~っ…………」」」
この様子を固唾を呑んで見守っていたエレン、ラナ、プリュイの三人が、一斉に落胆のため息を漏らします。
「……また、失敗ね。魔力は抑えたつもりだったのですけれど、どうしても魔術回路が耐え切れないみたいね」
せっかくセラヴィに教えていただいた符術ですが、どうも私とは相性が良くないようです。
毎回、カードに魔力を伝播させる段になると、一瞬で燃え尽きるか下手をすればその場で爆発してします。どれだけ魔力を弱めても無理で、ならばと魔力を流さず起動術式を唱えると、プスプスと焦げ臭い臭いと煙が上がり、以後はウンともスンとも反応しなくなってしまいます。
試しに他の三人にもカードに触って起動術式を唱えてもらったところ、エレンでちょっと旋風が舞い、ラナで微風がそよぎ、プリュイでかなりの強風が吹き荒れました。
おそらくは各自が内包している魔力量と慣れに応じて、発動条件が変化したのでしょうけれど、私の場合は無意識レベルで放つ魔力が大きすぎて、脆弱なカードに描かれた魔術式では受け止めきれない――そう考えるしかないところです。
要するにもともとのアンペアが違うということでしょう。
「最初から上手くいくとは思いませんでしたけれど、これでは折角の符術も宝の持ち腐れですわね」
「ジル様でも普通に失敗することがあるのですねー」
驚愕と微妙な安堵混じりのエレンの感想に、私も苦笑いで応えます。
「それはそうですわ。そもそもが失敗と挫折の人生でしたし……」
「――その年で人生を語るのもどうかと思うが?」
と、首を捻るプリュイ。
「それはまあ、千年を生きられるエルフに比べればそうでしょうが、こう見えてもそこそこ濃密な時間を過ごしてきた自覚も自負もありますから」
と言うかこの二~三年が普通の人の十倍くらい人生を濃縮された気がするのは、果たして私の錯覚と言えるのでしょうか?
「ともかく、符術に関しては抜本的な改良が必要でしょうね」
例えるならロケット花火を打ち上げるのに、普通なら導火線に火をつければいいところ、私はいきなり火炎放射器で火達磨にしているようなものです。
どうにかして火種を小さくする努力をすべきなのでしょうが、でもそもそも火炎放射器を持っている段階で、花火を使う必要性がない――ちまちま符術を使うよりも、普通に魔術を行使した方が早くて効率的な――ような気も致します。
「難しい処ですわね……」
何か応用の仕方がありそうな気もするのですが、即座に思いつかずにため息を漏らしました。
回路が脆弱すぎて耐えられないのでしたら、もっと魔石の量を多くするとか素材の強度を上げるとか……ですが、その結果がロケット花火程度では費やした労力に見合う結果とは到底言えません。
と――
そこへモニカがやってきて折り目正しく一礼しました。
「お嬢様、ルーカス様がお嬢様を探しておられます。よろしければ、ゲストルームへお越しいただけませんか?」
「ルークが? どうかしたのですか?」
「どうやら以前、シャトンから渡された卵が孵化しかけている模様です」
「「「「!!」」」」
その報告にその場にいた全員が息を呑みました。
「わかりました。すぐに伺うと知らせてください」
◆◇◆
ひょんなことから知人である白猫の獣人シャトンから渡された『飛竜の卵』――と銘打たれた極彩色の従魔らしい卵。
当初は扱いに苦慮していたルークですが、風の精霊術を覚えてからはぐんぐん育ち、半月ほどで直径五十セルメルトほどと騎鳥の卵ほどの大きさにまで成長しました。そこまでは良かったのですが、そこで打ち止めとばかり成長が止まり、それ以後は目立った変化がなく「ひょっとして無精卵?」という疑惑と共に、最近は忘れがちになっていたのですけれど、どうやら無事に中身も育っていたようです。
とりあえずキリの良いところで符術の実験を切り上げた私たちは、なぜかすっかりルークの自室と化している貴賓室へと急ぎました。
本来は学園の寮(と言っても一般寮ではなくて、貴族専用の一戸建てになります)に入るか、適当な(この場合は格式と安全が保障された)ホテルのワンフロアを借り切って学園に通う予定だったルークですけれど、卵の件で有耶無耶のうちに同居をはじめて一月あまり。
休みの日には一緒に孤児院の慰問に行ったり、たまに面白がってルタンドゥテⅢ号店の手伝いをしたりと、いまではすっかり私たちの生活サイクルに馴染んでいる感があります。
そもそも正真正銘の王子様が、私のようなはっきりいって得体の知れない――魔女だし――上に、どこの馬の骨とも知れない――死んだことになっているし――相手とひとつ屋根の下で暮らすことに関して、本国から付いてきたルークの随員から、当然反対の声が挙がると思っていたのですけれど、なぜか「ジュリア様のことは旦那様よりよく聞いております」「この場所であれば安心でございます」「どうぞお気兼ねなく」とやたらフレンドリーに、即決で同居が認められました。……いろいろと不可解ですわね。
まあ幸い空いている部屋はそれなりにありましたので、現在は半分ルークの随員が使用する形になっています。
そのようなわけで、待機していたルークの従僕に許可をとり、私と念のためについてきたプリュイのふたりが貴賓室に入ると、ルークとアシミが固唾を呑んで見守る中(なぜかこのふたり最近仲が良いのです)、適度な湿度と温度を保つように作られた特製の孵卵器に入れられた巨大な卵が、ごとごとと音を立てて左右に揺れているのが目に入りました。
「あ、ジル! 見てください、もう生まれそうです」
振り返ったルークが嬉しそうに卵を指差します。
その声に応えるかのように卵はさらに激しく、前後左右にガタガタガタガタ!! と八拍子で全体を揺らし始めました。
「え、なに、なんですか、この胡乱な動きは!?」
思わずその場に足を止めて、怪しげなダンスを踊る卵を凝視します。
フィーアの時には、こんな激しい動きはありませんでした。
いまにも爆発でもしそうな勢いに腰が引けた瞬間、ビシ――――――ッと横真一文字に卵を一周する亀裂が走り、
「うわ――っっ!!」
目を丸くするルークが反射的に仰け反ったところで、内側からバラバラに弾け飛びました。
「にゃおおおおおん!」
そしてそこに現れたのは、真っ白い毛並みの……どう見ても猫でした。
「「「「……はァ!?」」」」
息を呑んで見詰める私たちの前で、生まれたばかりの猫は一声鳴くと、せっせと毛繕いを始めます。仕草といい鳴き声といいどこからどう見ても猫以外の何者でもありません。
「な、なんで……飛竜じゃない……?」
呆然と呻くルーク。
「……そういえば」
同じようにポカーンと口を開けていた私たちの中で、逸早く正気づいたらしいプリュイが、やや疑念を感じさせる目付きと口調とで、孵卵器から降りて一直線にルークへと寄って行き、その足元へと頬ずりする白猫と、反対に魂の抜けた顔で棒立ちになっているルークとを見比べました。
「聞いた話では、この卵を持ってきた獣人族の娘は、確かこの卵を『ふたりの愛の結晶』と言ったそうだが……」
「――言われてみれば、毛並みとか似ていますわね」
「え……?」
私も同意すると、いまはじめて気が付いたような顔でやたら足元に懐いている猫の仔を、ルークはまじまじと見据えました。
それから一拍置いて、大いに焦った表情で首を横に振ります。
「ちっ、違います! 僕はジル一筋です! 絶対に浮気なんてしていません、これは何かの間違いか性質の悪い悪戯ですッ!! ――っ。そうだ! 本当は本物の飛竜がまだ隠れているに違いありません!」
まあ私も本気で口に出したわけではありませんけれど、余程取り乱しているのか錯乱しているのか、まるで妻か恋人に不貞を疑われた伴侶のような慌てぶりでそう一息に弁明すると、ルークはバラバラになった卵の比較的原型を留めている残骸を引っ繰り返して、「飛竜、飛竜!」と取り憑かれたように覗き込み始めました。
そんな彼の足元を「うにゃうにゃ」鳴きながら白猫が行き来します。
毛が乾いたせいでしょうか、その背中に小さな羽が生えていることにいまになって気が付きました。
「……なんなんでしょう、この仔?」
「見た目と気配はどう見ても猫だが……?」
私とプリュイふたり揃って首を捻りました。
一方、依然として唖然とした顔で凝固していたアシミですが、穴の開くほど謎の猫さんを凝視したまま、疑念と驚愕がない交ぜになった呟きを漏らしたのに、その時は気付きませんでした。
「……まさか……まさか、あれは……飛竜如き亜竜ではなく……真龍の……そんな馬鹿な……」
この世界で『竜』は基本凶暴強大な魔物の総称ですが、『龍』は知性ある怪物を指して、地域によっては信仰の対象や土着の神扱いされます。
なお、白猫龍のイメージは某ゲームのナルとOVAの魎皇鬼を足して、さらに「僕と契約して、魔●少女になってよ!」というアレで割った感じです。