誕生の喜びと生徒会のお誘い
『好きな人に会いにいく道は、学校帰りの生徒の道。
好きな人と別れて帰る道は、学校に向かう生徒の道。』
――ウィリアム・シェイクスピア『ロミオとジュリエット』――
◆◇◆
さて、理事長曰く、
「基本がまだまだ甘いわね。個人差ってものがあるから、あたしは短所を無くすよりも長所を伸ばすやり方のほうが好みなんだけど、あんたの場合は基礎部分に自己流っぽいムラがあるんで、そこらへんの悪い癖を最初に矯正したほうがいいと思うわ」
ということで始まった特別授業という名の地獄の特訓――常時、魔素が希薄な謎空間で、理事長がポンポン放ってくる火の玉を必死に相殺したり、本気で襲い掛かってくる無茶苦茶体表が硬い使い魔の、針の穴程度しかない弱点目掛けて、脳の血管が切れそうなほど頑張って収束させた魔力を一点突破させたり、目隠しと耳栓をした状態で四方八方から飛んでくる魔剣を魔力探知のみで躱したり――を繰り返し、コレ本当に基本? ホントは魔王の復活か宇宙人の襲来でも予知した理事長によって、その対策の為に選ばれて大幅なレベルアップを強いられているのではないかしら? と疑心暗鬼を抱きながらも、どうにか今回も修行をやり終え、重い足を引き摺りながら帰宅いたしました。
「「「お帰りなさいませ、ジル様」」」
「ただいま戻りました。お出迎えご苦労様です」
店の方ではない正門を入って玄関を開けると並んだ家人――執事であるカーティスさん以下、数人の従僕とモニカたち侍女――が左右に並んでお出迎えしてくださいます。
こういう大仰な挨拶は最初は慣れませんでしたけれど、全員が一斉に頭を下げる有様も、これはこれで集団演技でも見ているようで壮観だと、最近は開き直れるようになりました。
まあ我が家の使用人の数は上流階級の市民程度らしいので、まだしも慎ましげな部類だそうですけど――オーランシュ辺境伯家ではボッチでしたし、ブラントミュラー家の生活も華美とは無縁でしたので、現在とたいして状況は変わりませんでしたが――これが王侯貴族ともなれば、ずらりと数十人の使用人が並んで(しかも見た目を重視して同じような髪型・髪色・身長の使用人を並べた上で)一斉に挨拶するそうです。
噂によれば超帝国神帝陛下ともなれば、地平線の彼方まで延びる絨毯の左右に延々と召し使いが並んで跪拝礼をする中、悠然とねり歩くそうですが……。迂闊に散歩にでも行けそうにもない環境ですわね。
まあさすがにそれは極端な例だとしても、上流貴族や王侯になれば何かと堅苦しそうですので、今後とも極力係わり合いにならないよう願うばかりですが――まあ、そもそも今の私は下級貴族の養女ですから、そんな世界とは無縁ですし、さほど関係する予定はないでしょうね。まかり間違って将来、玉の輿にでも乗るならともかく、そんな酔狂なお相手が見つかるとも思えませんから、『空が落ちてこないか』と心配するようなもので考えるだけ無駄でしょう。
そう思いながらエレンとラナを伴って自室へ戻るため階段を昇っていたところ、一足先に帰っていたルークが踊り場の処で出迎えてくれました。
余程嬉しいことでもあったのでしょうか、顔がほころんで高揚しています。
「おかえりなさい、ジル!」
「ただいま戻りました、ルーク」
と言っても、午後に教室で別れたばかりなのですけれど。
「――どうかされました? 随分と声が弾んでいますけど」
「ええ、実はですね。産まれたんですよ! 遂に!」
ああ、例のシャトンが置いていった『飛竜の卵』という名の胡乱な物体のことですわね。遂に孵化したのでしょう。
ちなみに卵は私の時のように年中持ち歩かずに、魔女特製の孵卵器に入れて、一日に何度かルークが両手を押し当て、精霊力を送る形ですくすくと大きくなっていました。
「まあっ! おめでとうございます。無事に産まれたのですね。よかった」
「ええ、3千グーラの女の子です!」
「三キルグーラですか? ちょっと小さいですわね。殻の重さを引いても、最低でも五キルグーラはあるかと思っていたのですけれど」
「へぇ、そうなんですか? 標準か少し重いくらいだと父は手紙に書いて寄越したのですが……」
「いえ、標準とかはわかりませんけれど、この間持った感じでは十キルグーラ近くあるように感じたものですけど……竜騎士である、エイルマー様がそうおっしゃるのなら問題ないのでしょうね」
「え? 持つって……いつ両親に会う機会があったのですか、ジル?」
「は? なぜ私がルークのご両親にご挨拶したお話になるのですか?」
「「???」」
お互いに困惑顔で首を捻ります。どうにもお互いの認識に齟齬がある気がするのですが……?
◆◇◆
「生徒会執行部に所属せよとな? 馬鹿を申すな。生徒会とはそも生徒による自発的、自治的な組織であり、執行部とは学生と学校側の立場の仲立ちとして、それぞれの立場を考慮しつつ、諸問題を解決するための提案及び実行を行う奉仕機関と聞く。よりにもよって王族たる妾に対し、使用人のように奉仕せよと申すのか、おのれらは?」
怒気を含んだシレント央国のリーゼロッテ王女と、その取り巻きたちの殺気の篭った鋭い眼光を受けて、現生徒会執行部の役員だという温和そうな男子生徒が、気押された様子で教壇の後ろへと一歩後ずさった。
「……そ、そういうわけではございません、王女様。生徒会はあくまで中立であり、生徒や教師に対しても対等の立場を堅持しております。学園の代表者として生徒に有意義な学生生活を送らせるべく活動しているだけであり、奉仕ではなく善意の活動と考えております」
それでも自分の役割を放棄するつもりはないのか、気持ちを落ち着けるように、胸元に下げていた聖女教団の聖印に手を押し当てながら、とつとつと反論する。
「ふん。ものは言いようであるな。ところでお主は神官か?」
「は、はあ……いちおうユニスでは男爵家と共に助祭の位階を」
「であろうな。なんとなく口調が妾の神学教師であった頭の固い司教と似ておるわ」
うんざりした顔でリーゼロッテがぼやいた。
「もしや、生徒会執行部の役員とやらには、他にも多数の神官がおるのか?」
「え、ええ、まあ全員ではありませんが、神官位を持つものが七名で、一般信徒を含めれば七割が教団員でございます」
リビティウム皇国の国教であるので当然と言えば当然であるが、それを聞いたリーゼロッテの顔にでかでかと『辛気臭っ』と率直な気持ちが描かれる。……さすがに王女という立場上、口にこそ出さないが。
「――ほう。それでも三割は非教団員なのか。どんな基準で選ばれているのか聞いてもいいかな?」
そう興味深げな問いを放ったのは、リーゼロッテの隣――放課後の空き教室の最前列――に腰を下ろしたヴィオラであった。彼女(彼?)もまた、同じく生徒会執行部へ誘われた口である。
「え、ええ。基本的に生徒会の役員は生徒の自薦、他薦の他に成績順に優先される枠がございまして、成績優秀な他国からの留学生が選抜されることがありますので……まあ、異教徒とはいえ同じ生徒同士、さほど問題はありません」
ちらりとヴィオラに視線を投げ、用意されていたかのようにスラスラと答える役員。
リビティウム皇国の枢軸国シレント央国の王女であるリーゼロッテと、天上紅華教を国教にしている東部連邦出身の自分に対して、若干温度差が感じられるその対応にヴィオラは内心苦笑した。
(――どうやら口で言うほど生徒会も一枚岩ではないようだね。どこの世界にも派閥はあるし、逃れられないさだめか)
同様にリーゼロッテも察したらしく、目に見えて不機嫌になる。
「……つまるところ、妾は生徒会に箔を付けるために選ばれた他薦であり、ヴィオラは成績優秀であるがゆえの選抜、ということかのォ」
「と、とんでもございません! 王女殿下は人望及び学業成績も目を瞠るものがあり、そのため申し分がないということでこうして私が使者としてまかりこした次第でございます」
慌てて否定する生徒会役員を冷めた目で見据えるリーゼロッテであったが、ふと、その目が怪訝なモノに変わった。
「成績順で選ばれる……というのであれば、妾は他に二~三名心当たりがあるが、そちらには声を掛けなかったのか?」
「――ああ、そういえば一回目の学業試験では、ボクの前に二人と同点で一名がいたね」
ヴィオラも興味深そうに座ったまま身を乗り出した。
試すように相手の顔を注視する。
「無論、その三名もリストアップしており、うち一名――次席だったセラヴィ司祭も、当初こそ難色を示しましたが、最終的には我らが聖女様の信仰の元、大役を引き受けることに理解を示しました」
そう言って聖印の前に略式の印を切る。
「それと主席であるジュリア子爵令嬢ですが、セラヴィ司祭が個人的に面識があるとのことですので、彼に説得をお願いしています。それともうお一方――ルーカス公子様ですが、こちらは……後日、改めてご挨拶に伺う予定です」
「ふうーん……」
「……なるほど」
頷くふたりの王女を前に、納得してもらえたものだと考えて、ほっと胸を撫で下ろす役員の青年。
だが、ふたりが理解したのは生徒会執行部の方針と能力についてであった。
この短い遣り取りの間だけでもわかったことがある。
生徒会はジルのことを表向きの身分である単なる成り上がりの新興貴族程度にしか見ておらず、貴族教室ではほぼ公然の秘密である、グラウィオール帝国の皇族位を持つことすら知らない程度の無能集団であること。
公然と明言しているグラウィオール帝国の皇族であるルーカス公子に対しては萎縮して、おそらくは王族である自分達が入会した事実を盾に交渉をする魂胆の小心者集団であること。
助祭である自分よりも遥かに位階が高いセラヴィ司祭に対して、おそらくは平民出であるという理由で見下した態度を取っている鼻持ちならない集団であること。
リーゼロッテとヴィオラはさり気なく視線を交差させて、お互いの意を無言のまま交わし合った。
結論、馬鹿集団の仲間入りなど真っ平ゴメンである。
◆◇◆
「……なるほど、エイルマー様の奥方様が女児を出産されたのですか。ならばルーカス様のあのはしゃぎ様も理解できるというものです」
あの後、お互いの会話のすり合わせを行った結果判明した慶事について、自室で着替えたところへお茶を運んできたモニカに話したところ、真面目な彼女にしては珍しく微笑みを浮かべてそんな感想を口に出しました。
「そうね。私もうっかりしていたわ。ルークのお母様がご懐妊されていたのは聞いていたのに。せめて今夜はルークの方の使用人も交えてパーティでも行いましょう」
「わかりました手配いたします。――ですが異国の地にいたのでは、ルーカス様も軽々しく妹姫様にもお会いすることもできませんから、そう考えると胸が痛みますね」
「そうね。次にまとまった休暇があれば、転移門と転移魔法陣を併用して、一度帝都に帰ってくるようにとエイルマー様からもお手紙が着ているようだけれど」
これらを使用すると最短で半月ほどで帝都まで移動できます。ただし、移動の魔法は一瞬ですが、軍事的な配慮で、転移門や転移魔法陣同士はある程度距離のある場所に点在しているので、そこへ移動するまでのロスタイムが発生いたします。結果、一足飛びに皇都から帝都へ移動するということはできないのが、移動魔法の唯一の難点でしょう。
つまり行って帰るだけでも一カ月――次の長期休暇と言えば冬休みですので、半年も先ということになります。折角の吉報だというのに、ルークが妹姫の顔を見られるのはそんな先になるというのですから、剣と魔法の世界とはいえ万能ではないのが歯がゆいところですわ。
「あと、どういうわけかルークのお母様が私に逢いたがっているというので、同行できないかと聞かれたんだけれど、額面通りに受け取ってもよいものかしら?」
単なる社交辞令ならご迷惑でしょうし、ひょっとすると転移門の帝都への最寄転移先が、西の開拓村とコンスルの中間地点なのを見越して里帰りするように気を使ってくださっているのかも知れませんから、お断りするのも失礼と言うものでしょう。
「まさか本当に私なんかの顔が見たいわけじゃないでしょう。そもそも私とルークとが揃ってご実家に挨拶にお伺いするなんて、見方によってはまるで結婚の承諾を得に行くみたいですものねえ」
お義父様、お義母様、不束者ですがルークとふたり幸せな家庭を築いていくつもりです。どうか私たちの関係をお認めください! と、歌劇なら涙ながらに訴えて、結局は身分違いに引き裂かれてる運命なところよね。――と、調子に乗って口に出したところ、やたら複雑な顔をしたモニカに、「そういうことはルーカス様とお話ください」と釘を刺されました。
いやいや、さすがにそんな夢見る乙女のような事を言ったらルークも引くと思うわ。と、いうか鼻で笑われたら、私のそこはかとなくあるようなないような乙女心が粉砕されます。
あくまで胸のうちに仕舞っておくことにして、夜のパーティへと気分を切り替えることにしました。
「幸いいまルークは自室(客間のひとつ)で、国許へ返信の手紙を書いていますので、サプライズで驚かせることにいたしましょう。とりあえず私もケーキを焼く準備をするわ」
腕まくりをして厨房へと向かおうとしたところへ、控えめなノックと共にエレンが顔を出しました。
「失礼致します。あの、ジル様にご学友だというお客様がお見えですが……」
なぜか不審と警戒が混じったその表情に首を捻ります。
「学友ですか? エウフェーミアではなくて?」
「違います。同い年くらいの男性です。……あまり裕福そうな身なりではありませんけど」
はて、誰でしょう。基本、同学年の知り合いは貴族クラスなせいか、一見してそれとわかる身なりなのが常ですが。
「……ああ、そういえば。これを見せればわかると」
そういってエレンが取り出したのは、見覚えのある符でした。
「!! ああ、彼なら確かに友人です。そうですね、支度をするのでルタンドゥテの方へ案内して、何か適当にお茶とお菓子――あ、本人が希望すればご飯も出しておいてください」
そう矢継ぎ早に指示しながら、私は次にモニカを振り返りました。
「モニカ、申し訳ないですが私の個人資産から金貨を持ってきていただけますか? 帝国金貨で五十枚ほど、ついでにお店の食事券二十~三十枚綴りも併せてお願いします」
一瞬、怪訝そうな顔をしながらも、ふたりとも慣れた仕草で一礼をして、指示にしたがって部屋から出て行きました。
「……そういえば、雑事に構ってすっかり忘れていたわね。いい加減、約束どおり符術のやり方を教えて貰わないと」
私はいま足元の一階に顔を出しているであろう、黒髪の少年の年がら年中面倒臭そうな顔を思い出して、密かにほくそ笑みました。
何の用事で来たのかは知りませんけれど、この機会に既成事実を作っておかないと!
それから、せっかくなのでルークにも彼の事を紹介しようかと一瞬迷い、折角のサプライズパーティのこともあることですので、今回は棚上げして後日顔合わせするようにと考えて、黙っていることにしました。
教団内部でもさらに派閥があります。
原典派とクララ派とか……。
7/24 脱字修正しました。
×ロスタイムが発いたします→○ロスタイムが発生いたします