幕間 アシミと半妖精族の少女(上)
アシミの裏話ですが、今日中に書き上げることができませんでした。申し訳ありません!
上下話に分けさせていただきます(泣)
銀の星は妖精族である。
いや、彼らの種族を指して『エルフ』と呼ぶのは人間を筆頭とする他種族であり、彼らエルフ自身は自らを彼らの言葉で『人間』と呼び習わしているのだが、業腹なことにいまやこの世界で『人間』を名乗るのは、短命かつ野蛮な人間どもであり、非常に屈辱的ながら『エルフ』という呼称を甘受しなければならない状況にあった。
いまだ百八十三歳と里の中でも二番目に若い銀の星にとって、それは理解も我慢もしかねる現実であったが、“妖精王”の二つ名を持つ里長を始めとした里の大多数の大人たちは安穏かつ従容とそれを受け入れ――長命な彼らにとっては人の世の栄枯盛衰など、さほど意味を持たないという認識であるらしいが――世界樹もとうに枯れ果てたこの大陸の片隅で、隠れ住むように暮らしている。
そんな停滞した仲間達の生き方もまた、若い彼にとっては納得できないところであった。
そんな自分が何の因果で人間世界に出て、人間に混じって生活するようになったのか。
当初は妖精王たる天空の雪様に良いように焚き付けられ……冷静になったところで、体のいい追放でないかと疑ったものだが、これは明らかに邪推だったらしく、それどころか人間との交易や交渉が活発になるに従って里の者達にも変化が訪れ、彼が定期的に里の葡萄酒などを卸すために人間の街に行く日が決まれば、そのたびに「アレを買ってこい」「話題のナニソレを見てきて教えろ」などと注文をつけてくる始末。
要するに年若い彼を使い走りにしているわけだが、もう少し腰の軽い者たちは物見遊山で街へ出るなどしているらしい。
まさに天空の雪様が仰られた『新しい風』が吹いている状況だろう。それを考えれば祝福すべきなのだとは思うのだが……。
『……なんで、俺までがこんな辺鄙な大陸の外れまで来なければいけなかったんだろう?』
自然の精霊力の乏しい人工的な人間の街(大陸でも有数の規模を誇る都だそうだが、精霊力が弱く乾いた大地にしか思えない)を見渡して、改めてアシミはそうエルフ語で独りごちた。
やたら人間に肩入れしている雨の空ならともかく、もともと彼自身が里を離れてここまで付いてくる筋合いも義理もなかったのだ。だが、成り行きとほんの少しの好奇心――彼らの部族にとって人間でありながらも兄妹とも言えるジルの行く末が気になったこと――から、気が付いたらプリュイとともにこの地まで足を運んでしまっていた。
いちおう旅に出る前、里長を始めとする主だった者たちにお伺いを立てての遠出であったが、拍子抜けするほどあっさり「「「どうぞどうぞ」」」と送り出された現状は、やはり自分は厄介払いをされているのではないか……と疑問を抱かずにはいられなかった。
ちなみに現在、里とコンスルの街との定期交易は、里の若者達が交替で行っているそうで――最初は里長自らが行うと意気込んでいたらしいが、流石にそれは里人総出で止めたらしい――滞りはないとのこと。
そんなわけでこの地に留まる理由の半分を占めるジルが、現在ギルドの仕事とやらで不在なことと、妹分に当たるプリュイがルークとかいう小僧に付きっ切りで精霊術の初歩を教授していることから、アシミは普段に輪をかけて不機嫌なのであった。有り体にいって気を赦せる相手がいなくて不安なのである。
おまけにこの大陸北方地帯は、昔から人間族以外の異種族を排斥した歴史があるため、他の地域に比較しても圧倒的にエルフに対する有形無形の圧力――奇異の視線程度はまだしも、入店を断られたり通りがかりにあからさまに唾を吐かれる事など日常茶飯事であった――や、獣人族に対する差別(ほとんどの獣人族が魔術の首輪をつけられ奴隷として扱われている)現状を目の当たりにしては、アシミならずとも怒りを覚えずにはいられない現状であった。
『まったく、居心地が悪いことこの上ないな。さっさと屋敷に戻るか』
そう口に出してから、その『屋敷』――プリュイともども居候を決め込んでいる『ルタンドゥテⅢ号店』が、すっかり“我が家”と無意識のうちに認識していることに気が付いて、アシミは苦虫を噛み潰したような顔になった。
『……別に迎合しているわけではない。ただあそこにはプリュイもいるし、屋敷自体もそこに住む精霊も、こんな街にあるとは思えぬほど元気であるし、他の連中も……まあこの都の人間に比べれば、よほどマシだからな。――いわば緊急避難のようなものだ』
誰に言うともなく言い訳を呟いたアシミは、それで余計に不機嫌になって、ルタンドゥテとは逆の方向へと足を向けた。
『――気分転換がてら街の外の森にでも行ってみるか。そこで二~三日野宿をするのもいいだろう』
心配をかけないようにプリュイにでも事前に連絡しておいた方が良いか、と一瞬思ったアシミだが、別に必要ないだろうと結論付けて、街の郊外へ向けて足を進める。
程なく街の市内と市外とを隔てる門が見えてきた辺りで、ふとアシミの耳に澄んだ少女特有のソプラノの歌が聞こえてきた。歌の内容は良くわからないが人間にしてはなかなかの技量の美声である。
そのまま通り過ぎても良かったのだが、初めて聞くがなぜか懐かしいようなその旋律が無性に気になったアシミは、その歌声が聞こえる方向へと足を向けた。
市外と市内を隔てる壁と門――と言っても皇都が整備された過渡期に便宜的に造られたものであり、その後の無秩序な都市の増改築に伴って現在ではシンボル的なモノと化していたが。
事実、門に立つ衛兵は退職した元軍人らしい老人であり、大人の肩程度しかない石造りの壁は、あちこちが崩れて補修する様子もない。その向こう側に広がっているのは、粗末なあばら屋が立ち並んでいる不法入居者や流民の街……いわゆる貧民街である。
その門に程近い、大人が両手を掛ければ簡単によじ登れそうな壁際で、薄汚れた襤褸切れのような服を着て裸足の、明らかに物乞いだとわかる少女が一心不乱に歌声を響かせていた。
その足元には木製の椀と、その中にほんの二~三枚の銅貨が転がっている。
これが何であるのか理解したアシルは、ここまで足を運んだことを即座に後悔した。
そこに立っていたのは、造作こそ整ってはいるものの手入れされていない肌はボロボロで、伸ばし放題の金色の髪は汚れと垢とでところどころ団子になっている。相当長いこと風呂はおろか水浴びすらしてないらしく、近づいただけで臭いそうな薄汚れた十歳前後の子供であった。
『これだから人間という奴は……。まったく理解しがたい。同族同士でなぜ助け合おうとしないのか』
忌々しげに舌打ちして、踵を返しかけたところで通りがかりの通行人が、椀に向かって僅かばかり肉のついた食べかけの骨を放り投げた。
「――おいっ!」
「ありがとうございます。旦那様」
流石に見かねたアシミが一言文句を言おうとしたが、その前に歌を止めた少女が、去って行くその通行人に向かって深々と頭を下げた。それから嬉しげに骨に齧り付いたのを見て、続く言葉を飲み込まざるを得なかった……。
どうにも嫌な気分でその場を立ち去ろうとしたアシミだが、ふと一心不乱に骨を嘗め回す少女の蓬髪から覗く耳が、明らかに人間よりも長くて形も尖っているのに気が付いて、まさかと目を凝らした。
形としては妖精族に近いが、自分に比べて中途半端でどこかアンバランスである。
そもそも肉を口にしている段階で同族であるわけが――と、思った瞬間、少女の正体に気が付いた。
『そうか、あれが半妖精族か』
噂には聞いていたが実物を見たのは初めてである。
思わずまじまじと注視してしまったその視線に気が付いたのだろう。一片残らず骨に残っていた肉片を平らげた少女は、満足そうな笑みを浮かべながらアシミの方を向いた。
「こんにちは、エルフのお兄さん。一曲歌いますので、ご慈悲があればお恵みいただけませんか?」
恥も外聞もないあけすけな物乞いの言葉に、アシミの眉が寄った。
沸き起こった感情のまま、乱暴な口調で問い掛ける。
「――お前は仮にもエルフの血を引いているのだろう? それがなぜこんなみっともない、惨めな真似をしているんだ?!」
「こうしないと生きていけないからです」
微笑んだまま何の気負いもない口調でそう言われ、数呼吸言葉に詰まったアシミだが、すぐに気を取り直して重ねて問い詰める。
「人間の施しをあてにして、人間に縋るのがお前の生き方なのか!?」
「はいそうです。この街では人外の血を引く者は、まともな職になど就けません。ですから私は生きるためにこうするしかありません」
微笑んだまま少女は小首を傾げた。
「私のお父さんは流れ者の冒険者だったエルフだそうですが、人間との間に産まれた私を最後まで認めず逃げてしまいました。さっきお兄さんはエルフ語で『同族同士でなぜ助け合おうとしない』と言っていましたけれど、私のような半端者はエルフにも相手にされない……違いますか?」
「………」
これにアシミは答えることができなかった。彼の里では過去にハーフエルフが産まれたことはないが、大半のエルフがハーフエルフを嫌っているのは確かだからである。それは基本的にエルフが人間を嫌いだからに他ならないのだが……。
アシミの沈黙を肯定と受け止めたのだろう。少女は透徹した笑みを浮かべたまま、
「お父さんに捨てられたお母さんは失意の内に亡くなりました。だから、私はこうして人に縋って生きるしかないのです」
そう気負いなく口にすると、再び通りに向かって歌声を響かせはじめた。
「………」
その旋律がどこか物悲しく聞こえるのは、あるいはアシミの気のせいであったのかも知れない。
無言のまま立ち尽くす彼の傍らを、どこまでも無垢な少女の歌声が通り過ぎて行った。
後半は明日の夜に更新予定です。