理事長の特別講義と定期依頼の遂行
ビシッ!! というガラスが割れるような音に続いて、ピシピシ…とひび割れの音が広がり、一瞬置いて高さ三メルトある黒錬鋼製の標的が砕け散った。
「「「「「なっ――無属性魔術の一撃で砕けた……だとォ?!?」」」」」
馬鹿な……という続く言葉と驚愕の吐息が、その場にいた教導官一同から漏れる。
「……意外と脆いですわ。この素材って衝撃や斬撃にはそれなりの強度を持つようですけれど、一点に収束された圧力には問題があるように見受けられますわね」
一拍置いて、新入生――いや、他国からの留学生である桜色に近い金髪をした長身の女生徒が、呑気な口調で感想を口に出した。
ごくり、と唾を呑み込んだ彼女の隣に立っていた男性の教導官が、手にした記録簿に手早くこの結果を書き記す。
「……ジュリア・フォルトゥーナ・ブラントミュラー、破壊効率試験一回目測定不能。――っと、この前に測定している連続連射速度と最大魔力量でも学園の新記録を作っているのか……素晴らしいっ」
これが一般社会ならば、化け物じゃね?! という目で見られるところだが、ここは大陸最高学府たるリビティウム皇立学園であり、さらにいえば教導官たちが所属しているのは各国から選びに選び抜かれた魔術の天才鬼才俊英異能が集う、こと魔術の研究に関しては彼のカーディナルローゼ超帝国すら越えるとさえ謳われる魔法科である。
驚きの次には猛烈な知的好奇心が、その場にいた教導官全員の全身を満たした。
「符術で独自理論を構築して見せた転入生といい、魔石の増幅なしの素の状態で記録を塗り替える君といい、今年の生徒は豊作だな。……実に楽しみだ。次は属性を変えた標的で試してみよう。――おい、とりあえず五本準備しろ!」
「――はっ!」
「わかりましたわ、教導官」
浮き浮きとした様子の教導官。
一方、自分がどれだけ規格外の存在なのかあまり斟酌していないのだろう、こちらはマイペースを一向に崩すことなくジルは、次に指示された標的に向かって再度収束した魔術を放つのだった。
――轟音とともに、次の瞬間、白金鋼・赤玉鋼・青錬鋼・晶化錬鋼・黒錬鋼製の標的がまとめて消し飛んだ。
◆◇◆
「貴女のことはよく聞いているわ、ジュリアさん」
菫色の髪をした見た目十五~十六歳としか思えない女性が、どこか居心地悪くソファーに腰を下ろしている私に対して、労わるように声をかけてきました。
「――それとも“シルティアーナ”さんと呼んだ方が良いかしら?」
「なっ……?!」
絶句している私の顔を見て、コロコロと朗らかな顔で笑う彼女。月をあしらった銀色のバレッタに、若草色のローブを羽織ったその姿は、一見してどこにでもいる(と言うには端正過ぎる容姿ですが)少女にしか見えず、仮に制服に着替えて廊下に出れば生徒と見分けがつかないでしょう。
ですが彼女こそがこのリビティウム皇立学園の理事長にして、世界最強最高峰の魔女たる生きた伝説――『爆炎の支配者』『炎の魔女神』『超帝国の切り札』などなど、世間ずれしていない私でも数多の異名を伝え聞く、メイ・イロウーハその人に間違いありません。
学園創立以来……いえ、遥か神魔聖戦当時から姿を変えずに存在することから、一部では半妖精族なのでは? という憶測もあるようですが……。
(……違いますわね。抑えに抑えてはいますけれど、この魔力量は到底人間のものではありませんわ。S級魔獣のマーヤが可愛らしく思えるレベルですもの)
当人を前にして、私はそれが間違いであることを実感いたしました。
エルフどころかどう考えても魔物の限界をも余裕で越えています。その気になれば、わたくし如きがどう頑張っても一秒と攻撃を防ぐことはできないでしょう。
正直申し上げます。いままで舐めていました。或いは一種のプロパガンダだと思っておりました。「超帝国の人間は文字通り全てを超越している」という風説――ですが、間近に接してみて、それが真実どころか生温い表現であったことをマザマザと実感したのでした。
(世界は広いですわ~。それにしてもどうして私がシルティアーナだと……?)
私の疑問に応えて、理事長が悪戯っぽくウインクしました。
「別に心を読んだとかそういうことじゃないので心配しなさんな。あんたのことは『よく聞いている』って言ったでしょう? オ……レジーナは話していなかったみたいだけど、あたしは彼女の魔術の師匠に当たるわけ、つまりはあんたはあたしの直系の弟子ってことになるわね。ついでにいえば、クララの魔術の修行をちょっとだけ手伝ったこともあるし」
予想外の展開に目を丸くする私の――たいそう間抜けた表情になっていたことでしょう――顔を見て、笑みを深める理事長。
「まあそんなわけでさ。それなりの事情は聞いているから、なんかあればあたしの方でできる限りの事はするんで……と言っても公私混同はしないけど、困ったことがあればドーンとお姉さんに頼りなさい」
そう請け負って胸を叩きました。
「まあ表向きの事情に従って、人前では『ジュリアさん』と呼ぶことになるだろうけど。――それとも捲土重来で『シルティアーナさん』に戻る気がある?」
試すような理事長の視線に対して、刹那、脳裏を過ぎったのは闇の森での日々と、いま一緒にいてくれる友人達の顔でした。
「――いいえ。いまの私はただの『ジル』です。それ以上は何も望みませんわ」
一瞬、目を細めた理事長でしたが、気の抜けたような顔で天井を見上げ、
「そっか。それはまた……」
残念、と続けるのか、結構、と続けたかったのか、どちらともとれない口調で独りごちて肩をすくめます。
「まあいいわ。あと学業の方だけど、いまのところ午前中は筆記で、午後は実技を習得するようにプログラムを組んでるみたいだけど、実技の方は週に二回はあたしの特別講義を入れるので、今後はそのつもりで組んでおいてね」
「特別講義ですか……?」
「そ。あんたも他の教導官じゃ物足りないでしょう? あたしとしても孫弟子とクララの娘を鍛えられる機会とあっては黙っているわけにはいかないからね。ああ、大丈夫、ちゃんと単位に数えられるようにするから」
「そうなのですか。重ね重ねお骨折りいただきまして、本当にありがとうございます」
ソファーから立ち上がって深々と頭を下げる私の方を見て、妙に上機嫌でニコニコと笑う理事長がいました。
「いや~~~っ。本当にいいわね、気に入ったわ。慇懃無礼が服を着ていたレジーナや、打算で変に媚びていたクララとは大違いじゃない! 見た目も素養もあの二人よりも上で、その上、こんな素直な子なら大歓迎よ! なんなら毎日講義にしても良いくらいね」
流石にそれは私の体が持たないような気がヒシヒシと致しますわ……。
なんとか週に三回にすることで妥協していただきまして、その後、皇都での生活やレジーナとの共同生活のあらましなどを、お茶を頂きながら小一時間ほど雑談をして過ごしました。
そして、取りあえず本格的な特別講義は、理事長の都合と準備もあることですので来週から、ということで期待と不安にない交ぜの気持ちのまま、この日は理事長室を後にすることになったのでした。
◆◇◆
独りきりになった理事長室にて――。
「……参ったなあ、あーんなに良い子だなんて。……レジーナたちが肩入れするのも当然って感じよね」
すっかり温くなった珈琲のカップを手の中でクルクルと玩びながら、メイは誰に言うともなく忸怩たる心情を吐露していた。
「反則だわ、あれは。……まったく、なんであんな良い子が」
長々とため息を漏らす彼女。
半神だとか神人だとか言われる彼女たちであっても、万能無限というわけではない。否、それどころか運命の輪の中ではいかにちっぽけな存在であるか重々承知している。
「願わくば運命があの子を絡み獲らないことを祈るしかないわね……」
呟いてすっかり冷めた珈琲を口に運んだ。
◆◇◆
理事長のお話が終わったところで迎えの馬車に乗り、帰路についた私とルークですが(ルークは現在、ルタンドゥテの客室に泊まり込んでプリュイの指導の下、『飛竜の卵』を孵すべく風使いの修行中ですので)、今日は私だけブルーノとリーン君と一緒に途中下車となりました。
目的地はこの街にある冒険者ギルドです。
私としてはあくまで名目的なモノで冒険者の資格を持っているのですが、ある程度の期間に仕事をこなさないと冒険者資格が剥奪され、冒険者証も返納しないといけませんので、今回、ブルーノたちに便乗する形で依頼を受けることにしたのです。
そんなわけで久々に魔法杖を構え、黒のドレスに、ブーツ、ローブをまとうことになりました。
「一緒に行かなくて大丈夫ですか、ジル?」
「大丈夫ですわ。これでも一応は前回のオーク討伐でCランクの冒険者資格を持てましたし、今回はD~E級の依頼だそうですので」
最後まで一緒についてきたがったルークにそう答えて、私は馬車を降りました。
「大丈夫だ! 俺が一緒なんだから、任せておけって」
「「「う、う~~~ん………」」」
乗っていた騎鳥から降りて、自信満々で胸を叩くブルーノを前に、ルークと護衛でついてきたノーマン隊長、リーン君の三人が、同時に微妙な表情で呻き声を漏らしました。
「……あー、ジル嬢。あまり無理をしないよう、ブルーノの手綱の方もお願いします」
「隊長ーっ、それだとなんかまるで俺がお荷物みたいに聞こえるんですけど?」
「「「「………」」」」
口を尖らせたブルーノの抗議に対して、各自が一斉に目を逸らせます。
その後、渋るルークを言い含めて馬車に押し込めた私たちは、連れ立ってここ『冒険者ギルド・シレント南第二支部』へと歩みを進めるのでした。
支部という割には二階建ての建物は大きく堅牢で、敷地も広く隣には専用の厩舎まで設えてあります。
「流石に皇都の支部は違いますわね。旅の途中で寄ったギルドとは大違いですわ」
「ああ、聞いた話では毎日ここだけでも二千人近い冒険者が出入りしているらしい。半分以上はダンジョン目当てらしいけど」
「あ、先輩。ボク、騎鳥を厩舎に入れてきます」
二頭分の騎鳥の手綱を引っ張っていたリーン君が、弾かれたように厩舎に向かって行きました。
「ああ、頼む」
それを見送った私たちですが、通気性の関係で開けっ放しになっている厩舎の窓や出入り口から覗ける内側を透かして、ふと見覚えのある火蜥蜴が繋がれているのが見えました。
ちなみに火蜥蜴は一般的に騎乗用に育成されている走騎竜同様、強靭な後ろ足と太い尻尾とで直立した蜥蜴――というよりも恐竜という風な見かけ――なのは同じですが、もっと顔つきがドラゴンに近く、付け加えるのならば全身が燃えるように赤い鱗と羽毛に覆われています。さらに前脚が翼状になっていますが、飛ぶのは下手で滑空する程度だそうです。
とは言え走る速度は早く、また飛べるというアドバンテージがある分、同じ時間で走騎竜の倍近い距離を走破できるとか。
「……アイツ先に来てるのか」
火蜥蜴を見た途端、不機嫌そうな顔でブルーノが吐き捨てました。
「もしかして、あの火蜥蜴の持ち主が今回、共同で依頼に当たる冒険者ですか?」
その人物を密かに予想しながら尋ねてみました。
「ああ、いけ好かない野郎だけど、あまり気にしないでくれよな」
「――ええ、大丈夫ですわ」
それからふと思いついて、悪戯っぽい笑みと共に付け加えます。
「そういえば依頼を受けて、遠出をすることになれば……大変、私には足がありませんわ。こんなことならフィーアも連れてくるのでしたけれど、学園に連れてくる訳には行きませんでしたから仕方がありませんわね。――とは言えどうしましょう。流石に騎鳥に二人乗りするのは辛いでしょうし、訳を話して火蜥蜴に乗せていただけないか頼んでみようかしら」
私の提案にあからさまに顔を歪めるブルーノ。
「やめておけよ! あの野郎がうんという訳ないさ。どっかで馬か騎鳥を借りればいいじゃないか」
「まあ、ダメモトでもお願いするだけお願いしてみますわ。それに火蜥蜴って随分と足が速いと聞きますので、一度乗ってみたいですので」
続けた私の言葉に渋い顔で、ブルーノが何か言おうとしたところへ、厩舎に騎鳥を繋いできたリーン君が戻ってきました。
「お待たせしました!」
「それでは、先方をあまりお待たせするのも失礼ですので、行きましょう」
二人に促されて、言いかけた文句の言葉を呑み込んだらしいブルーノは、しぶしぶという足取りで先頭に立ってギルドの入り口へと向かいます。
その後に続きながら、私は思いがけない再会の予感に胸を高鳴らせていました。
カーディナルローゼ超帝国では基本、小手先の技より力技重視なので、ある意味技術はこちらの方が上の面もあります。
6/19 脱字の修正をしました。
×飛ぶのは下手で滑空する程度そうです→○飛ぶのは下手で滑空する程度だそうです