緑の私室と混沌の人間模様
――女の子の部屋ってなんでこんなに華やかなんだろう。
はじめて通されたジルの私室を見て、僕はそう思った。
「何もない上に散らかっていてお恥ずかしいのですけれど……」
と言うジルの言葉は単なる社交辞令か謙遜にしか思えなかった。いや、そもそも整理整頓に関しては、男性と女性では根本的に意識が違うのかも知れない。
一度お伺いした『闇の森』にある、ジルも共に過ごされていた太祖帝様の庵を思い出して、僕はそう思った。
一見して足の踏み場もない程、乱雑に得体の知れないモノが溢れ返っていた場所だけれど、いまになって思い返してみれば、積み重なった道具の上には重石代わりに瀟洒な壷が置かれ、棚の上には手縫いらしいパッチワークのカバーが、傾いた柱には色とりどりのドライフラワーが掛けられたりと、ところどころに女性らしい気配りがあったように思える。
逆に毎日メイド達が掃除をしている帝都にある僕や父の部屋は、パッと見片付いてはいても機能性重視で、自分の趣味で「飾り立てる」という感覚に乏しく、何より私的な物入れなどは、いつでも使えるように乱雑なまま放置してあるだけで、「ちょっと手を加えて見目を良くする」という配慮などは考えたこともなかった。
それに比べてこのジルの部屋は、華美な装飾こそないもののきちんと整理され、圧迫感を感じさせないよう揃いの高さの家具が配置され、さらにグリーンを主体としたカーペットやタペストリーが目に優しく、ジルに似合いの落ち着いた雰囲気を奏でている。
「まだここで暮し始めて一ヶ月くらいなので、結構乱雑にしているんですよ。そのあたりのカバーは本当は汚れ隠しなんです」
目に付く場所に置かれた花の鉢物や、窓にそよぐレースのカーテン、塵一つない家具の上に掛けられた上品なキルトカバーに思わず見入っていると、バツが悪そうにジルが苦笑した。
どうやら本気で『片付いていない』と思って恥ずかしがっているようだ。
やっぱり女の子って違うな。
……それにしても。
と、そこでふと僕は、高鳴る胸を押さえて深呼吸をした。
この部屋に充満している、新築の木材の匂いと仮漆の匂いに混じって、花の香りのようなジルの甘い香りが鼻腔をくすぐる。
一度だけ帝都にあるブラントミュラー家の部屋に案内されたことがあったけれど、あの時はジルもあくまで仮の宿りとして使用していたので、本当に客室の一室をとりあえず使っている……という感じだったけれど、ここは違う。本格的に腰を落ち着けている生活感がありありとある。
いや、この部屋も使いはじめてまだひと月あまりだというけれど、それでもジル本人の個性と感性の漂う室内の趣きは独特で、好きな女の子の部屋に居るんだ……と思えば、不敬ながらまるで帝都にある皇帝陛下の玉座――こっそりと子供の頃に先帝様に座らせていただいた――あの時の興奮が蘇ったかのように、僕の胸は早鐘のように大きく高鳴った。
ちなみに通される前は、
「何もない部屋ですけれど、結界や防御魔術を厳重に組んである上、非常食なども完備しています。その上で私の使い魔のフィーアが常に待機していますから、たとえ軍隊が攻めてきても扉の前で半年は持ちこたえられます」
と妙な太鼓判を押されたので、正直砦の一室のような場所を想像していたのだけれど、その予想は良い意味で大きく裏切られた。
「いいお部屋ですね。緑が多くてどことなく闇の森を思い出します」
悪友のダニエルに聞かされたりして密かに想像していた『女の子の部屋』――ピンク色とヌイグルミで飾り立てられたベタな空間――とは違って、かなり簡素ではあったけれども、ずっと趣味が良くて落ち着いた『いかにもジルの部屋』という居心地の良い空間を一瞥して、僕は正直な感想を口に出した。
「……ええ、まあ鉢植えの花とか、ほとんど闇の森に生えていた薬草の類いですから」
寝室に続く部屋の前に立ち塞がる翼の生えた大型犬ほどの狼――なんでも最近「とある商人さんに精神と時の……いえ、特殊な亜空間に閉じ込められた影響でしょうか」成獣になったそうで、ある程度大きさを変えられるようになったという――話に出てきた使い魔の〈天狼〉フィーアの方を眺めて、ジルがなぜか微妙な表情で相槌を打った。
「へえ……そうなんですか、これは変わった葉っぱですね」
思わず手近な鉢植えに手を伸ばしたところ、ジルが慌てた様子でそれを制する。
「――あっ。それは『マンドラドラ』という野草……と間違えて採取してきた『マンドラゴラ』ですので、不用意に触ったり間違えても引っこ抜かないで。高確率で死にます」
「へえ……なるほど、迂闊な侵入者に備えて、何気ない風に致死のトラップを仕掛けているわけですね。さすがはジル! 女の子らしい奥床しくも可愛らしい罠ですね」
僕の素直な感嘆の声に、「「「「いや、そこ女の子関係ないから」」」」すかさず部屋のそこかしこから、女の子達のツッコミの声があがったけれど、それこそ男女の感性の違いと言うものだろう。自分達にとっては普通のことでも、男の僕の目から見ればこうした部分が大層な違いに感じられるものだ。
「……惚れた欲目という奴ですね」
「……あばたもえくぼ――あっ、ジル様にはそんなのないです」
「……この方、中身は結構なポンコツだったのですわね。お姉様、やはりお姉様には相応しくありませんわ」
「……え、えーと、この年代の男の子は女の子に幻想を抱くものですから、わたくしとしては温かい目で見守ってあげて欲しいと思うのですけれど」
背後から乙女達の囁き声が聞こえてくる気がしますけど、紳士としては聞き耳を立てるなど言語道断です――なので、すべて聞き流します。
「――聖女だわ」
「――聖女様」
「――聖女がいますわ」
「勿論っ、ジルは(僕の)聖女です!」
これだけはすんなりと耳に入ってきたジルを讃える声に、僕もつられて唱和しました。
途中経過を微妙に素っ飛ばした気はしますけれど、最終的に「ジルは聖女」という満場一致の同意が得られたところで、僕らをここまで案内してきたジル付きの侍女である顔見知りのエレンが、「……それはともかく」と嘆息して僕の顔を見ました。
彼女とはコンスルに居たときからの馴染みでもあるし、ジルとも個人的な親交が深いということで、いまではわりと気軽に話せる間柄になっています。
「いまさらですけど、ルーカス様は本当にジル様のこと以外はどうでもいいんですねえ。普通、この部屋の有様を見たら、まず最初にアレに注意が行ってドン引きすると思うんですけれど……」
嘆息。
「――? アレって、『マンドラゴラ』ですか……?」
他に変わったものはなかったと思うのですが。
彼女に案内されてきたここ――皇都シレントにある『帝国風』と銘打ってはいるものの、実質的にブラントミュラー家、いえ、ジルが手腕を振るって開店した『喫茶店ルタンドゥテⅢ号店』の三階は、華やかさこそなかったものの、落ち着いた品の良い調度で飾られた、いかにもな貴族の別館です。
ジルは先ほど訪問したサフィラス王国の姫(と言うのも微妙ですが)のお屋敷の絢爛さに感心していたようですが、選び抜かれた材料を完璧な配置になるよう計算されて造られた、帝国風のこの屋敷の趣味の良さと重厚さは、決してあちらに負けるものではありません。
否、素人にもわかりやすい目に付く費用の掛け方に比べ、こちらは玄人が感嘆の呻りを上げる上品さです。おそらくは単純に建築にかかった費用は五分五分といったところではないでしょうか? さすがに密かに太祖帝様が裏から手を回して援助したというだけのことはあります。……まあ、このことはジルには伏せるように言われていますけれど。
そんなわけで特に不具合のある部分はないと思うのですが、何か気が付かないような小さな違和感でもあったのかも知れません。
そう思って首を捻る僕を見て、今度はジルも一緒になってため息をつきました。
「「あれですよ、あれ」」
指差す先では、相変わらずジルの使い魔のフィーアが行儀良くお座りしています。
その隣に立っているまだ十歳位のメイド服の少女は、このたび正式に平民に身分が戻され、ジル付きの侍女となった狐の獣人のラナですが、なぜか居心地悪げにその場に立っています。
他に変わったものと言えば、フィーアの下敷きになっている、ラナと変わらない年頃の少女位なモノで……おやぁ?
見覚えのある貴族の御令嬢の姿に、僕は再度別の角度で首を捻りました。
「なぜエウフェーミア姫が、ジルの部屋でフィーアに組み敷かれているのでしょう?」
「「遅いっ!!」」
「そんなもの決まっていますわ。お姉様と親睦を深めようと、食事が終わったところで先回りしてお待ちしていたのです。ところが、この変な犬が有無を言わせず――」
「……勝手に入ってきてジル様の下着を見てたので、フィーがダメって……知らせにきたので、捕まえて見張ってました」
この状態でもなおエウフェーミアは悪びれることなく傲然と胸を張り、フィーアとラナの方が困った顔を見合わせています。
「……エウフェーミア姫。たとえ女性同士であろうとも、招待もされていない部屋に勝手に入るのは犯罪ですよ。辺境伯や姉姫がお聞きになられたらどれほど恥じ入ることかおわかりになりませんか?」
「私の姉姫はあんなブタクサ姫ではなく、このジュリア様――いえ、ジルお姉様だけですわ。妹が姉の部屋を訪れるのに何の遠慮がありましょうか! それよりも公子様こそ妙齢の女性の部屋にホイホイ足を踏み入れ、好色な目で無遠慮に眺め回すなど慎みに欠けていますわ。ここは遠慮するのが常識と思いますけど?」
「「………」」
無言で睨み合う僕達。この子と知り合ったのはほんの数時間前なのだけれど、なぜか真っ向から敵意を向けられているな。
最初は姉姫――あっちのシルティアーナ姫――との関係で、良い感情を持たれていないのかとも思ったけれど、そう言うわけでもなさそうだし……。
「……案外、似たもの同士なのかも知れませんね」
「いまお風呂に入っているシャトンもそうですけど、なぜか私の周りには妙な人間が集まるような気が致しますわ。そういう星回りなのかしら?」
そんな僕らの様子を横目に見ながら、ジルとエレンが何やら囁きあっていた。
『ルーク、海外で見聞を広げるのは良いことだ。得がたい体験、知らない世界を知ることで、お前は一回りも二回りも大きくなるだろう……いや、そうなって欲しい。まあ、お前に限って羽目を外すことはないとは思うが、とは言え世の中には甘言を用いて近づいて来る者や、巧みに下心を隠して取り入ろうとする者もいる。そうした人間を見分ける目を養うことも大切だ。充分に注意することだ、とはいえジル嬢がいることだし、あまり心配はしていないのだが……』
ふと僕は今回の留学に併せて、父からもらったはなむけの言葉を思い出した。
『――いや、ある意味心配かも知れん。彼女の人格や能力には十全の信頼を寄せてはいるが、どうにも魅力がありすぎて時たまトンデモナイ相手を呼び寄せるからなあ。類友というのかアレは? ……ま、そのあたりもひっくるめて許容できるかはお前の器量次第だろう』
なおもギャーギャー喚くエウフェーミア姫と、現在離れにあるという浴室で、体の汚れを落としているシャトンとジルが呼んでいた、やたら積極果敢だった白猫の獣人族の少女を思い出して、父の言った『類友』について、その意味を深く深く理解した。
そこへ、ノックの音と共に二人の侍女に連れられたシャトンが、すっかり身奇麗になってやってきました。
「王子様~~っ! 見てください、水も滴るイイ女になって戻って参りました! あなたのために隅々まで磨き抜きました。準備万端覚悟完了、ばっちこいですよ!!」
「うわ――っ!? 離れてください! ちょっ、ちょっと抱き付かないでください!」
入ってきた瞬間、僕達よりやや年上の二人の侍女が止める間もなく――いえ、一応止めようとしたのですが、その手をすり抜けて――いきなり彼女は僕に抱きついてきました。
こう密着されると先ほどとは違って、湯上りの体温と石鹸の香りが体越しに伝わってきます。あと彼女は僕を「王子様」と呼んでいますが、王子ではなく公子です――まあ、父が皇子なので、正確には皇孫ということになりますけれど、それを口に出すと猶更事態が泥沼に嵌りそうな気がしたので、口には出さないことにしました。
(――父上、これが“甘言を用いて近づいて来る者や、巧みに下心を隠して取り入ろうとする者”ですね。早速の試練ですが、僕は負けません。とはいえ……)
必死にこの束縛を逃れようとするのですが、女性相手に暴力を振るうわけにも行かずに、結果彼女の猛攻を凌ぐので手一杯――そうなっている僕を、微妙に醒めた目でジルが眺めているのだけは、精神的にイロイロと堪えがたいものがあります。
「ご、誤解ですジル! 僕には他に好きな人がいるんですから」
「……ええ。知ってます。誰かは存じませんけれど」
咄嗟に口に出した言い訳に対して、さらに醒めた目になったジルが真正面から一刀両断しました。
嗚呼、そういえば当の本人だけが僕の意中の相手を知らないんだったっけ……。
その僕の決死の告白にやっと身を離したシャトンが、訝しげな視線をジルに向けました。
「好きな人ォ……? どこのどいつなわけ?」
「「「「「ここのこいつ」」」」」
首を傾げたジルに代わり、その瞬間室内に居た四人のメイドとエウフェーミア姫、フィーアまで一斉にジルへと視線を向けました。
「???」
周囲の異様な雰囲気に、頭の上に大量の疑問符を浮かべるジル。
そしてシャトンはそんなジルを見据えて、
「昨日の友は今日の敵ですか。ふっ、所詮は血塗られた道……」
なにやらブツブツと呟いています。
(……父上、これをひっくるめて許容できるかどうか、僕には自信がありません)
遠い故郷の空の下にいるであろう父と母、そしてまだ見ぬ弟妹を思って僕は密かに弱音を吐きました。
二人の侍女は、侍女頭のモニカと本来は店の方を任されているメイドのエミリアです。
エミリアは恩返しも兼ねて、ルタンドゥテ三号店の開店スタッフとして同行しています。
6月8日 誤字訂正しました。
×扉の前で半年は持ちこたえられるます→○扉の前で半年は持ちこたえられます