身分証の返還と留学の準備
また季節は巡りました。
夏の終わりにルークが唐突にやってきて、ひと騒動――リビティウム皇国への留学と、私とシルティアーナの関係についての疑惑を提起――したものの、半ば力技で有耶無耶としました。
で――、
「ルークの想い人と恋がかなうように、私にできることなら全面的に協力いたしますわ!」
と約束することで――何故か「絶対ですよ!絶対!」と念を押されました――当面の問題を先送りしまして、その後ルークは館に1月半ほど滞在して友人達と交流したり、私と一緒に孤児院に慰問に行ったりしていたのですが、流石に実家から戻るように催促の連絡が来たことで、なんとか言いくるめて帰っていただきました。
なお帰っていった理由のひとつは、ルークの母親がこの度、目出度くもご懐妊されていたことが発覚したからです。
離婚の危機とは何だったのでしょう。
その知らせを受けた瞬間、ルークは余程嬉しかったのか、感極まって近くに居た私を抱き締めて、そのまま腰の辺りを掴んでグルグル回して喜んでました。
前世の記憶を取り戻してシルティアーナの人格と融合してから結構立ちますけれど、いまだにこういう日本人にはないオーバーな感情表現はイマイチ慣れません。
と言うか、普通こういう場合のお相手はご自分の運命の女性だと思うのですけれど、結局ひと夏私のところに避難していただけで、目立ったリアクションもありませんでしたし……その片思いのお相手も、もしかすると運命の王子様を待っているかも知れないというのに、なぜか王子様は目一杯迷走中です。
大丈夫でしょうか? 私がお姫様の立場ならいい加減待ち草臥れて、王子様が来る前に塔から自力で這い降りますけど……取りあえず、相手のお姫様に忍耐と寛容の精神があることを切に願いますわ。
「それでは戻りますが、例の件(恋の問題)は是非お忘れなくお願いいたします」
「わかりましたわ。例の件(留学の問題)は、真剣に考えさせていただきます」
微妙に会話に齟齬があるような気も致しましたが、そういってルークは迎えの馬車に乗って帰っていきました。
まあこの程度の安請け合いで納得していただけるのでしたらお安いものです。
と、この時の私は気軽に考えていたのですけれど、その実やたら巨大な墓穴を掘っていたのを自覚したのは、随分と後になってからでしたが……。
それはそれといたしまして、それからおよそ20日後。
帝都での職務を可能な限り早目に切り上げてきたクリスティ女史が、出かける前よりさらに疲れた顔で屋敷に戻って参りました。
頑張って若作りしてはいても、目に見えるほうれい線は正直ですわね。
旅支度から着替えるのも早々に、女史の私室へ呼び出された私は、そう心に正直な感想を抱きました。途端、ひたすら据わった目で睨みつけられます。
「ジル……あんた、いまなにか不届きなこと考えなかったかい?」
なにげに心を読まれていますわ!?
内心ガクブルしながらも、つとめて平静な態度と口調で答えます。
「いえ、ずいぶんとお疲れのようですので、一息ついてからの方がご都合が宜しいのではないか……と思案しておりました」
無論、面と向かっては指摘できるほどの度胸はございませんので、迂遠に気遣う形で返答しました。とは言え実際珍しいことです。日頃から化けの皮……もとい、身嗜みにこだわっているクリスティ女史が、家族とは言えこんな無防備な姿を晒すなんて。
内心で首を捻る私へ向かって、女史がため息交じりに帝都で起きた、彼女自身にまつわるトンデモナイ出来事を口に出しました。
「!?――まあ、子爵位を授爵ですか? おめでとうございます」
「なーにが、めでたいもんかい。適当な飴を与えて飼いならそうとしてるのが見え見えだね」
開口一番聞かされた驚天動地の出来事に、驚きつつも素直な祝福の言葉を口に出した……のですが、なぜかご本人はいたく不満そうです。
はて? 私は前世が体育会系だったせいか、上下関係には割りと素直に従うのですけれど、どうやらクリスティ女史は違うようです。とんとん拍子に偉くなったのが逆に不満そうです。
「はあ――飴、ですの?」
「そうさ。もともと単なる定時報告の筈だったのに、いきなりエイルマー様やら、師匠やらに呼び出されて、有無を言わせず皇帝名義で子爵位を下賜……流石に断る訳にはいかなかったから貰ったけど、何が『辺境領の目覚ましい発展に対する功労者への恩賞』なんだか。他の貴族連中も狐につままれたみたいな顔してたよ」
「……えーと……ツッコミどころは多々あるのですが、取りあえず師匠――レジーナが帝都にいたのですか?」
勢いでポロリこぼした聞き逃せない単語に、思わず目を見開いて確認したところ、クリスティ女史は『あちゃっ』とあからさまに渋い顔になり、数呼吸分目を泳がせた後、観念した顔でしぶしぶ肯定しました。
「……ああ、相変わらず態度はでかくて口は悪かったね」
「そうなんですか。では――」
場所を教えていただければ迎えに行って、そのまま『闇の森』へ戻るなり、再び揃って旅の空へ出るなりしても良いですわね。
反射的にそう思いました。
正直、町へ腰を落ち着けての魔術修行や上げ膳据え膳の貴族令嬢も悪くはありませんが、最近は色々なしがらみが増えてきて、やや息苦しく感じてきたところです。
「その師匠から伝言があってね。『もうしばらく雲隠れしているので、その間は好きなようにしてな』だそうさ」
そんな私の魂胆を目敏く察したらしく、クリスティ女史がレジーナの声真似をして、先に釘を刺してきました。
「……好きに、ということは例えば、森に戻って人知れず庵の中に籠っていても良いということでしょうか?」
「そうだろうね。実際あんたがその気なら、あたしも協力するよ」
あくまで例え話ですが、反対されるかと思われたニート生活に関して、あっさり了承をいただけて逆に驚きました。
「……宜しいのですか? 留学の話は国家の上層部からの要請なのではございませんか?」
実際にはほぼ命令に近いでしょう。断った場合は、面目を潰されたということで、養母であるクリスティ女史の立場が非常に悪くなると思うのですけれど……。
「もともとあたしが決めることじゃないからね。それにあたしとしても、あんたを良い様に利用しようっていう殿……エイルマー様の了見はいけ好かないからねえ。その為の交換条件としての子爵位だろうけど、もともとなりたくてなった貴族でもないし、いざとなれば全部ほっぽり出して、今度はあたしの方が闇の森の庵へ転がり込むさ」
さばさばとした態度ですが、貴族位の返上など普通であれば考えられない暴挙です。私の為にそこまですると明言する姉弟子にして義母に当たる女史の態度に、私は心の底から申し訳ない気持ちで頭を下げました。
「申し訳ございません、私の為に……」
そんな私を見て、にやりとクリスティ女史が笑みを浮かべます。
「ジル。あんたは本当に頭がよくて良い子だけど、少しは大人に頼ることを覚えた方がいいよ。子供を守るのは大人の役目なんだからね」
女史の傍らに待機する家令のロイスさんも、無言のままにこやかに頷きました。
先日の友人達の誓いの言葉といい、本当に私は周囲の人間に恵まれております。この優しい世界にずっと居られたら……そう願わずにはいられません。
ですが――。
「ありがとうございます、クリスティ様。ですが私はリビティウムへの留学の件を受諾するつもりですわ」
「……ジル?」
「別にクリスティ様の立場を慮って無理をしているわけではございません。それが必要だと私自身が判断したことだからです」
ゆるゆると首を横に振る私を値踏みするように、目を細めた女史が見据えます。
「私は果報者です。闇の森で師匠に拾っていただいて以来、沢山の方々に助けていただきました。できればこの関係をずっと続けていきたいと思っています」
ため息。
「以前の私は……モノ知らずで、自堕落な文字通りの“ブタクサ姫”でしたわ。自業自得とはいえ、自分が不幸であることすら知らない愚か者です。そんな私を支えてくれた沢山の方々がいました。ですから私は、今度は支える側として恩返しをしたいのです」
支えてくれたのは、目の前に居るクリスティ女史やロイスさん、エレンやルークなどの親しい友人達ばかりではありません。西の開拓村の人達や帝都で知り合った冒険者のジェシーさんたち、エミリアをはじめとするこの町の孤児院の人々や住人たち。気の良いエルフの里の皆さん……今日の私があるのは、前世の記憶が蘇ったのが契機なのは確かですが、そんなものはちょっとした切っ掛けにしか過ぎません。こうした人々に助けていただいたからこそ、現在の奇跡のような平穏な日常があり得るのです。
「まったく、言った端からこれなんだからねえ。ジル、別にあんたが負い目を感じる必要はないさ、誰も迷惑なんて思ってないんだし、ましてや損得勘定で動いていたわけじゃない。――それとも、そんな風に思っていたのかい?」
だったら心外だねえ、と言わんばかりの厳しい視線で問い掛けるクリスティ女史に対して、私は真っ向から否定の態度を示しました。
「そんなわけありません。そんなことを考えること事態が、皆様の好意に対する背信でしょう」
だったら何故?と言い掛けた女史の言葉を遮って続けます。
「ですが気付いたのです。私が本来居るべき場所、逃げ出した場所に居て、私が受けるべき誹謗中傷を浴びている被害者がいることに、いまさら余計なお世話かも知れませんが、もしも私が逃げ出したせいで誰かが不幸になっているのなら、私はそれを償いたい……それが不遜な考えだとすれば、せめて当事者のひとりとして、真摯に向き合いたいと考えています」
「……つくづくお人よしだねえ。考え過ぎるといつか押し潰されるよ」
呆れたようなクリスティ女史の言葉に、私は意図して軽い調子で返しました。
「それほど大した決意でもございません。興味本位の部分もありますし、他にもリビティウムの皇都でルークのお手伝いや、ラナの姉を探すという別な目的もありますので、その内のひとつ程度の認識ですわ」
「確認するけど、無理をするつもりじゃないんだね?」
「できることをするだけです」
私の答えにクリスティ女史は長々と嘆息してから、不快げに眉を寄せました。
「結局はあの師匠の読み通りか。まったく、良い様に掌の上で踊らされてるみたいでシャクだね」
「はあ……?」
しばし小声でブツブツと悪態をついていたクリスティ女史ですが、難しい顔のまま魔術錠の掛かった机の引き出しを開けて、その中から見覚えのある緋色の金属プレートを取り出しました。
「そういうことなら、こいつは返しておくよ。リビティウムに行った時に必ず役に立つと思うからね」
無造作に差し出されたそれ――『ジュリア・フォルトゥーナ・グラウィス』と書かれた【身分証】――を、私は久方ぶりに手にしました。
「宜しいのですか?」
「構わない――と言うよりも、あんたがリビティウムに向かうようなら、返すように師匠から言い付かっているからねえ」
なるほど“掌の上”と歯噛みするわけです。
「それを返す以上、あたしとの養子縁組も解消ってことになるね」
続く爆弾発言に私の呼吸と心臓が一瞬止まりました。
「――ど、どういうことですか?!」
「どういうもなにも、そこに書いてあるだろう。『グラウィス』って姓が。あんたは師匠の身内と言うことになっている。それは超帝国の【身分証】なんで、たとえ帝国議会が否定したところで覆ることはないからね。……帝国に於ては、最低でも公爵以上の身分に相当するね」
「………。
――はいぃぃぃっ?!」
最後に付け加えられた、なにやらトンデモナイ説明を耳にした瞬間、私の口から知らず素っ頓狂な叫びが漏れていました。
「まあ正式な授爵じゃないけど、お墨付きと後ろ盾はあるからね、今後は皇族を名乗っても問題はないよ」
思わずその場に凝固する私を無視して……というか、説明するのも面倒臭いとばかりにクリスティ女史が話を進めます。
「ああ、それと念の為に冒険者ギルド登録もしておいた方が良いかも知れないね。流石に皇族が他国で登録するわけにはいかないから、国内で登録しておいた方が良いだろうけど、帝都だと面倒臭そうだからね。コンスル支部のエラルドに話を通しておくか。……また借りができそうだね」
あっという間に今後の方針が私を外して決められていきます。
せっかく自立の方向性を見出しかけたところですが、周囲の状況が私の想像を遥かに凌駕して、非常識な気がするのは私の気のせいでしょうか?
「……あのぉ、クリスティ様。私が皇族とか冗談ですわよね?」
「本当だよ。そもそもレジーナ師匠がれっきとした皇族……あの白銀の髪は白髪じゃないよ。皇族に代々現れる特徴だそうだからね、もっともいまじゃ師匠以外にそれを持った皇族はいないそうだけど」
「へえ」
正直言って、髪の色でどうこう重視するなんて、まるで猫や犬の血統みたいで阿呆らしいような気も致しますが。
「だから師匠も現在面倒臭い立場でね。なかなか自由に動くことが……でき……ない? んじゃない、かな?」
最後の方では何故か目が泳いで疑問系になっていました。見ればロイスさんも何かを思い出すような表情で、応接室のある方角を見ています。
「?」
「まあ、そんな訳でね。リビティウムで問題を解決する前に、できる準備は全部やっておいた方がいいだろう。流石の師匠もあっちまでは出張ることはできないだろうし、あんたの守護霊も憑いて行く訳にはいかないんだろう?」
そう水を向けられて、足元の影に潜んでいるバルトロメイが、口惜しげに歯噛みいたしました。
『ぬう……確かに、我の役割は【転移門】の守護である。この地を留守にするわけにはいかぬな』
「ならばあんたが一人立ちできるよう、来年までしっかりと準備をするしかないだろう?」
『うむ。人は協力し合うものであるが、時として自分ひとりで成さねばならぬ時もある。ならばこの栄光ある真紅帝国の近衛騎士バルトロメイ、その時までせめて我が剣技の真髄をジル殿に伝授いたそうぞ!』
面倒臭いのに火が点いたわね、と辟易する反面、その暑苦しい気遣いを嬉しく思う私が居ました。
「それと実は皇都シレントに、うちの喫茶店の支店を開設して欲しいって依頼が来ているんだ。場所や設備はあっちで用意してくれるそうだから、こちらからは人材を送れば事足りるらしいけれど、もう少し規模を大きくして皇都での拠点にしても良いだろうね」
「なるほど」
ちなみに他国の貴族などは、学園が用意する寮(と言っても貴族の別邸並の規模の一戸建てらしいですが)に入所するのが普通らしいです。
「こっちは早速開設の準備に取り掛かるつもりだから、人員やら必要な設備やらがあれば、優先的に挙げておくように」
「わかりました」
「それと侍女は引き続き皇都まで連れて行っても構わないし、他にも必要なら言っておいておくれ」
「ならばラナの奴隷登録を解除したいのですけれど」
「……許可するよ。まったく、結局最後まで奴隷扱いしなかったね」
思惑が外れた表情で顔をしかめるクリスティ女史に対して、私は軽く一礼しました。
「我儘を言って申し訳ありません」
「しょうがないさ。ああ、あと養子縁組を解除した以上、本来はあんたの方が身分が上なんだから、そうそう気安く頭を下げるものじゃないよ。貴族社会じゃ舐められるからね」
「努力はいたします。ですが、クリスティ様は私の姉弟子であり、もう一人の師匠でもありますので、礼を尽くすのは、私にとって当然ですわ」
こればかりは譲れないとの想いを込めての私の言葉に、クリスティ女史は鹿爪らしい顔のまま、軽く頬の辺りを掻いてぶっきら棒に応えました。
「まったく、誰に似たのか頑固なんだから。……ありがとさん」
「こちらこそ、ありがとうございました」
万感の想いを込めて、私は再度深々と頭を下げるのでした。
次回から第三章開始の予定です。
3/11 誤字修正しました。
×私は意図して軽く調子で→○私は意図して軽い調子で