女史との稽古と午後のお茶会
クリスティ女史の周りを無数の小石が浮遊しています。〈無〉属性魔術の“念動”――SF風に言うのでしたら『PK』=サイコキネシス(Psychokinesis)、オカルト風に言うのでしたら『ポルターガイスト現象』と呼ばれるものです――によって、まるで生きているかのように重力を無視して動き回っているのでした。
(動きが不規則で目で見ては反応が遅れそうだし、おまけに広範囲に魔力波動を分散して移動させているから、魔力探知が幻惑されて、使い物にならないわ。意外と厄介ね〈無〉属性って)
ちなみに基本的に魔術属性は〈地〉〈水〉〈火〉〈風〉〈空〉の五大属性を主幹にして、それとは別に相反する〈光〉〈闇〉の二属性が存在し、さらにこれら属性の傍流亜流と言われる〈雷〉〈金〉〈幻〉〈月〉などといった属性があるそうです。そして力の強弱はありますが、誰でも持っていると言われるのが〈無〉属性の魔術になります。
誰でも持っているモノなので、基本的に〈無〉属性の魔術はさほど強力ではないですし、応用性も低い……というのが魔術界での一般認識なのですが、『こういう使い方もありますよ』という感じで、クリスティ女史は思いっ切り応用を利かせています。
「それじゃ、いくよ」
気負いのない言葉と共に石礫が散弾のように襲い掛かってきました。
「“氷の牙よ、刃となり貫け”」
対抗してこちらも魔法杖を構えます。
大きさよりも数で対抗する為に鋭く尖った氷柱を20個ほど、目の前に作り出すと同時に迎撃の為に、高速で放ちました。
「“氷結矢”」
真正面から石礫と氷柱とがぶつかり合い、鈍い音を立てて氷が砕け、石が明後日の方向へと弾かれて跳んで行きます。
一見、足元に幾らでも追加の石ころが転がっているクリスティ女史の方が有利に見えますが、魔術の構成速度と基礎魔力量では私の方が上回っています。このまま削り合いのマラソン勝負なら、確実に私の方が押し勝つでしょう。
「流石にたいした魔力量だね。――だが」
その瞬間、足元に違和感を感じて咄嗟に飛び退き、スカートが大輪の花を形作った瞬間、間髪入れずに地面を割って、石礫が垂直に打ち上げられ……上空で放物線を描きながら、蛇の鎌首のように軌道を修正して、逃げた先へと追尾してきます。
「〈地〉の魔術を併用されてらっしゃるのですね」
「ご名答」
にやりと不敵に笑うクリスティ女史。
これを氷結矢で打ち落としながら、私は歯噛みしました。
これは厄介ですわ。水平方向だけではなく上下からのコンビネーションまで加わっては、こちらとしても落ち着いて魔術を構成する暇もありませんもの。
「ならば――“炎よ踊れっ!”」
全方位に向けて、かなり本気で魔力を注ぎ込んだ一撃を放ちました。
「“火炎”」
瞬間、爆発したかのように放たれた炎と衝撃波が、あたり一帯を薙ぎ払います。
「む――っ!?」
咄嗟に防御したのでしょう。クリスティ女史の前に土の壁が現れたのが見えました。
「“氷の牙よ、大槍となり貫け”」
その方向へ向けて、1メルトを越える極太の氷結矢を生成すると同時に放ちます。
ドンという手応えとともに土壁が砕け散りました――が、クリスティ女史の姿はありません。
「どこに――?」
「ここだよ」
慌てて周囲を見回した私の背後、いま土壁を壊した場所から、気だるげな彼女の声が掛かりました。
同時に、背中の心臓の後ろ当たりに、鋭く尖った刃物の切っ先のようなモノが押し当てられます。
「はい、チェックメイト」
見れば先端が槍の様に尖った石が背中に押し当てられていました。
さらに視線を転じて見れば、壊した筈の土壁の向こう側に穴が開いていて、そこからクリスティ女史が「よっこらしょ」と這い出して来るところでした。
つまり、本人はその場を動かずに、地面に穴を開けて遣り過ごして、手前に土壁を作ってあたかもフェイントをかけて逃げたように見せかけていたということです。
「ジル、どうもあんたの魔術は力任せの大雑把なところが難点だね。まあ、本気でさっきの火炎魔術を放たれてたら、いまみたいな小細工程度じゃ諸共に巻き込まれて意味はなかったろうけど、もうちょっと繊細な魔術の運用を覚えたほうが良さそうだね」
その総括と共に、背中に当たっていた石が砕け散りました。
(負け……ですか)
悔しくないと言えば嘘になりますが、負けは負けです。それに姉弟子に当たるクリスティ女史の実力を、身を持って実感させられ逆にサバサバした気分になりました。
「……ご教授、痛み入ります」
「ああ」
頭を下げた私に対して、小気味良い顔で頷いたクリスティ女史は、身体についた土や落ち葉を両手で払いながら、屋敷の方へと踵を返しました。
「それじゃあ、今日の稽古はこれで終わり。あたしは風呂に入ってくるんで、この場の整地をしたらあんたも身支度を整えて、執務室の方へ来ること。ちょっと頼みたい仕事があるからね」
「仕事……ですか?」
「まあ、たいした事じゃないけど、そこらへんも男爵家の公務と思って、ちょっと頼まれて欲しいのさ」
まあ、クリスティ女史には公私共にお世話になっていますので、いまさら否もないところです。私は素直に頷きました。
「わかりました。後ほどお伺いします」
「ああ、頼んだよ」
軽く手を振って去って行く女史の後ろ姿を見送って、私は文字通り戦場の様に荒れ果てたこの稽古場――と言っても広大な屋敷の裏庭――の惨状を見て、ため息を付きました。
「流石に一人で原状復帰させるのは骨よね。エレンとラナにも手伝ってもらわないと……」
腕組みをして呻きながら、私も重い足取りで屋敷へ戻りました。
◆◇◆◇
「孤児院への慰問ですか」
さて、小一時間ほど掛かってエレンたちや、家令のロイスさんの手配でやって来た庭師の方のお陰で、どうにか荒れ果てた裏庭の整地を終えた私は、軽くお風呂で汗を流して着替えた後、執務室で書類に埋もれて、統治官としての業務に励んでいたクリスティ女史の下へ顔を出しました。
そこで聞かされた話が、先の要件となります。
「そっ。コンスルの町に孤児や流民の子を養う民間の施設があって、かなり経営が苦しいってことで、ある程度援助をすることになったんだけれど、そういう金銭的なモノ以外に目に見える形で、男爵家の方からも慰問という形で人を出すことにしたのさ」
ちなみに流民というのは、戦争や災害、何らかの刑罰などで住んでいた土地を離れて、放浪生活をせざるをえなくなった非定住者の総称です。遊牧民やジプシーは一応、身分証を持っているので国民扱いされますが、彼らの多くは確固たる身分を持っていません。
「つまり…わかりやすい点数稼ぎの善行ですか?」
私の身も蓋もない寸評に苦笑を浮かべるクリスティ女史。
「そういうことだね。嫌かい?」
「いえ、やらない善よりやる偽善とも言いますし、多少なりともそれで救われる子供が居るのでしたら、やるべきだと思います」
慈善家気取りの自己満足と言われればそれまでですけれど、決して女史がそんな浅薄な感情で援助を行おうとしているのでないことを知っている私は、少しだけ強い口調で同意しました。
「ありがとうさん。予定では明後日の祈念の日に訪問予定ってことで、先方には伝えてあるので、適当に菓子でも包んで持って行くといいよ」
「お菓子…ですか。それは市販品でなくても宜しいのでしょうか?」
「そりゃ構わないけど、誰かに作らせる気かい?」
「いえ、そういうことでしたら。久々に腕を振るってみたいので……」
◆◇◆◇
私にはわからない鼻歌を歌っているラナが、上機嫌で花壇に水をやっていました。
花壇と言ってもレンガで囲った4メルト四方の小さくて簡素なもので、私の趣味の香草が2~3種類植わっているだけです。
何かしら仕事を与えた方が良いとのことで、庭師の方にお願いして庭の隅に作った花壇ですが、思いの外ラナは気に入ったようで、丹念に如雨露で水をやっています。さすがにまだ芽は出ませんが、ラナが小さな身体で大きな如雨露を持って水をやっている姿は、見ていて微笑ましいものがあります。
「ほら、そろそろ三人とも席について、お茶をはじめましょう」
手招きをすると、如雨露を傍らに置いたラナが近寄って来ました。
うららかな春の日差しのあたる庭の片隅に、アフタヌーンティー用の日除け付きのテーブルと、四人掛けの椅子が準備されています。
もともとこの場にあったものではなくて、気分に応じて場所を変えてお茶会ができるよう、簡単に折り畳んで持ち運びができるテーブルと椅子です。
それを準備した侍女のモニカとエレンは、どことなく気後れした様子で、椅子の後ろに立ったまま、座らずにもじもじしています。
「ではでは、お待たせしました。今回の慰問に持っていく予定のお菓子です」
ということで、ここのところ厨房と遠ざかっていた私ですが、久方ぶりに腕を振るってお菓子作りをしてみました。
慣れない設備で少々勝手が違いましたが、どうにか納得のできるものが出来上がったと思います。
テーブルの上に置いた皿の上のナプキンを取り外すと、ふんわりとした甘い香りが立ち上りました。
「「「わあああっ!」」」
ふんわりと焼きあがった三種類の焼き菓子を前にして、思わず……という感じで、侍女三人の歓声が上がります。
うむうむ。やはり女の子は可愛いですな。お菓子で餌付けするに限るわ。
ちなみに作ったのは、ほぼ同じ材料を使っても手間隙によって別物になるマドレーヌとラングドシャとマフィンの三種類でした。
「ささ、まずは実際に食べて感想を言ってね。マズイようなら明日までに手直ししないといけないので」
私の言葉に我に返ったらしいモニカが、慌ててお茶の支度を始めました。一拍遅れてエレンもそれに従います。ラナは……完全にお菓子に目を奪われていますね。
苦笑しながら私は自分の席に付きました。
「さあ、いつまでも立ってないで三人とも座って」
目の前に並べられた馥郁たる香茶のカップを前に、再度着席を促すとようやく全員が席に着きました。
「……よろしいのでしょうか。使用人たるわたしどもがお嬢様と同じテーブルに着くなど」
恐縮した様子のモニカの前の皿に、お菓子を取り分けて置きます。
「いいのいいの。こういう女子会みたいなことやってみたかっただけなんだから」
「はあ……」
なおも釈然としない様子のモニカですが、目の前に置かれたお菓子に視線の方は釘付けになっています。
遠慮しているエレンやラナの前にも三種類ずつ置いて、私はにこやかにカップを持ち上げました。
「さあ、お茶が冷めないうちに召し上がれ」
「は、はい」
「い、いただきます」
「いただきます!」
三人三様の挨拶と共に、恐る恐るお菓子を口に含みました……なんか微妙に怪しまれていませんか?
「「「!!」」」
そして、次の瞬間三人が三人ともトロけるような笑顔になりました。
「「「お、美味しい!」」」
ふふん。参ったか。
私も自分の分のマドレーヌを口に含んで咀嚼しながら、出来栄えに満足しました。材料と調理器具が限られていたので、多少妥協した部分もありますが、甘すぎず固過ぎずでちょうど良い按配です。
「これなら孤児院に持って行っても問題ないわよね?」
確認してみましたが、女の子三人は餓鬼の様に残ったお菓子を一心不乱に口の中に放り込んでいるだけで、こちらの話を聞いている様子はありませんでした。
うん……この場に女子はいなかった。
私は遠い目をして昼下がりの日差しの下、カップを傾けながら、しばし気だるげな時間を過ごしたのでした。
結局、この後私の作ったマドレーヌ等は厨房を中心に評判になり、夕食後のデザートにも供出させられることになりました。
結果、作り置きの分を全て食べつくされたため、新たに作り直しを行い……更に手を加えたアーモンドやドライフルーツを加えたため、これまた屋敷内の餓鬼どもの鼻腔をくすぐり、即座に全員の胃袋に納まり、私は侍女達の協力の下、泣く泣くほとんど徹夜で大量生産を行うことになったのでした。
まあ、その結果、孤児院の慰問は大成功に終わり、私も子供たちに大歓迎を受けて、手作りのリースやお手紙などを貰って帰る事ができたのですが……。
ついでに、
「ジル。あんたこんな特技があるんなら、今後はちょいちょいお菓子や料理を手伝ってくれて構わないんだよ。いや、いっそ男爵家直営の喫茶店でも開こうかね」
クリスティ女史がかなり本気でそんなことを検討し始めたりしたのでした。
1/13 誤字脱字の修正を行いました。
×衝撃波が、あたり一体を薙ぎ払います→○衝撃波が、あたり一帯を薙ぎ払います
×材料が限れていたので→○材料と調理器具が限られていたので
1/16 同修正しました。
×いまさら嫌もないところです→○いまさら否もないところです