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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第二章 令嬢ジュリア[12歳]
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侍女見習いの喜悦と姫様の趣味

 窓際から差し込む日差しを浴びて、薄い桜色をした金色の髪がサラサラと幾重にも重なり、(ほの)かな光を振り撒いていた。

 優美な白い指先がページを捲り、静まり返った書斎に乾いた音を微かに響かせる。

 濡れた宝石のような翡翠色の瞳が、文章を追いかけて走る……その瞬間に凛と張り詰めたような静寂が戻った。


「はふぅ……」


 窓際の椅子に腰掛けて、凝然とその様子を見ていたエレンの口元から、堪え切れない吐息が漏れた。


「……どうかしたの、エレン?」


 驚いたジルが顔を上げて、軽く目を見開いてエレンの顔を見る。

 真っ赤に上気した顔で、エレンはふるふると首を横に振った。

 顎の辺りで切り揃えた栗色の髪が揺れる。


「なんでもありません、ついつい気持ちが昂ぶって粗相をしてしまいました」

「どういうこと?」


 釈然としないジルは背もたれ付きの椅子から身をもたげ、自分の背後――豪奢ではないが重厚な造りの書斎を見回した。

 いまだ木材の匂いも新しいコンスル統治官クリスティの屋敷は、女主人のその人柄を表すかのように、質実剛健を絵に描いたような簡素にして機能性に優れた造りである。


 この書庫もチーク材の書架と2000冊余りの本、そして机と椅子がある他は、花瓶に生けられた花が配置されている程度で、特に目新しいものは存在しない。


「その……ジル様のありようと現在の自分の立場に感激して、思わず胸が高鳴ったのです」


 侍女であり友人でもあるエレンの言葉に、軽くため息を漏らしたジルは、読んでいた分厚い専門書を閉じて、座っていた椅子から腰を上げると、長いドレスのスカートを優雅に捌いて床に降り立った。


「誰もいないんだし、別に『様』や敬語はいらないわ。普通に話してくれた方が嬉しいんだけれど?」


 初対面の時の遣り取りを思い出しながら、ジルが不満そうに口を尖らせる。


「そういうわけにはいきません。家政婦長のベアトリスさんからも、けじめは大切だと口を酸っぱくして言われていますし」


 ジルの脳裏に50年配の謹厳そのものの家政婦長の顔が蘇った。


「そもそもこうしてジル様の侍女に取り立てられることこそが、あたしの夢だったのですから、いきなり夢が叶ったこの状態は、あたしにとってまさに理想郷と言えます」


 うっとりした目付きで、その場に可憐に佇む親友にして、自分が仕える主人を見るエレン。

 小柄な自分と比べて頭一つ背が高く、均整の取れた体つきをしている。すっきりと細く長いうなじや手首足首、華奢な背中にさらりと広がる長い髪、それとは対照的にボリュームのある胸回りや腰回りは、12歳とは思えぬ発育の良さで、すでに女としての色香を十二分に放っていた。

 化粧っけは皆無だが、それが逆に生来の肌の白さと艶やかさを際立たせている。


 まとうドレスは薄い赤と白を基調とした簡素なモノだが、金糸銀糸宝飾をあしらった舞踏会用のドレスを着て夜会にでも出席すれば、たちどころに綺羅星の如く会場中の衆目を集めることだろう。


 もっとも、そんな彼女本来の魅力に気付いているのは、この屋敷内にも片手で数えるほどしかいないが……。

 家令(スチュワード)のロイスさんからも、堅く口止めされているその事実を公然と口にできないところが、エレンにとっては歯がゆいところであり、また逆に鼻が高いところでもあった。


「ジルの本当の美しさを理解しているのは、あたしが一番なんだからっ!」


 と、声を大にして主張したいところである。とは言え、そんな気持ちをグッと押し隠して、エレンは首を傾げた。


「ところで、本の続きを読まなくてもよろしいのですか?」


「ああ…だいたい知りたいところはわかったから、もういいわ。多分、今晩中に宿題のレポートも書き終えられると思うし」

 ジルは軽く肩をすくめて答える。

 宿題というのは週に一度、教師役であるクリスティ女史――この屋敷の女主人であり、ジルの養母に当たるクリスティアーネ・リタ・ブラントミュラー女男爵(バロネス)――から、前もって何点か課題を出され、それにレポート形式で答えを書いて提出するものであった。


 当初は現地で家庭教師を雇う予定があったのだが、軽く基礎知識のおさらいをした段階で、「うちの学院のボンクラ学生よりよほど優秀だわ」と、クリスティ女史があっさりと必要性のなさを理解して、以後は直接自分が指導することにして、行儀作法と礼節などの授業のみ家政婦長のベアトリスに任せて、マンツーマンでの課題学習を行っているのである。


 以前、ちらりと見せてもらった、数式やら統計やら得体の知れない記号で覆い尽くされた課題の内容を思い出して、エレンはますます眩しそうにジルを見た。


「流石はジル様です。あのような課題をこうも簡単に解き明かすなんて!」

「まあ、正解かどうかは不明なんだけどね」


 苦笑しながら手にした専門書を書架に戻したジルは、軽く伸びをして――それから、どこか悪戯っぽい子供のような顔で、目を輝かせた。


「さて、今日のお勉強はお終い。それじゃあ、出かけましょうか」


 その言葉に、エレンが不安げな顔で慌てて立ち上がった。


「今日も出かけるんですか……?」


「当然よ。まだまだぜんぜん埋まらないんだから」


 頷きながら、ジルは空中から愛用の黒のドレスやローブを取り出す。魔女である彼女の『収納(クローズ)』の魔術で空間内に仕舞っていた、普段着を取り出したのだ。

 そのまま、いま着ているドレスを無造作に脱ぎ出したジルの傍に、慌ててエレンが駆け寄って、着替えを手伝う。


「――ん。ありがとう」


 着替えを終えたジルは、ブーツの爪先を軽く床で叩きながら、にっこりと微笑んだ。

 その笑みを前にして、エレンはそれ以上の文句を言う気になれず、黙ってその背後に従ったのだった。




 ◆◇◆◇




 西辺境区(旧ドミツィアーノ領)中央部に位置する交通の要所である町コンスル。

 人口は1500名ほどと、辺境区では有数の規模を誇りますが、さりとて大都市と呼ぶにはいささか寂しく、かといって田舎街……というには不釣合いな、瀟洒な町並みが揃った明るくて活気のある町です。


 元来が宿場町として栄えた町であるため、その人口のほとんどが街道沿いに集中しているせいか、農村部に比べて単位辺りの人口密度は高く、建物も帝都風の垢抜けたデザインのものが多いために、周辺の村々から見れば明らかに『都会』でしょう。


 その町の東部に位置する私邸を兼務する統治官公邸は、わずか数ヶ月で造られたとは思えない破格の規模と敷地を持っています。

 ちなみに屋敷の方は近隣の出稼ぎ労働者が汗を流したほか、熟練のドワーフ職人が腕を振るい、一晩で小屋ぐらい建てるというブラウニーの下働きの協力を得て、突貫工事で造ったものだそうです。


 そのほか別棟や使用人用の離れ、厩舎も所持するその屋敷の裏手は、広大な森と化しており、奥には小さな湖まで存在します。ま、土地がアホみたいに余っている辺境だからこそ可能な規模の敷地でしょう。


 そんな広大な敷地内を、私とピクニックに行くようなバスケットを両手で持った侍女――正確には『侍女見習い』のエレンと、使い魔(ファミリア)の〈天狼(シリウス)〉フィーア、そしてその後をちょこちょこ追いかけて、『侍女未満』のラナが背中に粗末なリュックサックを背負って付いてきています。

 動く度に金色……というよりそのものずばり狐色の髪の間から覗く狐耳と、紺のメイド服のスカートから伸びた、ふさふさの尻尾がぴょこぴょこ跳ねています。

 狐の獣人で現在10歳――これまでの栄養状態が悪かったせいで、見た目はまだ7~8歳位に見えますが、最近は徐々に頬もふっくらしてきました――首に赤い首輪をしているのが特徴ですけれども、これはファッションではなく奴隷帯(ステイグマ)という魔道具(マジックアイテム)で、彼女が平民ではなく『自由労働者』という名目の奴隷である証です。


 ひょんなことで1月ほど前に私の所有奴隷となり、現在は侍女の真似事をしている彼女ですが、奴隷時代の心の傷が深いのか、私とフィーア以外にはあまり心を開こうとしません。そのため、普段から私の周囲にべったりなのですが、かといって遊んでいるわけではなく、こうして私の役に立とうと日々奮闘しています。


 なお私付きの侍女の真似事をしているラナに対する、他の使用人の反応は大まかに3つに分かれます。奴隷風情がと目障りに思うか、無視を決め込むか、或いは……。


「ううう、可愛いわ。ラナちゃん。ちょっと耳と尻尾をなでなでしてもいい?」

 我慢しきれなくなったらしいエレンが、荷物を置いてラナに頬ずりし始めました。

「………」

 あからさまな好意には慣れていないのか、こういうスキンシップをされると、ラナは毎回その場に硬直して身動きがとれなくなります。

「ほっぺがぷにぷにで、尻尾がふわふわでいいわ。これ最高だわ」


 すっかりラナをオモチャにしてご満悦なエレンと、目を白黒させて無表情のまま、あせっているラナとの微笑ましい交流を横目に見ながら、私は取り出した結界杭を地面に埋め始めました。


「……別にジル様がそんなことをしなくてもいいと思うんですけど」


 ラナをヌイグルミみたいに胸元に抱き締めながら、エレンがどことなく不満そうにそんなことを言います。


「他人任せってのがどうにも落ち着かない性分なのよ。それにこの結界杭は私の特製だから、有効範囲を微調整しないといけないから」

「見た目は普通の結界杭と変わらないみたいですけど?」

「基本的な機能は同じね。でも、いざと言う時は何本かの杭同士が共鳴反応を起こして、一時的に威力を底上げするように工夫してあるのよ。ま、いざと言う時が来ないのが一番だけれど」


 ちなみにこの発想は帝都の魔術師が使っていた魔力探知(サーチ)を応用したものです。


「それにこうして自分の足で歩けば、地形も頭に入るし、動植物や魔物の分布・植生を確認することもできるので、いい事尽くめってところね」


「そうですか?」

 疑わしげな口調でエレンは疑問を呈しました。


 その後、湖のほとりでピクニック気分で昼食を食べた後、歩きながら時々道草……文字通り薬草類を見つけては、摘み取ってラナに渡してリュックに仕舞って貰います。

収納(クローズ)』で別空間に仕舞えば簡単ですが(現在の私は以前の数倍の重量・質量を持ち運べます)、なにかしら仕事を与えるためと、これが全てラナの給金にあたるため、本人の自覚を促す意味でなんらかの仕事を与えることにしたのでした。


「そういえば、ジル様。ブルーノの馬鹿を覚えてますか?」


 歩きながら不意にエレンがそんなことを訊いてきました。


「ええ、勿論よ。彼がどうかしたの?」

「あの馬鹿、コンスル(ここ)にある冒険者ギルドの支部に来ては、毎日のように冒険者登録をしろしろって煩いそうですよ。カルディナさんがこぼしていました」


 やれやれという口調で、軽くなったバスケットごと両手を上げるエレン。

 ちなみにエレンはカルディナさんとは先日顔合わせをしたばかりですが、なぜかお互いに相手の胸元を確認し頷き合って、即座に笑顔と笑顔のぶつかり合いを行い――謎の友情を一瞬で結んだのでした。女の友情と言うのは、たまに理解不明な部分がありますわね。


「へえ。ブルーノらしいわね。でも、西の開拓村からここまで徒歩だと結構かかるんじゃないの?」

「それがですね。生意気にも、アイツ自分の騎鳥(エミュー)を手に入れたらしいんですよ。そんなものだから、調子に乗って一端(いっぱし)の大人のつもりをして、冒険者になりたがってるんだと思いますけど」

「ふーん。随分と詳しいのね。……まあ、二人とも昔から仲が良かったものね」


 私のからかい混じりの冷やかしに、エレンは大仰に顔をしかめます。

「やめてくださいよ。単に町に買い出しとかに行くと、あの馬鹿が毎回大騒ぎをしているので、どうしたって目に入るだけで……」


 う~~ん、本人達の自覚はともかく、二人とも仲が良いと思うんですけどねえ。とはいえ……。


「そうすると、町か冒険者ギルドへ行けば、ブルーノに逢える確率が高いわけね。なら、久しぶりに逢いたいので、帰りは町まで足を延ばさない?」

「別にアイツなんかに逢う必要はないと思いますけど。ま、アイツは大喜びでしょうね。ついでにジル様からも叱ってやってください。冒険者になるんだったら、ちゃんと来年の成人まで我慢するようにって。なんか見てると無茶をしでかしそうで、危なっかしくて」


 口では何と言ってもブルーノを気にかけているエレンの様子に、微笑みながら私は後に続くフィーアとラナを振り返りました。


「それじゃあ、このまま町まで行くけれど。ラナ、疲れたようならフィーアに送ってもらって、お屋敷に帰ってもいいのよ」

「大丈夫。ジル様と一緒に行く」


 やせ我慢でもなさそうなしっかりとした足取りを確認して、私は「無理はしないでね」と注意をして、少しだけ弾む足取りで、顔なじみの待つであろうコンスルの町へと足を進めました。

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