教団の神祇官と偽姫の妹
「残念ながら、クララ様の御息女シルティアーナ様には治癒の御業に対する素養はないようですな」
明らかに意気消沈…もしくは、口惜しげな様子で結論を口に出す、聖女教団に所属する高位神祇官の言葉に、オーランシュ辺境伯コルラード・シモン・オーランシュは、人好きのするその顔一杯に落胆の色を浮かべて肩を落とした。
「……そうですか。止むを得ません、鷹が鳶を生むこともありましょう。ですが、それでもシルティアーナはクララの忘れ形見であり、我が娘に違いありません。父親として、真っ当な一生を送らせましょう」
コルラードの言葉に、不承不承という形で同意する神祇官。
ちなみに『聖女教団』という名前と、最高指導者に女性である『巫女姫』の位を与えていることから、一般的には女性によって構成されている宗教団体と思われがちであるが、実際の構成員の大多数は男性である。
ただし治癒術を使える者は、なぜか圧倒的に女性が多いため(男性でも使える者はいるが、かなり能力が限定されて弱い)、第一線に立つのはやはり女性となるため、『聖女教団=女性上位』と見られている。
今回、数人の巫女を連れて、「シルティアーナ様の事故見舞い」と称して来訪してきた彼らの本来の目的は、先の言葉からもわかるとおり、シルティアーナの母であり先代の巫女姫クララが退いて後、長らく適任者がいないとして不在であった『巫女姫』。その後釜として、シルティアーナにその素養がないかどうかの確認であった。
もともとクララ亡き後、執拗にシルティアーナの身柄の確保に動いた経緯があるが、そのたびに幼少であること、たとえ母親が希代の術者であっても、必ずしも娘にその素養が受け継がれないこと……事実、『リビティウム皇国のブタクサ姫』と呼ばれるほど愚鈍である事、などを理由にその要求を突っぱねてきたが、重症を負いいまも後遺症に悩まされるシルティアーナの治癒というお題目を全面に押し立てられては無下に断るわけにも行かず――また、コルラード辺境伯にとっても渡りに船と言うタイミングであったため――彼らに娘の治癒を任せて、別室で待機していたのだった。
そこへ先ほどの言葉である。
後遺症の状態ではなく、隠すことなく素養の問題を最初に口にし、また誰はばかる事なく『クララ様の御息女』と定義するあたり、彼らにとってはシルティアーナはクララの代用品にしか過ぎなかったのだろう。
だが、その期待も脆くも潰えた。
(ふん。都合が悪くなればクララを使い潰し、必要になればその名にすがるか。……させんぞ、貴様らに死した後までクララを冒涜させるなど)
その為に現在自分が行っている悪行を自覚しながらも、鋼鉄の意志で踏み越え、気弱な小人物の仮面を被ったまま、その内心をおくびにも出さず、コルラード辺境伯は恐る恐る……という態度で尋ねた。
「それで、あの娘の傷の具合……特に不自由な足の方は……?」
「ああ、それですが」
領主の館でその領主を前にしながら、リビティウム皇国の国教である『聖女教団』の神祇官という立場を笠に着て、どこか相手を見下した態度で答える彼。
確かにオーランシュ辺境伯領は名目上、リビティウム皇国の一部であるのは確かだが……皇国は帝国と違って、元々土着の領主がリビティウムの傘下に収まり、爵位をシレント央国王から賜る、という形で皇国の一部に組み込まれているため、個々の領主の自治意識がかなり強く、中央の管理統制が行き届かないのが実状である。
ましてや、ここオーランシュ辺境伯領は、皇国内で最大領土と領民を持つことから、実質的にシレント央国に比肩(もしくは上回る)する、リビティウム皇国最大国家と言っても過言ではなかった。
そうした現状を留意せず、国教という虚名にすがって傲岸な態度を崩そうともしない、神祇官の態度に、居並ぶ臣下たちは眉をしかめ、咎める様な視線が幾つも集中しているが、中年の神祇官自身は、それが逆に心地よい――チンピラが粋がって注目を浴びることで満足するような――軽薄な顔つきで、満足げな笑みを浮かべて頷いた。
(ふん。聖職者の名を騙る俗物どもが。9年前のクララを盟主に抱いた『リビティウム皇帝』擁立計画さえ成功していれば、貴様らなどイの一番に解体したものを……)
そんな道化の姿を内心せせら笑いながら、辺境伯は在りし日にクララと二人で実行寸前までお膳立てをした野心を追憶した。
ちなみに皇国には『リビティウム皇帝』は存在しない。あくまで超帝国から皇国の管理を委託されている『シレント央国』が存在し、この国王を名目上『皇帝』『皇族』と呼称しているのである(超帝国がなぜ正式に『皇帝』を任命しなかったかは不明だが、一説には「誰も彼もそんな器じゃないねぇ」という神帝陛下の鶴の一声があったからとも言われている)。
「時間をかければ体の傷を癒すことは可能でしょう。ただし足は一部神経を痛めていますから、完全に元通り……とは難しいでしょうな。ですが、我が優秀なる治癒の御業を使えば、普通に歩く程度に回復させることも可能でしょう」
「おおっ! それはまたとない光明ですな」
「とは言え、この地まで毎回高位神官や巫女を派遣するのも困難ですので、できればシルティアーナ様は本山で預かって徹底的に治療を施すか、最低でもシレント央国にある皇都シレントへお越しいただければ、こちらとしても手配がしやすいのですが」
「ふむ……」
神祇官の言葉にコルラードは考え込む素振りを見せた。
とはいえ答えは決まっている、シルティアーナを渡すという選択肢は、亡きクララに対する冒涜であり(彼は彼女の死に教団が高確率で関与していると確信している)、また万が一あの『シルティアーナ』の正体が暴かれる可能性がある以上、二重の意味であり得ない話であった。
なお現在、大陸には地域や民族に応じて多彩な宗教が存在するが、そうした土着の宗教を別にして、国家ぐるみの国教として定められているのは、『天上紅華教』と『聖女教団』の二つだけになる。
このうち『天上紅華教』はグラウィオール帝国の国教であり、実質的に世界宗教として広く大陸全土に影響を及ぼしている。その総本山は超帝国本国にあるとも言われ、いささか謎めいたところもあるものの、その教義は公正かつ寛容なもので、清貧を美徳とし無償での奉仕活動を行い、また必要以上の寄進を受け取らないことから、身分の上下に関わらず広くその教義が受け入れられている。
先日の帝国において行われたジャンルーカ帝の国葬を取り仕切ったのも、無論天上紅華教の教皇であった。
それに対して『聖女教団』はリビティウム皇国の国教であり、本山もまた皇国内に存在する。
癒しの奇跡を使える使い手を『神に愛された者』として尊重し、かつて死者すら甦らせたと謳われる聖女スノウ(いまも存命し諸国を遍歴しているとも言われる)を始祖と崇め、その御業に近づくため日々研鑽を重ねることを美徳としている――が、現在はかなり形骸化しており、ただでさえ少ない治癒術を使える者を実質的に独占し、また高度な術を秘匿していることから、各国の上層部に強い影響力を及ぼすものの、一般人にとっては治癒術そのものが高額過ぎるため無縁の対象と化している。
そして明確に国教と定められてはいないものの、獣人族全体が信奉しているのが、部族ごとに民族の祖霊や神獣・聖獣を崇める『神獣崇拝』であり、人間族には無縁の宗教ではあるが、ほぼ全ての獣人族が信奉していることから、これらを総括して大陸三大宗教と呼んでいるのであった。
神祇官の提案に対して、どこまでも低姿勢で臨む辺境伯。
「生憎と娘は現在、帝国のとある貴公子との婚約話が進んでいるところでして……とは言え、今上帝の崩御に伴いまして、しばし延期と言う形になっています、今後の推移を考えていつでも動かせるよう、儂の手元に置いておきたいところですな。ですから、近日中に皇都へ戻る際に同伴させようと考えております」
「なるほど。わかりました。では、皇都の神殿へ連絡を入れて、今後の治療の手配をいたしましょう」
若干、落胆しつつも予想していたのか、意外とあっさりと神祇官は受け入れた。
もとより彼の役目はシルティアーナの資質の調査であり、それが眼鏡に適わなかった以上、もはやどうでもよい事なのだろう。
「ご好意感謝いたします」
殊勝な様子で頭を下げる辺境伯を見下ろし、鷹揚に頷く神祇官。
◆◇◆◇
侍女に手を借りながら、身長約150セルメルトと、12歳の平均並ながら、体重は平均の倍以上ありそうな少女が、片脚を引き摺って廊下を歩いていた。
着ているものはワインレッドのフリルとレースがふんだんに使われたドレスである。それだけで一般的な中流家庭の年収に匹敵するような高価な衣装であったが、その少女の体型に合わせて作られたために、全体的にバランスを崩したデザインと化している。おそらくデザイナーは眉をしかめて採寸したことだろう。
「………」
表情を変えず黙々と歩く彼女に侍女たちが手を貸しながら――仕事として行っているのは明らかで、そこには気遣いや労わりの心はなかった――長い廊下を、一歩一歩踏み締めるように歩いていたが、ふと、前から歩いてくる人影に気付いて足を止めた。
やってきたのは年の頃なら8~9歳と思える、紫色のサテン生地を使った、これも安いものではないドレスを着た少女だった。
背中の中ほどで切り揃えた金髪の彼女は――美少女というわけではないが、快活そうな女の子である――はじめ上機嫌で歩いていたが、前から歩いてきた相手を見咎め眉をしかめ、それから曲がりなりにも彼女が自分の足で歩いているのに驚いた顔で目を丸くし、幾分ほっとした顔をした後、そんな自分を恥じ入るような顔で顔を歪め、それから怒ったような顔で相手の顔を真正面から見た……いや、睨んだ。
「おひさしぶりですわ、シルティアーナお姉様。こうして、まともにお話しするのは、去年の慰労会以来ですわね」
少女の挨拶にも無反応のまま、じっと相手の顔を見詰め返すシルティアーナと呼ばれた少女。
「………」
沈黙に耐えかねた少女が再び口を開きかけたところで、慌てて侍女の一人がシルティアーナの耳元に囁きかけた。
「異母妹君のエウフェーミア様です」
それで初めてスイッチが入ったかのように、瞬きを繰り返すシルティアーナ。
ややあって、その口から搾り出すように声が漏れた。
「……こんにちは…エウフェーミア……」
「こんにちは。ごきげんよう、とでも言えば良いのかしら? 相変わらずですこと、シルティアーナお姉様。ご自分の足で歩いていらっしゃるから、多少は見た目を気にして努力するつもりになったのかと思っていたのですけれど、いつも通りで残念ですわ」
やれやれと肩をすくめるエウフェーミア。コルラード辺境伯の六姉妹の末姫に当たる彼女は、驚くほど表情が豊かで、小動物のように常に動いていて目を離せない魅力に富んだ、眼前の『ブタクサ姫』とは対照的な少女である。
そんな彼女の姿を、ちょっとだけ興味を引かれた目で見ながら、ゆっくりと答えるシルティアーナ。
「さっきまで……巫女様の治癒を受け…それで調子が良いから……」
「巫女? ああ、あの胡散臭そうな神祇官の一行ね。ふーん、そうなの。案外見た目と違って有能だったのね。それで、怪我は治りそうなの?」
「……完全には無理…時間を掛け治せれば……普通に…歩く位はできる…かも……」
「ふん。ならあの大甘の父さんなら治すでしょうね。ま、治しても目方を減らさないと、歩くこともままならないでしょうけどね。少しは自重したら?」
「……わかった。……ありがとう…心配してくれて……」
「なっ! 別に心配なんてしてないわよ。身内にこれ以上無様な噂をばらまかれたら、あたしたちが恥だから忠告しているだけよ。勘違いしないでね!」
礼を言われたエウフェーミアは、顔を真っ赤にして怒ったように怒鳴りながら、幾分足取りも荒くシルティアーナの脇を通り過ぎていった。
その後姿を見送ったシルティアーナが、再び歩きはじめると程なくそのお腹が空腹に鳴った。
「さ、姫様どうぞ、お召し上がりください」
手馴れた仕草で侍女の一人が、菓子の入った袋を差し出す。
反射的にそれに手を伸ばしかけたシルティアーナだが、数秒間の逡巡の末、その手を引っ込めた。
「……晩御飯まで…我慢します……」
その言葉に周囲を取り巻く侍女たちが、一斉に目を剥いた。
だが、本人は気にした風もなく、痛みと空腹に耐えながら自室へ向かって、ゆっくりと歩みを進めるのだった。
「妹……ナ……」
「――は? なにかおっしゃいましたか、姫様?」
無意識にこぼれた呟きを聞きとがめた侍女に聞き返されて、シルティアーナは「なんでもない」という風に頭を左右に振った。
その目がふと見えた窓の外、どこまでも続く青空を映した。
一瞬、渇望とも思える強い感情がその目を過ぎったが、すぐにそれは霧散して虚無の色に塗り替えられ、その口からため息となって漏れたのだった。
すみません、なんとなくこっちを書いてみました。
オーランシュ領の現状と偽姫の立場ですね。
3/20 誤字修正しました。
×傘に着て→○笠に着て




