神帝陛下の諧謔と侍女の提案
ブラントミュラーの屋敷(と言ってもアパルトマンのような、街角に立つ煉瓦造りの三階建てですが)の応接間で、ソファーに女主人であるクリスティ女史が、何やら疲れた様子で座っています。
応接テーブルを挟んで、ずっと今日起こった出来事を説明していたらしいルークが元気なく腰を下ろし、先ほどの治癒術の連発で、完全に疲労困憊の私が隣に並ぶ形で、顔を合わせていました。
「「「………」」」
重い空気が立ち込める部屋の中。他にはクリスティ女史の背後に家令のロイスさんが自然体で佇み、出入り口付近の壁際には、私付きの侍女であるモニカが立っています。
そして、もう一人。今回の騒動の発端で、ある意味渦中の中心である狐の獣人ラナが、私が座るソファーの背もたれの後ろに隠れるようにして立っています。
最初、私が手を引いてラナをソファーに座らせようとしたのですが、
「お前は駄目です」
クリスティ女史がばっさりと頭から拒否した結果、この形になりました。
涙目になって、慌てて背中のソファーの陰に隠れるようにして身を縮ませるラナの様子に、反射的に腰を浮かせかけた私を、クリスティ女史が半眼になって見据えました。
「立場と言うものを自覚させなさい。それがひいてはその子の為になるのです」
有無を言わさぬ声音と、「――ジル」咄嗟に私の手を取って気遣うルークの顔を見て、私は奥歯を噛んで腰を戻しました。
とは言えクリスティ女史を見る目が、若干刺々しくなるのは……まあ、これは止むを得ないご愛嬌でしょう。
「………」
「……。――ふう」
軽くにらみ合いをしたところで、疲れた様子でため息をついた女史の様子に、ルークが眉をひそめます。
「お疲れのご様子ですね、先生?」
「ええ。今日は皇宮の方でもいろいろありましたから」
「皇宮でですか? なにが?」
意外な食いつきの良さで、ルークが身を乗り出します。
こういうところは生粋の貴族ですわね。やはり高貴なる血を持つ貴族の御曹司ともなると、アンテナの方向や心構えが違うのでしょう。
(――うっ。私ももともと皇国の大貴族の血族で、現在は帝国貴族でしたわ)
大変ねえ…と思ったところで、本来の自分の由来や現状を思い出して、密かにゲンナリしました。
まあ、まだしも現在は下級貴族なのが幸いですけれど、取りあえず今後は面倒なことに係わり合いにならないように、上級貴族とか、間違っても王族とか……ま、あり得ないとは思いますけれど、皇族とかとは一生関わり合いにならないよう、距離を置くようにしましょう。
しっかりと私の手を握るルークの掌を見ながら、固く決心をするのでした。
「今回の皇帝陛下の葬儀に際して、カーディナルローゼ超帝国の神帝陛下を筆頭に、超帝国宰相サマとかお偉方が弔問に訪れたんだけど」
クリスティ女史の言葉に、軽くルークが目を瞠りました。
「超帝国宰相様がですか? それは言い換えれば、『旧ドミツィアーノ領の件については完全に不問に付する』という意思表示ということでしょうか? ならば、統治官としての先生にとっては朗報ですね」
「ま、そういうことなんだろうね。あたしも宰相サマから直接『二度目はないぞ』と釘を刺されたからねえ」
面倒臭そうに頷く女史。
一方、無関係なフリをして話を聞き流そうとしていた私ですが、ふと耳に入った『旧ドミツィアーノ領』という単語が気になって、ついつい口出ししていました。
「申し訳ございません。一部、話の背後関係が不透明な部分がありますが、要するにエレンたちのいる開拓村近辺の安全について、お墨付きを貰えた……という解釈でよろしいのでしょうか?」
「ああ、それで間違いない」
なるほど朗報ですわね。……その割りにクリスティ女史の表情が冴えませんけれど。
「それだけで済めば良かったんだけどねえ、御簾越しに神帝陛下と対応に当たった先々代皇帝……太祖帝様との歓談内容が聞こえてきたもんだから」
げんなりした表情でまたため息をつかれます。
なるほど伝説の超帝国神帝陛下と歴史に残る帝国の太祖帝様。どちらも私には無縁の存在ですけれど、そんな畏れ多い方々の会談現場に遭遇しては、これは気疲れするのも止むを得ないでしょう。
と――。
「あら? 太祖帝様って、確か35…いえ、36年前の竜王襲撃の際にお亡くなりになられたのでは?」
「「………」」
ふと気になった私の疑問の声に、クリスティ女史とルークの二人が、同時に奇妙な視線を向けてきました。
あ、あら? 私なにかおかしなことを言いましたか? 変なこと聞いたのでしょうか?
「あの……なにか?」
「いえ、なんでもありません。その…太祖帝様ですが、一般にはお亡くなりになられたと思われがちですが、実はご存命でして」
ルークの言葉に、クリスティ女史が大きく頷きました。
「あれはとことん、しぶといからねえ」
なぜかしみじみとした実感が篭っています。
◆◇◆◇
弔問ということで、最初こそ厳粛な雰囲気を漂わせていた神帝と太祖帝の二人だが、程なく御簾の向こう側から、ころころと楽しげな会話の内容が漏れ聞こえてくるようになり、この場に集まった帝国貴族……はもとより、他国から訪れた国家元首級及びその名代達の耳目を集めることとになった。
「君も大変だね。お孫さんの葬儀とはいえ引退した後まで駆り出されて」
「ほほほっ、本当ならのんびりと縁側で猫を傍らに茶でも飲みたいところなんですけど」
なんでたかだか男爵のあたしがここにいるわけ、さっさと退室させろよ、巻き込むなよ糞師匠……という自己主張を全身から漂わせるクリスティ女史が末席にいるが、御簾の向こうのオリアーナ太祖帝様は、知らん振りして日常会話に花を咲かせている。
一方、集まった各国首脳レベルは、このなにげない会話が今後の大陸の運命を左右するかも知れないと、鵜の目鷹の目で周りを牽制しながら、神話と伝説の語る話に聞き入っていた。
「ところで」
会話が一区切りついたところで、軽く神帝陛下が太祖帝様に確認した。
「次の皇帝は誰になるのかな?」
『ぶ――――っ!!!』
聞いていた帝国貴族――主に帝位継承権を持つ者やその支援者――が、一斉に声にならない声で吹き出す。
おそらくこの場に居た全員の心は一つだろう。
「前置きなしに、いきなり本題に入りやがった!?」
という戦慄とも驚愕ともつかないものだ。
太祖帝様、太祖帝様はなんて答える?!?
先刻までの緊張した空気とはまた違う、張り詰めた空気が漂う中、太祖帝様が軽く首をすくめた気配がした。
「さてさて、わたしは引退した年寄りですから。後のことはいまいる連中に任せていますので、知ったことではありませんわ」
無責任なこというなコンチクチョウ! 無言の抗議の声が挙がるが本人達はどこ吹く風である。
「そうかい。まあ、あんまり無様な権力闘争とか、国を割るような内戦とかにならないことを祈るよ。見苦しいのは消し飛ばしたくなる性分なのでね」
「ほほほ。場合によっては帝国1000年の歴史が潰える可能性もありますか?」
「長けりゃいいってものじゃないしね。そろそろ幕を閉じてもいいんじゃないの? なんだったら別な皇帝を用意するけど、どうかな?」
「陛下のお眼鏡に適うような者がいるのでしたら、それはそれで宜しいのでは?」
「「はっはっはっはっはっ!」」
『………………』
冗談めかしているが、話している相手が相手である。その場にいた全員が顔色をなくして……文字通り、葬式に参列しているような顔色で無言のまま顔を見合わせるのだった。
◆◇◆◇
「……まったく胃の痛くなるような話だったわ」
「「はあ」」
なにやら思い出して本気で胃の辺りを押さえて顔をしかめるクリスティ女史を前に、お互いに要領を得ない顔で相槌を打つ私たち。
「まあお陰で宮廷内の対立派閥も牽制するだけで、事実上下手な真似を打てなくなったわけだから、悪いことばかりってわけでもないけれど……どこまで台本通りだったことやら」
最後の方は口の中で呟いたので良く聞こえませんでしたけれど、クリスティ女史は真剣な目でルークを見据えて、しっかりと……生徒に教え込む教師の口調で言い含めます。
「おそらく今回の事で権力抗争は表向き鎮火の方向性を帯びるでしょう。場合によってはルーク様の縁談も白紙に戻る可能性もあります。一度、お屋敷に帰ってエイルマー様と今後の方針を話し合った方がよろしいかと存じますが」
「しかし、彼女のことは……」
心配げに私の背後に隠れたラナを見るルーク。
「はっきり申し上げますが、これはすでに当家内の問題です。ルーク様が口を挟むところではございません。それに、でん……ルーク様にはきちんと責任を負わなければいけない問題があるはずで、それをクリアできれば自然とこちらの問題にも関与できるかと」
束の間、逡巡していたルークですが、しぶしぶ納得しました。
「よろしい。ロイス、帰りの馬車の手配を」
「はっ」
さて、ロイスさんが呼んだ馬車が来てルークが帰るまで、
「新しい皇帝陛下が選定されるまでしばし、太祖帝様が暫時復帰されて代行を勤める」
「太祖帝様が現在、変わった草花を育てているので神帝様が見たがったら、太祖帝様が『ほんの雑草です』と答えた」
などという、関係ない雑談に花を咲かせて、意図的にラナの話題を避けていたクリスティ女史ですが、ルークが「また来ます」と未練たらたらに帰った後、威儀を正して私の顔を見据えました。
いよいよ本題でしょう。
「ふむ。先刻も気になったんだけど、ジル、あんた奴隷を持った経験は?」
「……ございません」
「ならいい機会だ。きっちりと“教育”することだね」
「どういう意味でしょうか?」
「その通りの意味さ、奴隷、いや『自由労働者』か。そいつらはその首輪をつけられた段階で『資産』となる、その資産を将来回収できるように教育しなってことさ」
あまりにも無体な言葉に、一瞬なにを言われたのか理解不能になりました。
「クリスティ様も、この子を『物』として扱うのですか?!」
「そうだよ」
「――っ。この子は人間です!」
「そして金貨7枚で買われたあんたのモノだね」
「………」
それは、そうしないとこの子を助けられなかったから……そう弁解しようとして、結局は言い訳にしかならないことを理解して、私は黙り込みました。
お金でラナを買ったのは事実です。
「あんたはその子を買った。その子が奴隷だといういう事実は消えない。よほど金を貯めて市民権を買わない限りはね。たとえこの場であんたが首の奴隷帯を壊したところでね」
密かに考えていたこと――ラナの首につけられている奴隷の証である魔道具を破壊して、自由にする考えを先に指摘されて、私は内心ギクリとしました。
「馬鹿なことは考えないことだよ。その首輪『奴隷帯』は奴隷を縛るのと同時に安全も保障する。飼い犬を盗んだり殺したりすれば罪だけれど、野良犬を殺しても誰も罪にはならないからね」
「ならば、この子が市民権を得られるように……」
「その為には相応の金額と、20歳以上の一級市民3人以上からの推薦状が必要だけれど。それと、あんたはまだ未成年だからね、あんたの財産は一応保護者であるあたしの裁量に任せられることになってるんだけれどね」
意味ありげに見られて、ラナがソファーの背中に隠れました。
「お金はなんとしても私が用意いたします。推薦状も」
「で、奴隷の身分から解放したら、それでハイサヨナラとするわけかい? それとも一生面倒見るつもり? どっちにしてもすいぶんと手前勝手な話だねえ」
どうにもこちらを追い詰めて面白がっている様子のクリスティ女史に、再反論しようとしたところで、小さく侍女のモニカが挙手をしました。
「……あの、よろしいでしょうか?」
「ん。なんだい?」
「わたしから提案と言うか、お嬢様とラナの関係を明確にする方法についてなのですが」
「ほう。遠慮は要らないから言ってみな」
「お嬢様は奴隷を扱うことには不慣れなご様子、そしてラナは自分の立場に無自覚な様子。ならばお嬢様付きの侍女見習いと言う立場にして、教育を施す形にしてはいかがでしょうか?」
意外な提案に、私たちの視線がモニカに集中します。
「申し訳ございません。差し出がましい口を挟みました」
「いや、なかなか興味深い話だな。どう思います、ロイス?」
「よろしいかと。お嬢様の専属をもう何名か雇う必要がありましたので、人手不足解消の為にはちょうど良いかと。さらに奴隷となれば給金も格安に済みますので」
微妙にせちがらいことを口に出すロイスさん。
男爵家も案外、家計は火の車なのかも知れませんね。
「なるほど。理にかなってるというわけかい」
満足げに頷いたクリスティ女史の視線が、私とラナに向き直ります。
「で、どうする? いまの条件であの子を傍に置いて働かせながら教育するってことだけど」
勿論、私としては一も二もなくこの提案に賛成しました。
「それじゃあ、その子はあんたの侍女見習いってことで、今後はビシビシしごくよ! モニカ、余計な仏心は出さないようにきちんと監督するんだよ!」
「わ、わかりました」
畏まるモニカに、私は一言お礼を言いました。
「ありがとう。モニカのおかげよ」
「そ、そんな、お嬢様」
「それとジル」
「はい?」
「自分から言い出したことだからね。その子の給金やら衣装やらはあんたが用意してやるんだよ」
「えっ!?」
思わず顔を硬直させる私を楽しげに見るクリスティ女史。
「まあ、寝泊りくらいはさせてやるけどね。あんたの奴隷なんだから、あんたが世話をしないとね」
そう言って快活に笑いながら、クリスティ女史は話は終わりとばかりに席を立ちました。
「ま、うちもなにかと物入りだからね、助かるよ」
ロイスさんを伴って部屋を出る際に、一言そう付け加えて手を振ります。
「……やっぱり、家計は苦しいのかしら」
残された応接室のソファーに座ったまま、先行きを思って私はため息をつきました。
『諧謔=冗談』ですけど、ヤツは本気ですw
1/5 誤字脱字訂正しました。
×さっさと退室させろうよ、巻き込むなよ→○さっさと退室させろよ、巻き込むなよ