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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第二章 令嬢ジュリア[12歳]
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少女の処遇と奴隷の現実

 ぶくぶくに太った身体の贅肉が重石(おもし)となって、私を寝台(ベッド)に繋ぎとめます。


 寝返りを打つこともできず、手を突いて起き上がることもできない。

 苦しくて呻いても誰も助けに来ない。

 重い重い重い……もがいてもどんどんと目方を増やしていく脂肪が、私自身を押し潰そうとしていく恐怖。


「嫌ーっ! 誰か助けて――っ!!」


 絶望の悲鳴をあげたところで、目が覚めました。


 見開いた瞳に映る、小窓から差し込む月明かりに照らされた薄暗い天井。飾り気のない壁紙。あまりに味気ないので、と言って侍女のモニカが置いていった『まっする・すらいむ君』という謎のヌイグルミと、それが置いてあるチェストと椅子……いずれも昨夜、私の寝室だと家令(スチュワード)のロイスさんに案内された部屋に間違いありません。


 ちなみにここはあくまで仮住まいで、ブラントミュラー本邸は別にあったそうですが、今後公務を行う職場を兼任するコンスルの屋敷がほぼ完成したことから、もともとの屋敷を整理して荷物と使用人とを先行させ、こちらには最低限の人数を取り揃え、将来的にはこちらは、帝都に戻った時にだけ使用する別宅扱いになるらしいです。


「……夢、ですか」


 ほっと息を吐いた私は、まずは現実のありがたさに感謝をして、再び目を閉じようとして……まるで先ほどの悪夢の続きのように、身体がピクリとも動かないことに気が付きました。


「ッ!」


 心臓が高鳴って、どっと全身に冷や汗が流れます。どんなホラーよりも恐ろしい恐怖の再現に、絶叫をあげたくなる気持ちを抑えて、私は深呼吸をしました。

 

 落ち着こう。まずはもう一度現実を確認しようか、私。


 深呼吸を繰り返して闇に慣れた目で、まずは左手、寝台(ベッド)の壁際を見てみる。

 私の左手を抱え込むようにして、女の子が私と一緒の毛布に包まれていました。


 痛々しい程やせ細っているために、ぎゅっと握られていても子供特有の柔らかさは皆無ですけれど、女の子特有の良い匂いがします。そして、私のすぐ目の下――胸に頬擦りする形で、こてんと乗せられた濃い金髪の頭の上から、狐のような耳が生えているのが、薄明かりの中でも確認できます。


 今日……というか、もう昨日でしょうね。成り行きで私が購入することになった、狐の獣人である奴隷の子『ラナ』です。

 昨日はあれから帰ってきてすぐに治療を施し、お風呂に入れて、食事を食べさせたのですが、私以外の人間をずいぶんと怖がっていて、片時も私から離れようとしなかったので、なんとか無理を通して、昨夜は一緒の寝台(ベッド)で横になったのですが、どうやら、いつの間にか抱き枕にされていたもようです。


「おーけー。了解。理解完了」


 さて、こちらは理解できました。問題はもう片方、ずっしりと重い……しかも、やたら鼻息荒い右手側を確認してみましょう。


 で、視線を下げると、普段は寝台(ベッド)の下で横になっている私の使い魔(ファミリア)で、天狼(シリウス)のフィーアがラナに対抗するかのように、寝台(ベッド)に半身を乗せて私の上に覆い被さっていました。


「………」


 仔狼だった頃ならともかく、現在は体長2メルトを超える巨体です。それが、私の右半身をがっちり押さえ込んでいるわけですから、悪夢も見るというものでしょう。


「――フィーア。ちょっと重いからどいてくれるかしら?」


 疲れからかぐっすり眠り込んでいるラナを起こさないように、押さえた声で注意をすると、片目を開けたフィーアが、『きこえなーい』という思念とともに狸寝入りを始めました。

 同じイヌ科として天狼のプライドはないの!――と思ったところで、ピンときました。


「もう…別にラナを優先して、フィーアのことを蔑ろにしているわけじゃないのよ。見ての通り、この子は弱って傷ついているんだから、元気になるまで傍に置いておくことが、この子を預かった私の責任だと思うのよ。わかってね、フィーア」


 声を潜めての私の懇願に、ちらりと薄目を開けてラナの顔を見るフィーア。


「……お姉ちゃん」

 ラナの呟き声に起こしちゃったかしら、と一瞬ひやりとしましたが、どうやら寝言だったようで、私の左胸に顔をうずめてスヤスヤ眠っています。


『………』

 なんとなくしぶしぶ納得したような意識とともに、フィーアが寝台(ベッド)から降りました。それにほっとする間もなく、顔だけベッドの上――と言うか、私の右胸に顎を乗せ、梃子でも動かないという顔で目を閉じました。


「あのね……」


 文句を言おうとしましたが、こればっかりは引かないという態度で、再びフィーアが狸寝入りを始めます。どうやらギリギリ妥協点がここらしいです。


 人の胸をなんだと思ってるのかしら、この二人は。というか、重さで型崩れしないかしら。とか、頭が痛くなりましたけれど、この場で大騒ぎするわけにもいかずに、密かに戦々恐々としつつ、私はため息をついて現状を受け入れることにしました。


(ま、「この子の面倒は私が見ます」って啖呵(たんか)を切った手前、自業自得と言われればそれまでだけれど)


 かなり不自然な体勢で寝台(ベッド)に横になりながら、私は目を閉じて今日の出来事を回想しながら、眠りにつくのでした。




 ◆◇◆◇




 ルークたちと奴隷の少女を抱えるようにして、ブラントミュラーの屋敷に戻った私が真っ先にしたことは、「裸にして師匠特製の霊薬(アムリタ)を全身に満遍なくつけるので」と人払いをした別室で、少女の怪我と病気とを治すことでした。


「“我は癒す、汝が傷痕を”」

 淡い金色の光が、少女の全身を淡く彩って広がります。

「“治癒(ヒール)”」

 少女の全身の傷や打ち身の痣がたちまち消えました。


「“大いなる息吹よ、此の病魔を打ち払え”」

 続いて温かな微風のようなものが、その全身を包み込み、少女は体の芯から温まるような、むず痒いような感覚に、戸惑った顔で身動ぎしました。

「“回復(キュア)”」

 病気や異常状態を治す魔術が、少女の皮膚に張り付いていた吹き出物や瘡蓋(かさぶた)を一掃します。


 傷ひとつない生まれたままの赤ん坊のような、剥き出しの自分の肌を見て、目を丸くした少女が、恐る恐るほとんど肉のついていない、棒のような腕に触りました。

 さらに立ち上がろうとして、体力がないためふらつくのを見て、私はとっておきの治癒術を唱えます。


「“大いなる癒しの手により命の炎を燃やし給え”」

 掌の間に眩しいほどの光の塊が生まれました。

 現在の私では一日に一度唱えるのがやっとで、なおかつ成功率が半々の、強力な回復能力を促進する術。

「“大快癒(リジェネレート)”」

 ごそっと体力と精神力を削られた感覚とともに、確実に発動した手応えを感じました。


 唖然とする少女の体が一瞬光って、血の気を失い血管の浮き出ていた皮膚に赤みが差してきて、体の動きにも一本筋が入った感じで、張りが出てきました。


「ふう……」


 これで最低限の体力は回復した筈です。後は食事と睡眠とを充分にとって、失われた体力を徐々に回復していく他ありません。

 とは言えどうにか最悪の事態を回避できたことに一安心したところへ、ノックの音とともにモニカが顔を出しました。


「お嬢様、お言いつけの通りお風呂の準備ができました」


「ああ、ありがとうモニカ。それじゃあ悪いんだけど、この子をお風呂に」

 と、要件を伝える前に、私の背中に隠れた女の子が、盛んに首を横に振っています。 

「……いいわ。私が一緒にお風呂に入れるから」


「お嬢様が奴隷とですか?!」

 眉をひそめるモニカの顔を見て、ビクッと身を震わせる女の子。


「ほらほら。そんな怖い顔をすると、この子が怖がるわよ」

「これは地顔です」

 憮然とするモニカに断りを入れて、私たちは揃ってお風呂場へと向かいました。


 ちなみに帝都のミドルクラス以上の家庭には、備え付けの温水魔道具があるのが普通です。

 病気と病原菌との関係はまだ解明されていませんが、経験則として入浴の習慣が健康に良いことはわかっているので、庶民も街の大衆浴場へ結構な頻度で通っています。




 ◆◇◆◇




 浴槽から湯桶ですくったお湯を、ザバッと目をきつく閉じた少女の頭から掛ける。

 石鹸は高級品なので、代わりに米糠を袋に詰めて作った代用石鹸で、ゴシゴシと洗う。これはレジーナと暮していた時に、ふと前世の知識を思い出して作ったものです。

 幸い西の開拓村では陸稲が作られていたので、糠は捨てられていたためタダで貰うことができました。


 あちらではお湯を焚くのも大変でしたので、代わりにこれを石鹸代わりに普及させたりしました。代用品とはいえレジーナも、

「ふん。貧乏臭いねえ」

 と憎まれ口を叩きつつ、結構使っていたのでそこそこ効果があったのでしょう。


 ふと、『闇の森(テネブラエ・ネムス)』での暮らしのことが思い出されて、「帰りたいなあ」という望郷の念が浮かびました。

 いつの間にか、あそこが私にとっての故郷になっていたようです。


 五回ほど桶のお湯を取り替えて、少女の首輪を付けている場所以外の隅々まで身体を磨いて、汚れが落ちたのを確認して、最後にもう一回頭からお湯をかけてあげました。


 タオルで頭を拭いてあげた後、自分の肌を磨いて、揃ってお湯に浸かります。

 浴槽はさほど広い物ではありませんが、幸い二人でも窮屈を感じない程度の広さはありました。


 お湯に浸かりながら、私は軽く女の子の身体をマッサージしながら、気になっていた事を尋ねました。

「そういえば、あなたのお名前はなんていうのかしら? 私はジルって言うんだけれど」

「……ラナ」

「ラナちゃんはどこから帝都にきたの?」

「北の山にあった村」

「へえ、なんて名前の国だったのかしら?」

「知らない……けど、お姉ちゃんは、『おーと』へ売られる…って言ってた」


 そのなにげない言葉になぜか私の胸がざわめきました。

 普通に考えれば『おーと』というのは、どこかの国の『王都』でしょうが、なぜか直感的に『皇都』ではないかと思えたのです。


 くすぐったそうに私のマッサージを受けて、身をよじっていたラナですが、考え込んだ私の雰囲気の変化を感じたのでしょうか、上目遣いに私の顔色を窺います。


「ああ、ごめんなさい。ちょっと聞き覚えがあったから。ねえ、それって『皇都シレント』って街のことじゃない?」


 私の問い掛けに、眉根を寄せて考え込んでいたラナですが、記憶に引っ掛かるものがあったのでしょう。「あ」と呟いて、嬉しそうに首を縦に振りました。


「そう、リビティウムの皇都にラナちゃんのお姉さんがいるのね」

 複雑な思いでその名を呟いた私は、湯船の中で軽くラナを抱き締めました。

「逢えるといいわね」

「うん。お姉ちゃん、いつか迎えにいくから、辛抱してがんばりなさいって言ってお別れしたの」


 寂しげに頷くラナの頭を撫でます。

「ラナちゃんのお姉さんは私に似ていたの? やっぱり狐の耳や尻尾が生えてるのかな?」


 そう聞くと、改めて私の顔をしみじみ凝視してから、ラナは力一杯首を横に振りました。

「ううん。お姉ちゃんは人間族。あと赤っぽい髪の色と、緑色の目の色は似てるけど…ちょっと違うし……顔はぜんぜん、お姉ちゃん普通だったし……なんで間違えたんだろう?」


「ふうん……?」

 姉が人間で妹が獣人ってあるのかな。複雑な家庭の子なのかな。と思って私は首を捻りました。

 そのせいで、お風呂に入る時に、うっかり普段の調子で認識阻害のペンダントを外したままだったことに、この時は気付かずにいたのでした。


 ちなみに後からライカに聞いた話ですが。人間と獣人族との子供の場合は、どちらかに種族が固定されるので、姉妹でも種族が違うのが普通だそうです。




 ◆◇◆◇




 お風呂上りのラナの身体をよく拭いて、さすがにあのボロキレのような服を着せるわけにはいかず、ブカブカでしたけれど、私の古いワンピースを着せました。

 そのまま不安そうな顔の彼女の手を引っ張って、応接室へと向かいます。


 応接室に入ると、出先から帰ってきたクリスティ女史が、難しい顔でソファーに座っていました。

 その対面にはルークが困ったような顔で座り、その背後にロイスさんとモニカが立っています。


 部屋に入ったところで全員の視線が集中して、ラナが軽く悲鳴を上げて私のスカートの後ろへ隠れました。


「……なるほど。その子が件の奴隷ですか」

「はい、クリスティお姉様、私が保護いたしました。ラナと申します」

「状況はモニカとルーク様から聞いて理解しました。まったく、つくづく騒ぎを起こさずには居られないようですね、貴女という娘は」


 嘆息混じりの感想に、私はその場で頭を下げました。


「申し訳ございません。すべてわたくしの責任です。ご迷惑はかけません、この子は私一人でも育てますので、どうぞお許しください」

「いえ、僕の責任でもあります! ジル一人の問題ではありません。僕も協力します。ですから、どうかジルのことを認めてください!」


 血相を変えて立ち上がったルークが、私の隣へ来ると同じように頭を下げました。

 そんな私たちの間に挟まれて、ラナがキョトンとした顔で、私とルークの顔を見比べます。


「別に非難しているわけではありません。ですから二人とも頭を上げなさい。……それに、なんだかこうしていると、子供を作って駆け落ちしたふしだらな娘を前に、弾劾しているようで気が落ち着きません」


 身振りで座るように指示しながら、コメカミの辺りを揉み解すクリスティ女史。


「「はあ」」

 冗談か本気かわからないコメントに、私とルークとは顔を見合わせながら、ソファーに座りました。

人間×獣人=ハーフではなく、どちらか一方が生まれます(どちらかと言えば人間の方が優性)。生まれた子供が人間の場合、そこから隔世遺伝で獣人が生まれることはありません。確定されます。

エルフはハーフエルフありです。


1/4 誤字修正しました。

×大衆欲情→○大衆浴場

(PCが悪いんや。)


脱字追加しました。

×子供を作って駆け落ちし娘→○子供を作って駆け落ちした娘

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