地上の決戦と援軍の出陣
2025年あけましておめでとうございます。
完結に向けて精進いたしますので、今年も『リビティウム皇国のブタクサ姫』をよろしくお願いいたします!
ジルとストラウスのまるで神話さながらの――いや、神話そのものである人知を超えた戦いは、いままさに佳境に入っていた。
さすがに全身全霊を駆使していたジル本人は知る由もなく、また与り知らぬところであったが、その様子は【真紅帝国】によって遅滞なく、大陸全土の蒼穹に巨大な映像として映し出され、また夢枕に等しく生き生きと描き出されることにより、大陸中の人族はもとより亜人族、そして知性ある生きとし生けるものたちが目の当たりにすることになった。
そうしてジルに近しい者たちが、力ある者たちが、志ある者たちが、間を置かずに各自示し合わせたかのように剣を取り、駒を進め、決戦の地である【闇の森】目掛けて集結しようとしていた。それはまるで雨の一滴一滴が集まり、清水となり小川となり、やがて大河と化すかの様な人々の……或いは歴史の流れそのものと言っても過言ではなかったであろう。
【グラウィオール帝国帝都コンワルリス】
「それでは我が帝国継嗣にしてルーカス・レオンハルトの援護と、帝国の至宝でもあるジュリア嬢の救出のため、グラウィオール帝国皇太子エイルマー・ルアンドリ・メルサリオの名において親征を行うことを宣言する。理由は十分、すでに超帝国と太祖女帝様からの許可も得ている。即応できる近衛騎士団を中心とした二十万人規模の派兵である。不満はないな?」
「「「「「「御意!」」」」」」
ルークの実父にして崩御された先帝陛下の継嗣たる皇太子エイルマーの宣言に、集まった帝国の高位貴族と軍閥貴族たちが、無言のまま一斉に姿勢を正して恭順を示した。
「まてまて! 俺の時は『越権行為』だとか『不法介入』とか、さんざん文句を言ったくせに、自分たちだけ美味しいところを持って行くつもりか!?」
そこへ割って入ったのは、整った顔立ちではあるが威風堂々たる王者の貫禄を示すエイルマーとは対照的に、軽薄さと中身の薄っぺらさが透けて見える従兄弟(と言っても年代的には息子に近いが)であり、先のリビティウム皇国への無断侵略に対する沙汰を待つため、帝都において軟禁状態にあった帝国領メンシス聖王国のメンシス女王の息子(養子ではあるがいずれにせよ血統的には従兄弟である)ファウスト・アレホ・セブリアンである。
「――ファウストか。貴殿に発言の許可は与えていない。というかなぜ帝国議会にいる? 謹慎中ではなかったのか?」
「こんな時に謹慎なんざしてられるか! つーか、戦争するなら実績のある俺を大将に据えるべきだろう」
「……失敗の実績を実績と言うならな」
ふっ、と冷笑を浮かべたエイルマーの歯に衣着せぬ言葉に、失笑がファウストへと向けて四方八方から放たれた。
「なっ……!」
「ああ、ついでなのでこの場で宣言しておく。ファウスト・アレホ・セブリアン。貴殿――貴様はメンシス聖王国女王の養子を解消。帝位継承権を剥奪と処分が決まったので、この場にふさわしくない。どこへなりとも行くがよい。……ああ、実父であるクリストバル伯爵も『すでに親子の縁は切ってある』ということで、面倒を見るつもりは一切ないとのことだ」
「ば、馬鹿な……そんな馬鹿な……お、俺は帝国の次の皇帝になる資格を持った男だぞ!!!」
「喚くな、お前の存在は遡って帝国系譜からも抹消してある。いまの貴様はもはや帝国民ですらない、何者でもない”ファウスト”という男というだけである。――衛兵、この場にふさわしくない者を連れて行け」
「や、やめろ。無礼者が――お、俺は俺はああああああああああ~~~~っ!!」
ジタバタと駄々っ子のように暴れるファウストを、訓練された近衛騎士たちが丁重に――骨を折らないギリギリの線を見極めて――数人がかりで関節を極めて運んで行く。
「時は来た! 帝国、否っ。人類の未来はこの一戦にあり!! グラウィオール帝国の旗の下、我らこの聖戦に全身全霊をかけるもの也!!!」
見苦しい脇役のことなどもはや一顧だにせず、エイルマーが改めてそう宣言すると、帝国議会が割れんばかりの歓声に包まれるのだった。
◇
【グラウィオール帝国ベーレンズ商会帝都支部】
「お嬢様、手配通り帝国軍の支援物資の手配と兵站隊の編成が完了いたしました。しかしよろしいのですか? さすがにこの規模の兵力を維持するための物資となると、我がベーレンズ商会ですら蓄えのほとんどと、使える船の大半を導入せざるを得ませんが?」
折り目正しい所作で腰を折りながら、糊のきいた燕尾服姿がもはや肌の一部と言っていいほど似合っている初老の執事長カーソンが、椅子に座って帳面を眺めながら、イライラと何杯目になるかわからない珈琲を飲んでいる小柄な十五歳ほどの令嬢――オデコの広さがまず目に飛び込んでくる、帝国子爵家陪臣貴族であるベーレンズ伯爵令嬢エステルに伺いを立てる。
「どっちにしろあのオッパイお化けが負けたら商売どころじゃないでしょう。だったらここで売れるだけの恩を売っておかなきゃ損じゃないの。それともお父様に止められているの?」
「いえいえ。旦那様は『商売も航路も潮目を見るのが何よりも肝要だ。なら、かの方々を良く知るエステルのやりたいようにやらせろ』とのことでございます」
ゆるゆると首を振るカーソン氏を、値踏みするような目で凝視していたエステルであったが、どうやら本気でベーレンズ商会の指揮権をフリーハンドで使えることが保証された……と、理解して幾分か肩の荷と強張っていた目元が軽くなった。
「さすがはお父様ね。見てなさい……ルゥ君は取られたけれど、このままやられっ放しで終わるあたしじゃないわよ! 土下座して感謝するくらいたっぷりと恩を売ってやるから、覚悟しなさい!! じゃなきゃ、オンナが廃るってもんよっ!」
高価な板ガラスがはまった窓越しに、天空に映し出されている神々しいまでに美しくも神秘的なジルの姿をジト目で睨みつけながら、椅子から立ち上がったエステルはそう小さな体をのけ反らせんばかりの勢いで啖呵を切る。
強がってはいるが、一歩間違えば破産や人死にが出る決断を最終的に担う精神的抑圧は並大抵のものではないだろう。
社員や部下の手を総動員しているとはいえ、蝶よ花よと甘やかされて育った孫にも等しいお嬢様の虚勢(或いは失恋のヤケクソで無敵モードと化していた際のやらかし)と、思いがけない責任感と成長を目の当たりにして、執事長カーソンは好々爺然とした微笑みを浮かべて、メイドに珈琲の代わりにココアを淹れてくるよう命ずるのだった。
◇
【グラウィオール帝国北部緩衝地帯】
集結した帝国の誇る『飛竜部隊』。それも最精鋭の第一、第二、第三部隊に加えて、潜在的敵国であるケンスルーナやユース公国との国境守備にあたっていたはずの特務部隊である、第五、第七、第八部隊という実戦部隊を加えた計六部隊八十頭の訓練された飛竜たちが、赤々と焚かれた焚火で体を温めつつ、来るべき戦いに備えて闘志を漲らせていた。
ちなみにこの周辺の草原はだだっ広い割に人の手があまり入っていないのは、一頭が小屋ほどのサイズがある《大猛猪》の群れによって占有されていたからであるが、狂暴極まりない魔獣もちょうどいい肩慣らし兼餌だとばかり、先行した『飛竜部隊』によってことごとく狩り尽くされ、山のように積まれた二百頭以上の死体は、飛竜たちの胃袋を満たす手頃な餌となったのだった。
「ふむ、皇帝陛下直轄の第一部隊が導入されたということは、予備役とはいえ籍を置くエイルマー殿下も参戦される……という話も、あながちデタラメではないか……?」
自慢の髭をしごきながら、帝国第三飛竜部隊が誇る勇者〈三獣士〉のひとり、《猫妖精》カラバ卿が頭の上で映し出される、ジルとストラウスの戦いの推移を眺めながらそう独り言ちる。
「いずれにしても我らが現地へ一番近いのは間違いない。エイルマー殿下、ここでお預けを喰らたまま、まんじりともせずに堪えろというのは、もはや不可能ですぞ」
そう続けて、遥か帝都にいるであろうエイルマー皇太子に語り掛けるカラバ卿。
彼にとっても剣の愛弟子であるルークは我が子のようなものであり、またジルの人柄や心身の美しさを間近で接して、彼女であればルーカス殿下に相応しい――そう諸手を挙げて祝福している相手である。ここで手をこまねいて時間を潰すなど論外であった。
「どうされました、カラバ様?」
そこへカラバ卿の侍従である同じ《猫妖精》の三毛猫アレクが、どことなく満ち足りた表情の愛竜『アスピル』と、予備に連れてきた若干線の細い若竜の手綱を、慣れた仕草で取って戻ってきた。
「いや、どうもカロリーナ様の杞憂が杞憂で終わりそうにない情勢であるな、と」
本来は皇太子妃カロリーナ殿下の護衛騎士を拝命しているカラバ卿とアレクがこの場に派遣されたのは、古巣の第三部隊から要請されたのと、万が一エイルマー皇太子が現地へ赴くなどという事態になった際に、その補佐をして欲しいというカロリーナ殿下の配慮があったからである。
「なるほど、さすがはカロリーナ殿下。それだけのっぴきならない事態を想定していたということですね」
深刻な表情で相槌を打つアレクに頷き返してから、カラバ卿はいつの間にか集まっていた刎頸の友である〈三獣士〉の残り二人。《犬精鬼》であるケレイブ・ランドン準男爵。《魚人族》アラパイマ・トト騎士爵に向き直った。
「諸君っ、ルーカス殿下と婚約者である〈巫女姫〉ジル様が命がけで戦っているいま、吾輩らが何をすべきか、言わずともわかっているな!」
自分の愛竜である『ウィグル』に手をやりながら、ケレイブ卿が笑って牙を剥く。
「無論である。我ら〈三獣士〉、たとえ神が相手であろうと。この身が砕けようともお二方をお守りする覚悟!!」
トト卿も愛竜『ガウロウ』を振り返って見てから、ポコポコと独特の喋り方で大きく頷いて見せた。
「〈飛竜〉たちにも特別製の強壮剤入り餌を与えた……かなり無理をさせるが、しばらくは寒気厳しい北部でも飛べる……戦えると言っている」
意気軒高な仲間たちの様子に、カラバ卿は満足げに自慢の髭をしごきながら頷く。
「うむ。出撃許可が出次第、我ら〈三獣士〉が先陣を切るのである。神の子だか旧神だかは知らぬが、帝国三獣士ここにあり、と目にもの見せてやろうぞ!」
気炎を上げ、サーベルを抜いて頭上に掲げるカラバ卿に合わせて、ケレイブ卿とトト卿も自らのサーベルを抜いて、これに交差させる。
と、数歩離れた場所でこれを眩し気に見ていたアレクに向かって、カラバ卿が自然な調子で声をかけた。
「何をしている、アレク! 今回はお前も飛竜部隊の一員として戦場へ出てもらうぞ。であるなら、この結束の誓いにも参加する資格があるのである!」
「えっ……!?!」
唐突なその言葉に、猫だましを喰らった猫のように目を真ん丸に見開くアレク。
「で、ですが、私は……」
飛竜部隊は女人禁制。それでも飛竜に、そして〈三獣士〉に憧れていたからこそ男装をして、少しでも携われる仕事を手伝いたいと。
そんな動機で『アレク』と名乗って、従騎士としてカラバ卿の傍に仕えていた『アレクシア』は、思いがけなく念願がかなったことに戸惑いと後ろめたさを覚えて、思わず二の足を踏んだが。
「いまこそ危急存亡の刻。ならば、たとえ猫の手でも女子供であろうとも、戦える力を持った者はすべからく戦士である。そしてアレク、お前は吾輩が知る限り誰よりも立派な飛竜を駆れる戦士である!」
「うむ。アレク、お前なら大丈夫だ。だが無理はするなよ。初陣で気負い過ぎて、落ちて行った新人騎士は山ほどいる。まずは生き延びることを第一に考えよ」
「飛竜……心通わせられる。それこそ飛竜騎士。仲間……」
躊躇する彼女の心中を見透かしたかのように、〈三獣士〉が叱咤・激励・鼓舞を放ってくれた。
その言葉にいつの間にか地面に拘束されていたかのように動かなかったアレクの足が、自然と前に進み、同時に約束されていたかのように自分のサーベルを抜いたアレクは、軽く背伸びをして〈三獣士〉が交差させたままの剣の輪に自分の剣先を合わせるのだった。
ぶるりと背筋を震わせるアレク。
これが女性初の飛竜騎士にして、数々の手柄により後の世に女伯爵の称号を賜ったアレクシアの初陣であった。
これに呼応するかのように、大陸各地で蜂起の声が上がり、たちまち燎原の火のように大陸中に燃え広がることになる。
◇
それはそれとして、ジルたちの足下でもまた別の戦いが繰り広げられていた。
「ドリル=ドライバー=スクリュー=スピン=アクセル=ナックル・パーンチ! おら、死ねやっ!!!」
愛用のモーニングスターを握ったまま、上腕部を高速回転させつつコッペリアが、向かってくる相手に自分から躊躇なく向かって行って、体格差など無視して手当たり次第に殴りつける。
一般的に物理的なパンチ力は、『パンチ力 = 1/2 × 体重 × パンチの速さ² × 威力が残る割合』で算出される。
この「威力が残る割合」というのは、パンチの硬さや衝撃の伝わり方を表す。要するに硬くて頑丈なほど高いというわけで、体重はそこそこながらスピードと硬さで優るコッペリアのグルグル回転パンチは、岩のような肌をした亜竜やエルダー・トレントをも、難なく貫通して無双を誇るのだった。
「長ったらしい上にくどい技であるな」
愛用の魔具であるドラゴンの頚ですら一薙ぎで刈れそうな、漆黒の巨大な鎌を棒きれのように振り回しながら、現状この面子の中で最高戦力であろう《吸血鬼の真祖》たるヘル公女が、五メルトはあるバシリスクを両断しながら、のほほーんとした口調で合いの手を入れる。
どうでもいい相手はとことん眼中にない――事実、崇拝する《龍王》の成れの果てを前にして、なおも信仰を貫くか〈聖女〉であるジルの信念に殉じるべきか、頭を抱えて完全に機能不全に陥った竜人族の二人は、彼女の中ではもはやいてもいなくても構わない、落ち葉も同然である――ヘル公女にとって最大の誉め言葉であった。
と、完全に戦意を失くしたかのように、膝を落として項垂れている〈不死の戦士〉たちを無造作に薙ぎ払い、乱雑に蹴り飛ばしながら、多数の鉄の輪を連結して作られた鎖かたびらに、特徴的な鉄製で円錐形のキャップを装備した、洞矮族もかくやという髭面の巨漢たちが、三人がかりでヘル公女目掛けて、一切の躊躇なく颶風のように武器をふるう。
『百人殺しと言われる北の剣豪インマヌエル』、『ユホ将軍』、『竜殺しラウノ』と呼ばれたいずれも一騎当千の剛の者たちが、左手に持った丸い盾を慣れた呼吸で互いに連結させ、堅固な障壁を作り出す「盾の壁」戦術をとりながら、密集隊のように強引に遮蔽物を粉砕しつつヘル公女へ肉薄した。
「殺っ!」
「どりゃあああああっ!!」
「獲ったーっ!」
攻撃圏内に入った瞬間、北の剣豪インマヌエルがヴァイキング・ソードと呼ばれる、大きな刃と長さを持った片刃の剣を神速で繰り出し、同時に”デーン斧”という上部と下部に尖った「角」が装備されている、北方の戦士や海賊が使うことで有名な幅広の斧が、ユホ将軍と竜殺しラウノの見事な連携で優美な曲線を描く。
たとえヒュドラ並みの再生力を持つ不死身の〈土楼悪鬼〉であろうとも、骨まで断ち切る合わせ技であった――はずであるが、次の瞬間、まるでコントのように同時に何かにつまづいたかのように、足を取られて前のめりに倒れる三人。
「「「どわ~~~っ!?!」」」
「足元がお留守ですにゃ」
茶目っ気を出して連中の足元に極細の糸を一本張っていたシャトンが、魔獣の相手をしながら左右色違いの目を細めた。
「未熟であるのぉ」
と、一言告げて、まるで野菜でも収穫するように大鎌を振るうヘル公女。
併せて三つの首があっさりと地面に転がった。
その後方ではいつでも公女のフォローができる(もしくは身代わりになれる)位置で、従者である〈人形遣い〉イレアナが、自らの手首に噛みついて流れた血潮を染み込ませた土から、即席の《泥人形》を創り出して、比較的小型の魔物(要するに雑魚)の相手をし、同時にシャトンもより上位の《豚鬼将軍》や《上級豚鬼》を召喚して、向かい来る津波のような魔物たちにガップリ四つの対戦をしている。
「うにゃ~~っ! 赤字もいいところですにゃ!! つーか、さすがに媒体も心細くなってきましたにゃ。残りはとっておきの魔石が一個ですから、これを使いきったら次はないですにゃ!」
シャトンも泣き言を吐きつつ、豚鬼の指揮と同時に如才なく影魔術と操糸術とで、的確に陽動――というか嫌がらせ――に余念がない。
【闇の森】の浄化に伴って、生息環境が変化したせいで追い詰められている(まだ瘴気や魔素が濃い場所もあるが、そうしたところはより強力なSランク以上の魔物が縄張りとしているため)A~Cランクに区分される魔物たちや、数万に及ぶ〈不死の戦士〉たちの中でも中枢から外れ、血の気が多く、理性に乏しい者たちが十重二十重になって、散発的に襲いかかって来るのを、地上にいる全員で迎え撃っている状況であった。




