聖女の選択と神の子の惑い
2024年8月18日。本日は書籍デビュー10年目の記念日です!
ということで超久々の更新となりました。
鞭というと某冒険する歴史学者が使う、長く柔軟な一本鞭を想像する者も多いかと思うが、フィクションではなく実際に武器として使われた歴史から言えば、中国で使われた警棒状の縄無し棒――いわゆる鞭を指す場合が多い。
特に鉄製の鞭は鉄鞭とも呼ばれ、鉄棒状の”硬鞭”と呼ばれるのに対して、威力を増すために節によって柔軟性を与えられたものを”多節鞭”と呼ぶ。
この”多節鞭”は単なる鉄の棒以上に強力で、罪人に対する刑罰として使われた場合、所定の回数に届かない内に死亡するケースも普通にあったとう。
そんな”多節鞭”を右手に、数メルトはある一本鞭を左手に構えて、縦横無尽に揮うアチャコ――侍女頭である『ゾエ』の変装から正体を現した姿の為、似合うような似合わないような微妙なメイド服をまとった姿である――を前にして、短剣片手にチクチクとやり合っていたシャトンの親方である黒髪細目の商人が、軽く舌打ちをしてボヤいた。
「普通、エルフって言えば精霊魔法とレイピアか弓と、相場が決まってるんじゃないんですか? いやまあ、キャラ的に鞭が似合ってるっちゃ似合ってますけど――怖いくらいに――しかし、せっかく対抗手段を揃えてきたのに無用の長物になってしもうたわ」
ピシッ! と空気が圧縮され破裂する手拍子のような音が、ひょいと柱の影から覗かせた顔の脇をギリギリ掠めていく。
「ちっ。もう少しで、貴様のいけ好かない、その胡散臭い顔を柘榴のように粉砕して、ハイヒールの底でぐちゃぐちゃに踏み潰せると思ったものをっ!」
心底落胆した口調で歯噛みするアチャコ。
「……いやまったくだわ。この糸目が油虫みたいに、ブチィと潰れたら、それはそれでスッキリするでしょうねー」
ほぼ広間の反対側で、魔術の多重詠唱を行いながら紫色の髪に魔女のようなとんがり帽子をかぶった、一見すると十代に見える魔女――リビティウム皇立学園理事長である〈超越者〉皐月・五郎八が、しみじみとアチャコの悪態に同意する。
その彼女と対峙する形で、女王のような黒いドレスとティアラを被ったシルティアーナ(偽)と、その背後に庇われているのか人質に取られているのか立ち位置が微妙、で本人も承知しているのか、どっちつかずな複雑な表情を浮かべたお仕着せのドレス姿のキツネ耳少女――ジルの侍女にして、偽シルティアーナこと『ルナ』の実妹であるラナが、オロオロと姉と他の皆とを見比べていた。
ここはリビティウム皇国最北端に近い雪と氷の街【ハンキ】。
南部ではまだ秋の始まりだが、この厳冬の地ではすでに雪が積もり、本格的な冬将軍の到来が迫っている。
本来はこの地を納める王――と言うよりも部族長に近い代々の藩主の城だったここを、あっという間に占拠して、現在は“龍神教団”の仮の本拠地としていたのだが、誰にも知られていなかったはずのこの場所の守護……〈不死の戦士〉たちの大部分が、〈虚飾なる七光の王子たち〉に率いられ、ほぼ空になったその間隙を縫って、いきなり本拠地に襲撃をかけてきたのがこのふたりの〈超越者〉たちであった。
「はっはっはっ。ちょっと激し過ぎる愛の告白ですなぁ。おまけにふたり揃ってとは、モテる男はつらいですわ」
能天気に笑う商人の左手から、視認できないほど超極細の”糸”(それでいながら鉄塊を持ち上げ、縛り付けて亜竜の動きを止め、さらには軽く人の胴体を骨ごと切断する鋭さを持った武器の一種である)が飛ぶが、アチャコへ到達する前に一本鞭によって迎撃される。
「さすがにお互いに『鑑定』持ち。おまけに基本的な戦闘スタイルが同じなので、なかなか決め手に欠けますなぁ。つーか自分は補助役が似合ってるので、緋雪さんからぽっくの旦那が矢面に立ってくれれば楽だったんですけど、こりゃ削り合いを覚悟せなあきまへんか、あんじょう疲れますなぁ~」
げんなりしながら愚痴をこぼす商人。
「さすがに〈神帝〉陛下と〈大教皇〉聖下を、うかつに動乱の最中のリビティウムへ連れてきて野放しにするわけにはいかないでしょう。特に緋雪さんとか、花火倉庫で爆竹鳴らすも同然で、何が引き起こされるか想像もつかないし!」
それを聞いて『いまさらグダグダ言ってるじゃない!』とばかりに発破をかけるメイ理事長。
(つーか、ジルちゃんたち『神』クラスの能力者が、正面切って激突している影響で、世界全体に影響が出ないように、《円卓の魔将》ともども各地でバランス調整してるんだけど)
そう内心で続けながらも、おくびにも出さずに平静な顔で複合魔術を展開する彼女。
とは言え、事実さほど余裕はないのも確かであった。
魔術に対しては接近戦とばかり、シルティアーナ(偽)の護衛であろう。かつて(太っていた)彼女が纏っていた動甲冑によく似た戦闘用のソレを着込んで、さらには巨大な馬上槍と円形盾を装備した戦士たちが、まるで一個の群体生物のように、一糸乱れず的確にメイ理事長が放つ攻撃魔術を防ぎ、時にはいなしながらじりじりと距離を詰めてくる。
「――ちっ。ファランクスなんて時代遅れの陣形を」
魔術に耐性のある金属(おおかた聖銀で金属板の表面を覆ったものだろう)で防御を固められた動甲冑を前にして、メイ理事長は即座に魔術の種類を変えて仕掛けるが、いずれも決定打にはならない。
「城ごと焼き尽くすような高火力の魔術だったら一発なんだろうけど……」
独り言ちつつ、視線を護衛たちの背後に佇むシルティアーナ(偽)とラナへ巡らせる。
「仮にも教え子と見知った子を巻き込むわけにはいかないところが、教育者の辛いところね」
敵を相手に手加減しなければならない状況に、思わず大きなため息を漏らすメイ理事長に対して、
「はははははは! しがらみが多いと大変そうだな、五郎八もらぽっくも、緋雪にしても!」
アチャコが嘲笑う。
「ま、実際その通りではあるのよね」
そんな煽り文句に、メイ理事長はしみじみと頷くのだった。
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通常の樹木よりもはるかに丈夫で、ナマクラな斧や鉈なら枝や幹に傷つけることはおろか、逆に刃が欠けたりへし折れることもままある【闇の森】の頑丈極まりない巨木たち。
その森の一部が私たちの激突でなぎ倒され、ぽっかりとエアポケットのように空白地帯になっていました。
そしてそこに集結しているのが、“龍神教団”の信徒を自称する〈虚飾なる七光の王子たち〉と、北方蛮族そのままな〈不死の戦士〉たちの集団でしたが、その大多数はがっくりと両膝を大地に付けて、項垂れています。
生ける死者でありながら自由意思を持っていることの弊害が、ここで良くも悪くも作用した……と言ったところでしょう。
いま浄化呪文を展開すれば、さほどの〈業〉を持たずに来世へ転生することも可能でしょうが、残念ながら……心苦しくも、さすがに『真・天輪落とし』を発動したまま、目測で数万人を浄化させるような大規模な術を展開させるのは、現時点ではさすがに不可能です。
フィーアとの〈従魔合身〉によって、一気にすべてのステータスが天学的に引き上げられた私ですから、やったらできるかも知れませんが、失敗したら『真・天輪落とし』が暴走して、下手をしたら世界の破滅です。
イチかバチか試すにはあまりにもベッドする掛け金が大きすぎます。ならばこそ、ここは目の前にいる、かつての創造神である邪神の神子――と融合しているらしいストラウスに全能力をぶつけるべきでしょう。
『ウルオオオオオオオオオオオオオーーーンッ!!!』
ストラウスの魔力の高ぶりに応じて、数キルメルトはある蛇体のドラゴン《大空真龍王》とやらが、耳をつんざくような咆哮を放ちながら『真・天輪落とし』と拮抗するのでした。
とはいえ、同じ神のステージに立った私たちですが、こうして相対して感じた手ごたえ(あくまで私の感覚ですが)としては、正面切っての能力では、今の私の方がやや押しているようで、半ば悲痛な悲鳴混じりに聞こえます。
ただいくら下駄を履かせてもらっても、あくまでベースが人間であり、神の天敵にして無限の魔力を持つ〈神滅狼〉の力を、この身で十全に使いこなせるかと問われれば、不可能……というか身体が負荷に耐えられないでしょう。
いまの状態で全力を出せるのも数分か数十分か……。
いずれにしても短期決戦で勝負をかけるしかないので、早く、早く敵の限界値を越えるまで削り切って欲しい。というのが私の切なる願いでした。
で、おそらくはセラヴィならそのあたりすでに見当をつけていると思われます。
その証拠に余裕の表情を崩さずに、
「傾聴せよ! 畏れ多くも神――《神帝》を自認する簒奪者にあらず――かつてこの世界を創り上げた真なる創造神である我が父神が、世界創造の際に使役し数多の《始祖神龍》。これなるは、それに匹敵する《大空真龍王》なるぞ!! いかに足掻こうと、人知が及ぶものでないと知るが良いっ!」
『真・天輪落とし』を前にして、《大空真龍王》を前面に押し立て、空中を足場にして浮かんだまま朗々とうたい上げるが如く、口上を諳んじるストラウス。
一瞬、その御託に飲まれそうになりながらも――。
『《始祖神龍》? ああ、「混沌を収め空や海、大地を創り出した神獣」なんて聖典の類いでは謳われてるけど、よーするに惑星規模での環境調整に特化した使い捨ての道具みたいなもんで、生物に擬態したエネルギー体だね。亜光速移動ができるので、いまは他の惑星のテラフォーミング……まあ数万年とか億年レベルの作業のために全部外惑星へ放出しているけど。――え、他の有人惑星? あるけど今の君には関係ないので、目の前の現実に対応することを優先したほうがいいさ』
かつて緋雪お姉様から聞いた《始祖神龍》についての実態を脳裏で反芻して、どうにかその場に踏みとどまり、さらに追加の魔力と細心のコントロールでもって、私の最大最強の決め技『真・天輪落とし』を信じて、《大空真龍王》を容赦なく撃ち込みました。
「何が《大空真龍王》ですか! そんなニコイチどころかスカスカなデッドコピーの張りぼてなんて! 量子のひとかけらすら残さず消し飛ばしてみせますわ!!」
ストラウスの叫びと、私の気合が空中の中間点で激突し、併せて正面切って激突した凝縮された恒星の如き光の球――『真・天輪落とし』と、目視で尻尾の果てが見えないほど長い巨体がうねり、空中を飛びながら巨大な顎を開いて、真正面から迎え撃つ形の《大空真龍王》マイトガイ・キングとが、天と地を引き裂いてまさに神話における闘争さながらにぶつかり合います。
《大空真龍王》が苦し紛れに放った、暗黒色のドラゴンブレス――掠めただけでも大陸がえぐれて、あらゆる物質が虚無に返る必殺必滅な攻撃――をものともせず、直撃を受けてもどこ吹く風で『真・天輪落とし』は小動もしないまま、底なしの穴のようにエネルギーを吸収しつつ、ほどなく真正面から《大空真龍王》へと直撃を果たしました。
一瞬だけ姿勢を崩した《大空真龍王》ですが、怒りの咆哮とともに根性でその場に留まり、逆に『真・天輪落とし』を圧し潰そうと、十重二十重に長い蛇体でトグロを巻いて全身から魔力を放ちます。
「猪口才な」
「くっ。なんて戦いだ!」
真龍の背中に騎乗しながら、余剰エネルギーの余波だけで翻弄されるルークを、ストラウスが、ふと気が付いたという熱のない表情で一瞥しました。
「なんだ、まだこんなところにいたのか羽虫の分際で」
それからゆるゆると演劇のように肩をすくめて首を横に振ります。
「もはや貴様如きは眼中にもない。死にたくなければさっさとこの場から退散することだ」
その言葉通り、路傍の石を見る様な視線を前にして、ルークは屈辱に唇を嚙むことも、激昂することも、消沈することもなく、ただ嬉しそうにストラウスの瞳を見返しました。
「へえ……その羽虫を心配してくれるなんて、まだセラヴィ君としての意識は残っているみたいだね」
ホッと安堵の声を放ったルークに対して、今度こそストラウスは冷徹な怒りの発露を見せます。
「この期に及んで人の心配か。まったくもって、お綺麗過ぎて反吐が出る。そもそもなぜセラヴィがストラウスの欠けたピースとして、アチャコに選ばれたと思う?」
ストラウスではなく、明らかにセラヴィとしての自意識を前面に立てて、そう問いかけながら軽く片手をルークに向けたストラウスから、半分お遊びである魔力弾が散弾のように雨あられと放たれます。
それを必死に捌くルークとゼストを眺めながら、ストラウスは忌々し気に一言添えるのでした。
「――劣等感だよ」
「くっ……そんなもの、僕だって――」
聖剣でどうにか弾きつつも、余波だけでも姿勢を崩したゼストごと大きく後退するルーク。
「比べ物にならないのだよ。貴様には想像もつかん」
淡々と応じながらも、その言葉には血を吐くような思いが込められているように、私には聞こえました。
途中までは難産でしたけど、だんだんと調子がつかめてきたので、ちょこちょこ再開できそうな気がします。
11/26 大幅に修正しました。




