母の願いとジルの本気
2024年あけましておめでとうございます。
ブタクサ姫。今年もよろしくお願いいたします。
バルトロメイが語る真言に、私は心が洗われる思いで感慨深く深く頷きを返し、魔術と武術――いずれも攻守ともにいかようにも対応できる自然体――の構えを取りながら、改めてその場に佇み飄然たる態度を崩さない黒騎士に問いかけました。
「徹頭徹尾、私を動揺させるつもりのようですけれど……あなたの言葉は薄っぺらくて軽い。所詮は小細工と舌先三寸ですわね。それに先ほども言った通り、いまさら私に過去の恨みつらみはございません」
というか誰が悪いかと言われれば、最終的には正妻がいるのに他に三人も側室を娶った父親に問題があるとしか思えませんわ。
せめて毅然と序列を定められるとか、獣人族の部族にあるハーレムのように女性全員を平等だと明示してくれれば、ある程度秩序だって問題がなかったはずです。
「暗殺の件は……罪は罪として償うべきだとは思いますけれど、結果から逆算するような話で不謹慎ですけれど、個人的には奥方同士の嫉妬がドロドロの万魔殿から解放され、籠の鳥のままでは絶対に得られなかったありのままの世界と、想像すらしたこともなかった人の素晴らしさを知ることができました。その転機を得たことについては感謝していますの」
「特にワタシというパーフェクトメイドとの出会いは最大の成果ですね」
すかさず尻馬に乗って軽口を叩くコッペリア。
「な~に言ってんだか。どう考えても過剰評価じゃない。ジル様に比べたら、あたしたちとかコッペリアとか、特に不出来の代表格でしょうがっ。現実がこんなんで申し訳ないと思わないわけ――はあぁ、本当にもう……」
それで精彩を取り戻したらしいエレンがコッペリアを窘めつつ、深々とため息をつきました。
「いいえ、現実は。思い描いていたよりもずっとずっと素敵で、優しく煌めいていましたわ。――ありがとうございます、エレン、コッペリア……あなた方は私にとって天使のような存在ですわ」
「はぁ――いやいや、天使ってジル様ならともかくあたしなんて……!」
一瞬の遅滞なく頷いた私の同意に、軽口を叩いたコッペリアが珍しく面食らった表情になって、パチパチと目を瞬かせました。
ルーク、エレン、ブルーノ、コッペリア
村長一家や雑貨屋の女将さん、チャドやアンディをはじめとした西の開拓村の皆さん
バルトロメイ、シャトン
モニカ、ラナ、エミリア
ロイスさん
エステル
カラバ卿と三獣士(その騎竜である飛竜たち)
ジェシー、エレノア、ライカ
天空の雪様、雨の空、銀の星といった妖精族の皆さん
リーゼロッテ、ヴィオラ
唯一オーランシュ家で妹と呼べるエウフェーミア・ルチア・オーランシュ
メイ・イローハ理事長
ヘル公女とイレアナさんといった吸血鬼の皆さん
湖上の月光様、新月の霧雨という黒妖精族の方々
スヴィーオル王たち洞矮族
メレアグロス、テオドシアといった竜人族
そして初代聖女にして、〈神帝〉緋雪お姉さまと超帝国のゆかいな仲間たち
セラヴィだって、いまだに大事な友人だと思っていますわよ……まあ当人は不本意かも知れませんが。
「闇の中で自分が迷子になっていることすら知らなかった孤独なシルティアーナ。それを自覚して途方に暮れていたジル。ですが闇の中で優しく温かな光で支えてくれた皆がいるから頑張れた。皆が笑ってくれるからどんな辛いことも乗り越えていけた。ここにいる皆はひとりでは何もできない私にとって、何よりも代えがたい天使で家族ですわ」
途端にこの場にいた全員が面はゆそうな……それでいて満面の笑みを浮かべるのでした。
「あ、ああ、そうか……」
自分の無力さに歯噛みをしていたブルーノが、蒙が啓いた――もしくは卒然と道理に気付いた表情で呟きます。
「うん? 何よブルーノ?」
眉をひそめて問い返すエレン。
「俺はずっとジルは何でもできて、その上何があっても笑って許してくれる、無限の優しさと心の綺麗さを持った、俺なんかとはぜんぜん違う完璧な……本当の聖女様だと思っていたんだ」
「…………」
「けど違ったんだ。ただ家族が欲しい、孤独になるのが寂しいからみんなと一緒にいたいって、たったそんな小さな願いがすべてだったんだ」
「……そうね。あたしたちと何も変わらない、ただの女の子よ。ジル様は」
無意識のうちにエレンとブルーノは手を握り合わせて、そう言葉を重ねて頷きました。
一方私は気分を一新して、『収納空間』から洞矮族王たるスヴィーオル王自らが鎚を振るって鍛え上げた一振りの業物を取り出しました。
そして、改めて右手に長剣、左手に魔術杖という戦闘スタイルに戻します。
ちなみに長剣はシンプルな見た目の一メルト弱の両刃の片手剣ですが、洞矮族秘伝の複合金属製を用い、それをスヴィーオル王が半月以上かけて鍛え上げたという、無銘ではありますがどう考えても国宝級の代物といったところでしょう。
出所由来を考えれば王侯貴族であろうと、あだやおろそかにできない伝家の宝刀ですけれど――。
『言っておくが、一本の剣で岩を断ち切り、カミソリのような切れ味を併せ持ち、なおかつ“折れず・曲がらず”なんぞというお伽噺に出てくる神器みたいなもんはさすがに造れんからな。コイツはとにかく粘りがあって曲がらず、とことん実戦向けに打ったものだ。まあ道具なんぞ使ってなんぼだからな、遠慮せずに使い潰してくれて構わん』
スヴィーオル王本人は、そう言って豪快に笑っていましたので、この際出し惜しみなしで投入しました。
「さて過去のことは済んだこと。問題は現在ですわね。ではを改めて確認いたします。そもそもレグルスの姿で父を名乗る黒騎士はどなたですか?」
剣先を向けて静かにそう尋ねると、
「――おおっ、何と言うことだ! 確かに容れ物は変わったが、この魂魄は間違いなくお前の実の父親コルラード・シモン・オーランシュに相違ないというのに、我が最愛の娘はそれを認めようとしないとは! なんたる悲劇っ!!」
わざとらしく胸元に手を当てて嘆き悲しむ猿芝居をする黒騎士。
「……“魂魄はシモン卿のものである”ということは、レグルス本来の意識や魂はどうなったのですか?」
再度の私の問いかけに、茶番劇を切り上げた黒騎士は軽い口調で肩を竦めて言い放ちました。
「無論潰滅した。当然だろう? ひとつの体に複数の意識があっては齟齬をきたす。そのためにより強靭な意識が優先される――とはいえ、さすがは当代の〈魔王〉の一柱だけのことはある、随分とてこずらせてくれた。実際、アチャコ殿の助力とこやつを手元に置いて三十年間、亡きクララの置き土産である精神浸食術を地道に施してようやくだからな。まったく大した奴隷だよ、こやつは」
ちょっとした苦労話か料理のコツを語る程度のノリで、レグルスの肉体を乗っ取った経緯を暴露します。
魔族でなおかつ元奴隷であるレグルスは、所詮は王侯貴族であるシモン卿やイライザさんにとっては体のいい道具であり奴隷でしかない。そう言外に語る黒騎士の独白に、私はどうにもならない憤りと哀愁を込めて声高らかに非難の叫びを放っていました。
「――っっっ!!! 三十年間……ずっとレグルスを利用するつもりで魂魄を侵食していたということですか!? 母――イライザさんも承知の上で?!」
「いやいや、おそらくクララは知らんよ。年々能力が衰えるのに危機感を覚え――金儲けに腐心していた聖女教団の連中は、骨の髄までクララを利用しようとしていたので、水面下で私に接触を図り自分の延命を模索していたクララの思惑など考えたこともなかったであろうからな。いきなり結婚を打診し、クララが一も二もなく了承した瞬間の教会関係者の狼狽ぶりは見ものであったわ。まあ、クララももともと『巫女姫』という役割を重荷に思っていた節があったので、私との結婚も愛だの恋だのでなく打算であったのは想像に難くないところであるが」
自嘲するかのように口元に苦笑いを浮かべる黒騎士。
「『ベストではないけれどベターではある』というのが先代クララの口癖でしたけどね」
私の知らない当時のふたりを知るコッペリアが、軽く肩を竦めてフォローしたのか追撃を加えたのか微妙な一言を付け加えました。
「ベターね。まあ確かに『リビティウム皇国辺境伯兼オーランシュ国王の側室』などという身分と肩書など、彼女にとっては枝葉末節だったのだろうね。要は教団の干渉がない環境が欲しかっただけで、基本的に彼女が私に求めたのは寵愛ではなく庇護……いや、共犯者が欲しかったのかな?」
私に尋ねられても知るわけがありませんわ。
「――いえ、愛かはわかりませんけれど普通に情はあったのではありませんか?」
そうでなければ子供を身籠らないと思うのですけれど? なんでしょうこの自己評価の低さは? 私もよく言われますけれど、もしかして父方の血筋なのでは……?
とはいえ話は分かりますが、妃同士のやっかみや誹謗中傷などその余波で実の娘がボロクソに言われて、思いっきり不遇をかこっていたことを思えば、無責任と言うほかありませんわ。
「……それは目から鱗が落ちる着眼だな。まあ当時の私はあくまで“共犯者”として、時たまクララと密かに遠出をしていたものだよ。――例えばロスマリー湖の湖底にあった錬金術工房とか」
「「「あ~~~~~~」」」
覚えのあるコッペリアと私とエレンの声が唱和します。
「だがどうしても自身の延命は不可能――どころか子供を産めば残り少ない生命力を消耗し、数年以内に儚くなる。そうと知ってなおかつ子を望んだ――彼女の意志……いや、今となっては“遺志”と呼ぶべきかな。それを私はコレだと思った」
そう言いながら襟元に手を入れる黒騎士の動きに、一瞬だけ反応しかけた私ですが、なおも打ち込む隙を見いだせずに躊躇したところで、予想外の――見慣れた代物が現れました。
「それは! 『喪神の負の遺産』内部で失くしたはずの形見のペンダント……!」
私が常に身に着けていた、そして『喪神の負の遺産』内部で失くして無に還元されたかと諦めていた実母の唯一の形見だというペンダントでした。
「アチャコ殿が回収していたというので返してもらった。もともと私がクララに贈ったものであるからな」
言いつつ首から外して手にぶら下げてペンダントを誇示する黒騎士。
懐かしむようにペンダントを振り子のように揺らしながら、黒騎士は続けるのでした。
「普段は贅沢を……まあ、延命の研究費は膨大であったが、その他の私物に関しては慎ましやかだったクララが是非にと望んだ品だ。なんでも人間の魂魄を封じて他者に憑依する媒体としては、これくらいの代物がなければ駄目だとか。一見高価な宝飾品だが、実際のところは非常に繊細で極小の魔法陣だとか」
(つまり延命を諦めて他者に憑依するという方法を選んだわけか。だが彼女が妥協できるレベルの人材がそうそういるとは思えないが……?)
当初はそう思っていたお父様ですが、思いがけずにその後彼女は懐妊をして、そして生まれたのは母親と生き写し――否、それをも超える光り輝くような愛らしい娘(そのあたりは親の欲目でしょう)であったのは、誰もが知る既成事実でした。
ことに母であるクララの喜びようは父親であるシモン卿も面食らうほどで、
『見て、シモン! この子は私なの! 私は私を産んだの! 産むことができたのよ!!』
産後で疲弊しきった身体でありながら――そもそも枯渇しかけていた生命力を振り絞っての、文字通りの命がけの出産です――生まれたばかりの娘を愛し気に頬ずりをして、そう繰り返して主張したとか。
「最初は単純に我が子を産むことができた慶びを言っているものと思っていたのだが、長じるに従いクララと生き写しになっていくシルティアーナを見て確信した。『クララは自分の体のスペアとして娘を生み出したとな」
道具として生み出された。
そう断言され、刹那、私の足元がぐらりと斜めになりかけた――ところへ、盛大に師匠が鼻を鳴らしました。
「はん! 勝手な邪推するんじゃないよ!! あたしゃそこの馬鹿弟子を拾った時に、そのネックレスを確認した――確かに極小の魔法陣を内包した魔道具だったけど、そこにはクララの魂魄やら妄執なんざ一欠けらもありゃしなかった。あったのはただ『我が子を護りたい。我が子に幸せになって欲しい』という母親の祈りだけさ。母親が我が子にそう願うのは当然だろう。死んだ後でも少しでも助けになるようにと形見として残したんだ。何がイレモノとしての道具だい! 母親をなんだと思ってるんだい!? クララは娘を生まれる前から愛していたし、最期まで満足して逝ったんだ、その遺志を勝手に歪めて語るんじゃないよっ!」
ふと、かつて〈不死者の王〉を相手取って戦い、窮地に陥った際にペンダントから護りの光が放たれ九死に一生を得たことを思い出しました。
あの時は師匠がペンダントに付与魔術を施してくれたおかげだと思っていたのですが、もしやあれは実母の術だったのではないでしょうか?
「嫁や息子をボンクラ扱いして、自分が見えないようだからアタシが言ってやるよ。クララが〈巫女姫〉の地位を捨て、嘱望された未来に何の未練もなく、ただひとりの我が子を望んだ――そんな単純な理由すら理解できないアンタは、そいつら以上の馬鹿で間抜けな表六玉の屑そのものさ」
辛辣なレジーナの舌鋒に、微かに黒騎士の肩が揺らぎました。
「いずれにしても私の母はイライザさんで間違いなく、彼女とはいろいろと(時間軸も入り組んで)確執もありましたけれどそれも済んだ話であり、いまでは感謝しかありません。そして時に厳しく、時におおらかに私を育んでくれたのはレジーナやマーヤ、クリスティ女史たち(だいたい厳しい方の割合が九:一くらいでしたけど)……そして多くの愛しい友人や仲間たち」
去来する面影に万感の思いと尽きぬ感謝を捧げながら、私はかつて父と呼んだ人物へと餞別の言葉を伝えます。
「何よりもこの空と大地、【闇の森】すべてが私の愛しい父であり母でもあります」
それから上空で一進一退の攻防を繰り広げているルークとストラウス。そしてその遥か彼方で見守っていてくださっているであろう方々の存在を確信して、私は再度雁首を揃えて身内だと自称する黒騎士と〈虚飾なる七光の王子たち〉へ向かって断じます。
「いまの私には魂の絆で結ばれた緋雪様や稀人侯爵もいらっしゃいます。積み重ねられた信頼と想いは、単なる血縁や後付けの薄っぺらな言葉などで揺らぐものではありません。黒騎士、そして〈虚飾なる七光の王子たち〉とやら、あなた方はこの【闇の森】を乱す敵です。ゆえに速やかに排除します」
私の宣戦布告に応える形で、万を超える〈不死の戦士〉たちが一斉に私に向かって臨戦態勢を取りました。
ですがその間に割って入る形で、ヘル公女が威風堂々と立ち塞がります。
「ふふん、人間の持つリミッターを外してスペックの限界まで力を振るう〈不死の戦士〉であったか? 下らぬ……下らぬのぅ。その程度の能力で力を極めたつもりかえ?」
哄笑を放ちながらヘル公女こと、アンネリース・ヘル・ヴィオレタ・ユースが、
「吸血鬼であれば最下層の下級吸血鬼でさえ、その程度のことは基礎の基礎……当然の素養であり、逆説的に人間の限界を超越しているからこそ真の吸血鬼。そして身共はその頂点たる真祖吸血鬼であるぞ。身の程知らずとはこのことであるな」
〈虚飾なる七光の王子たち〉と〈不死の戦士〉を前にして、凄愴な笑みを浮かべました。
その言葉の真意は理解できなくても何らかの危機感は覚えたのでしょう。〈虚飾なる七光の王子たち〉は口々に、背後に控えていた一見してひとかどの人物だったと思われる戦士たちをけしかけます。
「百人殺しと言われる北の剣豪インマヌエル! 出番だ、行けっ!」
「ユホ将軍、あの生意気な女に目にもの見せてやれ!!」
「竜殺しラウノ。真祖吸血鬼を斃してみせろ!」
「貴様らも北冠の地では部族を束ねていた元族長であり、昔は“勇者”と呼ばれていた剛の者であろう。〈不死の戦士〉と化し、往年以上の力を取り戻した我らに対する恩に報いる気があるなら、さっさと討ち取れ!!」
とりわけ腕が立ちそうな〈不死の戦士〉たちを先頭に立たせて、自分たちは高みの見物を決め込む腹のようです。
「死者相手には身共が適任であろう。ジル殿は神を詐称する蛇を相手するがよい。ま、小物や邪霊ほど自分を『大神』だの『大神霊』だのと、たいそうな名乗りをして虚勢を張るものである。幸い周囲に無関係な人間はおらぬ。ジル殿、連中に見せてやるがよい。真なる聖女の本気の能力を!」
真祖吸血鬼として本能的に理解しているのでしょう。私がまだ奥の手を隠していると。
環境ごと消し飛ばすようなえげつないやり方は、なるべくするなと緋雪お姉さまに言われたので、これまでは相当手加減して戦っていた――という事を。
とは言え奇しくも主だった敵は勢ぞろいをしていて、なおかつ周囲に配慮する必要は最小限で済む(エレンやブルーノ、ついでにキンタも手の空いている者が防御してくれるでしょう)。ならばここで出し惜しみするのは愚の骨頂。
瞬時にそう判断を下した私は、ちょこんとお座りをしているフィーアに向かって、その呪文を放ちました。
「フィーア。――“従魔合身”」
刹那、仔犬のようであったフィーアが三対六翼の翼を持ち、黄金色の毛並みをした巨大な〈神滅狼〉としての真の姿をあらわにすると同時に、光の粒子を放ちながら私の胸に向かって飛び込んでくると、そのまま水に溶けるかのように消え去り。
そして私の全身に邪神だろうが古代始祖龍だろうがまとめてかかってこい! というような全能感・万能感が奔流となって満ち溢れ、あふれ出た力の余波によって私の背中から黄金の光を放つ三対六翼の翼が顕現し、合わせて桜色がかった半透明な金髪もまた、まばゆい黄金の輝きを放つのでした。




