草葉の陰と黒騎士の参入
「これはクリリ……じゃなくて、コッペリアの分!」
『水障壁』の死角である真上から襲い掛かってきた翼竜のランフォリンクスに酷似した怪鳥ローペンを、旋回するビームのような光属性魔術の『螺閃光波』(『喪神の負の遺産』内部で見聞した聖騎士の技を基に、私なりにアレンジした術です)で撃墜しました。
「――本来はストラトスを殴り倒す用に準備していたのですけれど、ブルーノが先にガツンとやってくれたので、無駄になってしまいましたわね」
自然と微苦笑を浮かべる私に視線を合わせて、エレンが小さく肩をすくめます。
「あのオトボケ駄メイドが、そうそう死んだとか実感がないですけどねー」
「あ、私も実はそうなんです。『やっぱり生きてた』って感じで、案外ひょっこり戻ってきそうな気がしますけれど……往々にして突然の死に直面した後って、なかなか感情が追いつかないものですからそう感じるだけなのでしょうけれど」
「そうですね。つーか、マジでこの瞬間に戻って来たりしたら、『もう戻ってきたの? もうちょっと盛り上げてからにすればいいのに』って非難轟々ですよね」
そう言って思わずふたり揃って、青空に浮かぶ亡きコッペリアの爽やかな笑顔を浮かべた幻影を透かし見つつ、
「「あはははははーっ!」」
と笑ったところで一瞬、森の一角から死んだはずのコッペリアが満を持して飛び出してきて……そのまま即座にまた姿を消したような一瞬の残像が見えましたけれど、きっと直前までの会話による余韻か森の妖精の悪戯でしょう。
「…………」
気のせいか気まずくて出るに出られないような、逆に開き直って現れるべきかタイミングを計っているような――多少は知恵のある魔物でしょうか?――悶々鬱々とした気配が、さっきのコッペリアの幻覚が消えたあたりからしますけれど、錯覚でしょうね。きっと。
「ま、草葉の陰で見守ってるコッペリアのことはともかくとして、あんた息巻いて向かって行ったわりに、ハナクソ並みに扱われてつくづく情けないわね~」
一時の熱狂が醒めたいまになって、精も根も尽き果てた……という風情で地面にへたり込んでいるブルーノを見下ろして、エレンが砕けた口調でそう身も蓋もなく言い放ちます。
本音もあるでしょうが半分以上は見るからに消沈、消耗している幼馴染を鼓舞する狙いがあるのは明らかです……きっと、明らかなはず……たぶん、そうだと思うんですけど?……おそらく、そうじゃないかな~~???
「うるせー……くそっ」
「まあまあ、そんなに責めないでください。いまはこれで精一杯だけど、本当はやればできる子なんですよ、ブルーノは」
力なく言い返すブルーノの忸怩たる態度に、結界を維持しながら――「男同士の友情と殴り合い、尊いですわ」と思いながら――私が一言擁護に回るのですが、
「いいんですよ、コイツはそんな風に過保護な母親みたいに甘やかすと楽な方へ流れる阿呆なんです。ですから水に溺れた犬は叩いて躾けないと!」
あくまでスパルタを有言実行するエレンでした。
う~~ん、なんか直弟子の私よりも師匠に似ているわね。と思ったところで、恐る恐る元祖スパルタ偏屈師匠へ目をやれば、この騒ぎの中ひとり悠然と椅子に座ったままアフタヌーンティーを満喫しています。
無論魔物は襲ってくるのですが、それは師匠自身が自分の周りに施した結界と、使い魔たるS級魔獣〈黒暴猫〉マーヤが、そのナイフのような爪と両肩から伸びた一対の鞭のような触手を一閃させ、格下の魔物たちを文字通り鎧袖一触で葬り去っていました。
『いつまで人ン家の庭先で乱痴気騒ぎをしているつもりだい? 主催者としてこのオトシマエはつけてもらうよバカ弟子。あと、万が一にでも騒ぎの余波で屋敷が壊れたり、霊薬が入った瓶が落ちて壊れていたりしたら……わかってるんだろうね!!?』
表面上は平常運転のレジーナですが、私を見据える眼光からは様々な思惑を乗せたプレッシャーが、重く私の肩と胃のあたりに伸し掛かってきます。
はばかりながら二代目聖女たる(治癒能力にかけては地上最高峰と初代聖女様にも太鼓判を捺され、さらには光と炎と水の三属性を自在に操る魔力を持ち、自然現象や時空にも干渉する術を行使する)私と、大陸でも屈指の強さを誇るヘル公女やバルトロメイ、ルークらが雁首を揃えている場所へ、川中島の上杉謙信じゃないのですから、まさか敵の大将がいきなり単独で襲撃をかけてくるとか想定もしていなくて当然ではありませんの!?
まあそういう言い訳は通じない相手なのは確かですから、これ以上被害が拡大しない内に戦場を移すか、速攻でストラトスを無力化するしかありません。
「つまらんのぉ。名にし負う【闇の森】の化け物であれば、中には身共もその血を味わったことのない魔物もゴロゴロいるのではないかと期待に胸を弾ませておったが、寄ってきたのは下等な魔獣と血も通わぬ魔蟲の類ばかりとは」
ある程度回復したらしいヘル公女が、自分に向かって躍りかかってきた人面獅子に『魔眼』を放つと、耳まで裂けた鋭い牙の生えた口から涎を流し、醜悪な顔を愉悦に歪めていた人面獅子の動きが止まり、次の瞬間、完全に魅了された人面獅子が仲間に襲い掛かり、それを皮切りに順次ヘル公女の支配を受けた人面獅子との間で凄惨な仲間割れが始まりました。
「「「“わが友、生命溢れる森と草木の精霊たちよ。この歪んだ汝らの末裔たちを正しき循環の輪廻に戻したまえ”」」」
プリュイ、アシミ、ノワさんの三重奏が森に木霊し、それに合わせて地面から槍のように伸びた大樹の根や文字通りの尖った竹が竹槍のように植物型魔物を刺し貫き、さらにやたら頑丈な蔦が四方八方から伸びてきて、魔物を雁字搦めにします。
さらに魔物ではない真っ当な木食い虫がどこからともなく現われて、一斉に植物型魔物に群がってガリガリと丈夫な樹皮を破って無数の穴を開けるのでした。
その間にバルトロメイが愛用の巨斧を風車のように振り回して、全長一メルトはある蜂や蚊、ちょっとした装甲車ほどもある甲虫、象でも軽く捕食するカマキリ型の魔蟲を、まとめて粉砕しています。
当初は雲霞の如く――大規模な魔物暴走もかくやとばかり――数限りなく群がってきたように思えた魔蟲たちですが、いまではずいぶんと密度を減らして、地下迷宮のモンスタールーム程度の脅威しかありません。
ちなみに竜人族の神官と巫女であるグロスとシアのふたりは、龍神の御子であるストラトスに恭順すべきか否か、いまだに決めかねているようで防御を固めてひたすら中立を保っています。
「ともあれ、残りの魔物も弱っているようですし、守りを解いて一気に焼き払うのが手っ取り早いかしら?」
ぶっちゃけ魔蟲も魔樹も炎が弱点なのですから、私の得意とする炎系統の魔術で焼き払うのが最初から効果的だったのですけれど、さすがに当初は数が数でしたのでアレを一気に焼き払うとなると、周囲数百メルトは焼け野原になり、必然的にせっかく建てたレジーナの屋敷とその中身ごと焼失の危機があったため手加減していたのですが、いまだったら加減ができるでしょう。
そう踏んで結界を解除しようとしたところで、
「この馬鹿弟子! なんでも大雑把に暴力で解決しようとするんじゃないよ!」
レジーナの怒号と愛用の長杖が飛んできて、私の頭をしたたかに叩いて戻っていきました。
さすがは師匠。私の二重の防護壁をものともせずにすり抜けるとは……。
とはいえ――。
「あ痛たた……同感ですが、言っていることと行動が矛盾していますわ」
コブのできた頭に『治癒』をかけて治しながら、師匠に言い返しましたけれど、当然何ら痛痒を与えることなどできるわけもなく……。
「あたしのは躾だよ、躾っ。最近チヤホヤされて自惚れているブタクサに活を入れてやったんだよ。ありがたく思いな!」
鼻息荒くあしらわれてしまいました。
さて、この場の主役とも言うべきストラトスとルークの一騎打ちは、大方の予想に反してルークが一方的に相手を翻弄するという様相を呈しています。
人の背丈ほどもある黄金に輝く長剣《真神威剣》を、小枝でも振り回すかのように目にもとまらぬ速度でルーク目掛けて上下左右斜めと、一切の手加減なしで振り抜くストラトス。
「……便利なものだね。聖剣の傷がすぐに塞がる上に、服まで勝手に切られたところが修繕されるのだから。それにしても解せないな。セラヴィ君、君はもともと神官魔術師だろう? 剣の勝負にこだわる理由がないと思うんだけど?」
それを躱し、いなし、刀身に触れないように弾きつつ、随時反撃を繰り出すルークが、無尽蔵とも言えるストラトスのスタミナに、感心と呆れ混じりの嘆息とともに疑問を洩らしました。
「アチャコ曰く、この肉体はステータス――総合生命力、総合魔術力、それに加えて物理攻撃力、物理防御力、神経速度、魔術攻撃力、魔術防御力など――スペック的には神人どころか《神帝》をも超える至上のものだとのことだが、なにが天上天下最強だ。いまだに貴様には届かんとはな」
それに応じるようにだらりと構えを解いたストラトスが、わずかに不快気な表情でルークを見据えて淡々と言い放ちます。
「徒歩で歩くしかなかった君は、名馬に乗って憧れの美姫を相乗りさせる王子様に嫉妬した。ならばもっと良い馬に乗れば……と、そう考えて世界最高の名馬を手に入れた。だがいくら良い馬に乗り換えたところで、騎手が不慣れだと宝の持ち腐れになる。まあ、単純に直線を走らせるだけならフィジカルの強さでゴリ押しすることもできるだろうけれどね」
そこへ不意に第三者の声が割って入りました。
「――って、この声は……!!」
聞き覚えのある声と語り口に弾かれたように声の発信場所に目をやれば、飄々とした態度で黒騎士――いえ、オーランシュ辺境伯? レグルス?――が、仮面をかけずにこの場へ現れたのでした。
「……貴様か」
チッ、と舌打ちせんばかりの口調で黒騎士を一瞥するストラトス。
呆然としたのも一瞬、気を取り直した私は防御壁を解いて全力の攻撃を放てるよう『光翼の神杖』の先端を黒騎士へと向けます。
「ちょうどよかったですわ、手間が省けましたもの。貴方の正体について確認したいと思っていたところですの」
「クララ様、洗濯板胸先輩と野猿の防御はワタシが代わりに行いますので、派手にやっちゃてください!」
「ええ、頼むわねコッペリア」
「ちょっと待った、コッペリア! あんたなんでドサクサ紛れにシレっと復活して混ざってるのよ!?」
背後の喧騒を後にして、私は黒騎士の方へと足を進めるのでした。
コッペリアと黒騎士はお互いに森の藪の中で両手にカモフラージュ用の枝を持って出番待ちしていました。




