コッペリアの最期と怒りの友情
抜けるような青空……というか、青空色から黒へ色が変化していく空と宇宙の境目である成層圏。
そこへ浮かぶ巨大な島。
結界によって地上からは不可視の存在となっているカーディナルローゼ超帝国の真なる中心地《真紅帝国》。
その本拠地である空飛ぶ浮島『空中庭園』。その中央部にそびえ立つ、言葉にもならないほど壮麗かつ巨大な真紅の城内にある謁見の間に、超帝国国主にして《姫》、《神帝》、《初代聖女》等々様々な異名を持つ黒髪の美姫・緋雪を中心に、手すきの重臣たちが集まって立った姿勢で輪になっていた。
「――それでは皆様、お手を拝借ぅ~♪」
緋雪の音頭に合わせて、天界――その御座所である壮麗、雄大、絢爛、優美……あらゆる表現を使っても言い表せないほど美しくも広大な〈虚空紅玉城〉の謁見の間。巨大すぎて地平線が見え、天井は高すぎて果てが見えないとすら思えるその場所に、集まっていたこの国の中心を担う『円卓の魔将』と呼ばれる大幹部(全員が人外)と、それに準じる『列強』と称される実力者たち(こちらには侯爵や黒髪の行商人といった一応は人の形をした面子もチラホラ交じっている)が一斉に手拍子を叩いて囃し立てる。
「――あ、そ~れ♪」
「「「「「「負~け~犬。負~け~犬。負~け~犬っ♪」」」」」」
「「「「「「負~け~犬。負~け~犬。負~け~犬っ♪」」」」」」
「「「「「「負~け~犬。負~け~犬。負~け~犬っ♪」」」」」」
「蒼神の残党なんかに負けた、負~け~犬っ!!」
「「「「「「負~け~犬。負~け~犬。負~け~犬っ♪」」」」」」
「「「「「「負~け~犬。負~け~犬。負~け~犬っ♪」」」」」」
「「「「「「負~け~犬。負~け~犬。負~け~犬っ♪」」」」」」
「大口叩いてあっさり負けた、、負~け~犬っ!!」
「「「「「「負~け~犬。負~け~犬。負~け~犬っ♪」」」」」」
「「「「「「負~け~犬。負~け~犬。負~け~犬っ♪」」」」」」
「「「「「「負~け~犬。負~け~犬。負~け~犬っ♪」」」」」」
「真紅帝国の面汚し~っ♪」
「「「「「「面汚し~っ。面汚し~っ。面汚し~っ♪」」」」」」
「「「「「「面汚し~っ。面汚し~っ。面汚し~っ♪」」」」」」
「「「「「「面汚し~っ。面汚し~っ。面汚し~っ♪」」」」」」
手拍子に合わせて魔術によるものか、何らかの魔道具によるものかはわからないが、次から次へと色とりどりに大輪の花火が〈虚空紅玉城〉の頭上に打ちあがる。
その輪の中心で晒し者になっている、普段の玲瓏さが心なしかくすんで見える金髪金瞳の美丈夫――人の姿になった《黄金龍王》――が、全身を戦慄かせてこの場で自害か憤死しそうな……いまにも大爆発を起こしそうな活火山めいた怒りと自責の念に堪えていた。
言いたいことは山ほどある。
たかだか蒼神の下位互換程度と慢心していたのも確かであるし、地上での戦いを考慮して全力を出せなかったのも大きい、生け捕りにして背後関係を一網打尽にしようなどと欲を抱かずに、さっさと消し飛ばしてしまえばよかった。後の雑事など地上の者どもに任せれば何の憂いもなかったのだ。
だが、何をどう言い繕ったところで結果がすべてである。
「あああああああああああっ……なんということだ!! これかっ……これが、姫がおっしゃっておられた代償なのか?! これこそが不滅の肉体と意識を持つ者の祝福と表裏一体の呪いなのか!? 無様にも姫の御前で敗北を喫した事実……その烙印を我は輝く栄誉と誇りの代わりに、永遠に抱き続けなければならぬのか!?!」
血を吐くような慟哭とともに、膝を折ってその場に両手を突く《黄金龍王》。
「がああああ……!! 何ということ……なんということだ! 百の勝利がただ一度の敗北で水泡に帰す! ああああっっ、たとえ百万回自刎したところで物足りぬ!! 申し訳……申し訳ございません、姫! ご慈悲をもって、この無様な我を御手で消滅させてください……姫っ、姫ーっ!!」
「――油断しまくって素人に一回負けたくらいで楽な方向に逃げるな、阿呆っ」
それに対する緋雪の返答は端的で辛辣であった。
◇ ◆ ◇
天から叩き落された《黄金龍王》が地上に落ちるまでの間に黄金の粒子に変わり、砂絵が強風に吹き飛ばされるかのようにサラサラと消えていきます。
あの巨体があの勢いのまま地上に叩きつけられていれば、辺りは甚大な被害を被ることは火を見るよりも明らかですので、そうならずに済んだのは不幸中の幸いで私はほっと胸を撫で下ろしたのですが、
「――にゃ。ドサクサ紛れに《黄金龍王》の鱗とか素材取り放題の詰め放題かと期待したのに、とんだ肩透かしですにゃ」
捕らぬ狸の皮算用をしていたシャトンはあからさまに落胆した様子で、駆け出しかけていた足を止めて身近なテーブルの上にあった砂糖漬けのベリーを手に取って頬張りました。
「龍神様がっっ!!!!」
「《黄金龍王》様が討たれるなど、このようなことが……!?!?」
竜人族の神官と巫女であるふたりは、目の前で世界の終わりを目の当たりにした最後のひとりような表情で、絶望すら生ぬるい、煉獄の業火に永遠に焼き尽くされる亡者のような身も世もない絶叫を放ちます。
「死んだんですか、あの所かまわず落雷を落とす、はた迷惑な癇癪玉龍王?」
その舌禍によって、再三再四《黄金龍王》の雷撃を浴びせかけられたコッペリアが、光の粒になって消えたその姿を眺めながら小首を傾げました。
「気配的にまだ生命力に余裕はあったので、多分ギリギリのところで緋雪お姉様が回収したんだと思いますわ」
私の所感にあからさまに面白くない顔で舌打ちをするコッペリア。
「どうせなら息の根止めときゃいいものを。アップデートしても使えねー愚民ですね」
「……ええ……と。コッペリアって〈神子〉側に立って応援していたの?」
口惜し気に頭上――戦いの余波で暗雲が渦を巻いている空――を見上げて憎まれ口を叩くコッペリアの態度から、そう見当をつけて尋ねてみたのですが。
「いえ、どっちも敵です。理想的には相討ちになってくれるか、もしくは双方が消耗したところを叩いて漁夫の利を狙いたかったところなんですが、まああの鼻持ちならない《黄金龍王》の鼻っ柱がへし折られる場面を見ることができただけでも眼福ですね。きっと今頃はカーディナルローゼ超帝国本国でも、泣きっ面で戻ってきたアレを囲んで日頃の鬱憤が溜まっていた連中が喝采を放っていること間違いなしですよ。ワタシの(テキトー)予測演算でも99.8%の割合で断言できます!」
それは貴女の偏見では……と言いかけたところで、翼を広げた〈神子〉ストラウスが例の黄金に輝く長剣を手に雲の間からゆっくりとこちら目掛けて下りてきました。
「……ダメージは小数点以下。エネルギー総量も計上するほどの減少はなし? いくらなんでも無傷ってのはあり得ないので、何かしらの仕掛けがあるとみて警戒したほうがいいですよ、クララ様」
地面に下り立つまでの間に、ざっと計測したらしい――〈神子〉の消耗が激しかったら、絶対に残った面子で火事場泥棒的にタコ殴りを提案していたでしょう――コッペリアが珍しく生真面目な調子で私に警戒を促します。
つまり現状負ける公算が高いということですわね。
圧倒的な威圧感と、ただ立っているだけで吹きすさぶ台風のような魔力の奔流にさらされ、緊張でガチガチに警戒している私たちの顔ぶれを一瞥して、〈神子〉ストラウスは満足げな笑みを浮かべ、朗々たる声でこの場で宣言をしました。
「見たか。真なる神の遺児として生まれ、五大龍王の力を宿し、精霊王を従え、いま天下無敵と謳われた《黄金龍王》すら下し、我は新たな神としてこの地へ顕現したのである! 讃えよ神の新生を! 畏れよ全能なる神の御前であるぞ!!」
「「はっ――はははあーーーっ!!!」」
畏まったのは竜人族のふたりだけで、他の面子は『何言ってんだこいつ?』という顔で、おのおの〈神子〉ストラウスの次の行動に備えています。
レジーナは下らない三文芝居でも眺めているような表情で、小馬鹿にしたような息を鼻から吐き。マーヤはそんな主人を守るべく、全身の毛を逆立てて威嚇を絶やしません。
ルークは複雑な表情で聖剣を構えて対峙していますが、心の中の迷いが剣先に現れてブレまくっています。
ヘル公女はといえば、ダメージを受けた体のダメージを回復させるために、甲斐甲斐しく世話を焼くイレアナさんから受け取った、鮮血の入ったワイングラスを次々に空にしています。
バルトロメイは明鏡止水とでも言うのでしょうか? ダメージや《黄金龍王》がやられたショックを感じさせない泰然とした姿勢で、〈神子〉の一挙手一投足に注目しているようです。
プリュイたち妖精族、黒妖精族の混成組は、いまいち状況が掴めないようで周囲の反応を探っている有様です。
そしてシャロンは、とっとと逃げようとしたところをエレンに羽交い締めにされて、
「やめるにゃ! あんなの相手にしてられないにゃ。命あっての物種にゃ!」
全身全霊で抗っていますが、聖女の侍女としていざという場合の盾となり剣となる研鑽に励んでいるエレンの束縛は意外と強く巧妙で、タコのように吸い付いて離れようとしません。
そんな味方の現状を一瞥したコッペリアが、無言で佇む〈神子〉に向かって気楽に声を掛けました。
「おーーい、愚民モドキ! とりあえず話し合いましょう。話し合いのテーブルに着くならクララ様が生乳揉ませてくれるってよ」
「言ってません!!」
根も葉もないデマに即座に否定した私の耳元へ、コッペリアが悪い笑顔で耳打ちします。
「――方便ですよ方便。こう言って妥協を引き出して、時間をかけて曖昧模糊にするのが交渉術ってもんなんですよ、クララ様」
「それにしては交渉に賭けるものが低レベル過ぎませんか!?」
「そうっすか? ワタシの前のご主人だったら、その場でとんぼ返りして喜色満面で全財産賭けますよ」
そういう到底個人の性癖を男性全般に当てはめないでください!
「ふふん、相変わらずだなコッペリア」
その〈神子〉ストラウスはといえば、まるで動じた風もなく軽く肩をすくめて微苦笑じみた表情を作って浮かべます。
あら、これはもしかして脈ありかしら? 意外とセラヴィだった時の感情とか情緒を残しているのかも知れません。
そう希望を抱いたのも一瞬――。
「だが、無意味だ」
その一言とともに黄金の光が幾筋も翻り――私の視覚と六感、武術の経験値の蓄積で辛うじて影が捉えられたレベルで――気配も殺気もなく肘から先の動きだけで《真神威剣》を振った〈神子〉の無慈悲な太刀筋が、
「――お?」
あっさりとコッペリアを頭の先から唐竹割りに両断し、さらに細かな部品レベルまで細断し、とどめとばかりに崩れ落ちる元コッペリアだった残骸を軽く手を振って完全に消滅させたのでした。
「な……っ!? コ、コッペリアッッッ!!!」
《黄金龍王》の雷撃を受けてもぴんぴんし、SランクやSSランクの魔獣の攻撃にも傷ひとつ付かなかったコッペリアが、まるでなすすべなく斬られて消滅させられた。あるいは頭脳部分だけでも残っていれば再生は可能だったかも知れませんが、それを知るセラヴィの記憶を持つ〈神子〉が手抜かりをするはずもなく、真っ先に賢者の石が収納されている頭部を破壊して、さらに念を入れて全身を吹き飛ばしたのです。
これでは……さすがに、もう……コッペリアといえども修復は不可能でしょう。
「あ、ああ、ああああああああああ……」
絶望に打ちひしがれる私へ向かって、〈神子〉ストラウスが淡々と世の真理を語るかのように、いっそ優し気とさえ思える口調で語り掛けます。
「祈ったところで神は飢えた人間の腹を満たしてはくれない。だが私は違う。私のもとではすべての人間は平等だ。神の名において、王だろうが貴族だろうが、教皇だろうか犯罪者であろうがすべては同じ。等しく腹を満たし、等しく飼いならす。私にとっては石ころも人もすべては等価であり、すべては私のもの。すべてを手に入れた私に対等に交渉などとおこがましい。世界はこの掌の上にある。邪魔するものは排除し、必要であれば誰に憚りなく手に入れるだけのこと」
傲然と……いえ、当人に傲慢な意識は皆無なのでしょう。それが当然と。世界の頂点に君臨する存在として、自明の理を口にしているだけ。
「……それがあなたの幸せなのですか?」
「……っ……」
ふと浮かんだ私の問いかけに、一瞬だけ口ごもった〈神子〉ストラウスですが、
「幸福などという低次元の感情はすでに乗り越えた。私は神として成すことを成すのみである」
即座に立ち直ってそう言い切りました。
そんな揺るぎない態度の〈神子〉ストラウスを前にして、私の脳裏に去来するのは一緒にお風呂に入りながら、緋雪お姉様が鼻歌混じりに語っていた〈神帝〉としての立場です。
「神なんて言われているけど、近寄りがたい神やちょっとしたことで天罰を当ててくるような剣呑な神は嫌だねぇ」
「例えば旅の途中で立ち寄ったあばら家で、一夜の宿を貸してくれ、さらにはお粥をご馳走してくれたお礼に、その親切な家の人が困っていれば、ちょっとした手助けをしてくれるような神がいいね」
「古びた社の前で遊んでいる子供たちと一緒に遊んだり、ありきたりな話に耳を傾けて、微笑みながら、陰から見守っていたりするような神になりたいね」
他人のことで泣いたり笑ったり、本気で怒ってくれるそんな神で十分さ。そうしみじみ語っていた緋雪お姉様と、人の上に君臨しようという〈神子〉。
どちらに与するかは考えるまでもありません。
「ふざけんなっ、この馬鹿野郎ッ!!」
ですが私がその思いのたけをぶつける前に、誰もが予想もしなかった人物が無謀にも〈神子〉ストラウスに殴りかかっていったのです。
「自分が何をやったのかわかってるのか! おい、セラヴィッ!!」
怒髪天を衝く勢いで怒りに震えて啖呵を切ったのは、完全にこの場にいてノーマークだったブルーノであり、〈神子〉ですら完全に意表を突かれたのか一発無防備な頬に拳を受け、呆然としているのでした。
「うにゃ、あれは完全に死ぬの確定ですにゃ」
「――な……っ」
関節技を極められながら「あ~あ」と諦め口調でシャトンが呟き、立ち関節技でそれを拘束したままのエレンが絶句して、次に顔色を蒼白に変えます。
目まぐるしい展開の変化に私もどう行動するのが正解なのか、困惑しながらブルーノと〈神子〉とを見比べるしかありませんでした。
◇ ◆ ◇ ◆
『クラウド上のデータ回収。……復元率99.998%。――データ出力。アイギスQPシールド解除!!』
『モーションデータをランダムに入れ替え。同時にRTRブロックをアップデート』
『DQNライン、すべて自動制御。起動シーケンスに問題なし。――COP-00解凍開始。起動まで残り658秒』
『真賢者石に異常なし』
『伝達系統に異常なし』
『真龍カーバンクル・ツインドライブに異常なし』
暗闇の中順々に小さな光が灯り、薄暗い部屋の中央に安置されていた棺桶――と言うには武骨なフォルムの金属製のカプセルの蓋が開き、機械的な情報が流れる中、真っ白い蒸気……もとい冷気を放ちながらそれの中身が動き出した。
「……汎用擬体は完全に破壊されましたか。生活用とはいえ、少々油断しましたね。これではアホドラゴンのヘマを笑えませんね。――とはいえこの戦闘用擬体を使う羽目になるとは……」
ほどなくカプセルの縁に白い手が当てがわれ、オレンジ色の髪を流した少女が、ゆっくりと美術品めいた裸身を起き上がらせるのだった。
8/19 若干加筆修正しました。




