正義の在り方と臥龍の蠢動
とりあえずぶっ殺して、死んだら本物、復活したら偽物という、二者選択でもなんでもない殺人予告をして、椅子に座ったまま愛用のモーニングスターを頭の上で振り回すコッペリア。
この勢いで立ち木に投げつけたら、さしもの【闇の森】の頑丈極まりない巨木の幹でもへし折れそうな塩梅です。
そんな命の危機を前にしても平然とした様子で、風圧でぐしゃぐしゃになった前髪を撫でつけながら、セラヴィがカツ丼片手に嘆息しました。
「相変わらず斬新……というか、剣呑な判断だな。それで死んだまま蘇生できなければどうするんだ?」
「そうですわ。『完全蘇生』をお手軽な保険代わりにあてにされても困りますわ。肉体の破損状態や精神状態――生への執着が薄い相手の場合は蘇生しないパターンもあるのですから」
私もセラヴィの懸念に便乗してそう言い含めます。
実際、聖都に滞在中に何度か乞われて『完全蘇生』を使ったことがありましたけれど――大抵は有力者とか権力者とその家族――まれに、この世をはかなんで自殺したケースでは肉体は蘇っても魂は定着せずに、生きた死体も同然となった例もありました。
セラヴィの場合、もともとシニカルで斜に構えたところがありましたが、再会した彼はより達観というか世俗を超越した隠者のような雰囲気を纏っているように感じられます。
心理用語ではそういったいわゆる『悟り』にいたった精神状態を『静穏』とも呼びならわしますけれど、すべてに絶望した虚無もまた同様の反応を示す――その場合は精霊魔術の使い手でもなければ見分けがつかない――のを経験則的に知っている私としては、下手に藪をつついて蛇を出すわけにはいかないというのが本音でした。
(妖精王様クラスなら一目で精神の精霊がどのような状態なのか、深奥まで見通せるのでしょうけれど、私やプリュイではよほど精神を集中しないと表面的な精霊の流れしか読み取れませんし……)
さすがに精神の奥底まで読み取らせろと強要することは、ある意味精神的な強姦に近いので、そんな拷問じみた提案は口に出すことすらはばかられます。
そんな私の葛藤も何のその――。
「そん時は記憶のバックアップを取っておいて、それをローディングすればいいだけです」
個人の記憶や人格などデータと割り切っているコッペリアが事もなげに言い放ちます。
「……ほとんど“沼男”ですわね。殺されたセラヴィとデータを複写されたセラヴィとは、果たして同一人物なのかしら?」
ちなみに“沼男”は魔素の濃い沼地や湿地帯でまれに発生する怪異で、足を滑らせるなりして泥に沈んだ人間の記憶や人格を複写された泥人間が、あたかも本人であるかのように振る舞う魔物の一種です。
泥なので乾くと崩れますけど、それ以外では『自分自身でさえ』魔物であるという自覚がないため、異変に気が付いた家族もあえて現実を直視しないように、沼男が家族の一員であるかのように欺瞞する例もあるとか。
「ワタシ的にはマクロの視点から見れば同一個体です。だいたい人間だって新陳代謝で半年も経てば細胞が入れ替わって別人になってますけど、意識と記憶が連続していれば凡俗どもも同一人物と見做しているではありませんか」
「……なるほど。『テセウスの船』ですわね。なにを以て同一のものとするのかは、個々人のとらえ方によって異なってくるので絶対ということはありませんけれど、確かに一理ありますわね」
もっともその理屈で言うと、途中で緋雪お姉様の血と記憶が混在することになった私などは、厳密な意味でオリジナルのシルティアーナであるかどうか、微妙な線ですけれど。
「お前ら机上の空論と実体とを混同しているなぁ」
恬淡とした口調――見ようによっては辟易した表情にも見える鉄面皮――で、そんな私たちのやり取りを眺めながら食べ終えた丼と木製のスプーンを机の上に置くセラヴィ。
「ごっそうさん。肉の切断面が生焼きみたいに真っ赤なのと、ちょっと獣の癖があるのが難点だけど、まあ美味かった」
聖女教団の司祭服である法衣の袖で口元を拭いながら、食レポをするセラヴィをコッペリアは値踏みするような目で眺めつつ、小声で呟きました。
「――ちっ。ワタシ特製の自白剤も効果がありませんか。ますますもって怪しいですね」
……しれっと何を紛れ込ませているのですか!? 何を!!
そんな寸劇のようなコッペリアのセラヴィに対する塩対応を、ソーセージと氷魔術でキンキンに冷えたラガービール片手に傍観していたブルーノが冷や汗を流しながら、我知らず独り言ちました。
「怖ーっ。なんか普段でも辛口のコッペリアが、なおさら容赦なくからんでないか?」
それを聞いたエレンがラング・ド・シャを口に咥えながら、ふっ……と小馬鹿にした表情で鼻で笑います。
「相変わらずお子ちゃまねー、アンタ。あれはどう見ても精彩を取り戻して、生き生きしている気持ちの裏返しじゃないの」
「「「「……?……」」」」
「「「「「「「――あ~~……」」」」」」」
その言葉にブルーノはもとより、ルーク、アシミ、グロスが不可解な表情で首をひねり、対照的に私、プリュイ、シャトン、ヘル公女、ノワさん、シア、イレアナさんが『合点がいった』という納得と、『ちょっと男子ーっ』という非難混じりの声を同時に上げました。
とはいえコッペリアの場合、普通に恋愛感情なのか(そもそも存在するのでしょうか?)お気に入りの玩具が戻ってきてテンションが上がっているのか判断がしづらいところです。
「あの……まずその『ニセモノ』という結論ありきで、適当な理由をつけて始末しようという姿勢はどうかと思うのですけど?」
そう窘める私に対して、コッペリアはモーニングスターを振り回す勢いを減じないまま、フンヌと鼻息も荒く言い放ちます。
「ふん。だったらワタシたちの前から消えてなくなってから数カ月。どこで何をしていたのか説明できるもんならしてみやがれ、愚民」
「さてな――」
軽く肩をすくめて遠い目をしたセラヴィがボツボツと語り出しました。
「妖精の悪戯か、神隠しか、アチャコの置き土産かは知らないが、気がついたら【闇の森】からはるか離れた北の果て、夏でも雪と氷が残っている極北に、ひとり佇んでいて呆然としていた。当時はまだしも夏だったのは救いだな」
「そんな異常事態が起きた痕跡はありませんでしたよ、現場には」
胡散臭いと言いたげに半眼になるコッペリア。
「それからまあ、冒険者の真似や治癒術なんかで路銀を稼いで、本格的な冬が来る前にどうにか戻ってこれた……ってわけだ」
いちおう理屈は通っているように感じますが……。
「はぁ!? 超有能メイドたるワタシも、基本的に草木を食べてウキャウキャ言って暮らせる野生児である妖精族や、黒妖精族のバックアップもなく」
「「「おいっ!!!」」」
端から疑った口調で合いの手を入れるコッペリアに槍玉に挙げられたプリュイやアシミ、ノワさんが思わず気色ばんでツッコミを入れますが、馬耳東風で聞き流されます。
「さらには貴重なおっぱい揺れ担当のクララ様までいない。ナイナイ尽くしの状態で生き延びられるわけないでしょうがっ!」
「――コッペリアが私をどういう風に見ているのかよくわかりましたわ」
啖呵を切ったコッペリアを、思わずジト目で見据える私。
まあ私も内心ではコッペリアのことを『良心や正義の心を持ってない青狸。もしくは十万馬力の科学の娘』という括りで眺めているので、なにげに相打ちっぽいのですが。
「仮に奇跡的に無事だったとしたら、先に冒険者ギルド経由で無事を知らせる手紙なり伝言なりを送るべきでしょうが!」
コッペリアのもっともな意見にセラヴィはどこか憮然たる声音になって視線を巡らせ、なぜか真っ直ぐに私を直視してきました。
「そういうのは安全な場所にいる恵まれた立場の者が放つ傲慢だな。お前らは戦場の悲惨さを見て悲嘆に暮れ、博愛精神に則って聖王女御一行様として、治癒や炊き出し、ボランティア活動なんかをして自己満足に浸っていたんだろうが、凄惨なのは戦場だけでなく銃後も同じだということを知らないだろう」
戦争の影響はとりわけ弱い部分にしわ寄せが波及し、もともと物資が圧倒的に不足している北冠地方は収穫の秋だというのに絶望が支配していたそうです。
地主や郷紳、各ギルドの幹部などはさっさとその地を後にして、大都市に逃れて暖かい部屋で温かな食事をしながら安穏と過ごす。
その傍ら貧しい農民や難民たちは、致命的な物資の不足。骨まで沁みるような寒さ。まん延する疾患や飢餓によって、次々とまるで磨り減るように消えていくしかなかった。その現実。
セラヴィが目の当たりにしたのは、冷たくなった子供を抱いて身も裂けんばかりの声で慟哭する母親。老いた両親を置いて後ろ髪をひかれんばかりの表情で、わずかばかりの救いを求めて南へ向かう息子夫婦などといった、まさにこの世の地獄のような光景であったそうです。
「俺が聖女教団の司祭だとわかると、皆が皆必死の思いですがり付いて女神や聖女に救いを求めてきた――だが……っ!!」
肝心の女神さまが耳を塞いでいて、いくら請われても救う気がないことを直接その耳で聞いたことのあるセラヴィは忸怩たる口調で、最後吐き捨てました。
『不幸、不平等、理不尽と君は言うけれど、それは誰かと比べた価値観だよね。それを決めるのは自分であって、私が関与するものではないよ。人の世界は人が創るものさ。いちいち神があーしろこーしろと言うのって逆に不健全じゃないかなぁ』
ふと、かつて緋雪お姉様がおっしゃっていた――超越者の視点での――見解が私の耳にも去来しました。
神が何もしないのなら、聖女であるお前がなんとかすべきではないのか?!
と言わんばかりの視線を投げかけるセラヴィ。
「おかしいですにゃ。聖女サマは私財を投げうってかなりの支援物資を、各地の難民キャンプに届けるよう手配していたにゃ」
小首を傾げるシャトンに対して、
「どうせどっかで誰かがピンハネしているんだろう」
と、セラヴィは一笑に付しました。
「いずれにしても原因も結果もクララ様の与り知らないことで、責任だけ転嫁するのは不合理極まりないこと。そんな自明の理でもってクララ様を非難するコイツは敵! ゆえに愚民を騙るコレをぶっ殺して、正体を暴くことに問題ありませんね。つーか、細かいことを気にしないで臨機応変に臨むのがワタシの信条ですので」
「うむ“巧遅は拙速に如かず”と古来より言うモノである」
こんな時だけ要らない燃料を投下するバルトロメイ。
「臨機応変と行き当たりばったりとは違いますわ!」
事前にあらゆる可能性を考慮して下準備を怠らない臨機応変と、その場しのぎの行き当たりばったりはむしろ真逆と言えるでしょう。
私が必死に止めようとするのも虚しく、
「なあに、死ぬのは死ぬほど痛いだけですから大丈夫です。 ――てことで、死ね。愚民を騙る偽者! でやっ!!!」
刹那、止める間もなくセラヴィ目掛けて瞬きの間に投擲されるモーニングスターの先端。
距離的にもタイミング的にも一流の戦士であっても避けようもない一撃を前にして、動じた風もなくセラヴィは無言で爪先を一度軽く地面を叩くようにつけました。
「――ぬっ!? バカな、これは《地鎚龍王》の?!?」
グロスが顔色を変えたのと同時に、セラヴィとコッペリアを隔てるわずかな隙間から、まるで火山の噴火のように分厚い鋼のような岩の塊が生え、テーブルを粉砕して間一髪のところ壁となってモーニングスターを弾き返したのでした。
6/20 誤字訂正
×基本や野生児である→○基本的に草木を食べてウキャウキャ言って暮らせる




