逆襲のシャトンと謎の黒騎士卿
「ラナポンはあのままでいいのでしょうか?」
気絶したままのラナを小脇に抱えた姿勢で、威嚇する視線を投げかけてくるルナを横目に見ながらコッペリアが懸念を示しました。
「ええ。見たところ外傷はないようですし、この階からの脱出も難しい状況ですので」
最初の爆発で階下に通じる階段はすべて埋まっているか崩落していて、いまもエレンやエラルド支部長、切り裂いたシーツで胸を隠した――「隠すほどの胸でもないでしょうが」とか、コッペリアが吐いた暴言は聞かなかったことにして――カルディナさんが、埋もれた階段の前で右往左往しています。
「案外、実姉の傍が一番の安全地帯かも知れませんわよ」
まあ仮に本格的に人質に取ったり、脅しの材料に使ったりした場合は、たとえ肉親とはいえ――いいえ、肉親だからこそ――絶対に許しませんし、地の果てまでも追いかけて排除しますが。
「なるほど、クララ様のいつものどんぶり勘定ですね。このコッペリア、回路の底から納得しました!」
超納得するコッペリアなのですが、果たして彼女は本当に私を心酔して、絶対の忠誠を誓う人造人間なのでしょうか? 実は裏切者……というか、味方のフリをした敵なのではないのでしょうか。
一瞬浮かんだ疑念に蓋をして、プリュイたちのもとへと急ぐ私。
「ともあれ今後の事は、事の元凶であるアチャコを斃してからの話ですわね」
アチャコさえ斃してしまえば他の面子を無効化するのは容易ですし、吹き曝しになったホテルの四階からの脱出も、フィーアに運んでもらうか、最悪コッペリアとふたりで鶴嘴とショベルを使って階段を掘り返してもいいでしょう。
そう私が付け加えると、コッペリアもテンション高く首肯しました。
「お~っ。久々の掘り返しですね! ワタシとクララ様のエンヤコラ音頭がここで炸裂しますか」
そう言って、「♪エンヤコラドッコイショ。もひとつおまけにエ~ンヤコ~ラ♪」と拍子を取って地面を掘り返す動きを模した踊りを披露するコッペリア。
これから強敵と戦うという緊張感は欠片もありませんわね。
まあ実のところ私も前回ほどの憔悴や逼迫感はありません。なにしろ一月の間、緋雪お姉様や稀人お兄様相手に特訓を受けて、
『技術的にはもう神人相手でも互角に戦えるね。当然、例の奥の手を使えばアチャコにも勝てると思うよ。アチャコは本来後方支援タイプだし、初見殺しが通じないような相手――よりトリッキーな影郎さんとか、純粋に強い天上紅蓮教大教皇とか――は苦手だからねぇ。ただし〈神子〉とやらは埒外なので、できるだけ戦わないように……多分、アレの天敵は紫苑なんだろうけど、最近はこの時間軸に現れないから(ごにょごにょ)』
そんなお墨付きもいただいています。
無論だからといって慢心する気も油断するつもりも毛頭ありません。つまるところは追い放されていた相手になりふり構わず手を伸ばして、上着を掴んで無理やり並んだ状態なのですから。肩を並べた……と言うのもおこがましいでしょう。
「‟油断大敵”‟伏寇在側”ですわ。相手は神話の時代から生きている伝説ですし、隠し球も山のようにあるでしょうから」
「ま、ぶっちゃけクララ様は想定外の事態に遭遇してもどうにかできる爆発力と、心を揺さぶられてもきっちり持ち直せる強メンタルが強みですからね。アチャコも今回の再戦は予定外だったみたいですし、意外と内心ガクブルで必死こいて逃げる策を講じているのかも知れませんっ」
そう改めて気合を入れ直した私の傍らで、コッペリアが思いっきり調子に乗って、負けフラグ確定のような台詞を吐きます。
それが聞こえたわけではないでしょうが、チマチマと攻撃してくるプリュイとノワさんの連携攻撃と、その合間合間に意外な方向からドリルのように回転しつつ、意外な高速で突進してくる大根の体当たりとをウザがっていたアチャコが両手を広げて大規模精霊魔術の行使を始めました。
「鬱陶しい小娘どもに……なんだこの大根は!? 経産婦に対する当てつけか!?! 忌々しい! 邪魔な土煙ごと一気に吹き払ってくれる。――‟来たれ、嵐の精霊王よ”!!」
途端、晴天の空が黒雲に覆われ、頭の真上で渦を巻き、土煙どころか馬車でも吹き飛ばされかねない暴風が瞬間的にこの場を中心に吹き荒れるのでした。
「「――な……っ!?」」
触媒もなしに腕の一振りで最上位精霊の一角を軽々と召喚してみせたアチャコの規格外の精霊魔術を前にして、驚愕のあまりその場に足が根付いたように棒立ちになるプリュイとノワさん。
すっかりと土煙も砂埃もなくなって、再び青空が戻ってきた太陽の下、完全に萎縮しているふたりの姿が鮮明になったのを見て取って、嗜虐的な笑みを浮かべたアチャコが‟使徒の傷痕”を振います。
「死ね! 一気に首を落としてくれる。たとえ『完全蘇生』を使ったとしても、『首を切られた』という概念が付与された肉体は戻らないわ!」
狙いはふたりの首を薙ぐことです。
「……その場合は首から下に陸生タコの触手を付けて、タコエルフ、タコダークエルフとして新たな」
その後の算段をすでに考えているコッペリアをほっといて、私は慌てて駆けながらフィーアに呼びかけました。
「フィーア!」
「わおおおおおおおお~~ん!!」
光を放ちながらフィーアがアチャコとプリュイ、ノワさんを結ぶ直線上に割って入る――。
「――遅い! 私の勝ちだっ!」
そのコンマ一秒以下の攻防を制したのはアチャコでした。
一瞬だけ早く‟使徒の傷痕”が振り抜かれ――それと同時にアチャコの右腕が、二の腕のところから斬り飛ばされ、‟使徒の傷痕”を握ったまま明後日の方向へと飛んでいきます。
「な……なんだこれは……?」
痛みよりも驚愕の表情で、すっぱりと切断され鮮血が噴き出す自分の腕を凝視するアチャコ。
「こんだけばっちり影ができていれば十分だにゃ!」
そんな彼女に向かって足元――多頭蛇が落とす無数の影の中――から現れた白猫の獣人族シャトンが、蜘蛛の糸と同じくらい細くて鋼よりも強靭な糸を手元に引き戻しながら、してやったりの会心の笑みを浮かべて言い放ちました。
「なっ!? 生きていたのか、貴様っ?!」
「あん時のカリは熨斗つけてお返しするにゃ!」
愕然とするアチャコに対して無数の糸を伸ばしながら、シャトンは啖呵を切ります。
主人の危機とあって多頭蛇が一斉にシャトンに咬みつきを敢行しますが、それよりも先に影移動で再び影の中に沈み込んだシャトン。
結果足元の床材を破壊して、半ば自爆する形で四階の床にして三階の天井をぶち抜いて、自ら掘った瓦礫の穴に落ち込む多頭蛇。
その間に影から影へと移動してきたのでしょう。私たちのすぐそばにあった瓦礫の影から姿を現すシャトン。
動きながらも糸を操作していたのか、いつの間にやらずいぶんと低い位置まで落ち込んでいたアチャコは、全身を雁字搦めにされていました。
「ぐ……この三下風情が……!」
それでも地力の差でしょうか。油断しない限り糸は喰い込むことはあっても切断するまでには至らないようです。
力ずくで束縛を逃れようとするアチャコに向かって、想定内という表情でシャトンは掌に収まる程度の小瓶を放り投げました。
アチャコの目の前で破裂した小瓶から、何かの粉末が広がって顔にかかります。
「ふん。毒物か? 人の世の毒など――」
鼻で嗤い飛ばしかけたアチャコですが、その嘲笑が次の瞬間、
「ぷ……ぷははははははははははははははは……あは、あは、あはははははははははははははは……!!!!」
爆発したかのような爆笑に変わりました。
「オオワライ茸の胞子ですにゃ。並の人間なら死ぬまで腹筋崩壊ですけど、これだけでは心もとないので、サービスで全身をマッサージしてやるにゃ」
そう言って糸を使ってアチャコの全身をくすぐりまくるシャトン。
「ば……やめ――ぎゃはははははははははははは……あひっ、あひっ、あ~ははははははははははははははははっ!!!!!!」
悶絶するアチャコと、笑いまくって指示を寄こさない主人に明らかに困惑している多頭蛇。
予想外の展開に私は功労者であるシャトンを笑顔で称賛しました。
「……下手をすれば戦いが膠着状態になるかと思いましたけれど、文字通り足元をすくってあげましたわね」
「商人は舐められたら終わりですからにゃ。もっとも聖女サマたちが、あたしが密かに隠れて居ることを微塵も悟らせなかったお陰でもあるですにゃ」
そのお陰で油断をつけましたにゃ、と付け加えるシャトンの笑顔に対して、
「……いえ、それほどのことは」
「……ワタシとクララ様の名演技の賜物ですね」
私とコッペリアは取り繕った愛想笑いで答えます。
「なぜ目を逸らせるのかにゃ? ……もしかして、本気であたしの事忘れていたのかにゃ!?」
「ソ、ソンナワケナイジャナイ。――ほほほほほほ!」
「さっさと逃げたとか思ってませんでしたよ。ワタシは信じていました。――はははははっは!」
「きゃははははははははははははは……ひーっほ、ひひひひひひひひひ……!!!」
アチャコの爆笑を背後に、ぎこちなくシャトンの追及を躱して、笑って誤魔化す私たち。
「その笑いが胡散臭いにゃ! つーか、そのバカにするような笑いをやめるにゃ、こら!!」
「き……げほげほ……おひょひょひょひょ……そっ……ひゃ~っひゃひゃひゃひゃ!!!!」
理不尽な怒りがアチャコに向かいました。
◇ ◆ ◇
場面が変わって領都クルトゥーラにある王宮の一角では、何かの術か薬を使われたのか、廃人のようになってブツブツと何やら呟いているシモネッタ妃と、そんな彼女を氷のような目で見下ろす漆黒の騎士――艶消しの漆黒で統一された鎧にマント、仮面で顔を隠した中肉中背の男がいた。
「これがこの女の行ってきた所業、隠していた罪のすべてだ。まあ本人は罪の意識など欠片もないようだが」
背後からかけられた声に黒騎士が驚くこともなく自然な動作で振り返れば、〈神子〉ストラウスがうんざりした表情で佇んでいた。
一見すると『蒼神の負の遺産』内部でジルが出会った姿と寸分変わりないように思えるが、以前と違って動作の端々に人間臭さが垣間見え、さらには枝葉末節ではあるが、紺碧色の髪に黒髪がひと房、メッシュのように入っている。
そんなストラウスの言葉を受けて、黒騎士は相変わらず正気を失っているシモネッタ妃へと視線を戻し、
「くだらんな。そもそも貴様如きがクララを嫉妬するなど、泥沼を這いずる亀が満月に届くと思うが如き増長だと理解できぬか。ふん、あるいは水面に映る影を見て届くと錯覚を起こしたか?」
吐き捨てるような黒騎士の言葉にも、顔じゅうの穴という穴から体液を垂れ流したままのシモネッタ妃は反応がない。
「ふむ。いささか強引に記憶を再生させたので、脳が焼き切れたかも知らないな。なんとも脆いものだ」
投げやりに肩をすくめるストラウスに対して、黒騎士も熱のない口調で答える。
「ふん。構わんさ。私にとって大事なのはクララただひとり。そのクララを間接的にとはいえ死に追いやり、死後もその一粒種を貶め、侮辱し、殺そうとした女など、八つ裂きにしても物足りないくらいだ。せいぜい追い詰められて発狂したとでも、その無様さとともに派手に喧伝するさ」
「いいのか、仮にも自分の息子や娘の母親だろう?」
「はははっ! 誰が息子だと? 誰が娘だと? 私の娘はシルティアーナただひとり。知っているのだぞ、シモネッタ。どいつもこいつも、どこの種とも知れん馬の骨の子供なのだと」
その言葉にピクリとシモネッタの弛緩した顔に動揺が走った。
「まあ、それはエロイーズにしてもパッツィーにしても同じだがな。クララを邪険にした貴様ら等、触るのも言葉を交わすのも心底苦痛だったぞ。まして褥を共にするなど反吐が出るので、毎回薬を盛っていたことなど思いもしなかったろう。ま、貴様らの関心など最初からなかったのは承知の上だからな。お互い様であろう? ――ふん。だが、その上で次期オーランシュ王候補だと? バカバカしい。どいつもこいつも王族を騙る出来損ないの贋作ばかりではないか! 本物はただひとりだけだ!!」
そう熱に浮かされたかのように熱弁する黒騎士の背を眺めながら、
「……ジル。いや、シルティアーナと呼ぶべきか?」
ストラウスはそう独り言ちるのだった。
茶番のようなふたりのやり取りを眺めながら、この場に居合わせる第三の男――通称〈影法師〉と呼ばれる大陸の裏社会を仕切る黒幕にして、シャトンの親方である黒髪糸目の商人が、
「ほんま、因果な人間関係ですなぁ……」
大仰に肩をすくめてそうぼやいた。
黒騎士、いったい何者なのだ!?(;・`д・́)...ゴクリ
10/10 追加・修正しました。
修正しました。
×噛みつき→○咬みつき




