アチャコの本気とエグモントの失言
「ぎゃあああああっ! 胸がっ……金貨二枚半もした、あたしのパッドスライムと、銀貨九枚の特製ブラが~~っ!!」
魂消るカルディナさんの絶叫に視線を移せば、なぜか胸元のあたりが焼け焦げて焼失――真っ平らになった胸元を押さえる彼女と、慌ててそこらへんに転がっていたテーブルクロスか何かを差し出すエレン。そして、紳士的に視線を逸らすエラルド支部長の姿がありました。
それと対峙するエグモント氏が、短杖を構えて怒り心頭の顔でカルディナさんを睨みつけています。
片眼鏡はひびが入り、涼し気だった顔はまるで集団暴行を受けたかのようにボコボコになり、動物性の脂で整えられていた髪も蓬髪を振り乱して、まるで幽鬼のようなありさまと化していました。
「――ふん! 下らんものを使いやがって」
そうして鼻息荒く、足元に転がっていた二体の黒焦げになったスライムを、執拗に足で踏みまくっています。
なにげに口調も紳士然と取り繕ったものから、他人を蔑む傲然たるものに変わっています。
「貴様ら、残らず消し炭に変えてやる!」
スライムを粉砕しても腹立ちは収まらないのか、短杖の先端を三人に向けて発火魔術の呪文を唱えるエグモント氏。
「‟バビブべ、ボウボウ、ムッシュー・メラメラ・ムッシュー・メラメラ”。炎よ、奴らを焼き払え! ――‟絶滅の焔!!”」
呪文は若干……かなり独特のものですが(基本的に魔力と魔力操作と魔力放出ができれば、後はイメージの問題なので、呪文というものはあくまで補助に過ぎません)、能力の方は嘘やハッタリではなく本物だったみたいで、エグモント氏からまあそれなりに強力な魔力が立ち上って短杖へと集中します。
「あら、本当に魔術師だったのですわね」
「あ、そーいや、ゾエ・バスティアが『〈4=7〉』って呼んでました。それって確か魔術結社の中級魔術師を差す隠語でしたよね?」
「ええ、軍隊で言えば尉官レベルで、属性としては〈火〉ですわね」
「ははぁ、道理で教科書どうりで面白みのない魔術の運用だと思いました。だいたい『絶滅の焔』とか大仰なネーミングですけど、あれってタダの『火球』の拡大版じゃないですか。しょうもな。熟練者は独自にアレンジをして、『暗黒の炎』とか『蝕む炎』とか変態的な使い方をするっていうのに」
私とコッペリアともに合点がいった表情で、和気藹々と頷き合います。
「「「そこっ! 和んでいないで何とかしてくださいっ!」」」
エグモント氏の手元に直径一メルトほどの火の玉が形成され、いままさに発射されようとしているのを前にして、エレン、エラルド支部長、カルディナさんが必死の形相で私たちに助けを求めてきました。
と、同時にエグモント氏の手元から火の玉が放たれます。
「えいっ。――‟凍てつく炎”」
それに合わせて私も無詠唱で拳大の白炎を放ちました。
ワンテンポ遅れて放った魔術ですが、速度は圧倒的にこちらの方が速く、大火球がエレンたちに到達する寸前で追いついたソレが空中で交差し、相互干渉を引き起こして『ジュッ』という情けない音とともに対消滅するのでした。
「なっ――馬鹿な!? あんな小さな『火球』で、私の渾身の魔力を込めた『絶滅の焔』を打ち消しただと?! しかも無詠唱で!」
愕然とするエグモント氏に対して、コッペリアが傲然と見下しながら言い放ちます。
「はっ! 同じ〈火〉属性持ちでもクララ様とお前のような十把一絡げの量産凡百な魔術師とでは、基本的な魔力量が、収束率が、密度が大違いなんですよ。霧の塊と氷の塊、どっちがぶつけられるとダメージがあるか一目瞭然でしょうが」
「ついでに言うと、私の『凍てつく炎』は燃えながら相手を凍らせるようアレンジを加えていますので、相互干渉で通常の炎の類は消え去ります」
ついでに私からも解説を付け加えると、
「はああっ!?! 凍る炎だと……なんだそれは!!?」
ものすごく理不尽なものを目にした表情で、地団太を踏んで頭を掻きむしるエグモント氏。
「まあ確かに常人の発想ではないですよね。火に氷属性を付けるとか。それを含めて使えるように魔術を構成してしまうんですから、クララ様はまさに天才鬼才奇才! 変態の中の変態です」
ゲシュタルト崩壊を起こしているエグモント氏を尻目に、コッペリアが私を褒めたたえているのか、囃し立てているのか判断に迷う追従を並べ立てています。
「……ま、それはひとまず置いておいて。さすがにあちらは厳しいようですわね」
ほぼ無力化に成功したルナとアレクサンドラ団長、エグモント氏はさておき、アチャコを相手取っているプリュイとノワさん、そして《天狼》形態のフィーア、ついでに大根は明らかに劣勢でした。
能力づくで周囲一帯の精霊をほぼ根こそぎ支配下に置き、さらには従魔の一種でしょう。ヤマタノオロチかヒュドラだかはわかりませんけれど、一本一本の首回りだけでも大人が手を回しても回りきれるかどうか……といった、多頭の大蛇を召喚して、その中央の首の上に仁王立ちをして呵呵大笑をしているアチャコ。
相変わらず蛇系統が好きですわね、彼女は。
さらにはあの厄介な概念兵器‟使徒の傷痕”が、その手に握られています。コッペリアに壊されたはずですけれど、修理をしたのか予備があったのか……。いずれにしてもお気に入りの道具なのでしょう。実際、つくづく高笑いと鞭がよく似合う女性です。怖いくらいに。
とはいえこの砂埃と煙とで十分な視界が通らないらしく、イライラと苛立たしげな表情でたまに誰かに向かって鞭を振っては舌打ちしている様子でした。
「フィーア、プリュイ、ノワさん。使徒の傷痕ってハッキリと目視されると肉体に致命傷を受けるので、安易に視界をクリアにしない方がいいですわよ!」
私の助言に従ってなるべく土埃が濃く、瓦礫の陰になるような場所へ移動をするプリュイとノワさん。
一方、多頭蛇を相手取っているフィーアは、距離を置いて口から放つ光子咆哮で、胴体の方を狙っているようですが(賢明ですわ。頭を狙ってもヒュドラだったら再生するかも知れませんし)、意外と硬い鱗は多少の傷がつくくらいでダメージは少なく、逆に攻撃を放って動きが止まったところに首のいくつかが噛み付きにきて、それを素早く躱す……の繰り返しで、いまのところほぼ互角――お互いに決め手がなくて千日手になりかけているよう――です。
そのためアチャコ相手に実質的に二対一の戦いを余儀なくされたプリュイとノワさん。
ふたりとも(部族内では)年は若いですが、妖精族と黒妖精族の戦士としては若手随一とも言える使い手であり、仮にAランクの魔物(牝獅子山羊とか下級竜とか単眼巨人とか)であっても、おさおさ引けを取らないとは思いますが、何しろ現在は精霊魔術を封じられたデバフ状態で、さらに相手は妖精族、黒妖精族の遥か上位互換である神聖妖精族相手となれば不利は否めません。
逆に言えばこれだけのハンデがあっても、まだ食い下がっているのですから驚愕に値します。
「『新月の霧雨』、まだ幾ばくかの精霊は残っているか? 残っているなら私に合わせろ!」
「アミークスの他に親しい精霊が残ってくれているが、攻撃は無理。牽制くらいしかできないぞ、『雨の空』」
お互いに即興で合わせながら、精霊魔術を封じられたプリュイは得意の弓で頭上に陣取るアチャコ目掛けて引き絞った弓から矢を放ちました。
「――ふんっ」
こんなもの防御するまでもない、とばかりに余裕の表情で大蛇の首の位置をずらすアチャコ。
「いまだ!」
「アミークスッ!」
刹那、ノワさんの友人である名前付き〈風の妖精〉アミークスを中心とした〈風の精霊〉たちが、プリュイの放った矢の軌道を複雑に変えて、まるでホーミングミサイルのように、アチャコ目掛けて迫ります。
「バン! くっ――しゃらくさい真似を……」
咄嗟に短縮呪文の一種である種字を唱えて、間一髪で矢を粉砕するアチャコ。
「安直な呪文ですね、クララ様」
「――先ほどの妙な炎の呪文にも通じる響きですわね。どんな魔術結社かは知りませんけれど、なんとなく呪文の発案者が誰なのかわかったような気がしますわ」
ともあれ期せずしてある程度相手の手の内を知れたのは僥倖でした。
何はともあれ選手交代でしょう。
「行きますわよ。さすがに神聖妖精族相手にあのふたりでは相性が悪すぎます。前回のリベンジもありますし、視界が悪いいまのうちに畳みかけますわよ」
「了解です。‟バケモノにはバケモノをぶつけろ”理論ですね」
再度私が『光翼の神杖』を装備して、プリュイとノワさんの援護に向かおうと――畏敬の意を示しているのか貶めているのか微妙な合いの手を入れる――コッペリアを伴って、アチャコたちのいる方向へ足を踏み出しかけたところで、我に返ったエグモント氏がルナとアレクサンドラ団長に、私たちの妨害をするよう簡潔に指示を飛ばしました。
ただし女性にとっては絶対に聞き逃せない二文字を使って。
「いかん! あのブスどもを止めろ!!」
・・・・・・・・・。
「……はあ?!」
ジルとなってからは久しく聞いていなかった罵倒語に、しばし意味が掴めずに当惑して、さらに意味を小考をしてから、ようやく何を言われたか理解したところで思わず愕然とする私と、
「んだと、このボケ眼鏡っ!」
百分の一ミリ秒で激昂したコッペリアのロケットパンチが、エグモント氏――エグモントのどてっぱらにさく裂して、崩れかけていた壁際まで吹き飛ばされ、前衛芸術のような形で叩きつけられました。
「ワタシはもとよりクララ様をブス呼ばわりするなど、相当に眼鏡が狂っているようですね。つーか、クララ様も怒るべきですよ。他の事はともかく、よりにもよって‟ブス”ですからね」
憤慨するコッペリアに焚きつけられたわけではありませんけれど、なるほど先ほどからフツフツと胸の奥から湧いてくるこの感情は怒りとか憤りとか名付けられるものだったわけですのね。
そうとわかった私は、ロイスさん直伝の縮地で一気にエグモントの目の前まで移動すると、『光翼の神杖』をその場に突き立て、
「失礼ですわね!!」
壁からずり落ちてくるところに右の平手を叩き込みました。
「ぐはっ――!!」
頬に直撃を受けたエグモントの片眼鏡と短杖が吹き飛び、顔はおろか体ごと反時計回りに回転しているのが、コンマ一秒以下の動きに対応できる反射神経を持つ私と秒間百六十フレームの視覚素子を持つコッペリアの目に映ります。
無礼な男性をビンタする。この瞬間、これまでになかったオンナとしての悦びというか、新たな門が開いたような気がしました。
なので逆側から左手でもう一発。
「ぶほっ!!」
若干顔面を歪めて鼻血を流しながら、ヤバ気な声を放ったエグモントが今度は時計回転に回っています。
なんとなく物足りなかったので、今度は‟気”を込めてもう一度右手をリピート。
「ごふっ――!!」
悲鳴にもいろいろな種類があるのですわねェ。
思わず感心しつつ、本能の赴くままさらに逆側から、さらに逆から、そしてまた逆……という具合に左右の平手をゴキゲンなビートとともに交互に叩き込んでいると、コッペリアがおずおずと進言してきました。
「クララ様。公開処刑の途中でなんですけど、さすがにプリュイたちが限界です」
「――あら、いけない。いつまでも避けないので、つい調子に乗ってしまいましたわ」
「そりゃ空中で足場がない状態で、顔を殴られ続けたら回避運動はおろか魔術も使えませんからねえ」
言われてみればエグモントの両足は宙に浮いています。
途中から痛みが一周回って快楽に変わったようで、悲鳴が「……ふ、ふふ……ふふふふふ」と、気持ち悪くなってきたこともあり、とりあえず手を止めると。エグモントは両膝を突いて、うつろな目で呆然と何もない中空を眺める姿勢で動こうとしません。
こちらはもう問題がないと判断した私は、改めてコッペリアと歩調を合わせてプリュイたちの助っ人をするべく、『光翼の神杖』を床から引き抜き、踵を返して小走りに走り出しました。
「〈4=7〉!」
入れ替わるようにアレクサンドラ団長が、半ば賢者タイム中のエグモントへと駆け寄ります。
ルナの方は自発的な行動は一切しないようで、ただただラナを小脇に抱えて私の方を警戒した目で見ているだけです。
「大丈夫ですか、哲人様?!」
「あー……うん? アレクサンドラか……なんでこんなところにいるのだ? えーと今日の予定は……」
後方で交わされる会話を聞き流しながら、コッペリアが痛快この上ない口調で話しかけてきました。
「どうやらあまりの痛みと恐怖とで記憶が飛んでいるようですね。PTSDの一種だと思いますけど、ああなるともう記憶は戻りませんし、原因となった元と向き合うなど無理でしょうね」
まあ可哀想に。
「お気の毒ですわね。なにが原因かは知りませんが、早めに心の傷が癒されるといいのですけれど……」
そう私が心からの同情を込めて相槌を打つと、なぜか背後から退避したエレンたちの釈然としない視線を受けたのを感じました。
子供の頃から思ってたんですけど、ア○パ○マン相手にするなら取り換えの効く顔ではなくて、なんで胴体部分を攻撃しないのかと……。




