ルナとの戦いとそれぞれの戦場
雨だれ――と言うには一撃一撃が虎でも屠りそうな、スピードとパワーの乗った三叉戟による間断ない突きの連発を、私は正中線を隠した半身の姿勢から左足と徒手空拳の左手とで捌きます(拳法の『待機構え』に近いですわね)。
「洒落にならない攻撃ですが、動きが単調でワンパターンですわね。ある程度の実力者相手では足技を使う余裕などないのですけれど――よっ……と!」
喋っている間にも大振りの隙があったので、半分本気の回し蹴りを放ちました。
「――――」
無言のまま弾け飛ぶルナ。
手加減を間違えたかしら? 殺さない程度に無力化させるという、微妙な匙加減を要求される戦闘に慣れていない私は、思わずヒヤリとしたのですが骨が折れた感触も、内臓が潰れて吐血している様子もないので多分大丈夫でしょう。
これでラナとの間に距離を保てて治癒に専念できるかと思ったのですが、ルナは痛がるそぶりも見せずに三叉戟を床に突き刺し、ガリガリと三条の溝を掘りながら五メルトほど後退しました。
結果、ラナを挟んでほぼ等距離に向かい合う形になった私たち。
ともあれ大体の戦力の見極めはつきました。
基本となっているルナはド素人。身体能力的には冒険者ランクB級といったところですが、精神状態が『狂乱』となっているため、良くも悪くも魔物と同等のお粗末さ。
何らかの後天的処理を施して、筋力、魔力を強化していますが、元が素人の一般人なので十全に機能していないのが丸わかりです。
要するに軽自動車にレーシングカーのエンジンを載せたようなものですわね。このままではあちこちに齟齬が生じて早晩クラッシュするでしょう。
これが戦闘のプロ……いえ、まともな判断力のある相手なら、彼我の実力の差を認めて撤退するなり降伏するなりするのですけど、実質的に圧倒され、あちこち傷を負ってジリ貧になった現在でも、諦めるという選択肢は存在しないのは火を見るよりも明らかでした。
ともあれラナを回収しようと手を伸ばしながら前へ進んだ瞬間、
「――――!!」
渡してなるものか! とばかり無言の気迫とともに、一撃で床材を踏み抜いて、十メルトの距離をほとんど一歩でゼロにしたルナが、突進しながら三叉戟を右手だけで私目掛けて突き出します。
「!?」
咄嗟に避けたところで、タッチの差でルナに拾われたラナが、左手で米俵のように小脇に抱えられました。
や、やり辛いですわ……! 彼女も被害者のひとりで、なおかつラナの生き別れの姉。そしてこの様子からして、ラナに対する情はいまだに残っているのでしょう。
そうとなれば、最終手段――『一度殺して生き返らせる』――も、後々ラナとの間に確執が残りそうでできませんし。相手を気遣いながら、なおかつ実質的な人質になっているラナにも被害が及ばないように、十重二十重に手心を加えつつ、双方ともに無傷で(多少ボコボコしたところで、治癒してノーカンと言い張ってもいいかなぁ……とか、ちらりと思いましたが)勝利しないといけないということになります。
レベル99のドラゴンがレベル1のスライムを一撃で倒さないように手加減をする並みの難易度です。
対人戦ってこんなに大変だったのですね……。
「……ともあれ時間をかけるのは悪手ですわね。速攻で決めさせていただきますわ!」
数少ない対人戦のための稽古――といっても相手は〈獣王〉であるディオンやロイスさんなので、一般的なものかどうかは不明ですが――を思い出して、この場合に最善の手段を模索します。
「――昇龍脚っ!」
ほとんど反射的に素人の常で無防備な足元を狙い、超低空で回転しながら軸足を刈り取る前掃腿で薙ぎ払って、たまらずルナが姿勢を崩したところへ、真下から真上に跳ね上げる形で、顎を狙って左右の蹴りを放つ穿弓腿へのコンボへ繋げました。
もともと実戦では使えない(こんな大雑把で避けられたら終わりのリスクの高い曲芸ですので)洒落や宴会芸として、「まあ一応」という但し書き付きで覚えていた技ですが、虚を突かれたルナは面白いようにハマって弾け飛びます。
冗談みたいに相手の体が空中へ舞い上がった……ところで、私は背筋力と下半身のバネだけで起き上がり小法師のように一気に立ち上がり、そのまま落下してくるルナの背後に回って光翼の神杖を『収納』し直し、即座に自分の長い髪の毛を一掴み掴んで、ルナの首に回して両手で思いっきり締め上げます。
「呼吸を止められたら、いくら強化されていてもさすがにオチるでしょう」
「ぐ……ぐぐ……ぐぅ……!?」
もがきながら三叉戟を手放して(さすがに自分の首を自分で刺す無茶はしない程度の分別はあったようです)、右手で私の髪を引きちぎろうとしますが、どっこいそうは問屋が卸しません。
髪の毛の重量比強度(密度あたりの引っ張り強度)は270MPa。これは鋼鉄に匹敵する強度です。ましてや魔女の魔力が通った髪となれば、悪龍である〈真龍〉の四肢を縛り付けて身動きを封じた……などという英雄譚もあるくらい強靭なのですから。
十秒……二十秒……三十秒。
時間の経過とともに緩慢になってくるルナの抵抗。
訓練された人間なら三分くらいは我慢できるのですけど、無駄に代謝を良くした弊害か、酸素の消費量が多いのでしょう。
それでも片手で抱えたラナのことは放そうとしません。
「……なんだか私の方が悪役みたいな感じですわね」
見かたによっては、圧倒的な力で相手をねじ伏せ、生き別れの姉妹を引き離そうとする聖女の皮をかぶった冷酷非道な魔女……という役柄のようにも思えます。
ま、ともあれあと五秒もあればルナも気絶するわね。そう確実な手応えを感じたその時、不意に背中のあたりに悪寒が走り、私は己の勘を信じてルナの拘束を解いて、その場から横っ飛びに飛んで距離を取りました。
と同時に長剣が翻り、先ほどまで私がいた場所を間一髪通り過ぎていきます。
「――ちっ。外したか!」
憎々し気に鼻息荒く言い放って砂埃の中から現れたのは、
「……誰っ!?」
頭をモヒカン刈りにして、さらにツルツルに剃られた側頭部に『FUCK』と念入りに刻まれた、ファンキーかつ背の高い鎧を着込んだ筋肉質の女性でした。
妙にやさぐれた目付きと相まって、まるで野盗の女親分といった風情です。
「騎士団長とかいう割に、逃げ足だけは速いですね――っと、クララ様。ご無事でしたか」
次いでそれを追いかける形で、片手にバリカン、もう片手に愛用のモーニングスター。ついでに殴りつけると『FUCK』の文字が刻まれるメリケンサックを両手に装備したコッペリアが、煙を割って這い出てきました。
「コッペリア! ……ってことは、もしかしてあの剣呑そうな女性は――」
「アレクサンドラとかいう雑魚の護衛ですが?」
やっぱり! 私と違って容赦がありませんわね、コッペリア。
「つーか、まだ偽物相手に手間取っていたんですか、クララ様。さっさと四肢を切断してハラワタ引き摺り出して、ぶっ殺す半歩手前ぐらいまでいってるかと思ってたんですけど、ワタシと同じで舐めプに徹していたんですか?」
さすがは良心回路が内蔵も外付けもされていない人造人間だけのことはあります。敵と見做した相手に手心を加えるという発想はないもようです。
この間にアレクサンドラ団長が倒れそうになるルナを支えて、取り出した回復薬の類を飲ませて、テキパキとある意味機械的に介抱しています。
「そういうわけにはいきませんわ。彼女も利用されているだけの被害者ですし、何よりもラナの実の姉らしいのですもの」
「友達の友達なんて見知らぬ他人であるのと同様に、見たこともない知人の身内なんて、ただの記号というか概念も同然ですよ。だいたいクララ様なら余裕で治癒できるでしょうから、瀕死にしてもぜんぜん問題ないのでは?」
軽い調子でしがらみや命の崇高さをないがしろにするコッペリア。
「命の重さを軽々と扱わないでください! それにさすがに先ほど言った手足とか内臓とかの重症になれば、私だって治癒するのに全治三十分くらいかかりますわ」
そんな私の必死の抗弁に対して、
「クララ様を見ていると人間の死生観が変わりますねー。死んでも‟ちょっと重い怪我をした”という認識ですから」
なぜか遠い目で達観したかのようにコッペリアが呟きます。
「第一、やっと探し当てた実の姉に対してそんな仕打ちをしたとラナちゃんにバレたら心証が悪くなるのは確実ですわ。‟仕方がなかった”と理性では納得できても、感情的には釈然としないでしょうから、のちのちそれがヒビとなり溝にまで発展するかも知れませんもの」
人間の機微がどこまで通用するのかわかりませんが、私が必死にかき口説くと、コッペリアもわかったようなわからないような不得要領な表情で、「はあ、そうですか」と頷いてから、多少は回復したらしいルナを顎で指して付け加えます。
「でもアレ、まともなニンゲンじゃないですよ。ワタシも駆動するまで気が付かなかったのですが、後付けで精神的、霊的に改造されてますので、どっちにしても一度全部リセマラするレベルで壊さないと治りませんね。まったく……魔術で改造するとか、ニンゲンに対する冒涜ですよ」
怒りをあらわにするコッペリアに対して、「ツッコんだら負けだわ」という意識から、あえて私は無言を貫きました。
「だいたい人間を改造するのって好きじゃないんですよね。もともとの器と形が決まっているので、ぶっちゃけ後から機能を組み込むのって、ボトルシップ作る並みの面倒臭さがあって」
ヤレヤレ……とばかり肩をすくめるコッペリア。
そうこうするうちにホコリも収まってきて、各自の状況がおぼろげながら視認できるようになってきました。




