運命の巡り合いと偶さかの戦い
偶さか(たまさか):偶然
「ルナお姉……ちゃん?」
茫然自失という顔で大きく目を見開くラナと、
「……ラナ……」
ぎゅっと目を閉じて絞り出すように、そしてどこか観念したかのような風情で、背後を振り返らずに呟いた(自称)シルティアーナ姫。
「え? あ。あー……え? そういうことですの……?」
刹那、私の中でバラバラだったパズルの欠片がひとつにまとまり、後はドミノ倒しのように様々な疑問が一気に氷解しました。
実の姉妹――こうして比較してみれば、髪と目の色こそ違いますけれど、なるほどラナと『ルナお姉ちゃん』と呼ばれた眼前の女性は、非常に面影が似ています。
道理で(自称)シルティアーナ姫とは(素顔同士では)初対面でしたのに、どこか親近感というか既視感を覚えたわけですわね、と納得しました。
無論、ラナは狐の獣人族で、そしてこの(自称)シルティアーナ姫はどこからどう見ても人間族以外のナニモノでもありませんが、半妖精族などと違って獣人族の場合、人間族と子をなすと、生まれた子供は完全な獣人族か、人間族かの二者択一となります。
この二人の場合は姉が人間族として生まれ、妹のラナの方に獣人族としての形質が発現したのでしょう。
そして私が合点がいったのとほぼ同じタイミングで、計画に齟齬が生じたことを悟ったゾエ侍女頭――ゾエ・バスティアが、態度を一変させてエグモント氏とアレクサンドラ団長に向かって頭ごなしに命じました。
「イレギュラー発生! 計画変更だ!! 〈4=7〉即座に結界を張れ! アレクサンドラ、貴様はそこのでくの坊の補助をしつつ外敵の排除!」
俊敏な動きで私から距離を置き、主君と奉じていたはずの(自称)シルティアーナ姫を路傍の石のように一瞥をして『でくの坊』扱いをする。
その豹変ぶりに唖然とする私たちとは対照的に、
「はっ! 〈6=5〉」
「御意のままに、大賢者様っ」
打てば響く感じでソファを蹴倒して立ち上がったエグモント氏が、懐から短杖を取り出して構えるのと同時に、ゾエ・バスティアがどこからともなく大人の背丈を超える三叉戟と長剣を取り出して、この部屋に入る際に武器を預けて無手だったアレクサンドラ団長に放り投げるようにして渡しました。
「な……なんですか、その手品は!?」
「クララ様も大概他人の事は言えないと思いますが……?」
咄嗟に立ち上がって『収納』してあった『光翼の神杖』を亜空間から取り出して構えた私に向かって、エプロンドレスのポケットから愛用の鈍器――モーニングスターを引きずり出して、「勿怪の幸い。こいつらまとめてボコボコにしてやんよ」と好戦的な笑みを浮かべながらコッペリアが混ぜっ返します。
「私のは〈空〉属性の魔術ですけど、いまのって空間に干渉した痕跡はありませんでしたわよ。かといって空間収納バッグの類を持っている様子もありませんし」
そもそも空間収納バッグは、間口よりも大きなものを入れることはできませんので、仮に掌に収まる程度の巾着袋サイズのものを隠していたとしても、長剣はともかく三叉戟を収納しておくことは不可能なはずです。
自問する私に対してコッペリアがモーニングスターの棘の先でゾエ・バスティアの持つ指輪を指して補足しました。
「『収納の指輪』ですよクララ様。前に一度見たことがあるじゃないですか」
『収納の指輪』というと、確か個数制限以外は質量に関係なく物体を収納できるという古代遺物で、確か見たのは『蒼神の負の遺産』内部で両面宿儺との戦いの最中に乱入してきた――。
そんな私たちの驚きを無視してゾエ・バスティアが普段から付けている髪飾りへと手を伸ばします。
「あ! あぁ……その髪飾りって……!?!」
刹那、私の脳裏で〈聖母〉アチャコの髪飾りと、目前のゾエ・バスティアが付けている髪飾りがピタリと一致して、本日二回目のパズルの欠片がキッチリと組み合わさって一枚の絵が完成されたのでした。
同時にゾエ・バスティア……いえ、その姿がぐにゃりと変貌をして、
「幻術とかじゃないです! 骨格や筋肉、霊質まで変わっています。あれも古代遺物の『変身の髪飾り』です!」
見知った顔――〈聖母〉アチャコを中心として莫大な精霊力が集まり、一瞬で飽和状態に達した属性も何もかもがバラバラの精霊同士の反発で、頑丈な大理石造りのホテルの貴賓室はもとより、四階部分そのものが外壁の煉瓦ごと轟音とともに吹き飛んだのです。
◇
「……こほっ、こほこほ……煙に巻くどころか、こちらが物理的に土煙に巻かれましたわね」
咄嗟に室内にいた仲間全員には魔力障壁を張り巡らせ、ついでに目の前に先日の炊き出しで使用して洗っておいた巨大鉄板を横倒しに立て掛け、私の周囲と背後の全員が隠れられる形でやり過ごしました。
通常の魔術は精霊魔術と相克の関係にあるので通常なら魔術障壁で防げますけれど、混沌の闇鍋状態になった精霊の暴走となると、どうなるか予想もつかなかったため(事実、結構な数の精霊が障壁を打ち破って鉄板の表面に衝突しました)、大抵の精霊が嫌う鉄の板を城壁代わりにしたのですが――なんだのかんだの言っても得体の知れない攻撃には物理防御が最適です――あたり全体に立ち込める、副次的な土埃や煙まではいかんともしがたいところです。
「皆さん大丈夫ですか?」
辟易しながら『魔力探知』で仲間の位置と状態をざっと確認をして、
「はン。こんなチンケな精霊魔術ごときでワタシがどーにかなるわきゃないですよ」
「あー、ビックリしたビックリした。ジル様。もしかしてまた修羅場ですか? あ、大根も無事で、跳んできた瓦礫からあたしを守ってくれました。植木鉢は割れたようですけど」
「きゃ~っ、支部長、わたし怖いですぅ」
「私としては躊躇なく私の背後に隠れて盾にした君の方が怖いのだが、カルディナ君!」
「なんだこれは、精霊力がしっちゃかめっちゃかではないか!?」
「というか、精霊が召喚できないのですが!」
すぐさま傍らからコッペリア、ちょっと離れたところからエレン(と大根)の無事が、そして床に倒れている感じでカルディナさんと、その彼女に羽交い絞めにされているエラルド支部長の裏返った叫び、そして控えの間に詰めていたプリュイやノワさんも含めて、とりあえず誰も大怪我の類をしていない様子が伝わってきました。
「ラナ? ラナちゃんは無事なの? 返事がないようだけど……」
ただひとり消息不明なラナに再度呼びかけを行った瞬間、ドンッ! という轟音とともに分厚い鉄板を田楽のように突き破って、三叉戟の先端が私の顔スレスレのところを貫通します。
「っ!? えいっ――あ、間違えた……!」
瞬時に飛び退って牽制代わりに足元に転がっていた掌大の小石を、あくまで牽制のつもりで蹴り飛ばそうとして、間違えてその隣にあったマホガニー製でピンクオニキスの大理石天板がついた応接セットのテーブルを蹴ってしまいました。
肉体強化魔術と闘気をミックスした脚力によって、並の人間なら頭にあたれば頭部が熟柿のように弾け飛ぶ勢いで飛んでいくテーブル。
それを獣じみた反射神経と大鬼並みか凌駕する膂力でもって、三叉戟の先端が突き刺さったままの(銛と同じで返しが付いているので簡単には抜けないのですよね)鉄板を蒲鉾板のように持ち上げ、飛んできたテーブルと合わせて真っ二つにしたのは、
「はあ……!?」
氷のような無表情と化した、ラナに『ルナお姉ちゃん』と呼ばれたシルティアーナ姫役の彼女です。
あり得ない光景に思わず唖然としてしまいます。
霊視した限り彼女には魔術の素養はさほどなく(多少はあります。おそらくは獣人族としては珍しく魔術に長けた狐獣人の因子によるものでしょう)、呼吸法も霊光も常人のソレでしたので少なくとも魔術の修行を積んだことはないはずです。
また体の動かし方も素人のそれで、鍛錬を積んだ様子もありませんでした――というか、普通はどんなに頑張っても女の細腕で分厚く巨大な鉄板を持ち上げることなどできません。私だって通常は無理です(魔術を使って重量を減じれば可能ですが)。
「があああああああああああっ!」
そうして障害物を一刀両断した‟ルナ”は、能面のような表情のまま獣のような咆哮を放つと、踏み込みの一撃で床材を陥没させると、一気に私との距離を縮めて三叉戟を横薙ぎに振るいます。
「わっ……びっくり! 人間の反射神経を凌駕していますわね」
大振りの一撃を身を沈めて躱し、軽くカウンターで無防備になった鳩尾目掛けて『光翼の神杖』の石突きを突き入れました。
確かに驚異的なパワーとスピード、反射神経ですけれど、挙動が見え見えでフェイントの類も何もない直線的な動きですので、捌くことはさほど難しくはありません。
ですが反撃もつかの間、もろに急所に一撃を受けたルナですが、痛がる様子もなく即座に三叉戟を真上から叩きつけてきました。
慌てて半回転をして逃げた私の一瞬前までいた床が薄氷のように粉砕され、下の階にあった部屋までもその余波を食らって無残な有様と化します。
「……痛覚も遮断されているっぽいですわね。状態としては狂戦士に近いかしら?」
確かあれは熊や狼の霊魂を宿して、敵味方の区別なく相手か自分が死ぬまで戦う禁呪のひとつですけれど、それでも出せる出力は人間の限界程度のはず。
素質のある者が鍛え方次第では下級竜すら倒し得るこの世界においては、『一般人の限界』レベルは割とゴロゴロしています。
ですが目前のルナの力は明らかにそれを超越しています。まったくもって異様……歪な能力と言えるでしょう。
「精神に精霊に働きかけて眠らせるのが一番なのですが……」
そうボヤいて手元を見詰めますが、肝心の精霊がピクリとも動いてくれません。
ゾエ――いえ、『神聖妖精族』である〈聖母〉アチャコの呪圏の影響でしょう。通常の魔術や治癒術は通常通り使えますが、精霊魔術に関しては一切働いていません。
「そうなると魔術と武術とで相手をするしかないのですけど、痛みを感じない相手となると瀕死の状態まで持っていくか、手足を斬り飛ばすか……下手をすれば殺しかねませんわね」
まあ万一不慮の事故が起こったとしても、『完全蘇生』があるのでセーフという意見もあるのですけれど、そうそう気軽に一日一度、使ったら昏倒する切り札を使うのは躊躇われます。基本的に保険として取っておきたいところです。
「……困りましたわ」
そんな私の葛藤には関係なく、ルナが猛然と怒涛の猛攻を繰り出し、私がそれを躱し、捌き、崩しつつ。手足急所の末端へ、ちくちくと反撃を加えます。殺さないように加減を気遣いながらダメージを蓄積させ、体力を奪う。消極的ですが、これが最善の策でしょう。
「…………っ!」
さすがに無尽蔵のスタミナは持っていないのか、ルナの息が上がってきました。
心なしか頬もこけて精彩がなくなってきたようにも見えます。
いまなら拘束できるかも……と思ったところで、崩れかけていた壁が落ちて風が舞いあがり、わずかに土埃が散って周囲の光景がぼんやりと見えました。
「「ラナ……!」」
すると最初の爆発で目を回したのか、ルナの背後にラナが倒れている様子が目に飛び込んできたのです。
咄嗟に治癒をしようと駆け寄ろうとした私ですが、その前にルナが決死の表情で立ちふさがると、いつの間にぶら下げていたのか、ポシェットの口を開け、中から何やらお菓子? フランクフルト的なものを取り出しました。
離れていても匂うバターの香り。そして持った手がぬらぬらと濡れるほどの油の量。アレは間違いなく――。
「ディープ・フライド・バター!?!」
別名『揚げバター』とも呼ばれるバターを丸ごと油で揚げて砂糖をかけたスナック菓子で、一個当たり六百キロカロリーを記録するカロリーモンスターです。
それをポイポイと手軽につまめる一口サイズのお菓子のように、鷲掴みにして手早く口へ運ぶルナ。ポシェットは亜空間収納バッグの一種なのでしょう。ほとんど無尽蔵に揚げたてのディープ・フライド・バターが出てきます。
「きゃああああああああああああああっ!!」
太る。太ってしまう……! 正視にたえないその光景に思わず慄く私に向かって、心なしかふっくらとしたルナが、手に付いた油を舐め、先ほどに倍する勢いで打ちかかってきました。
「ええええっ!?! もしかしてカロリーを燃焼することで限界を超えた能力を引き出しているの!? 食べれば食べるほど、太れば太るほど強くなるなんて、そんなのズルいですわ~っ!!」
おぼろげに偽ブタクサ姫が急激に痩せた理由を理解して、私は思わず世の理不尽に不満をぶつけます。
ここで物語は『衝撃の再会と真実の姿』冒頭へと戻ります。




