衝撃の再会と真実の姿
その瞬間、ウエストバティ市で最も高い(宿泊費も同様に)五階建ての超高級ホテルの最上階が弾けるようにして、轟音とともに吹っ飛んだ。
何事かと町中の人々が通りに出てホテルの最上階を見上げるも、充満する粉塵によってその中身は杳として知れない。
二次被害を恐れて町の自衛団も守備隊も手をこまねいているその時、完全に吹き飛んだ元ホテルの貴賓室があった場所では、ふたりの乙女が互いに長物の武器を手にして鍔迫り合いをしていた。
片や白地に金と真紅の薔薇の刺繍が施された法衣のような衣装――〈神帝〉陛下から下賜された聖女専用装備『静謐なる薔薇』――をまとったジルが、愛用の『光翼の神杖』を構えて、青いドレスを着た同年配の乙女が握る三叉戟を受け止め、鍔迫り合いの形にもっていっていた。
「……くぅ……!」
術理も能力も技も何もない、さして自分と変わらない細腕が発揮する素の膂力との力比べで、わずかにジルが押し負ける。
普通ならあり得ない話である。この世界、魔物を斃せば経験値が貯まってレベルアップする……などという都合のいい話はない。
冒険者ギルドの等級においても、あくまで実績を勘案して『○級』と決められるものであり、つまりレベルに応じて強くなるのではなく、強さの指針としてレベルが決められるということであった。
無論、人間の強さには限界があるが、この世界には普遍的に魔素が充満しており、大なり小なりそれを取り込んで魔力に変換することが可能なため、常人を超える肉体能力や魔術を行使することが可能ではあるが、当然のことながら先天的な素養がかなり大きな比重を占めている。
また、獣人族は魔素との親和性が弱いが、その代わり生まれつき肉体能力が人間族の数倍~数十倍も勝っていたりする。
「魔力の流れが異常ですわね。本来の素養を遥かに上回る量と勢い……後天的に強化されている?」
困惑しながら異常な力の原因を探るジル。
「……とはいえ、これは参りましたわね」
まともにやり合えば技術と魔術とで圧倒できる自信はあるが、目前の乙女はまったく守りを捨てた攻撃のみの姿勢を崩していない。
下手にカウンターをとればバッサリとやってしまう可能性もある。そして魔術については……。
能面のような無表情ながら、鬼神のごとき猛攻を繰り出す彼女のすぐ背後に、気を失った狐の耳と尻尾を持ったメイド服姿の少女――ラナが倒れているのを確認して、ジルは臍を噛んだ。
(下手に魔術を使うとラナを巻き込むかも)
それにもまして、最前ラナが眼前の乙女に向かって放った言葉が胸中で木霊する。
『ルナお姉……ちゃん?』
「うらああっ! 死にくされ刃物持ったゴリラ女が!!」
「ふんっ! 鈍器を使った、こんな大振りの攻撃など――」
「――と見せかけて、新装備バリカンロケットパンチ!」
「ぎゃああああああっ!?」
「ふははははははっ、ゴリラ女はゴリラらしく、モヒカン刈りにしてくれるわ!」
「わ、私の髪が……!? や、やめろ~~っ!」
愛用のモーニングスターと謎の装備を使って、アレクサンドラ団長相手に優勢に勝負を進めているらしいコッペリア。
「『新月の霧雨』、手を休めるな! クッ、それにしても妖精族である私から、一度に精霊をごっそり持っていくとは……」
「ええ、残っているのはアミークスの他に親しい精霊がいくつかです。これでは使える精霊魔術はせいぜい牽制程度ですね」
「ほほほほっ。微弱なりとはいえ、まだ精霊魔術が使えるとは、なかなか精霊との親和性が高いとみえる。力で屈服させ無理に召喚させている精霊ならば、有無を言わせず私の支配下に収まるのだけれどね。あの愚かな『雷鳴の矢』のように」
「なっ! 『雷鳴の矢』を知っているのか!?」
ノワの問いかけに嘲笑で返すアチャコ。
「ちょっと甘い言葉を囁いただけで、あのバカ者は思う存分に踊ってくれたわ。王を名乗る器量はなかったけれど、道化としては逸材だったわねぇ。殺される最後の瞬間までくだらない夢を見て。すべてを明かしてとどめを刺した瞬間の顔と言ったら……ほほほほほっ、いま思い出しても笑いが止まらないわ」
「き、貴様っ! 貴様が、貴様がすべての元凶だったのか!! 貴様だけは許せんっ!」
「吼えないことね。たかだか妖精族と黒妖精族の小娘風情が。この神にも等しい神聖妖精族を相手にするなど、天に唾を吐くも同然だと思い知れ!」
「ウオーーーン!! バウッ!(お前、あの霧の中にいた奴! マスターにひどいことした奴だ!)」
他方では正体をあらわにしたゾエ=アチャコを相手に、フィーア、プリュイ、ノワの三人がかり(二人と一匹?)で互角か、やや押されているようであった。
そして非戦闘員であるエラルド支部長、カルディナは、
「「あわわわっ、あわわわわ!?」」
「はいはい、こっちへ退避してください。エラルド支部長、カルディナさんも」
それなりに修羅場を潜り抜けているエレンの指示で、この場所から退避しようとしていたところ、衝撃で片眼鏡が割れたエグモント・バイアーと偶然に遭遇していた。
「逃がすかっ。貴様らは人質だ!」
――むにゅ。
「ぎゃあああああああああああああああっ!!」
ボインボインボインボイン!
「ぐああああああああああああああああっ!?!」
「おっ。これが痴漢撃退モードですか、カルディナさん!? ジャブ、ジャブ、フック、アッパー……おおっ、クロスアタック! 左右の連打が超高速で繰り返されるんですねっ」
「これが巨乳の力?! な、なんか快感……爽快感があるわ。これがいつもジュリアお嬢様が見ている情景なのね♪」
「断じて違いますわ!」
「……いいなぁ、貯めたお給金を全部使っても、やっぱあたしも買おうかなぁ」
買ったら何かに負けた、もしくは妥協したような気がして躊躇していたエレンだが、恍惚としているカルディナを前にして、大いに決意が揺らぐのだった。
「……悪夢のような光景なので、上司としてはできればやめて欲しいのですが」
暴れ回る巨乳にボコボコにされるエグモント・バイアーの姿に、エラルド支部長がドン引きしながら苦言を呈する。
視界が遮られた粉塵と瓦礫の中、周囲で仲間たちも戦っている気配を肌で感じつつ(一部、何か変な性癖に目覚めた者もいて、引き合いに出された際についついツッコミを入れたが)、ジルはどうしてこんなことになったのかと、ほんの三十分ほど前に起きた、まるでドミノ倒しのようなアクシデントを胸中で思い起こすのだった。
◇ ◆ ◇
【三十分ほど前。ホテルの最上階を借り切った貴賓室にて】
侍女兼護衛らしき騎士礼服を着た長身の――私のように中途半端な長身ではなく、百八十セルメルトを超える――鍛えられた(筋肉モリモリではなく、女豹のようにしなやかな柔軟性と瞬発力を兼ね備えた実戦的な体つきです)女性騎士と、ヴィクトリア調のスカート丈の長いメイド服をまとった、顔なじみの侍女頭であるゾエ・バスティアとを左右に従えて、青い比較的質素なドレスをまとった私と同年代と思しき女性が、緊張しているのかややぎこちない足取りで、私が用意したホテルの貴賓室へと入ってきました。
「あの娘が……?」
礼儀として立って出迎えた私の口から、思わず呟きが漏れます。
年齢は同じほど、貴族の女性らしくストレートの長い髪は背中まで伸びていて、赤っぽい金髪(まあ、赤毛も金髪の一種ですから)とドレスとの対比が映えています。身長は女性にしてはまあまあ高いほうですが、ヒールを履いて私と同程度といったところでしょう。
碧色の瞳は茫洋と無機質で、視線は私に向けられていますが、その実何も映していないようにも思えます。
年齢が同じこと、髪が長くて赤色がかった金髪なこと、瞳の色が緑系統なこと。似ている点を挙げるならこの三点ですが、その他の要素に関しては直前に台所から戻ってきて私の背後に侍るエレンとコッペリアが、
「……似ていませんね~」
「三十五点。容姿、霊力、魔力とも俗人のレベルですし、注目すべき点は何もありませんね。クララ様と比較して辛うじて準ずるレベルである〈妖精女王〉とか〈吸血公女〉、〈龍の巫女〉とかならともかく、アレで〈姫将軍〉とか御大層な通り名を名乗っているのですから、片腹痛いどころか腹を抱えて嗤うしかありませんね」
こっそりと囁き合っている通り(当然ながら)まったく共通点がありません。
なお、コッペリアの女性に対する評価基準では――。
SSS:私≧緋雪様>メイ理事長
SS :ヘル公女、ラクス様、先代クララ(絶頂期)、コッペリア(最終兵器搭載時)
S :コッペリア(現在のノーマル型の場合)、マリアルウ(本来のスペック)
~~~~~越えられない壁(以下はどーでもいい雑魚)~~~~~~~~
A :イライザさん(三十年前当時)、テレーザ明巫女(三十年前当時)、テオドシア
B :プリュイ、シャトン、ノワさん、クリスティ女史、マリアルウ(三十年前当時)
C :リーゼロッテ王女、ヴィオラ、モニカ、見習い巫女平均レベル
D :エレン、ラナ、エレノア、ライカ
F :その他大勢
【番外】レジーナ、フィーア
【不明】〈聖母〉アチャコ、大根
以上、かなり独断と偏見に塗れたものになっています。
と、歩幅にして十歩ほど離れた場所で足を止めたシルティアーナ姫一行の中から、片眼鏡をかけた三十代ほどに見えるフロックコートを着た紳士が前に出てきて深々と一礼をしました。
「畏れ多くも尊き〈聖王女〉クレールヒェン様にお目通り叶いましたこと、卑賎の身としましては誠にもって慶賀の至りにございます。私、はばかりながらカトレアの娘子軍を支援させていただいております、エグモント・バイアーと申します。そしてこちらが前巫女姫であるクララ様の一粒種にして、正統なるオーランシュ王国を継ぐ王女シルティアーナ・エディス・アグネーゼ・オーランシュ姫にございます」
立て板に水でそうそつない挨拶をするクルトゥーラ冒険者ギルド長エグモント・バイアー氏。
‟オーランシュ王国の第五王女”ではなく、同じ血筋である‟前巫女姫であるクララ様の一粒種”と紹介したところに、彼の狡猾さが垣間見えます。
「これはご丁寧に痛み入ります。私はクレールヒェン様の」
「「「「宰相」」」」
「ゴホン! 代理人のような立場に就かせていただいております、グラウィオール帝国直轄領コンスル市の冒険者ギルド支部長を務めるエラルド・バルデラスと申します。以後お見知りおきのほどを」
すかさず率先して前に出たエラルド支部長が、私、エレン、コッペリア、カルディナさんの合の手を無視して、そうにこやかにビジネススマイルを浮かべながらエグモント氏に右手を差し出しました。
「――ほう? コンスル市のエラルド支部長のご高名は熾天山脈を越えて、領都クルトゥーラにも届いております。たいそうな敏腕だとか」
「ははははっ、私など鄙びた辺境のギルドを運営するだけで手いっぱいの凡俗ですよ。それに対してエグモント氏は一国の首都を統治するギルドの長であらせられる。その若さでその辣腕ぶりは帝国でも注目の的ですからね」
お互いににこやかに握手を交わしているようでいて、実際にはナイフを向け合っている構図が、その場にいたほぼ全員の目に幻視できました。
とはいえやはりエラルド支部長にオブザーバーとして来ていただいたのは正解でしたわね。
態度は慇懃ながら、どこか私を舐めた感じのあった余裕が消え、エラルド支部長の動向に神経質になっている気配がします。
そして紹介された彼女――簡素な青いドレスを着たシルティアーナ姫を名乗る女性が前に進み出て、どこか機械的に腰を曲げて私に挨拶をしました。
ともあれ無言で視線を床に下ろしているシルティアーナ姫に対して、私の方から声をかけます(相手は一国の王女とはいえ、私は〈聖女〉なので立場上目上にあたります。そのため私から話しかけないと話は進みません)。
「はじめまして……ではありませんね。皇華祭以来ですが、こうして顔を合わせてご挨拶をするのは初めてですわね。はばかりながら〈聖女〉を襲名させていただいております、ジュリア・フォルトゥーナ・クレールヒェンです」
とりあえず様々去来する疑問はさておいて、私もすっかり板についたスマイルとともに挨拶をしました。
お互いに王女という立場ですので姓(=国名)はわざわざ名乗りません。王侯貴族の暗黙の了解というものですわね。
「〈聖王女〉クレールヒェン様。お目にかかれて光栄にございます。前巫女姫クララが一子、シルティアーナ・エディス・アグネーゼと申します。山出しの田舎者ゆえ、お見苦しい点もあろうかと思いますが、ご容赦のほどお願いいたします」
即座にものの見事に棒読みというか、喜怒哀楽の籠っていない挨拶が返ってきて、私は思わず一瞬目を瞬いてしまいました。
普通は平静を装ってももうちょっと緊張したり、慎重に反応を窺ったりするものですけれど、私の方を向いている時でも微塵もその表情は動いていません。
豪胆な性格……というわけではなく、単に端から私――というか目に映るすべて――に興味がないように思えます。
「‟ブタクサ姫”という噂とは裏腹に、実は美貌の姫君っつー噂でしたけど、話半分で正解ですね。さすがにそこにいるだけで世界を輝かせる、女神が如きクララ様と比較するのは酷なので除外しますけど、その他のシレント央国のリーゼロッテ王女とか、サフィラス王国のヴィオラ・イグナシオ・サフィラスなんかと比べても、華がなくてパッとしませんね。いいとこエステルレベル……路傍のタンポポかカスミソウってところじゃないですか?」
「……あー、確かに。まあ美人っちゃ美人だけど、化粧と衣装による雰囲気美人って奴よね」
さらに背後では、コッペリアとエレンの容赦のない値踏みと口撃は続いていました。
う~~む、女子って陰では案外口さがないですわね。
確かに美形という前評判から想像していた意味では、実体はそれほどでも――少なくともアイリスの姫君や紫陽花の王女と比べると見劣りしますけれど、涼やかで俗気が削ぎ落された……他者が触れるのを拒むかのような、媚びや妥協を含まず、どこまでも他者を上から傍観するかのごとき超然とした姿は孤高で、ある種の威厳ともカリスマとも言えるものでしょう。
あるいは人々が思い描く『王族』『姫君』というものはこういうモノではないか、と思わせる記号めいた乙女です。
同時にその造作にどこか親近感というか、普段見慣れた感が漠然と感じられるのですが、記憶のどこを探しても直接会ったことがないのは確かですので、多分気のせいでしょう。
「そういえばシルティアーナ様はシレントにいらした時に、ルタンドゥテのメープルシロップを使ったデザートを定期的にご購入いただいていましたわよね? お気に召されたのならば何よりですわ。歓迎の意味を込めて、本日も心づくしですが、メープルシロップを使ったデザートを準備いたしましたので、まずは腰を下ろして楽にしてください」
素でこれなのか、そのあたりを確認する意味で、シルティアーナ姫の瞳を真っ直ぐに見つめ、軽く探り合いをすると、僅かに視線が揺れ先に彼女が視線を外しました。
これは感情がないわけでも達観しているわけでも枯れきっているわけでもありませんわね。本来の感情を抑えきっていている証拠です。つまり意識的に『救国の姫君』という姿を演じているということで、それはそれで端倪すべからざる相手……かも知れません。
「……てゆーか、アレ本当に学園で不細工な甲冑を着込んでいた中身なんですか? 当時の推定質量――甲冑を抜かした正味――が二百五十キルグーラ前後と見込んでたんですけど、現在は四十五キルグーラ程度です。なんぼなんでも半年ほどで二百キルグーラの減量とか、計算上不可能ですよ。ましてや身体機能や見かけに負担をかけないでとか」
一方で正確に彼女のデータを精査していたコッペリアが、非常に懐疑的な目を自称シルティアーナ姫へと向けます。
シュレーディンガーの猫ではありませんけれど、完全密封された箱の中身が本物かどうかは、さすがのコッペリアでも判別はできないようで、あからさまに疑っています。
「――確かに。私も素顔を見たことがないので、中身別人を連れてこられても区別はつきませんわね」
かく言う私も学園で遭遇した際には、頭の先から爪先までおかしな動甲冑を着込んでいたせいで魔力波動が阻害されていたため、魔術的に判別することは不可能です。せめて一度でも治癒にあたっていたのなら、霊気や生気の形質で判別できたのですけれど……。
ですがシレントでのことを話題に出して反応があったということは、同一人物である可能性も高いと言えるでしょう。
「巷間ではこの日のために臥薪嘗胆。血のにじむような努力と、さらに魔術と併用して減量と修行を行った……と聞いていますけど」
「…………。そういう噂ですわね」
エレンの合の手に私は複雑な心境で頷きました。
おそらくは辻褄合わせのためにでっち上げた設定でしょうが、皮肉なことに事実そのものに――いえ、事実そのものが――合致しています。
瓢箪から駒……というか、どうでもいい適当な虚言が、たまたま事実の方へ勝手に飛び込んできて、ありきたりな『悪い継母と虐げられていたお姫様』という逸話となって、現在世間に流布しているわけですけれど、なんだか私のこれまでの苦労と努力を一気に低俗なバーゲンセールにされてしまった気分で、承認欲求とは違いますけれどこの評価は微妙に釈然としません。
「……というか、なんですか半年で体に負担をかけずに二百キルグーラの減量とかいう無茶な設定は! 飲まず食わず半病人にでもならなければ無理ですわよ。それで健康を維持できる、そんな便利な魔法があるなら私が一番に聞きたいですわ」
ご都合主義もここに極まる設定に、密かに憤慨する私の愚痴を聞いて、エレンが首を捻りました。
「つまり偽物って可能性もあるってことですね」
「……まあそうですわね」
というか、アレが偽物って確定していることを知っているのって、この場では私だけなのが歯がゆいところです。
部屋の中央に設えられてある応接セットに座った私のソファの位置を直しながら、小声で囁き合うエレンとコッペリア。
テーブルを挟んだ対面には、エグモント氏にエスコートされてシルティアーナ姫がソファに座り、その隣にエグモント氏が、そして背後にはゾエ侍女頭と護衛の女性騎士(紹介はありませんが、彼女がシャトンの情報にあった元Aランク冒険者で、エグモント氏の懐刀であるアレクサンドラ王女親衛隊総団長でしょう)が佇んでいます。
「とりあえず先に一服してから積もるお話などいたしましょう」
私がそう促すと、直前間際まで準備していたエレンとコッペリアが、ティーワゴンとケーキスタンドを運んできました。
慣れた手つきでテーブルについている全員――私とちょっと離れたテーブルの隅に座っているエラルド支部長(こちらの背後にもカルディナさんが秘書然とした顔で待機しています)、シルティアーナ姫、エグモント氏――の前に、香ばしい芳香を放つコーヒーカップをサーブして回ります。
「どうぞ。こちらは私が懇意にしている帝国の商会が、南方で仕入れたコーヒー豆だとかで、まだリビティウム皇国では出回っていないはずです」
そう勧めたものの、なぜか手を出しかねてまごついている様子のシルティアーナ姫。
「? 珈琲はお嫌いですか?」
「……いえ、その……」
虫が鳴くような声で曖昧に答え、途方に暮れた眼差しを背後のゾエ侍女頭へ振り返って送ります。
「! 王女様、コーヒーカップの持ち方は……」
即座に意を酌みとった様子で、身振り手振りを加えて助言するゾエ侍女頭。
ああ、なるほど。ティーカップとコーヒーカップは指の摘まみ方が違うので戸惑っていたのですわね。
それにしても、こうして見るとただの主従にしか見えませんけれど、このゾエ侍女頭。従順な侍女の姿とは裏腹に、シャトンとミルフィーユをまとめて超遠距離から二枚抜きした、謎の技量の持ち主なのですよね。
というか、いまさらですけれど、この方とはどこかで……。挨拶程度ではなく、非常に濃密な出会いをしたような気がヒシヒシとするのですが、私の気のせいでしょうか? 特にあの髪飾りに既視感を感じるのですけれど、どこで見たのかしら???
「ふっ、貴族の基本であるカップの持ち方すら覚束ないとは、外見だけ取り繕っても所詮は『ブタクサ姫』というわけですね」
プークスクス、とギリギリ相手に聞こえない声量で嘲笑うコッペリア。
うううううっ、アレはかつての私の姿であり、この嘲笑は私が受けるべきものそのものですわ。
かつて杭のように打ち込まれたトラウマが、呪いのように胸の奥に刻まれていて、それがほんの小さな火種ひとつで私の全身を炎となって蹂躙します。
――いっそのことアレを本物と認めて、私はこのまま〈聖王女〉として、一歩引いた立場で最後まで間接的に関わった方がいいのではないかしら?
ふと、そんな埒もない考えが頭に浮かびました。
その誘惑は強く、蠱惑的で、何よりも過酷な真実よりもよほど安逸な生き方であり、そして私自身と仲間たちがこれから知るであろう事実と、共に背負うであろう苦難を想えば、ここで妥協したほうがいいのではないかと、私の弱い部分が執拗に囁きまくります。
けれどもオーランシュは決して良い思い出がある土地ではないとはいえ、私が十年間生まれ育った故郷です。
母クララが亡くなって以降、五歳から十歳までの五年間、正妻であるシモネッタ妃を筆頭にして、他の側妃から異母兄弟姉妹、乳母、女家庭教師、身近にいた家女中、果ては庭師や領民のひとりに至るまで、容赦なく陰ひなたに外見や人格を徹底的に否定され、醜い『ブタクサ姫』と貶められ――その刷り込みとも言える精神的外傷は、私はいまだに私の中に重く根を張っています――邪険に扱われたとはいえ、仮にも領主の姫のひとりとして、領民の税で何不自由なくぬくぬくと生活できていたのは確かです。
ならば他の誰が知らなくても、私はオーランシュの問題から逃げるわけには行きません。
まずは目の前に居る『シルティアーナ姫』。
彼女を何とかすることが第一でしょう。
そう決意も新たにした私たちの前に、気を利かせたエレンが取り皿に並べた出来立てのデザートを、少量ずつ配膳したのでした。
「ありがとう、エレン。――さあ、珈琲の苦みには甘いお菓子が抜群に合いますわよ」
そう促しながらまずは私が手づかみでボーテルクークを口に運んで、追加で珈琲を一口飲み下します。
私のやり方を参考にして、シルティアーナ姫もお菓子に手を伸ばすのでした。
なお、カルディナさんが繰り出すパッドスライムの攻撃は、
・パッドボイン撃ち(基本技)
・パッドボイン撃ちクロスアタック
・パッドボインタイフーン
・パッドボイントリックサンダー
と、多彩な技がありますがやり過ぎるとスライムが消耗して死にます。
※ティーカップは右手の親指と人差し指、中指の先で取っ手を摘まむようにして片手で飲むのが正式な作法です(左手は添えない、取っ手に指を入れない)。
コーヒーカップは重いので、人差し指を取っ手に入れて親指と二本の指で飲むのが普通です。




