裏切りの報復と姉妹の再会
蒼い、どこまでも蒼い調度と造形によって形づくられた絢爛たる宮殿の一室で、ひとりの青年が苦悶の表情でこと切れていた。
その死に顔は凄愴で、まるで生きながら地獄の底を覗いたかのごとき様相で、いかなる豪胆な戦士であっても思わず目を背けるほどであった。
極限まで開かれてうっ血した目からは膨大な血涙が流れ落ち、噛み締められた歯という歯はボロボロに砕け散り、搔きむしられた顔には深い爪痕が幾条も走り、それをなした自らの指の爪はすべて根元から抜け落ちている。
状況から見て誰かに殺害されたのではなく、信じがたいほどの苦悶と懊悩から自刎した……としか見られない無残な有様であった。
「……耐えられなかったか。少しばかり己の内面を見せただけで無様なものだな。鏡写しの自分の姿がそれほど醜悪だったのかな、アレク先輩」
豪奢な玉座に腰を掛けたまま恬淡と、青年が惑乱し狂乱の果てについには終極を迎えるまでを看取っていた蒼い龍人――〈神子〉ストラウスが、頬杖を突きながらぶっきらぼうな調子でそう独り言ちた。
足元に転がる亡骸の主は、かつて『アレックス・フォーサイト』という名で、リビティウム皇立学園の貧乏人向け学生寮の寮長をしていた二十歳ほどの青年である。
表向きは身分制度の撤廃を求める、学生組合のシレント方部長も務めていたが、それはあくまで仮初の仮面であり、その実態は蒼神を崇める邪神徒のひとりで、アチャコの密命を帯びて各地に潜んでいた密偵にして、セラヴィ・ロウを罠にかけ学園を出奔した裏切者であった。
その彼の亡骸を見据えてストラウス――基本となっているのはジルが『蒼神の負の遺産』内部で遭遇した半神(身長百九十セルメルトを超える長身に、側頭部から伸びる一対二本の角、そして背中にあるドラゴンの翼)――であるのは間違いないが、同時にいまの彼を目の当りにしたらジルはおそらく言葉にならないだろう。
整い過ぎて黄金律に従った結果、ブキミの谷へと陥っていた無機質な美貌……そこへセラヴィの面影が加わり、青色の前髪にメッシュのように黒いひと房が入るなど、若干の差異を感じさせる姿へと変貌を遂げていたからである。
そうして、ガラス玉のように感情を映さなかった瞳には、ジルたちがよく知る寂莫たる諦観と哀しみが宿っていた。
「…… 憂さ晴らしになるかとも思ったが何ら達成感も爽快感もない。かといって殺人に対する嫌悪感も拒否感もない。しかしながら感情のざわめきはある。あえて言うなら徒労感か、自己嫌悪といったところか? なるほど無駄かと思ったが得るものはあったか。マイナスの感情であっても、零よりはマシであるからな」
自問自答の末、そう結論付けたストラウスは、再度アレックスの事切れる寸前まで苦悩と苦悶に晒され絶望という奈落へ落ちた悽惨な死体を一瞥し、軽く指先を一振りした。
「〝小葬炎”」
途端、どこか物悲しくも幽玄な蒼い炎がアレックスの全身を包み、松明の炎のように燃えたかと思うと、ほどなくして灰の一片、焼け焦げひとつ残さずに一人の人間がこの世に存在した痕跡すらなくして消え失せたのだった。
◇ ◆ ◇
あえて紋章などを付けずに『お忍び』を前提とした黒塗りの箱馬車がウエストバティ市の表通りをゆっくりと、ことさら存在を誇示するかのように直進していた。
二頭立ての大きな馬車である。
貴族の馬車でしか使われない懸架装置を備えた高級馬車であるが、手綱を握っているのはまだうら若い女性で、客室はレースのカーテンが閉まっていてしかと見られない。
とはいえ『お忍び』という名目だが、その前後を守って走る軍馬や騎獣に乗った揃いの制服を着込んだ、若い女性のみで構成された騎士たちを目の当たりにして、足を止めて彼女たちを見送った市民たちは、それがいま巷で話題となっている〈姫将軍〉シルティアーナ姫と、それを守る『カトレアの娘子軍』であることに即座に気付いた。
そうして慌てて被っていた帽子を脱ぐなどして、敬意をあらわにするのだった。
そして目端の利く者は、箱馬車の進行方向が非公式で(連日の炊き出しでバレバレだが、公式にはいないことになっている)〈聖王女〉クレールヒェン様が逗留しているホテルがあることを思い出して、「さては非公式会談か!」とはたと膝を打った。
「間違いないな、そもそも〈聖王女〉様と〈姫将軍〉とは同い年ながら叔母、姪の関係だ。後ろ盾になる理由としては当然だろう」
「いやいや、知らない親戚より近くの他人さ。そもそも血縁がどうこういうならいまの内戦が起きるわけがない。俺が聞いた話ではおふたりはリビティウム皇立学園の同期だったとか。つまりもともと個人的な親交が深かったってことさ」
「そんな個人的な感情で〈聖王女〉様がただ一方の当事者に肩入れするわけがないだろう。肉親同士の骨肉の争いを憂慮して、この無益な内戦を終結させるように働きかけにきたに決まっている!」
それぞれが自分こそ慧眼の持ち主であると、したり顔で周りの人間に憶測という名の根も葉もない妄想を吹聴する。いずれにしてもこの歴史的会談が、混乱しているオーランシュ王国に明るい未来を約束してくれるのでは……そんな予感めいた希望を胸に、老若男女問わず井戸端会議に花を咲かせる、そんな光景が町のそこかしこで見受けられるのだった。
◇
サスペンションが利いた箱馬車の客席に座っているのは、青を基調としたシンプルなドレスをまとった十五歳ほどの赤みがかった金髪の娘である。
にこりともしない陶磁器のような表情のまま、緑色の瞳を膝の上に広げた本の上に落としている彼女。
一見すると貴族の令嬢が著名な詩集か文学書でも読みふけっているように見えるが――。
【サルでもできる 上流階級マナー読本(著者:〈子爵夫人〉サルゲッチッチ・コング)】
いろいろとツッコミどころ満載な本のタイトルを一瞥して、同乗していたクルトゥーラ冒険者ギルド長にして、シルティアーナ姫の後見人を自認するエグモント・バイアーが、彼女――シルティアーナ姫の隣に座る侍女頭であるゾエ・バスティアに、
『こんな付け焼刃の鍍金で大丈夫ですか?』
と言いたげな視線を向けた。
『所詮はお飾り。余計なことは喋らないように言い含めてあるので、後はお前の方で〈聖王女〉の小娘を言いくるめる事ね』
こちらも無言のまま、ただしその雄弁な瞳でもってそう返すゾエ。
「仕方ありません」「容易いこと」――そのいずれにも該当するような態度で軽く肩をすくめた――エグモントは馬車のカーテンを少しだけ開けて、すぐ隣を堂々たる体躯の牝馬を駆って並走する王女親衛隊総団長のアレクサンドラ・カルデラと、通りのそこかしこでこちらの馬車を指さしては、何やら期待する表情で話し込んでいる市民たちの小集団を垣間見た。
「――ふっ、愚かどもが。貴様らは平和を謳いながら平和の何たるかを知らぬ。戦場となった町で日常として繰り広げられる地獄……店舗の店先で商談をしていた商人が、公園で椅子に座っていた老婦人が、焼き菓子を頬張っていた親子連れが、つかの間の逢瀬を楽しんでいた恋人同士が、何の理由もなく戦術魔術によって吹き飛ばされ、五体を焼かれ、四肢を引きちぎられ、悲鳴を上げる首から上を砕かれ、臓物をえぐられる様を。理不尽に人生を終わらせられる悲劇。真の害意と無慈悲な殺戮のなんたるか知らず、平和平和と能天気に繰り返す無能どもめが」
エグモントは殺意と評してもいい激情で、通りを行き来する市民たちを見ながら、
「ああ、お望み通り〝平和”な世界を作ってやろう。だが、そのためにはまだまだ地獄が足りない。貴様ら愚か者どもが地獄の中で救いを求めた時、その時こそ何もしない〈神帝〉に代わって、我らの〝真の神”が顕現するのだ」
そう熱を帯びた言葉を誰にともなく、呪いの言葉をそらんじるのだった。
その様子をシルティアーナ姫が毛ほどの興味も示さずに聞き流し、ゾエが口角を吊り上げてうっそりと微笑んでいた。
◇
同時刻、ホテルの厨房を借りてお茶うけの軽食を作っていたエレン、コッペリア、ラナの侍女三人娘は戦場のただなかにいた。
「はい、ポンデデケイジョ(タピオカ粉で作られたチーズボール)できたわよ!」
エレンが大皿に盛り付けするのと同時に、
「左方、火力薄いですよ、なにやってんの!」
オーブンでストループワッフル(薄いワッフル生地にシロップを挟んだもの)とボーテルクーク(バタークッキー)を焼いていたコッペリアが、助手についていたホテルの台所女中を怒鳴りつける。
「……うんしょ」
その間にラナはビーバーテイル(揚げパンにシナモン、チョコレートなどをトッピングしたもの)に、これでもかと妖精族謹製のメープルシロップを塗りつけていた。
シルティアーナ姫一行が到着するまでほんの三十分ほど。
すでに先ぶれは来ていて、ジルとエラルド支部長、カルディナさんたちは貴賓室で待機中である。
念のために別室にフィーアとプリュイ、ノワ、シャトンも控えているが、あのシャトンを一撃で葬った相手となれば、それでもまだまだ安心はできない。
(……こうなると、業腹だけどいまのところウチの最高戦力はコッペリアか)
そう思って、さっさとお茶の支度を済ませようと、さらにエレンはブーストをかけるのだった。
次回、偽シルティアーナとラナとの邂逅!?
メープルシロップのお菓子を食べた偽シルティアーナが猛る!
「この料理を作ったのは誰だぁ!?」
※誤字修正でよく「うっそりと」→「うっとりと」と修正されますが、間違いではないです。そういう日本語が存在しますので悪しからず。




