娘子軍の凱旋とカーテンの後ろ側
【ウエストバティ市・旧代官屋敷(現『カトレアの娘子軍』仮設本部】
もともとがオーランシュ王国の直轄領であり、なおかつ関所という場所柄から、旧代官邸はいざという場合には砦として機能するよう、小高い丘の上に築かれた、町の規模に比べて大きく剛健な城……という佇まいの屋敷であった。
本来の主人であるオーランシュ王国子爵位を持った役人貴族の代官はとうに屋敷を離れている。今回の騒動に際して隣接するビートン伯爵領との激戦が予想されたため、臆病風に吹かれた代官は家族と財産を持てるだけ持って、領民を放り出し、尻に帆掛けて王都クルトゥーラへと向け逃げ出した……のだが、予想を裏切りビートン伯爵領軍はこの町を大きく迂回して南部ルートを通ったため、ウエストバティ市はまったくの無傷で残り、さらには下馬評をくつがえし、精強なビートン伯爵領軍がメンシツ聖王国の支援を受けた自称オーランシュ王国・グラウィオール帝国連合軍(オーランシュ王国軍は実質シモネッタ妃とジェラルド王子の私兵)によって壊滅するという番狂わせが生じた――結果、野盗や傭兵崩れ、果ては農民による敗残兵狩りが横行し、それに巻き込まれた代官たちは身ぐるみはがされて、代官をはじめ反発や抵抗した者はその場で始末され、従順な者や若い娘は奴隷として売られるという憂き目にあったのだが、もはやすべて闇に葬られた話である。
そのような理由で実質放置されていた屋敷は、姫将軍と慕われるオーランシュ国第五王女シルティアーナ姫によって歓喜の声とともに接収され、現在は二十人ほどの使用人の他、主に『カトレアの娘子軍』を自称する、うら若い女性ばかり数百人が駐屯しているのだった。
そのためか、武骨な砦を兼ねた屋敷には似つかわしくない気遣い――窓辺には花瓶に生けられた季節の花が咲き、見た目にも繊細なレースの花瓶敷が置かれ、目立たない場所にはベンチと、その上にちょっとしたインテリアや小物がさりげなく飾られていたりする――が随所に垣間見られる。
そんな最前線の砦というには、どことなく浮つき華やいだ雰囲気が漂う城内を、規則正しい軍靴の足音を響かせて、銀色の鎧を着込み、ゆるくウェーブした栗色の髪を肩のあたりで切り揃えた、どことなく鋭角な印象を与えるも、十人中七人が美女と評するであろう二十代前半と思える女性が、足早に奥の間――〝カトレアの娘子軍”の象徴であるシルティアーナ姫がおわす御座所へと向かって、堂々と周囲を睥睨しながら突き進んでいた。
彼女の歩みに合わせて、廊下にいた使用人や娘子軍の団員たちが、緊張した様子で威儀を正し、無言で敬意を表す。
それを当然として無表情に通り過ぎる彼女。
と――。
廊下の隅に置いてある椅子と壁が作る影の下から、左右色違いの瞳が浮かび上がり、彼女自身の落とす影と接した一瞬、妖しく猫のように細められ、滑り込むようにしてその足元へと入り込むのだった。
ほどなく元代官の執務室に到着した鎧姿の彼女は、扉の前に待機していた彼女の鎧と酷似した、若干簡素な鎧に身を包んだ女性騎士に向かって傲然と命じる。
「王女親衛隊総団長のアレクサンドラ・カルデラである! カトレアの娘子軍遠征隊が凱旋したことをご報告に参った。お取次ぎをお願いする」
「お、お待ちください。確認して参りますっ」
慌てて閉じられている扉をノックして、わずかばかりの誰何ののち、恭しく扉を開けてアレクサンドラを招き入れる女性騎士たち。
「――どうぞ、団長。バイアー様がお待ちです」
「うむ」
慣れた仕草で部屋の中に入り込んだアレクサンドラの背後で扉が閉まる音がした。
当然ながら部屋の中の魔導燈に照らされて、アレクサンドラの影も同伴するのだが、その影の中で一対の色違いの瞳が、疑念混じりに細められる。
(アレクサンドラ・カルデラっていったら、オーランシュ王国冒険者ギルドに所属する女性唯一のソロでのA級冒険者だにゃ。どこにも所属しないので有名だったのが、カトレアの娘子軍に賛同するとか怪しいにゃ。てゆーか、『カトレアの娘子軍』ではなくて『王女親衛隊』って、なんか別枠扱いで言ってたけど、どーいうことにゃ?)
疑問を抱きながら影はアレクサンドラに随伴するのだった。
部屋の中にいたのはひとりの男である。
「娘子軍が戻ったか。凱旋ということは豚鬼に勝利したということか。被害のほどは?」
動きやすいディレクターズスーツ姿で執務室で書類の山に目を通しながら、三十代で片眼鏡をかけた、一見して猛禽類のような――ただし鷲や鷹のような勇敢さや精悍さはなく、梟やミミズクのような狡猾さ冷酷さが透けて見える――印象を抱かせる紳士が、ちらりとアレクサンドラを一瞥して、数字の上の情報を聞くような平坦な口調で確認をした。
(――クルトゥーラ冒険者ギルド長エグモント・バイアー。数年前にブタクサ姫が行方不明になった事件で見事に身柄を確保した縁から、逸早くシルティアーナ派の支援に名乗りを上げたとは聞いていますが、ずいぶんと偉そうですにゃ)
そんなふたりをアレクサンドラの足元の影が、興味津々と見据えていたのだった。
「死者はゼロで、軽症者が十人ほど。問題の豚鬼の集落は完全に焼き払ったとのことで、同行していた監視人からも同様の報告を受けております」
淡々とした口調でのアレクサンドラからの回答に、軽快に書類を審査していたエグモントの手が止まり、思わず……といった具合に顔を上げ、まじまじとアレクサンドラの硬質の美貌に視線をやる。
嘘や冗談を言っている顔ではない(というか、いまだかつて冗談の類を耳にした者はいないが)のを確認して、エグモントは軽く感嘆の吐息を放った。
「……ほう。予想外でしたね。実家に恩を売ったところで利用価値のない下級貴族の娘や素人の足手まといをこの機会に始末して、ついで『悲劇に見舞われた乙女たちを救うため』という大義名分のもと、我らが姫将軍様と中級貴族以上の令嬢たちと、貴女方B級以上の実力派冒険者によって構成された、真の精鋭たる王女親衛隊が仇討ちを成し遂げる、というシナリオでしたが。まさか犠牲を出さずにやり遂げるとは、意外と優秀だったようで、嬉しい誤算というところですね。……まあ、この程度の誤差は想定内です」
『嬉しい誤算』という割にはまったく嬉しくない顔で、エグモントは吐き捨てるように言い放った。
「報告では、集落の規模に反して豚鬼の数も少なく、従属種である小鬼も残っていたのは、まだ成体になり切れていない幼体ばかりだったとのことです」
「ふむ? こちらで独自に出した密偵からの報告では、王種こそいないものの上位種を含むかなりの規模の集団だと聞いているのですが。もしかすると本拠地を変えた直後だったのかもしれませんね」
だとしたら辻褄が合うな、とひとり納得するエグモント。
「いかがいたしますか。戻ってきた遠征軍には引き続き豚鬼狩りを続行させますか?」
必要であれば今回の遠征軍――のみならず数ばかりいて大して役に立たない娘子軍――をすり潰れるまで使い倒すのに躊躇ない口調で冷徹に、いや冷淡に指示を仰ぐアレクサンドラ。
小考したエグモントだが、何事もなかったかのように手にしたままのペン先にインクを付け直し、書類仕事に戻った。
「いや、必要ありません。せいぜい盛大に歓迎の宴でも開き、彼女たちの華々しい成果を喧伝することで、一般大衆向けに『カトレアの娘子軍は民の味方である』と周知させましょう。少々迂遠ではありますが、娘子軍の人気が高まることで、彼女たちを統べるシルティアーナ姫に対する傾慕と憐憫の念も深まるはず。それによって〝正義”の所在がどこにあるのか、理屈ではなく感情に訴えかけるのが効果的でしょう。大衆どもの同調圧力というものは、意外とバカにできるものではありませんからね」
「なるほど……了解しました。それと遠征軍に関して少々問題がございます。豚鬼の集落にて、近隣の村か旅人かは不明ですが、数人の女性を保護したとのことで、それらの処分をいかがなさいますか?」
豚鬼や小鬼は亜人を含む人族の雌を攫っては、もてあそぶ習慣がある。食事も水も与えられず、雄の本能に従って死ぬまで嬲られる女性たち。
多くの女性はそうなったら自殺するか気が狂うか、いずれにしてもまともな状態でないため、冒険者の一般的な対応としてはその場で楽にしてやるのが慈悲、という認識で共通していた(無論、報酬が期待できる相手ならば別だが、そうでなければ無駄に労力と人員を割いて連れ歩くのが面倒という冷酷な計算もある)。
ただ今回は同性である娘子軍の娘たちの同情と、不幸中の幸い(?)で手の空いている者が多かったことから、豚鬼の虜囚となっていた彼女たちを連れ帰ってきたのだった。
「……厄介ごとを」
それを聞いて顔をしかめるエグモント。
いまさら始末するとなれば表面上はともかく、感情的なしこりが自分たち上層部と末端の構成員たちの間に生まれるだろう。かといって被害者たちを養い治療する義理も予算もノウハウもない。それに何より……。
「大賢者様が良い顔をしないだろう。なぜかあのお方は豚鬼の犠牲者に対して同情的だからな」
どうしたものかと思案したエグモントの脳裏で、刹那閃くものがあった。
「厄介ごとには厄介ごと、か」
口角を上げたエグモントはどこか晴れ晴れとした調子でアレクサンドラに指示を飛ばす。
「犠牲者は町の教会に連れていけ。いま市井では〈聖王女〉様が直々に炊き出しをしていると話題になっているだろう。ならば〈聖王女〉様のお慈悲にすがるのが一番ではないかね?」
「なるほど」
(丸投げですにゃ)
得心した様子で頷くアレクサンドラと、迷惑そうな調子で目を細める影。
と、その時――。
「エグモント」
隣室へと続く扉が開かれ、抑揚のないそれでいて通る声が聞こえてきた。
ペン立てにペンを置いて振り返ったエグモントは、即座に椅子から立ち上がり、うやうやしく一礼をする。合わせてアレクサンドラも、その場に片膝を突いて騎士の礼をするのだった。
「……シルティアーナ姫様」
青を基調としたドレスを着た若い娘が、侍女らしい二十代半ばほどのブルネットの髪をしたメイド服の女性を従えて、ゆったりとした足取りで執務室の中へと歩みを進める。
礼をしたままのエグモントとアレクサンドラ。その仕草には、形式的なものではない本物の畏敬の念が込められていた。
そのことに軽い驚きと喉に刺さった小骨のような違和感を覚えながら、影の中の左右色違いの瞳が、入ってきた娘とその従者へ向けられる。
(確か侍女頭のゾエ・バスティアとかだったかにゃ。あれが付き従っているってことは、間違いなくこれがシルティアーナ姫なんだろうけど……)
ジルと同じ年頃。翠色の瞳。腰まで届く赤みがかった癖のない金髪。確かに両者に共通点はあるが、逆に言えばそれくらいしか共通点はなかった。
先代の巫女姫クララの遺児である彼女と、そのクララの実妹(ということになっている)にしてクララと瓜二つというジル。非常に近しい血縁関係にあるはずだが、そう言われても「う~~ん?」と首を捻らずにはいられないところだろう。
「娘子軍の遠征隊が無事に帰ってきたそうですね」
「はい。一名の犠牲も出すことなく、見事に豚鬼どもを討ち果たし、巣窟を灰燼に帰してございます。後ほど凱旋の宴を執り行いますので、姫様にはぜひとも彼女たちにねぎらいの御言葉を賜りますようお願い申し上げます」
「そう……ですか」
エグモント・バイアーのやり取りを聞きながら、一対の色違いの瞳が、シルティアーナ姫と呼ばれた彼女を値踏みする。
美醜の観点から言えば美少女のくくりには入るが、さりとて万人の目を引くほど美しいというほどでもない。静謐な雰囲気はどこか危うく、他者を拒むような、どこか作り物めいた物腰は超然としている……とも言えなくもないが、どちらかと言えば恬淡虚無な印象を受けるのだった。
(聖王女サマとはエライ違いですにゃ~)
黙っていても他人を癒すようなジルとは真逆の『シルティアーナ姫』を前にして、アレクサンドラの影に潜んでいたシャトンは、そんな忌憚のない感想を抱くのだった。
だが同時に――、
(誰かに面影があるような……?)
微妙な既視感を覚えて、シルティアーナ姫の貌を注視した。刹那――、
(!!!)
シルティアーナ姫の背後に控えていたゾエと視線が交差し、ニヤリと嘲笑われた――と、半ば本能で直感したシャトンの全身に戦慄が走る。




