足止めの聖女と辺境での野宿(承編)
前後で終わりませんでした……
夕焼けに染まる山道を鈴の音と獣の息遣いを伴いながら、ひとりの少年が慣れた足取りで歩みを進めていた。
周囲には山羊たちの鳴き声が騒々しく響いている。
「――はぁ、日が落ちるのが早くなったな。うっかりしてた。魔狼とか出てこない内に帰らないと」
若干の後悔をにじませながらの独り言だが、さほど焦りはない。
鄙びた山道とはいえ馬車一台くらいなら問題なく通れる幅があり、特に最近は聖都に向かう隊商が連日のように通り過ぎていくお陰で、足元は踏み固められていてずいぶんと歩きやすく丈夫である。
もとは村邑と村邑とをつなぐ道というのもおこがましい小道であったが、いまではユニス法国へと抜ける裏道のひとつとして、商人や旅妖精の地図にも記載されている立派な公道だ。
お陰でもともと魔物の少ない高地であることに加え、人の往来が増えたことで数少ない魔物も駆除され、また道の脇には魔物が嫌うハーブが積極的に植えられるようになったことで、いまではずいぶんと楽に集落と集落の間を行き来できるようになっていた。
実際、いまも多くの羊を連れた幌馬車仕立ての隊商が、石造りの防護壁で守られたここいらにある唯一の集落がある方向へと向かっている。
それを少年が視界の端に捉えて、羨望と諦観の混じった眼差しでもって、ゆっくりと追いかける形で同じ方角へ歩いていた。
以前に比べて安全になった……といっても、この地は過酷である。枯れた峻険な大地が四方を囲み、数は少ないものの翼幅が七メルトもあるコンドル胴体に人の顔のような胴体を持ったタレポ(一般的には「フライングヘッド」と呼ばれている)や、仔牛ほどの大きさの豺狼などの被害は確実にある。
こうして隊商が行き来するこの地だが、逆を言えば大人数で隊商を組まなければいけないほど危険な場所でもあるということだった。
もっとも少年は隊商の一員ではない。
十三歳ほどの色黒でクセ毛の少年の傍らにはラマが一頭。背後には十頭ほどの山羊がいるだけで、他には親も保護者らしい大人もいなかった。
粗末な衣装に持ち物と言えばどこかで拾ったような枝を振り回し、腰の後ろに結わえられた山刀が一本――十三歳の成人を機に、一人前の男であることを示すステータスシンボルとして邑長から贈られたもの――があるだけの、この先にある百人ほどの邑に暮らす部族(正確には部族に属する支族のさらに末端)の一員である。
とはいえ邑外れにある掘っ立て小屋のような家には、ろくな財産もなく。あるものといえば年老いたラマと猫の額ほどのジャガイモ畑といったところであった。
それを不憫に思った邑長から成人の祝いに渡されたのが、山刀と十頭の山羊である。
山羊はともかく、貴重な鉄器である山刀を譲られたのは、当然恩情だけではない。
孤児である少年をひとりを養うのは邑にとっても重荷である。ならば一人前の『男=戦士』として独立させることで負担を減らし責任を押し付け、ついでに限られた緑地と水場、岩塩の採れる穴場を巡る争いに戦力として参加させたほうがマシであると、ここのところの好景気で数年前までにくらべて多少なりとも生活が豊かになり――無論、大都市に住む貴族や金持ちとは比べるべくもないが――商業価値の高い羊の種類を増やしたり、着る物や家の修繕などにも気を回したりする余裕ができた邑長と大人たちは考えたのである。
その結果の山羊十頭(いまどきは羊に比べて使い勝手が悪いので、どこでも持て余し気味になっていた)と、中古の山刀であった。
仮にも一人前と認められた――大人になれないのではないかと思っていた――少年としては誇らしい反面、目に見えない鎖で繋がれたような気分がして、どうにもいまだに慣れないでいた。
ほんの数カ月前まで少年は、街道を行く隊商を眺めては、故郷を離れてまだ見ぬ世界へ行けるのではないか、自分が自分で選んだ生き方ができる場所へ行けるのではないか。そんな風に夢見ていたものである。
大きな町へ行って立身出世をする。
所詮は夢物語にしか過ぎないが、実のところそんな風に思える変化の波は、少年の暮らす支族にもゆるゆると訪れていたのも事実である。
長い間部族間の抗争と放浪に明け暮れていた支族もいまでは腰を落ち着け、争いと放牧だけに費やす以外にも、余裕と時間が増えた。
老人や大人にはいまから変化を積極的に受け止め行動するのは難しいが、まだ年若い者が新しい生き方を見つけることは可能かも知れない。
口にこそ出さないが、そんな風に漠然と邑長が思えるほど、ここ最近の変化の波は顕著であった。
なお、その変化と好景気の背景には、とある聖女様の思惑もあったりする。
◇
遡ること半月ほど前の《聖天使城》での一幕。
「寒冷地で採れる羊毛は上質ですからね。一般の羊に比べて若干小柄で採取量も少ないですが、そこは品質の良さで十分に採算が取れる形になっています。『衣食足りて礼節を知る』ではありませんが、ある程度の生活の向上は自由経済を活発化させますし、そもそも楽しいですから」
そんな聖王女の言葉に、清貧を建前とする聖職者のひとりが反論した。
「それは贅沢を是とする堕落した考えではありませんか?」
「違いますわ」
即座に首を横に振るジル。
「例えば喉を潤すためでしたらただ単に白湯を飲めばいいところを、野原に生えている香草を摘まんで乾燥させ香茶を作ることは、どこの修道院でも行っていますわよね? それは確かに遠方より高額で取り寄せた紅茶や珈琲は贅沢品ですけれど、ちょっとだけ我慢して、ちょっとだけ手を加えて――まあ時間はかかりますが――美味しく飲むのは贅沢ではなくて、心のゆとりだと思いますの」
そう言いながら傍らに立つ侍女から受け取った、およそ大陸中の全聖職者の頂点に立つ身分とはかけ離れた、素朴な香りの香茶で喉を潤す。
「こうしたことは無駄でも贅沢でもありません。ただ単に喉を潤し、お腹をいっぱいにするだけなら水と焼いただけのお肉があれば事足りますが、少しだけ我慢をして手を伸ばして、もっと美味しくて素敵なものを口にする……そうすればお腹だけではなくて心も満たしてくれる。それこそが人間らしい生活だと思いますの」
それからジルはしみじみと、「人は明日への希望とゆとりがなければ、人間らしく生きることも他人を思いやる余裕もありませんから」と続けるのであった。
「愚かで雑魚の人間如きにそんな高邁な考え方ができますかねぇ」
オレンジ色の髪を左右非対称にした侍女が、皮肉な口調で混ぜっ返した。
「ええ、現実には必死にもがき暮らしても、安定して暮らせる場所は限られていますから、どうしても不平等と競争が生まれるのですわ。そうした理想と現実の矛盾を多少なりと減らすとなると、やはり暮らせる場所を広げるしか手立てはないわけですから、私たちが率先して労働条件の改善や生活環境の整備、医療福祉の充実などに着手すべきだと思いますの」
「狭い範囲ならともかく、クララ様の目標って建国予定の超大国……さらにはあまねく大陸全土ですよね~。ものスゲー茨の道だと思うのですが。あのバルトロメイが聞いたら『吾道属艱難であるな!』とか言いそうですね」
遠い目をしながら、どうでもいい口調で肩をすくめるコッペリア。
「モデルケースを成功させれば、多少なりとも社会は変わるはずです。実際まったくの慈善事業というわけではありませんわよ? 先ほどの羊毛の話でも最初の数年は親羊を貸し出して、生まれた仔羊の半分を分け合うことで、こちらとしても元は取れますので、長い目で見れば十分な投資になりますわ。それと、女性向けの冬の産業として、亜麻の栽培と繊維の加工に助成と設備の貸し出しも行っていますし、こちらも需要に対して供給が追い付かないほど好調のようですから」
ちなみに亜麻は寒冷地での栽培に適している。つまりリビティウム皇国全体が一大産地ということである。
また亜麻という言葉は、『ランジェリー』の語源になったほどで、百年以上前の貴族や中流階級の女性のように、ノーパン・ノーブラではなくきちんとした下着が主流になっている現在では、引く手あまたなのであった。
このため聖王女は個人的な資産(主に王侯貴族や豪商などを治癒した際に得られる、莫大なお布施や礼金)を惜しげもなく使って、こうした公共事業や殖産産業への投資に精力的にかかわっていた。
「そういう迂遠なやり方ではなくて、直接、援助や補助金を配布するほうが喜ばれそうですが?」
『聖王女様からの施し』という形で物品を配れば、もっと効果的で名声も高まるのでは? と、若干不満顔で侍女にして親友であるエレンが異議を申し立てた。
不満の原因は一部ではあるものの、ジルを良く思わない層からの陰口や誹謗中傷といった心無い噂を耳にしたことがあるからだろう。
〝出る杭は打たれる″のことわざ通り、圧倒的多数に支持されているジルだが、世の中直接本人を知らずにしたり顔で批判に回る天邪鬼、へそ曲がりは一定数いるもので――
『聖女が死者蘇生を行う事が出来るなどという与太話で民衆を騙している』
と、声高に喧伝している反教団及び他宗教の関係者。
『才能、容姿、血統、運。生まれつき恵まれた者が、上から目線で売名とともに搾取しているだけだ』
と、非難する中級階級(その中でも中堅以下)の自称革新派。
『真実聖女が聖女たる存在であれば、博愛の精神で無償の奉仕をすべきであろう』
と、「だったらお前は無償で仕事をできるのか? 奉仕活動をしているのか?」と言いたくなる、オレ意識高という紋切り型のマウント連中。
『(゜∀゜)o彡゜おっぱい!おっぱい!』
……よくわからないが、適当に騒いでいる無能集団等々。
それらに対するエレンの燻っていた憤懣が爆発した形だが、当の本人は気にした風もなく、
「う~~ん、面と向かって悪口を言われたわけではないですし、批評すること自体は自由ですから。まあ私も譲れるところと譲れないところはありますけれど」
飄々としたものであったという。
「ですが、ジル様が守銭奴みたいに言われているのだけは許せません! 治癒に当たって寄進された浄財はすべて世のため人のために使っているというのに」
なおも歯がゆいとばかり、ジルに言い募るエレン。
「実際に高いお布施をいただいているのも、公共事業に出資しているのは確かですからね」
とはいえ他の巫女や治癒術師との兼ね合いを無視して、無料で治癒をするわけにはいかないし、そもそも物理的に来る全員の治癒にあたることも不可能なため、篩にかけるため高額な報酬を払える人種に限定せざるを得なかった。
もっとも深酒暴飲暴食の不摂生な生活を送りまくって生活習慣病の合併症だらけの富豪や、女性関係(一部男性関係)がお盛ん過ぎて、生死に関わる性病に罹った貴族など――ぶっちゃけ下衆の見本市状態――の治療に連日連日携わっていた聖王女も、密かにストレスが溜まってSAN値が上昇しているのか、なにげに微笑みが仮面のように凝り固まっている。
「――ああ、なるほど」
そこで平仄が合ったとばかり、コッペリアがポンと手を叩いた。
「それでクララ様、あの黒髪の聖女とふたりで、夜な夜な変なマスクと扮装をして(自称)『セイント・ブラック』と(自称)『セイント・ピンク』とか名乗って、手当たり次第に怪我人や病人相手に辻治癒をしたり、盗賊や悪人をボコボコにしたりして衛兵の詰め所に放り込んでいるわけですか? 〝善行は隠れてやれ″の精神ですかね?」
問いかけられて露骨に動揺するジルであった。
「ナ、ナンノコトカシラー」
「……いや、ぶっちゃけドコのダレかは知らんぷりしていますけど、誰もが皆知っていますよ」
半眼で言い切ったコッペリアと、
「「「「あー……(それ言っちゃうの)!」」」」
という顔で、気を利かせてその話題に関しては口を噤んでいたルーク、モニカ、エレン、ラナ、がまじまじとジルの顔を見詰める。
「と、ともあれ私としては言論や思想、宗教の自由はなるべく順守したい方針ですので、名指しで目くじらを立てるのもどうかと……まあ、さすがに現行の社会で共産主義者は問題ですけど、その他であれば寛容であるべきだと思うのですが」
そう困ったように、しどろもどろに無理やり話を戻すジル。下手な誤魔化しかたである。
そんな彼女を愛らしくも微笑ましいものを見るような眼差しで、ルークが見詰める。
本人はあえて俎上に載せないが、実のところジルの最大の敵は聖女教団内部やユニス法国の貴族層にいるのだ。
聖女を利用しようという派閥と、それに相反する派閥。旧ユニス王国の王族を邪魔と見做す宮廷貴族や、うら若い女性を軽視する保守層……嫉妬と逆恨みが渦巻く上流階級のドロドロを知るだけに、それに接してもなお清浄さと無垢さを失わないジルに対する好意が、さらに上積みされてもはや頂が見えない状況であった。
ちなみにジル本人の意向を無視して、圧倒的多数の聖王女擁立・崇拝派は反対派を排除しようと、日々喧々囂々の声高に『敵』を非難し、実際に水面下で動いていたりする。
例えるなら――
『伊東甲子太郎が局を離反した!』
『局中法度。〝局ヲ脱スルヲ不許″!!』
『討幕派に鞍替えし、薩摩に機密を売っておるらしい』
『犬、切るべしっ!』
といった、どこの油小路だ!? という状況であった。
◇
そんな風な思い出話をしながら、街道の脇の空き地で、集めた少ない枯れ枝で暖を取ろうとしていたジルたちの耳に、通り過ぎていく隊商の轍の音と、少し遅れてやってくる十頭ばかりの山羊の鳴き声が聞こえてきた。




