足止めの聖女と辺境での野宿(起編)
お待たせしました。
三十を超える諸国(というか各地に拠点を持つ有力な土豪たち)と、直轄領の集合体であるリビティウム皇国。それを実質的に統括する三大強国――シレント央国、ユニス法国、オーランシュ王国――その政治と経済の中心であるシレント央国の第三王女にして、正室の長女である(つまり王女としての立場と価値が最も高い)リーゼロッテ王女が、思いがけなくユニス法国の首都テラメエリタへ足を運び、聖女教団上層部と非公式訪問を行って後、つつがなく一巡週あまりの日程を消化し、予定通りシレントへの帰路についてから十日余りの時間が過ぎた。
当初は、リーゼロッテ王女とともに連れ立ってシレントへ向かうつもりであった〈聖王女〉ジルだが、さすがに準備期間が短か過ぎることと、聖都における公務や陳情など予定が目白押しなのをあげつらわれ、不本意ながら《聖天使城》にいまだに足止めをされている状態となっていた。
幸いにして紛争当事者であるオーランシュ王国(オーランシュ辺境伯領)とビートン伯爵領との戦線は膠着状態であり、懸念されていたグラウィオール帝国による関与も、「今回の出兵はあくまでインユリア侯国からの要請に対して、メンシツ聖王国が応じたもので、皇帝陛下の意図したものではない」との玉虫色の公式声明があり、とりあえずは様子見というのが周辺諸国の一致した見解であった。
またそのメンシツ聖王国も、現在病床のため一線を退いている女王に代わり、国王代理として実権を握っているファウスト王子の肝煎りで、満を持して投入した虎の子の竜騎士を含めた直属軍が壊滅するという大失態を演じたため、責任の擦り付け合いや人的補償、軍の再編などで追加派兵どころではない……という状況にある。
また季節も冬に向かう晩秋とあって、冬将軍の到来の早い大陸北部では、戦どころではなく冬支度を始めないと命にかかわるとあって、「決着は来年に持ち越し」というのが暗黙の了解となっていた。
「希望的観測ではありませんか? こと戦争や人命がかかることであれば、常に最悪のケースを想定するべきだと思いますが?」
《聖天使城》の聖女フロアにある私室のひとつで、ジルが手ずから紅茶を淹れながら差し向いに座るルークに尋ねた。
洗練された所作で美味しそうに紅茶を飲みながらルークが神妙な顔で答える。
「仄聞したところでは、いきり立ったファウスト王子は領主軍に動員をかけようと、各地の領主貴族に檄文を飛ばしたらしいのですが、先の遠征の二の舞になるのを恐れて――そもそも褒賞や兵站を無視した自分勝手な条件だったそうで――軍閥貴族でさえも呆れて、各々体調不良や領内の治安悪化、魔物暴走の兆候がある、などと適当な理由をあげつらって不参加を表明したらしく、逆上したファウスト王子は強制徴兵や帝国法を無視した増税を強行――」
「まるで落語の『寝床』ですわね~」
しみじみと上司の我儘と癇癪に振り回される、メンシツ聖王国家臣や国民たちに同情するジル。
「――ま、さすがに無茶な要求であって、本来なら相反する貴族の支持を集める閥族派と、平民の支持を集める民衆派、双方の貴族による総スカンを食らって頓挫。で、自棄になったのか何も考えていないのか、ファウスト王子は次に帝都へと足を延ばして、帝国議会と元老院、果ては畏れ多くも皇帝陛下に直談判を敢行し、舌先三寸でオーランシュへ追加派兵をしようと画策したそうですが、そもそも明確な大義名分や私情以外の動機がないこと、ましてやこの度の独断専行による挙兵……あろうことか失敗して帝国の名を辱めたことに対して、実父であるクリストバル・イルデブランド伯爵による烈火のごとき怒りを買い、現在は帝都にほぼ軟禁状態であるとか」
グラウィオール帝国側の内情を、皇継孫であるルークが赤裸々に語りながら、飲み干したカップをソーサーに置いた。
「まあ責任の所在が明確になるまでは、さすがにファウスト王子も帝国も動くに動けない状態でしょうね」
一息ついたところで、空になったルークのカップへジルが紅茶を継ぎ足しながら小首を傾げる。
「というか、ファウスト王子の独断なのですから、責任の所在は明確なのではありませんか?」
そんなジルの素朴な疑問にルークが微苦笑を浮かべて、ゆるゆると首を横に振った。
「仮にも帝位継承権を持つ王子です、多少の失態や汚名程度は返上できますし、そもそも上に立つ者に失敗は許されない。失敗したというなら、それは臣下の責任となります。失敗する前になぜ止められなかったのか。なぜ現場が失敗したのか。それはひとえに臣下たる者に力がなかったためであり、諫めるべき言葉を主君が聞き入れなかったとするなら、すなわち耳を傾けるにふさわしい信頼も実績もなかった。それは主君のせいではなく、臣下の失態という理屈になるのが習いですから」
「ああ、そういえば私も秘書長さんを筆頭に、『聖女たる貴女様は無謬の存在でございます。間違いを認め謝ってはなりません。貴女様を信じる者たちのためにも』と、常々言われていますけれど、あれって本気だったのですか。大仰過ぎて、てっきりお世辞か社交辞令、様式美の類かと思っていたのですが……」
間違えても素直にごめんなさいも言えないのは不自由ですし、本気だとしたらオタクが推しを語って布教する感じがして、ウザい上に有難迷惑ですわね、と呟くジルに背後に立っていた侍女のコッペリアが鼻を鳴らして相槌を打った。
「同意します。クララ様に対する評価としては妥当……というかまだ過小ですが、その他の貴族だ国王だとかの、血筋に胡坐をかいて暖衣飽食の人生送ってきただけのすっとこどっこい、知能レベル九十以下、魔力がオケラ程度の虫けらどもを増長させるのは、阿呆の量産をするだけで無駄だと思いますね」
「コッペリア、人の価値を数値で判断するものではありませんわよ」
「耳が痛い……ごもっともですね。とはいえ王侯貴族なんてものは体面が第一で、謝ったら負けという価値観で生きていますからね。小国ならともかく、そのあたりは大国の宿痾といったところでしょう」
困ったようにコッペリアを窘めるジルと、苦笑いを深くして同意するルーク。
合わせてジルは軽く吐息を放った。
「ともあれ、いまのところ静観するべきとのご意見ですけれど、それって現場を知らない人間の机上の空論だと思うのですよね。事態はもっと逼迫していて、すぐにでも行動に移らないと、手をこまねいていては手遅れになる……ような気が、ヒシヒシと感じられるのですが、そう言っても秘書長さんは過保護すぎて聞いてくれませんし、ローレンス枢機卿は別の思惑があるのか、枝葉末節を指摘してきてのらりくらりと私の要望を躱しますし」
本当に私って周りから信頼とか信奉とかされているのかしら? と首を傾げるジルであった。
そのようなわけで、ジル本人としては内心忸怩たるものがあるものの、短兵急に事を急ぎすぎるわけにもいかず、周囲の説得もあって《聖天使城》最上階を占める『聖女の間』に、いまのところ腰を落ち着けている。
とはいえ我慢もそろそろ限界であった。
◇ ◆ ◇
「……さて、聖王女様のご機嫌はいかがなものであろうか」
《聖天使城》の最上階に続く階段を上りながら、聖女教団の№2にあたる首座枢機卿にして秘書長である初老の男性が、気だるげなため息をついた。
人前ではとても見せられた姿ではないが――周囲に護衛の神殿騎士は侍っているものの、基本的に彼らは一切を〝見ざる聞かざる言わざる″として、存在しないも同然である――彼とて人間、ましてやこれから伺う相手は教団にとって至上の存在にして、いまは亡き旧ユニス王国王家の命脈を保つ王女殿下である。二重の意味で仰ぎ見るべき相手を前に、翻意を促すことは精神を削られるような苦痛であった。
この国――ユニス法国においては、かつて宗教革命が起きた際に王制廃止が断行され、王族の大半が粛清された経緯がある。
その際に完全に途絶えたと思った王家直系血族であったが、一部が国外へ逃れ、他国の王族の庇護を経て、およそ百五十年前の《神魔聖戦》を契機に、ユニス法国へと帰還した。それが現在のテオドロス法王の祖父の代の出来事であった。
その後、紆余曲折を経て――国の有力者である門閥貴族や、一般民衆にはいまだに王家に対する崇拝の念があったことから――聖女教団に帰依した元国王一族は、たちまち教団の中枢に返り咲いた(取り込まれた)のである。
そして幸か不幸か、当代のテオドロス法王聖下と二代目聖女クレールヒェンは、その旧ユニス王家の直系末裔であり、さらに言えば秘書長本人も旧ユニス王家に忠誠を誓う――それこそ教団に対するそれよりを凌駕する熱意で――貴族の末裔であった。
そのためか現在ユニス法国では、水面下において旧王族派と反王族派とで反目しあっているのは、周知の事実である。
いや、具体的に衝突が起きたわけではないが、派閥間のバランスが崩れて軋轢が起きている状況であった。
「ローレンス(枢機卿)め。尻尾を出さないが、奴が反王族派を煽っているのは明白。黒幕気取りでクレールヒェン殿下を利用し、金の卵を産む鶏として使い潰す腹なのだろうが、断じてそのようなことは許さんぞ。全力をもって潰す。たかだか百年ほど前に叙爵された、新興子爵家の次男如きが調子に乗りおって!」
そう呟いて最後の段を上り、厳かな空気が漂う聖女の間を前にして、揺れる心を数度の深呼吸で鎮める秘書長であった。
「――クレールヒェン王女殿下。貴女様はこの国の至宝にして、我らを導くまばゆい星でございます。貴女様は真に神聖にして誰よりも気高く、公正な存在であらせられる。その貴女様を利用しようなどと、不敬な真似は断じて許しません。たとえどのような手段を取ろうとも」
ジル本人が聞いたら、
「どこもかしこも身内で足の引っ張り合いですわね」
と、嘆く状況を抱えたまま面会に臨む秘書長。
◇ ◆ ◇
《聖天使城》最上階にある聖女の謁見室にて――。
「かような形で、聖王女様のご希望に沿った形で、聖王女様御自ら奇跡の御業を行った者たちからの寄進に関しては、すべて国内及び皇国内の孤児院、診療所への寄付、そして下層階級や貧民窟の子供でも通える、無料日曜学校の増設。並びに公共事業にあてております」
秘書長からの報告を受けて、紗幕の向こうに隠れて座るシルエットしか見えない〈聖王女〉ジルが満足げに頷く気配がした。
続いて聞きなれた麗しい声が響く。
『よいでしょう。下賎の者どもに直接金銭的、物的支援をしても焼け石に水。施されるのが当たり前と図のぼせて感謝の気持ちを忘れるが道理。間接的に支援を行い、同時に公共事業に従事させることで、経済を回すことが肝要です。愚民は生かさず殺さず太らせず、ギリギリの線で生殺しにしておくのが最良! 刮目せよ! 御簾引きちぎれ見台踏み潰せっ!!』
「は、はあ……?」
紗幕の向こう側でエキサイトする〈聖王女〉を前に、微妙な違和感を覚える秘書長。
と――。
紗幕の端に立っていたジルの侍女頭であるモニカが、どこからともなくピコピコハンマーを取り出して、隣に立って渋い顔をしていた侍女のエレンに渡した。
ピコピコハンマーを受け取ったエレンは、すみやかに紗幕の中に進むと、
「ジル様はそんなことは言わないわよ!」
押し殺した怒号とともに『ピコ!』と何かを叩いた音がするのだった。
『……な~んちゃって。うそピョーン』
続いて紗幕の向こうから、取って付けたような〈聖王女〉の釈明と、何やら変なポーズのシルエットが映った。
「は、はあ…………」
お疲れになられているのかも知れんな、と心配する秘書長であった。
◇ ◆ ◇
同時刻。聖都テラメエリタからはるか離れた山中で、野宿の準備をしていたジルが、夕暮れの空を見上げてため息をついた。
「今頃、影武者――じゃなかった、影姫をやっているコッペリア大丈夫かしら?」
「「「「いや、ダメでしょう(だろう)(じゃないかにゃ)」」」」
途端に準備の手伝いの手を休めてダメ出しをする、ルーク、プリュイ、シャトン、ノワの四人。近場で枯れ木を拾っていたラナも、困ったようにぺたんと耳を伏せる。
「……う~~ん」
とはいえ他にジルの声色を真似られて、同等の実務をこなせる者などいないわけなので、十八番のトンズラをこいたいま、バレるまでどこまで距離を稼げるかが肝要であった。
「――まあ、なんとかなるでしょう」
そう気楽に考えながら、『収納』してあった天幕を取り出すジル。
その時ふと、牧草地からラマを先頭にして山羊を率いてやってくる牧童と、獣たちの湿った息遣い、カラカラと鳴る鈴の音が風に乗って渡ってきた。
 




