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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
最終章 シルティアーナ[16歳]
281/337

幕間 ブタクサ姫の出陣と聖王国軍の潰走(前編)

 この世界は基本的に月の満ち欠けを基本とした太陰暦をもとに、一月を二十八日として、一月を『守護者の月』、二月を『堕天使の月』、三月を『白猿の月』、四月を『巨神の月』、五月を『静天使の月』、六月を『魔王の月』、七月を『獅子の月』、八月を『蜘蛛の月』、九月を『魔獣の月』、十月を『神魚の月』、十一月を『死神の月』、十二月を『精霊の月』、十三月を『鍛冶の月』と呼称して、年に一日か二日(うるう)日を付け足して、一年を三百六十五日もしくは三百六十六日で調整している。


 そのため十一月である『死神の月』であろうとも、地球世界においてはせいぜい九月の半ば~後半に過ぎず、大陸東部に位置するグラウィオール帝国においては、地域差はあるものの北部であっても、朝晩寒さを感じるようになる頃合い……といった感覚であった。


 だが、そのさらに北方に位置するリビティウム皇国はすでに晩秋の装いを呈していて、山から吹き下ろす風も身を切るような冷たさであり、ビートン伯爵領の領都目掛けて快進撃を続けていたオーランシュ軍――その大半を構成しているメンシツ聖王国の正規軍の足を、ここにきて鈍らせる効果を与えていた。


 四千ほどの軍勢を引き連れた、見るからに一軍の将という威厳と装備に身を固めた壮年の男性が、平原の広がる大陸東部では滅多に見られない、剣のように峻険な山から吹き落ちてくる、身を切るような空っ風に顔をしかめて独り言ちた。


「……まだ死神の月であるのにこの寒さか。お陰で竜たちの意気が上がらぬ。儂も騎馬を用いるべきであったな」


 メンシツ聖王国に代々仕える譜代の軍人貴族であるイグナーツ・ケンドラート伯爵は、他よりも二回りは大きな愛竜――走騎竜(ランドドラグ)の鞍上で、主力部隊の中枢をかためる陪臣や騎士たちが身を震わせる様子を眺めて、密かに舌打ちするのだった。


 グラウィオール帝国に属する多くの貴族及び上級騎士は、平時においてはともかく戦時において軍馬ではなく、より強靭で気性の激しい走騎竜(ランドドラグ)(ジル曰く「後ろ肢に大きな鉤爪(キリングクロー)がない、ラプトル類のようなものですわね」)を駆ることに誇りと気概を持っている。


(ドラゴン)を御せる者は勇者であり、(ドラゴン)と会話できる者は賢者のみである』


 古来からの格言であり。その象徴として帝国人は走騎竜(ランドドラグ)を駆り、飛竜(ワイバーン)と心通わせる者を竜騎士と呼んで尊び、結果的に大陸最大の戦力を保有するに至ったのであった。

 だがしかし、竜種は一部の例外を除けば寒さには滅法弱いという弱点を抱えている(一応、恒温動物には分類されるが、主な生息域は温帯から熱帯である)、そのため十全の状態なら走騎竜(ランドドラグ)一頭で槍騎兵(ランサー)の分隊程度なら真正面から(ほふ)り、飛竜(ワイバーン)に至っては一頭で一個大隊に匹敵する……はずであったが、この寒気で明らかに反応が鈍く動作が緩慢になっていた。


「さっさとビートン伯爵領を占有し、後顧の憂いがなくなったところでオーランシュを我が国に併呑するに限るな」

 本国にいるファウスト王子の意向は、『可能な限りリビティウム皇国の国力を削ぎ落せ』というものであったが、当初に想定していたよりも予断を許さない状況にあることを、ケンドラート伯爵は冷静に見極めていた。


 引くべき時に引く。

 おそらくはファウスト王子からは叱責を受けるだろうが、ケンドラート伯爵を含む古くからの門閥貴族にとっては、主君であるのはあくまでミルドレッド女王陛下であり、養子であるファウスト王子はあくまで次代までの()()()でしかなかった。

 無論、女王陛下と同じグラウィオール帝国帝室の血を引く正統後継者である以上、相応の礼と忠誠は誓っているが、あくまでそれはそうした看板に頭を下げているのであって、ファウスト王子そのものに対する評価ではないのは語るまでもない。


「同情すべき点はある。何より同時代に〈真龍騎士〉であるルーカス殿下がおられたことが、王子の不幸であったな」

「しかしあの上滑りしている態度は君主としていかがなものかな。責任の輪から逃げたいのが見え見えではないか」

「なぁに、御輿として持ち上げるのには、軽くて実に便利だ」

「左様、種馬としては立派なものさ」


 隠していてもそうしたおざなりな思惑が透けて見えるのか、ファウスト王子の放蕩、無軌道を助長する結果になっているのだが、しょせんは遊びごとの権力志向と見て、その無邪気さを憐れむ余裕と鷹揚さを持つのが、海千山千の領主貴族(小なりとはいえ自分の領地を持ち、家門を背負った自負と実務に当たる者)たちであった。

 彼らにとって大事なのは我が家の安堵であり、ひいてはメンシツ聖王国(我が国)の繁栄である。実際に国を動かしている彼らにとっては、名目として上に立つのがファウスト王子だろうが案山子(かかし)だろうが大同小異、どちらでも大した違いはないというのが正直なところである。


(……とはいえさすがに【闇の森(テネブラエ・ネムス)】の開放と〈聖王女〉の存在は看過できんからな。一定の成果を上げずには戻れないのも確かではある)


 百騎あまりの走騎竜(ランドドラグ)とやや離れて進む騎馬隊千騎ほど(軍馬であっても走騎竜(ランドドラグ)の傍に寄ることを馬が怖がるため)。そして黙々と歩みを進める歩兵隊に交じって追随している、ローブ姿のいささか戦場では場違いな者たち――メンシツ聖王国が誇る魔術師隊と治癒術師隊とを横目に見ながら、ケンドラート伯爵は誰にも聞こえないようにひとり呟いた。

 今回の遠征も、発端は確かにはファウスト王子の一存――きわめて個人的な怨恨と欲望、何よりもチープな自己顕示欲であるのは火を見るよりも明らか――ではあったが、通常であれば適当な理由を付けて却下する諸侯たちが、渋々とはいえ同意をしたのはひとえにファウスト王子が執着する〈聖王女〉にあった。


 元来、メンシツ聖王国は大陸東部にあって治癒術と魔術の研究が盛んな地であり、特にその王族は治癒能力が高く、一部にはユニス法国の《始原的人間(ドリーカドモン)》に()するほどの能力を持つと()()()()()()


 そうあくまで過去形である。

 過酷な修行と常軌を逸した血統操作によって、治癒術に特化しているとはいえ大陸における治癒術師の半分を抱えると言われるユニス法国と、治癒術はあくまで研究の一部と割り切っていたメンシツ聖王国とでは、土台抱える術者の数も質も比較にならず、王家の血筋からもここ最近は『治癒術師』と臆面もなく言い切れる人材が輩出されていないのが実情であった。

 とはいえ、相変わらず大陸東部においては魔術・治癒術の最高峰として、尊敬と名声を博してきたメンシツ聖王国であったが、ここにきて一気にその牙城が崩れる事態に見舞われることとなった。他でもない莫大な魔力を有し魔を退け、精霊の声を聴いて豊穣をもたらし、さらには死者すら蘇生させる驚天動地な治癒術の使い手である〈聖王女〉の登場、その一言に尽きる。


 彼女の出現によってユニス法国――否、斜陽であった聖女教団は一気に盛り返し、大陸における治癒術師の総本山として名実ともに唯一無二のものと認められ、メンシツ聖王国は数多あるその他大勢へと転落したのである。

 もはや覆しようもない事実を前にして、メンシツ聖王国は起死回生の策としてファウスト王子の讒言に乗る決断を下した。


 すなわち〈聖王女〉との絶望的な断絶を埋められないのであれば、身内に取り込んでしまえばいい……という極めてシンプルな結論である。

 幸か不幸かいま現在、彼女はグラウィオール帝国帝孫であるルーカス殿下と婚約中の身である。ならばそれが同じ帝室の流れを汲むファウスト王子に取って代わっても大同小異、さほど問題はない話であろう。

 結婚というものを政略の道具としか考えない王侯貴族の価値観から、疑いなくそう判断したメンシツ聖王国は、万全の態勢で――何しろ切り札である飛竜(ワイバーン)を六騎も投入し――国軍の半数にあたる正規部隊六千を繰り出す、ここ半世紀余りでは記録にない大遠征を敢行したのであった。


 もっとも各領主が協力して領主軍を派遣し、合流させたのならば軽くその三倍は規模が膨らんだだろうが、領主たちはあくまで補給や兵站などの物的支援に徹するのみに終始した。言うまでもなく、万が一失敗した場合には、ファウスト王子の独断として、矢面に立たせるための処世術に他ならない。


「散発的な抵抗もあるようですが、所詮は蟷螂の斧。ほぼ鎧袖一触で進行できていますし、この調子では今日中に領都も墜とせそうですね。残存する敵の数も一千程度と聞きます。周辺国の懐柔も順調だとか。これならばわざわざ部隊の一部を割いて、先遣隊を派遣する必要もなかったのではないですか、将軍?」

 走騎竜(ランドドラグ)の手綱を握って隣を歩く副官が、いささか浅薄な見通しを口に出してケンドラート伯爵に同意を求めて来た。


「……楽な戦いなどというものは存在せん。特に山岳地帯での戦闘経験の浅い我が軍にとって、数の多さは逆に足枷になる危険がある。気を緩めるな」

「はっ、も、申し訳ございません」

 (いわお)のような口調で窘められた副官が、慌てて頭を下げて押し黙った。


「ふむ。確かにこの地形では不意を打たれれば混戦になりますな。――あの黒衣の連中を手放したのはいささか早計だったのでは?」

 代わって副将格のルーベン・バレンスエラ子爵が、後半は声を潜めてケンドラート伯爵に囁いた。

 初戦でビートン伯爵軍の死角から急襲した黒妖精族(ダークエルフ)の暗殺者たち。その正体を知る一握りの将校として懸念を表すバレンスエラ子爵であったが、ケンドラート伯爵は彼らを斡旋してきたクルトゥーラ冒険者ギルド長を名乗る、エグモント・バイアーという男を信用していなかった。


 ジェラルド王子(の背後にいるシモネッタ妃)に恭順を誓いながら、密かにメンシツ聖王国軍とよしみを通じようと、明らかに表に出せない非合法(イリーガル)な連中をあれほどの数用意できる手際。

(あれは埋伏(まいふく)の毒だ)

 そう直感したからこそ黒妖精族(ダークエルフ)の暗殺者たち(そもそも亜人の力を借りること自体、ケンドラート伯爵の主義に反していた)を使ったのは必勝を期した初戦の一度きりで、その後は通常通り部隊をいくつかに分けて斥候を出す形でここまで進撃してきたのである。


「不確定要素を当てにするといざという時に足元をすくわれかねんからな。それもたかだか冒険者ギルド如き下賎の(やから)が手配した、人族でもない暗殺者集団など到底信用ならん」

「……確かに。連中のことが知られれば我らの栄光にも傷が付こうというもの。申し訳ござらぬ。浅慮でありました」

 吐き捨てるようなケンドラート伯爵の断定に、生粋の貴族であるバレンスエラ子爵も己の不明を恥じて詫びを入れた。


 そうして名目としては(現在はクルトゥーラにいる)ジェラルド王子を盟主とした、オーランシュ王国・グラウィオール帝国連合軍――実態はほぼメンシツ聖王国軍によって構成されている――は、無理な強行軍を避け、十分な休養をとり、翌日の早朝にケンドラート伯爵領の中心部に位置する領都ガルバ市へと到着したのである。


 ◇


 ガルバ市は昔ながらの城塞都市であり、当然ながら向かい来る連合軍に対して籠城戦の構えを取り、城門前では先遣隊二千との睨み合いが続いている……と、予想していたケンドラート伯爵ら。

 だが、彼らがそこで目にしたのは、死屍累々たる有様で打ち捨てられたかのように転がる先遣隊の成れの果てと、その中心に彫像のように佇む機械仕掛けの甲冑のようなものに身を包み、大型の三叉戟(さんさげき)を手にした異様な存在であった。


「何だあれはっ⁉」

 二千の精鋭が全滅――戦術的には兵力の三割が失われた状態を『全滅』と言うが、目の前にあるのは文字通りの全滅である――という、あり得ない光景に目を疑うケンドラート伯爵。


 刹那、その叫びに応えるかのように、動甲冑の首が動いて視線が連合軍の本隊に向けられた――。

 ゾクッとする戦場の勘とともに、ケンドラート伯爵が急ぎ警戒を促す声を張り上げるより早く、動甲冑の手にした三叉戟が頭上に掲げられた――と見て取った瞬間、突如として北国特有の曇天の空から(いかずち)が、連合軍の後方へと轟音とともに舞い落ちる。

 一瞬のことゆえ定かではないが、ケンドラート伯爵にはその雷の形が鳥のように見えた。


「――くっ、魔術か⁉」

 轟音と閃光で痛む目と耳をかばい、恐慌状態に陥りかける愛竜を力づくで鎮めながら――周囲では、軒並み走騎竜(ランドドラグ)や馬に振り落とされる騎士が続出している――そう歯噛みしたケンドラート伯爵だが、その声が聞こえたのかそれとも単なる偶然か、近くにいた従軍魔術師長が狼狽した叫びをあげた。


「違います! 儀式魔術ではありません! おそらくは精霊魔術……あの三叉戟に雷の精霊が宿っているものと思われます!」

 そこへさらに追加の凶報がもたらされる。

「いまの雷で竜騎士隊並びに飛竜(ワイバーン)が全滅しましたっ‼」

「ば、バカな⁉ 我が国の保持する飛竜(ワイバーン)の三分の二にあたる六騎が全滅だとぉ!?!」

 ケンドラート伯爵同様、どうにか走騎竜(ランドドラグ)からは振り落とされなかったものの、切り札が真っ先に喪われたのを知って取り乱すバレンスエラ子爵。


「狼狽えるな! 訓練を思い出せ! 戦場であるぞっ!」

 ケンドラート伯爵の(げき)を受けて、我に返った連合軍の将校たち。

 そんな彼らに向かって、動甲冑が全身から蒸気の煙を噴き上げつつ、地面を揺らして迫りくる。


「――くっ。敵の足は遅い! 魔術師隊及び弓兵隊は攻撃範囲内に入り次第攻撃しろ! タイミングは各自の判断でいいっ!」

 部隊長の指示に従って、矢や魔術が雨あられと動甲冑へ向かって解き放たれた。


 だが、相手は気にした素振りもなく、真っ直ぐにケンドラート伯爵らがいる本陣へと向かって直進してくるのだった。

 周囲には倒れている味方の先遣隊の兵士たちもいるのだが、本能的な恐怖からお構いなしに放たれた、矢の雨と必殺を期した魔術が動甲冑を直撃をする。


「「「「「やったーーっ!!!」」」」」

 爆音とともに吹き上がった炎と煙を前にして喝采を放つ兵士たち。

 無邪気に喜ぶ彼らとは対照的に、ケンドラート伯爵の頬に汗が一筋垂れた。


 そしてそれを証明するかのように、土煙の向こう側から規則的な金属音とともに、多少の汚れや煤はあるものの無傷の動甲冑が現われ、まるで無人の野を行くが如き足取りで、自軍に迫って来るのを真に当たりにして、連合軍兵士の一団から声にならない恐怖の叫びがあがったのだった。

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