密書の内容と戦地の異変
「……つまり、今回のオーランシュへの肩入れは帝国の総意ではなく、あくまでグラウィオール帝国に属するメンシツ聖王国のファウスト王子――以前に帝居に伺った際にお会いした、あの(いきなり私をナンパしてきた、帝族とは思えない軽薄そうな)方ですわよね? 確かエイルマー様の従弟に当たる帝位継承権第六位――が行った独断専行であり、その目的は次の皇帝候補レースにおいて、ここで確固たる実績を作って抜け駆けするためである……と? それって一歩間違えば謀反スレスレなのですけど、大丈夫なのですか?」
木剣を右手で正眼に構えて、左手を拳の構えにして腰のあたりに据えて、突きの姿勢のままじりじりと弧を描くように動きつつ、攻撃の機を窺いながら私がそう尋ねると、ルークは両手で木剣を二振り、八双に似た構えをしながらぼやくように呟きます。
「確かに大胆な行動ですが、メンシツ聖王国の現女王であるミルドレッド女王と、オーランシュのジェラルド王子の母方の実家であるインユリア侯爵家とは、三代前に聖王国の長子が婿入りした関係で、いざという場合に協力を取り付けるという密約があったと強弁されたようでして、帝国に属しているとはいえメンシツ聖王国は独立国……まして帝位継承権も持つ王子の面子に配慮して、議会も元老院も強く出られないというのが内情のようです」
「議会や重鎮連中の腰が重いのはどこも同じであるが、大陸中の王侯貴族のほとんどは五代も遡れば、たいていいずれかと血のつながりがあるので、その理屈はいささか牽強付会ではないか?」
壁際でこの手合わせの様子を見物していたリーゼロッテ王女が、どうにも釈然としない顔で疑問を挟みました。
「建前としてはメンシツ聖王国――ファウストの身勝手な行動と虫のいいこじつけに苦言を呈しつつ、そのくせ上手くいけば儲けもの……と、高みの見物をしているようですね、元老院は」
ルークが苦々しく言い放った刹那、わずかに生まれた隙目掛けて木剣の切っ先をねじ込む――と見せかけて、超至近距離から寸勁を打ち込みましたけれど、ルークは左の剣で軽く受け流します。
「なるほど……帝国としては、いざとなればトカゲの尻尾きりでメンシツ聖王国一国の暴走とすればいいのだし、成功すれば北の守りであるオーランシュ辺境伯領を取り込めるのだから御の字であるか」
再び弾かれたように距離を置いて対峙する私とルーク――見ようによってはダンスを踊っているような刹那の攻防――に賛嘆の眼差しを向けながらも、リーゼロッテ王女がやりきれない口調でぼやきました。
「……それ以前になんでジル様とルーカス殿下が稽古をする流れになったのかしら……」
エレンの素朴な疑問にコッペリアが気楽に答えます。
「隣のコレが、最初に秒でけちょんけちょんに負けましたからねえ」
「うるせぇ! 俺は頭脳派なんだ!」
鼻で嗤われたダニエルが、床にへたり込んだ姿勢のまま抗議の叫びを放ちました。
そんな負け惜しみに、オーバーリアクションで露骨に肩をすくめるコッペリア。
「まぁ、珍しくルーカス殿下が荒れて収まりがつかないようでしたし、クララ様もここのところ書類仕事ばかりでストレスが溜まっているようでしたので、ちょうどいいガス抜きですよ。ほら、アラースとコロルも風呂に入るのを嫌がって、いつも暴れて一苦労しているじゃないですか」
「あ~、あれね。黒妖精族には定期的にお風呂に入る習慣がないから、素っ裸で逃げ回って毎回大変なのよね~。――ま、ちっちゃい子の常で、その追いかけっこを娯楽として楽しんでいるんだろうけれど……ああ、つまり暴れないと収まりがつかないというわけか……」
エレンの嘆息を受けて、コッペリアが「ふむ?」と首を捻りました。
「だったらルーカス殿下も嫌なことを忘れるために、すっぽんぽんで走り回ればストレス解消できるのでは?」
「三歳と二歳の幼児幼女と一緒にするんじゃないわよっ!」
「いゃあ、客観的に皇子様と聖女様が剣と拳で親睦をはかる異常さに比べれば、まだマシな気もしますけど?」
エレンの怒号とコッペリアの屁理屈を聞きながら、私とルークとはお互いに微苦笑を浮かべます。
ま、確かに滅多にない光景でしょうけれど、私とルークにしてみればこういう交流の仕方が一番手っ取り早く、なおかつ憂鬱が晴れる手段なのですよね。
「とはいえ軽い様子見とはいえ、一撃も有効打がないとか……ちょっと自信が揺らぎますわね。私も緋雪様にみっちりと稽古をつけていただいて、それなりに腕を上げたつもりでいましたけれど」
ルークの剣技は天賦の才に裏打ちされたものではなく、凡なる才能を素直に伸ばした結果、至れる境地――いわゆる達人の域――にすでに達しているように思えます。
素直に脱帽する私に対して、ルークは一部の隙も無い構えのまま、苦笑いを返すのでした。
「それは僕の台詞ですよ。視線や呼吸、筋肉の動き、間合いと気の動き……それらを読んで後の先を取るか、もしくは意図的に誘導するのが、クロード流波朧剣の基本にして神髄なのですけれど、それをジルはフィーリングと反射神経だけで躱したり、カウンターにカウンターを合わせてきたりと、地力と才能の差は四年経ってもいまだに隔たったままで、地味に凹みますよ」
そうぼやくルークですが、当人が自虐するほど私と実力差があるわけではありません。
奇しくもクロード流波朧剣の始祖で、正真正銘の達人である稀人侯爵から直接薫陶を受けた賜物か、ルークの技量が格段に跳ね上がり、結果的に噛み合うようになったため、これまで格上相手との実戦を潜り抜けてきた私の経験値がわずかに勝っているだけで、その差は紙一重といったところでしょう。実際、こうして対峙しているだけでも集中力がガリガリ削られる状況です。
そんな私たちの全身全霊を使っての交流を前にして、
「お姫様と王子様の逢瀬って、もうちょっとロマンチックなものだと思ってたんだけど……」
エレンの嘆息にリーゼロッテ王女が苦笑いをして応じました。
「夢を壊すようで心苦しいが、王侯貴族の男女のやり取りというものは、基本的に様式美にのっとった儀式のようなもので、見た目ほど華やかなものではないぞ。手紙や贈り物ひとつでも、お互いの体面と腹の探り合い――どれだけ忖度できるかとか、この物品の交易に一枚噛ませろという無言の催促とか――ジルとルーカス殿下とは違うものの、ある意味、虚飾による殴り合いに近いというか……侍女殿も貴族に列を並べることになるなら、心得を身につけておくべきであるな」
「うえ~~」
げんなりとするエレンに追い打ちをかけるかのように、床にへばっていたダニエルがやるせない口調で付け加えます。
「おまけに貴族ともなればお家存亡のために一夫多妻が当然だからな。表からは見えないが、中に入れば女同士でバチバチと火花を散らして――今回のオーランシュのお家騒動も、実際のところは奥方同士の確執が原因だし――気が休まる暇もないときた。ま、帝国の帝室みたいに、そこらへんをこだわらずに一夫一妻で回しているところもあるが、血族が少ないということは、帝位継承権さえ持っていればその分、いざという場合にお鉢が回ってくる可能性が高い……ってことで、ファウスト王子もはっちゃけたんだろうな」
そういえばエイルマー様も現皇帝のマーベル陛下も、遡ればレジーナも連れ合いはひとりだけだったわね……と思ったところで、以前に帝居でファウスト王子を紹介された時に、実の父親であるクリストバル伯爵(エイルマー様の叔父)が、
『いい加減にしないか、ファウスト! お前、つい先日も侍女に手を出して五十七人目の側室にしたそうだな⁉ 国の金を使っての女遊びと放蕩三昧っ。これでは儂がミルドガルド女王陛下に申し訳が立たんわ!』
と、苦言を呈していたのを思い出しました。
「……ふむ。仮に今回の件が評価されて、一躍次の皇帝候補として高い評価を得れば、場合によってはジルとルーカス殿下の婚約を解消して、ファウスト王子と改めて婚約という流れになる可能性もある、か。――いや、これまで聞いたファウスト王子の人となりから類推するに、事によるとオーランシュやリビティウム皇国に対する侵略行為はモノのついでで、本命は〈聖王女〉であるジルであるかも知れんな」
「あ~、あり得ますね。ファウスト王子は昔っからルーカスと比較されて密かに敵視してましたし、まして稀代の女好きですからね。皇帝にはなれる、ルーカスを出し抜ける、世界一の美女を娶れる、となったら一石三鳥とか考えて、イケイケで行動しますよ。その結果がこれか……」
しみじみとした口調で交互に推測を重ねながら、訳知り顔で同時に頷くリーゼロッテ王女とダニエル。
「お~~~っ、さすがはクララ様っ。世に〝傾国の美女〟とは言いますが、いきなり帝国と皇国、二枚抜きで合わせて百カ国くらいを傾けるとはスケールが違いますね!」
「――ぐぐぐぐっ……!」
「ぜんぜん嬉しい評価ではありませんわ‼」
途端に「ひゅーひゅー♪」と囃し立てるコッペリアの野次に、いつになく荒んだ目つきで歯噛みするルークと、うんざりして――側室が五十人以上いる不誠実な男性に目を付けられて喜ぶ趣味はありませんから――ぼやく私がいました。
「人間族のケッコンというのはずいぶんと面倒なものなのだな。妖精族なら、そんな面倒な駆け引きなしに男女ともに意中の相手に『あなたの子供が欲しい』――で、終わりなのだが」
一方、空いている場所でノワさん相手に剣を交えていたプリュイが、誰にともなく独り言ちます。
「そんな悠長で気まぐれなやり方をしているから、妖精族は絶滅寸前なのでしょう。その点、我ら黒妖精族は早くから結婚制度を取り入れて家庭を持つという柔軟な対応をした結果、大陸中に数十万人の同胞を得られたわけですから……」
一進一退の攻防を繰り広げながらノワさんが混ぜっ返しました。
「ふん。その弊害として種族全体の寿命が縮んで、トニトルスのような〈妖精女王〉様を敬いもしない跳ね返りが生まれたのだろう」
「はっ。多様性のない先細りの種族のやっかみにしか思えませんね!」
「なんだと!」
「そっちこそなんですか⁉」
軽い稽古のはずなのに、いつの間にか本気の喧嘩――決闘になっているような気がしますけれど。
壁際でフィーアを抱いて、その様子を窺っていたラナがオロオロしていますが、そのスカートの裾を引っ張って、大根が『気にするな、ほっとけ』とでも言いたげな感じで宥めていました。
そんなふたりの熱気にあてられて、私とルークも再び勝負をかけるべく、互いに神経を極限まで張り詰めた――ところへ、
「大変ですにゃ! 事件ですにゃ! 急展開ですにゃ‼」
どこからともなくシャトンがやってきて大慌てで騒ぎ始めました。
「腹黒猫ではないですか。どうしました、反乱軍の大将が毒キノコでも食べて死にましたか?」
コッペリアの軽口に、シャトンが微妙な表情で頷きます。
「似たようなもんですにゃ。ビートン伯爵領の領都まで迫っていたグラウィオール帝国軍が壊滅したにゃ! それもビートン伯爵軍の反撃でも、他国の増援でもない、第三勢力――『カトレアの娘子軍』を率いるブタクサ姫ひとりに、ほぼ壊滅させられて敗走したそうですにゃ‼」
「「「「「「「「はああああああああああああああああああああああっ!?!?」」」」」」」」」
その耳を疑う報告に、その場にいた全員が期せずして素っ頓狂な声を張り上げたのでした。
 




