黒妖精族の事情と帝都からの手紙
あれから九日が経ち、リーゼロッテ王女がシレントへ帰還される前日。思いがけなく事態は推移――いえ、いきなり坂を転げ落ちるかのように進展を見せたのでした。
『真の裏切者は誰だ⁉ 本誌記者が暴くオーランシュ王国妃たちの知られざる確執と権力闘争!』
『半年前の現オーランシュ国王への暗殺未遂の真相は――⁉』
『父親殺しによる王位簒奪か⁉ オーランシュ国王の失踪に暗躍する謎の集団』
『事件を探っていたシレント央国の名士D氏。惨劇の裏側には何が⁈』
『グラウィオール帝国は紛争への関与を否定! 帝国内部にも亀裂が発生か!?!』
煽情的な煽り文句が踊るタブロイド紙の紙面を眺めて、《聖天使城》の聖女専用フロアにある貴賓室のひとつで、リーゼロッテ王女がため息をつかれました。
「一割の事実に九割の憶測と下衆の勘繰りとはいえ、『……とはいえ、ご子息たちは六人とも大国オーランシュを継げる器にあらず、後継者とは名ばかりの泡沫候補との声もささやかれ……』と案外と正鵠を射ているところが小癪なところである」
「――ハッ。王侯貴族なんざ、既得権益に群がるゲスの集まりですからね。同類同士も勘繰りやすいんでしょう」
壁際に立っていたコッペリアが、歯に衣着せぬ物言いでリーゼロッテ王女の慨嘆を一笑に付し、即座にエレンからリバーブローを受けて悶絶する羽目になっています。
「……耳が痛いところであるな。それにしても聖都の新聞記者はずいぶんと鼻が利くらしい。緘口令下でよくもまあここまで調べたものよ」
苦笑いをして手にした新聞をまとめてテーブルに放り投げるリーゼロッテ王女。
「ここは代々続く由緒ある三流ゴシップ紙ですから……」
とりわけ盛大に邪推を重ねまくり、根も葉もないデタラメを煽っている〈日刊北部〉と銘打たれた新聞紙――たずさわる人間は変わったはずなのに、ノリだけは変わらないのですから、あるいはこれも伝統というのかも知れません――を懐かしく眺めながら、擁護するつもりではなく事実を事実として私は口に出しました。
「ふははは……さすがはリビティウム皇国随一の古都だけのことはある。ゴシップ紙ひとつとっても伝統があるとは!」
「悪しき伝統とも言いますけど」
懲りずにコッペリアが混ぜっ返して、エレンの目にもとまらぬストマックブローを受けて、たまらず蹲って嘔吐くのを尻目に、リーゼロッテ王女がなおさら快活に笑います。
「伝統ある街並みに聖女様効果による賑わいと好景気。昔訪れた時には寂れた古都という風情であったが、いまの聖都テラメエリタは見どころが随所にあって、退屈するところがないの。この十日近く、妾もお忍びであちらこちらと見て回っておったが、退屈する暇もなかったわ」
私たちが喧々囂々の騒ぎをしている間、どうやら気楽に聖都観光を満喫していたようです。リーゼロッテ王女の背後に立つ、護衛兼随員たちが一瞬だけげんなりした表情を浮かべました。
「羽目を外すのも結構ですが、いくら比較的治安のよい聖都とはいっても、少々不用心に過ぎますわ。ご自分が要人だという自覚をお持ちになってください」
その途端、室内にいたリーゼロッテ王女を筆頭にルーク、エレン、モニカ、コッペリア、ラナ、プリュイ、その他、大根に至るまで、『え~、貴女がそれを言っちゃうんですか?』という視線を向けて来たようですが、気が付かないふりをして膝の上のフィーアの前脚を持ち上げて、バンザーイの姿勢にして心を和ませます。ああ、私の味方は貴女だけですわ、フィーア。
「く~ん?(な~に、マスター?)」
「言いたいことは多々あるが、ともあれこうまで事があからさまになった以上、なおさら早急な対応が必要になったわけであり、もしくはこれが追い風になる好機でもあるのであるが……この面子が集まっているということは、大義名分を立てる手札が揃った、と見てよいのであろうか?」
この部屋に秘密裏に集った一同を見回して、リーゼロッテ王女がそう切り出しました。
「――さあ? 私もルークに呼ばれたようなものですので……」
他にこの面子――現在絶賛話題の紛争中であるリビティウム皇国とグラウィオール帝国の貴人要人に加えて、亜人も多々顔を合わせて不自然に思われないのは、《聖天使城》の中でも聖女専用フロアくらいなものでしょう。
半ば私からバトンを投げられた形で注目を受けたルークが、ちらりと視線を傍らに座すどこか軽薄そうな雰囲気の友人へと向けました。
「ええ、思いのほか早く、本国の状況を伝える密書を携えて友人がやってきましたので――」
「ご無沙汰しております。ジュリア様……いえ、〈聖王女〉様。まさに地上に降りた天使――否、女神のごとき輝く美貌を前にして、不肖このダニエル・オリヴァー・ラーティネン。感動に打ち震えるばかりでございますっ」
途端、椅子から立ち上がって貴族らしい歯の浮くような美辞麗句を並べたてる、グラウィオール帝国からの留学生にして、帝国の政策顧問であるラーティネン侯爵家の継嗣。
ルークの親友(悪友)でもあり、私も知らぬ仲ではない彼の挨拶を受けて、私も立ち上がって礼をしました。
「お久しぶりです、ダニエル様。それにしても正式な特使ではなく、留学生であるダニエル様経由で密書が届くとは、ずいぶんと用心深いことですわね」
直接ルーク宛に特使を派遣するなり手紙を送るなりせずに、二重三重に安全策を講じて密書を送って寄こしたところに、グラウィオール帝国の混乱が透けて見えるようです。
「で、ダニエル伯爵(貴族の継嗣に対しては、父親の爵位のひとつ下の爵位を付けて尊称とするのが礼儀である)。貴殿が帝国の真意を伝えに来た……という理解でよろしいのかな?」
再び私とダニエルが席に着いたのに合わせて、リーゼロッテ王女が皮肉げに尋ねます。
なにしろ本来なら央都シレントにあるリビティウム皇立学園で普通に顔を合わせられる面子が、わざわざ遠く離れた聖都テラメエリタに集まって密談をしているのですから、シレント政府を信用していないと暗に言っているのも同然でしょう。
シレント央国の王女としては、いい面の皮ですから当てつけのひとつくらい言いたくなるのは理解できるところです。
「いやいや、他意はございませんよ、リーゼロッテ王女様! というか、実際コレが今回の騒ぎに関係した密書なのかどうかすら、自分は知らないくらいでして――」
慌てて無関係を強調するダニエル。
「? どういうことだい、ダニエル。わざわざ帝都から僕宛の機密文書を持参したっていうから、てっきり現状を説明もしくは打破する内容の重要案件かと思ったのだけれど……?」
早合点だったのかなぁ、と後悔をにじませるルークに対して、友人の気安さでダニエルが肩をすくめて弁解しました。
「いや、俺も内容を知らない……というか、もともとセレスティナからの手紙に同封されていたもので、早急にルーカスに渡すことと、下手に知った素振りを見せたら問題だから絶対に見るなと、セレスティナの手紙に厳命されていたから、指示されるまま従容と運んできたまでで……」
ちなみにセレスティナというのは、ダニエルの婚約者で帝国アレマン子爵家のセレスティナ嬢のことです。
「ほほう、実に利発な婚約者であるな」
心底感心した口調でリーゼロッテ王女が、まだ見ぬセレスティナ嬢を褒めたたえます。
確かに、わざわざ第三者の私書という迂回ルートを通して、なおかつ軽薄で口の軽い婚約相手の性格を見越して内容を伝えないまま配達人として使う理知的な判断と、同時に下手に深い入りさせないことが、ダニエルの身を守る術になると理解した上で、あえて説明をしない奥床しさと情の深さを感じさせる配慮――こういう献身を『内助の功』とか、『山内一豊の妻』とかいうのでしょう――には、同じく婚約者を持つ者として、リーゼロッテ王女同様にシンパシーに似た感動を覚えずにはいられません。
「……どういう意味だ?」
懐から取り出した密書をルークに渡しながら、微妙な表情で首を捻るダニエル。
「セレスティナ嬢は君にはもったいないほどよくできた女性だってことだよ」
デキ過ぎの婚約者を持て余して、煙たく思っているダニエルに苦笑を返しながらルークが手紙を受け取ります。
「内容についてはこの面子で、この場では明かせないこともあるであろう。別室で熟読したのち、帝国関係者側で協議してからこの場へ戻ってはいかがかな?」
リーゼロッテ王女からの配慮に対して、
「いえ、この場で確認をして僕の――グラウィオール帝国皇太子エイルマーの継嗣たるルーカス・レオンハルト・アベルの名において、分け隔てなく必要な情報を開示することを誓います」
真摯な眼差しで誠意をもって応えました。
「相変わらずであるな、ルーカス殿下。いささか馬鹿正直すぎるきらいがあるとは思うが、とはいえ欠片も底意のないジル殿とは、お互いに似合いの相手同士で信用ができる」
「……いいよなぁ、ルーカスは。うちの可愛げのない婚約者と違って、バブみ極振りの婚約者で」
誰にともなくそうぼやくダニエルに対して、遠慮のないことにかけては天下一品のコッペリアが、身も蓋もない合の手を入れます。
「愛だの恋だのいう感情は数値化ができないので厄介ですね。『あなたのことを百%愛している』と口にした次の日に別れるカップルも往々にしてありますし」
「あー、特に変動率が激しいからな、ソレは」
妙にしみじみと納得して頷いたダニエルの隣では、モニカからペーパーナイフを受け取ったルークが封筒にある蜜蝋の封印を開けて、中身の手紙を取り出して目を走らせています。
「あ、そうだ。俺の手紙に挟まれていたメモなのですけど、ちょっと意味不明なのですが、セレスティナから聖女様宛です」
ついでのように二つ折りにした便箋を取り出すダニエル。
私の代わりに受け取ったモニカが中身を一瞥して、心なしか釈然としない表情になりました。
「……問題はないと思います。どうぞ――」
表情を取り繕ったモニカから、広げた便箋を受け取った私が中身に目を走らせると、短く一行だけ――
『乱心すると思いますので、いざという場合は力ずくで止めてください』
「???」
意味不明な注意書きにルークの表情を窺いますが、とても真剣な表情で没頭しているようです。
内容を吟味するにはもうしばらくかかりそうだと判断した私は、視線を巡らせて誰はばかることなく紅茶と、お茶うけに用意した卵を使わずに作ったケーキやクッキー、マフィン、スコーン、パイ、タルトなどを、モリモリと食べていた妖精族のプリュイと、黒妖精族の名代としてやってきたノワさんこと、『新月の霧雨』へ目配せを送りました。
「えーと……それで、先日の矢の検証結果と妖精族の介入についてですが……」
「――ん? ああ、あの矢なら見覚えがある。黒妖精族の暗殺者が使うものだ」
あっさりとしたプリュイの紋切り型の回答に対して、好物のどら焼きモドキのパンケーキを頬張りながら、ノワさんが若干たどたどしいですが、大陸共通語で後を受けて補足を加えます。
「正確にはトニトルスの腹心であった《払暁の刃》という暗殺集団です。トニトルスが消息不明になったあと、行方をくらませていたことから、自然消滅したものかと思っていたのですが、どうやら本格的な職業暗殺集団と化していたようで、〈妖精女王〉様もお心を痛めておられます」
ちなみに『トニトルス』というのは黒妖精族の反逆者で、正式名を『雷鳴の矢』といい、一時〈妖精女王〉様を幽閉し、隣接する洞矮族の国に攻め込み、さらには竜人族をたばかって中原に戦乱を巻き起こした――挙句、黒妖精族の住処である森都ロクス・ソルスに火を放って、すべてを灰燼に帰して炎の中に消えた、松永弾正のようにぶっ飛んだ男のことです。
「ついでに言うと『千年樹の枝』でも、よんどころない事情で《払暁の刃》とかいう連中の仲間を十数人拘束していたのだが、確認してみたところ先月何者かによって解き放たれていたそうだ。話を聞いたアシミの奴は、取るものもとりあえず『千年樹の枝』へと、より詳細な状況を確認するために、勝手ながらひとりで戻っていった」
「手引きしたのは間違いなく《払暁の刃》の残党でしょう」
モリモリとケーキを食べながら、ついでのように『千年樹の枝』の事件とアシミの不在を告げるプリュイ。併せてノワさんもパンケーキに餡子を山ほど載せながら頷きます。
「割と大変な状況のようですが、そうしますと《払暁の刃》とやらは、現在はフリーの暗殺集団として暗躍している……ということでしょうか?」
「そのあたりは不明ですが、少なくとも【大樹海】には連中の足跡はありません」
「北の森も同様だな」
私の問いかけに、ノワさん、プリュイともに首を横に振りました。
少なくとも妖精族、黒妖精族ともに事件に関与していない言質は取れましたが、代わりに黒妖精族の暗殺集団が、おそらくは【闇の森】近傍に潜伏していることが判明してしまいました。一目世界樹を目にしたい、育成の世話をしたいという両者の希望を取り入れて、妖精族、黒妖精族の立ち入り制限を緩和していた【闇の森】ですが、こうなると今後の方針を転換せざるを得ないでしょう。
「まあ、いくら魔素や瘴気の発生源がなくなったとはいえ、長年蓄積されていたそれらが早晩薄まるものでもないので、さすがの森の妖精でも、〈妖精王〉様や〈妖精女王〉様級でもなければ、そうそう【闇の森】の中心部まではいけないでしょうと楽観的に考えていた私の落ち度でもありますわね」
「んんん⁈ ジルっ、まさかとは思うが世界樹様――いや、【闇の森】への立ち入りを制限しようなどと考えているのではあるまいな⁉ 問題があるのは黒妖精族側なのだから、そっちだけ禁止すれば事足りるだろう!」
そんな私の胸中を読んだのか、先んじてプリュイが予防線を張りました。
『それは心外な物言いですね、『雨の空』殿! 問題があるのは一部の不心得者……それも〈妖精女王〉である『湖上の月光』様に反旗を翻して出奔した咎人どもです。奴らとひとくくりにされ黒妖精族全体に責任を転嫁するというのは、暴論に過ぎると言わざるを得ません‼』
途端、口に含んでいたどら焼きモドキを噴き出さん勢いで、ノワさんが猛然と反駁しました。興奮のあまり素のエルフ語に戻っています。
『とはいえ、もとはと言えば黒妖精族の管理不届きが問題であり、まずは先送りにしている離反者たちの綱紀粛正をはかるのが先決であろう。問題が解決するまで黒妖精族全体が自粛するのが筋だと思うのだが?』
好物のクッキーを頬張りながら、こちらもエルフ語ですげなく言い放つプリュイ。
『監督問題云々というのなら、むざむざと捕虜を逃した妖精族側にも責任があると思うのですが⁉ ご高説を垂れる以前に自分たちの怠慢を恥ずるべきではないですか!』
『なにを言う! そもそも世界樹の兄弟として捕虜であっても手厚く保護していた我々の厚情をないがしろにしたのは、黒妖精族側だろうが‼』
『だから連中は犯罪者であり、もはや黒妖精族とは別物だと説明したではないですか! それをなあなあと危機感のない生温い処置をしていた妖精族の怠慢を棚に上げての上から目線。増長慢も甚だしいですね、妖精族という種族はっ』
『まあまあ、ふたりとも落ち着いて落ち着いて!』
角突き合わせるプリュイとノワさんの間に、私もエルフ語で割って入りました。
『責任がどうこう言う問題ではなく、今後どうするかの話し合いなのですから、一度〈妖精王〉様や〈妖精女王〉様とも協議が必要ということで、申し訳ありませんが一時的に【闇の森】に〝妖精の道〟を通すことを差し止めさせていただきたい……という趣旨の内容を、双方お二方に伝えていただけますか?』
『――なっ⁉ それは……』
『ぐっ……。わかりました。もとより黒妖精族はジル様に大恩のある身。その旨、ラクス様にお伝えいたしましょう。ですが――』
釈然としない表情のプリュイと違って、従容と私の提案を受け入れてくれたノワさんですが、最後、これだけは譲れないという口調で身を乗り出して私に懇願してきました。
『訪問の成果として「くれぐれも豆乳パウンドケーキを持ち帰るようにっ」と、ラクス様から厳命されていますので、何卒よろしくお願い申し上げます!』
『あ、はい……では、プレーンの他にバナナとリンゴ、シナモンに珈琲、紅茶に抹茶、小豆味、ラム酒にレーズンなどを加えて、お帰りになる前に準備をして、各十個ほど亜空間収納バッグに詰めておきますので』
そう答えると目に見えてやり遂げた達成感に満ちた笑顔を浮かべるノワさん。彼女は果たして〈妖精女王〉様の名代として話し合いに来たのでしょうか? それはついでで、本命はパウンドケーキの方だったような気がするのは、私の偏見でしょうか?
ともあれ不毛な民族紛争になる前に、いったんこの話題を無理やり〆た私は、他の面子の顔を見渡しながら水を向けます。
「他に何か気になったこと、報告すべきことはありますか?」
そうするとモニカとコッペリアが軽くアイコンタクトを取ってから、モニカが挙手しました。
「僭越ながら私から。ジュリアお嬢様の近辺を調査したところ、侍女や女官、巫女見習いなどに一部不審な動きをする者がおり、私とコッペリアとで拷も――多少強引な聞き取り調査を行ったところ、かなり複数の諜報機関の手先だったことが判明しました」
「あら、まあ……」
「あ~、どうりで最近人の出入りが激しいと思ったら!」
思わず目を丸くする私と、合点がいったという表情でポンと手を叩くエレン。
「まあ想定の範囲内であるな。シレント央国では融和路線を主眼において、下手に藪をつつかないように注意しておるが……(実際はどうだかわかったものではないし)。その者たちの所属や目的、どのような情報が漏洩したのか、把握しておるのか?」
リーゼロッテ王女の確認に、モニカが軽く頷きました。
「大まかなところは」
「ほう。仮にも〈聖王女〉の膝元へ入り込んだ間諜相手に、よく口を割らせたものであるな」
「簡単ですよ。とりあえず動けないようにしてから、頭の上で素振りをしてみせました」
モニカに代わってコッペリアが愛用のモーニングスターを取り出して、その場で妙に生々しい血糊の付いた先端を振り回しながら答えます。
「……それでも答えなかった場合には?」
念のために私が確認すれば、
「手元が狂うかも知れませんね」
いかにも沈痛な顔でため息を吐きながら首を左右に振るコッペリア。
「『お願いだから助けて』と泣いて助命をされたら?」
「『では、すぐに楽にしてあげましょう』と言って実行するだけですね」
「ちょっと!」
「HAHAHAHAHAHA! ほんのジョークですよ、クララ様。ご心配なさらずに」
「ご心配ですわ!」
果てしなく不安しかない案件ですが、肝心の間諜である彼女たち彼らは、ローレンス枢機卿が嬉々として身柄を預かったとのこと。今頃は水面下で外交の道具として利用されていることでしょう(まあ、コッペリアに人体実験の材料にされるよりかはマシと思うしかありません)。
そんな感じで話し合いをしていたのですが、どうにも期待していたほどの成果が上がっていないのは、裏社会に精通しているシャトンがまだ戻っていないのと、ルークが一心不乱に手紙に埋没しているからで、周辺事情の整理にとどまっているからにほかなりません。
中核に関わると思われる帝国の事情。よほど重大な情報が書かれていたのか、何度も何度も食い入るようにして読み返すルークの邪魔をするわけにもいかずに、しばし無言になった私たちは紅茶の香りとデザートを楽しむことにしました。
「……なるほど」
つかの間の沈黙を破って、ルークが手紙を置いて真剣そのものの表情でおもむろに立ち上がりました。
「ルーク?」
唐突なその行動に思わず声をかけた私の方を向いて、ルークが一切の躊躇いのない笑みを向けて言い放ちます。
「状況が掴めました。ちょっと帝国へ戻ってファウスト王子をぶっ殺してきますので、少々お待ちください。それですべて丸く収まるはずです」
「「「「「「「「「――は……あ⁉」」」」」」」」」
ルークらしくない剣呑な言葉遣いに唖然とする私たちには目もくれず、そのまま踵を返して迷いのない足取りで出入り口へと向かっていくルーク。
「やべぇ! なにが原因かわからないけど、ルーカスの奴本気で切れてるぞっ‼ あいつが本気でキレるとマジでヤバいっ!」
尋常ではないその様子に、付き合いの長いダニエルが血相を変えて立ち上がって、ルークを止めにかかりました。
「ちょ、ちょっと待てルーカス殿下! 落ち着け、な、な?」
「離せダニエル! 僕は落ち着いている。冷静に考えていずれにしてもファウストはこの手で殺すべきだと判断したんだ‼」
あ~、これは絶対に正気ではないわというルークの絶叫に、私たちもおっとり刀で立ち上がってルークを制止すべく駆け寄ります。
『乱心すると思いますので、いざという場合は力ずくで止めてください』
途端、立ち上がった拍子に、テーブルの上に置いておいたセレスティナ嬢からの注意書きがカーペットの上に落ちたのでした。




