夜の女子会とダンの遺志
公務を終えた就寝前のちょっと一息つける時間帯――。
「――ということで、これがダニエルからジュニアに送られた私宛の手紙というか、調査報告書です。中身は私もまだ見ていませんわ」
きちんと油紙に包まれたB5サイズの封筒を、全員に見えるように私室(といっても感覚としては自室ではなく、あくまでホテルの貴賓室ですわね)にあるソファセットのテーブルへと置きます。
「ちょっと汚れていますね。どこに隠してあったんですか?」
興味津々という面持ちでエレンが立ったまま覗き込みました。
隣に立つラナは、無言のままじっと穴が開くほど封筒を凝視しています。
「第三教区のはずれにあった共同墓地のマーサさんのお墓です。お陰でマーサさんのお墓参りもできましたわ」
「〈聖王女〉であるジュリアお嬢様に直々に祈りを捧げられるなど、国家の重鎮であってもそうそうないことですから、敬虔な信者であれば(つまりこの街の住人の大多数なら)畏れ多さに卒倒するか、心臓が止まっても無理がないことです。さすがに厚顔なあの男も感激して涙ぐんでいましたし」
コッペリアと手分けして、紅茶に桃と葡萄のコンポートをテーブルの上に配置しながら、モニカがどこか溜飲を下げた口調で相槌を打ちました。
「マーサさんは友人ですから……」
そう答えながらも、マーサさんのお墓の近くにダンの――ダニエル・オリヴァーとその奥様(正確には内縁の妻らしいですが)――が眠るお墓があることもデュラン・ジュニアに教えていただき、最後の最後まで『恋人』としての立場を順守したマーサさんの矜持に、生まれた我が子に『デュラン・ジュニア』と名付けた選択に、どこかやるせない思いを抱きつつ、そちらのお墓にも足を運んでお祈りしたことを思い出しました。
『不躾な質問だとは重々承知の上ですが、アンジェ……異母姉にあたるアンジェラ・オリヴァーさんは、異母弟のことを――』
『知らないはずですね。それでいいと思います。彼女には彼女の家族と幸せがあるのですから、いまさら腹違いの弟が出てきては、要らぬ波風しか立たないでしょう』
強がりではなく自然体でさばさばと答えたデュラン・ジュニア。
『ああ、別にお袋や俺を日陰者にしやがって……とか、親父を恨んじゃいませんよ。お袋はああいった人間でしたから、家庭に入るなんてできるもんじゃないですからね。それに親父も何くれと便宜を図ってくれて、俺が曲がりなりにも隊商を率いられるようになったのも、親父の人脈と口利きのお陰ですから、感謝しかありません』
『そうですか……それでも、身勝手だとは思いますが、貴方には一度アンジュと会って、もうひとりの家族として話し合って欲しいと思います……』
『…………』
嫌とも応とも答えずに無言で顔を伏せたデュラン。
その折の会話を思い出しつつ、私はテーブルに七人分のお茶とコンポートの載った皿が配置されたのを確認して、
「ジュリアお嬢様、言われた通りお嬢様の分以外にもお茶の支度をしましたが……?」
怪訝な表情のモニカの問いには直接答えず、軽く手を叩いて声をかけました。
「さて、ではこの手紙の是非について討議しますので、関係者の皆さんも席についてください」
「「「「――は?」」」」
一斉に鳩が豆鉄砲を食ったような表情になるウチの侍女ズ。
「やあやあ、申し訳ないですにゃ」
「……関係者と言えるかどうか微妙なのだが」
「ん~、でもこういう機会でもないと獣人族が《聖天使城》に入ることなんてできないから、物見遊山だと思えば……」
「確かに。とはいえあたしの方からも個人的な話があったのでちょうどいいっちゃ、ちょうどよかったんだけど」
その途端、シャトンに連れられたプリュイとエレノア、ライカがどこからともなく姿を現しました。言うまでもなく、シャトンお得意の『影移動』による潜入です。
「……また来たんですか、どら猫が」
げんなりした表情のコッペリアのイヤミにも屈することなく、カラカラと笑いながら遠慮なくソファに陣取るシャトン。
「おおっ、さすがは聖女サマの部屋のソファ。普通の革やクッションじゃないにゃ。あたしの目利きでは、これひとつでも旧帝国金貨百枚は堅いにゃ。ついでに床のカーペットは古ユニス王国時代の逸品で、オークションなら金貨二千枚からスタートってところにゃ」
「うわ~、座るのが怖いし、カーペットを土足で歩いたり、間違ってお茶こぼしたりしたら首が飛びそうで怖いわ」
「いちいち気にしていても仕方ないだろうエレノア。第一ジルがそんなことに目くじらを立てるわけがないに決まっている」
ソファに座るべきかどうか逡巡するエレノアの背中をどやしつけて、こちらは遠慮会釈なくソファに腰を下ろすライカ。それに同意するかのように、閉め切った窓の外で謎の鳥が、クワーと鳴きました。
「まあ、絨毯なんて踏まれて汚れてなんぼですから。……そういえば、アシミやジェシー、ブルーノたちは一緒ではないのですか?」
ふと気になって聞けば、
「『たまには男同士で飲みたい気分だ。付き合え。綺麗なおねーちゃんのいる店に連れて行ってやる』と、あの軟派男に誘われて、ホイホイ付いていったわ」
「なっ――⁉ ブルーノのバカまで一緒に行ったわけ!!?」
「アシミの奴もなんだかんだ言って付き合うとは……堕落したと言うべきか、はたまた世界樹様の件で飲まずにはいられない気分だったのかも知れないが……しかし……」
「まっ、男同士たまには羽目を外すのも時には必要だろう」
憮然と答えるエレノアに同意してまなじりを吊り上げるエレンと、微妙な表情で腕組みをして煩悶するプリュイ。そして、ひとりだけ理解を示すライカといった塩梅でした。
「――くっ、これがオトナの女の余裕ってやつなのね」
泰然としたライカの態度に啓蒙された様子のエレン。そんな彼女を見詰めながらエレノアが小首を傾げます。
「エレンちゃんはブルーノ君と付き合っているの?」
直球ど真ん中ストレートの質問に、思わず私も前のめりになってしまいました。
「はああああああああああああっ!?! なんであんな単細胞な馬鹿とあたしが付き合うんですか⁉」
「いや、なんかブルーノ君が飲みに行ったのを怒っているみたいだったし、普段から仲いいから」
全力で否定するエレンを、姉のような生温かい眼差しで見つめながらエレノアが続けます。
「そういえばエレノアさんはジェシーと付き合ってらっしゃるのですよね?」
改めてそう尋ねれば、躊躇なく頷かれました。
「うん。バッソ家とアランド家とアドルナート家は昔からの付き合いがあって、その関係で物心つく前からの腐れ縁だったんだけど……」
「あら、エレンとブルーノと同じ幼馴染ですの?」
「だからって、あたしとブルーノは別ですよ、ジル様!」
「うん。あたしの方が一つ年上だったし、子供の頃は手のかかるヤンチャな弟って感じだったんだけど、そのうち異性として意識するようになって、ジェシーが冒険者になって旅に出るって言った時に、思い切ってあたしも家を飛び出して……」
照れたように恋バナを語る恋する乙女を前に、思わず『ヒューヒュー♪』という冷やかしと、『きゃあきゃあ~♡』という嬌声を放つ私たち。
「いや、エレノアは昔っからジェシーに首ったけだったぞ。私がジェシーの相手をしていると、『らいかおねーぢゃん、じぇしーとっちゃだめーっ!』と、泣きわめいていたし」
「お嬢様、その対応は聖女としてカジュアル過ぎると思うのですが……」
この深夜の女子会ノリに参加していないライカがエレノアへ冷静にツッコミを入れ、モニカが私へ苦言を呈しました。
「ま、まあそれはともかく、素敵ですわね。想いがかなって恋人同士になれたのですから」
さすがにちょっと羽目を外し過ぎたかしらと反省しつつ、そうエレンに話を振れば、
「その通りです。エレノアさんにしてもジル様にしても、自分で選んだ最愛の人と一緒になれたのですから、やっぱりあたしも憧れますね~」
そう目を輝かせてうっとりとした口調で同意するのでした。
「おや、エレン先輩は演劇とかでお馴染みの自由恋愛主義に傾倒していたのですか?」
コッペリアの問いかけに「当たり前でしょう!」と即答するエレン。
「本人の意向を無視して勝手に決められた結婚相手よりも、出会った中で最高の……この人だってときめいた相手と結婚したいものじゃない!」
……う~~ん、自由恋愛ですか。貴族の令嬢になることが既定路線であるエレンには、その場合クリアすべき課題が多いのですが、親友としてなるべく希望に沿えられるように頑張りましょう。
そう密かに決意する私とは対照的に、コッペリアが腑に落ちない表情で、
「ぶっちゃけ自由意思で相手を選ぶって、同様に淘汰される側に回る諸刃の剣のような気もするのですけどねえ」
思いっきりエレンの熱意に冷や水をかけていました。
「つーか、聖女サマ。夜中に集まって恋バナに花を咲かせるのもいいけど、本題に入らなくていいのかにゃ?」
コンポートを食べながらシャトンが、脱線転覆していた話題を強引に修正してくれました。
「「「「――あっ……!」」」」
私、エレン、コッペリア、エレノアの間抜けな声が輪唱します。
視線をラナへ巡らせれば、もどかし気な表情でテーブルの上の封筒を眺めたまま、ピクリとも動いていませんでした。
「ご、ごめんなさいね、ラナちゃん。えーと、それで……この封筒の中身を巡って、周囲では血生臭い出来事が起きているの。もしかするとお姉さんのことを知ると、ラナちゃんも命に関わる騒動に巻き込まれるかも知れない。もちろん私も全力で守るつもりだけれど、この世の中に絶対ということはないから、中身を知らないまま廃棄をして、知らずに済ませるという選択肢もあるわ」
私の主義ではありませんが、ラナの安全を最優先に考えるのならば、危険からはできる限り回避するのが最上であり、そもそも『知らない』『関わらない』のがベストな選択となるでしょう。
「よく考えて」
という私の再度の問いかけに、しばし考えこんでいたラナですが、
「……ジル様。私、ジル様や皆といられるいまがとっても幸せ。……けど、お姉ちゃん……ルナお姉ちゃんが辛い目にあっているかも知れない……それを見ないふりして、笑っていられない。だから知りたい。ルナお姉ちゃんのことを……」
しっかりと私の目を見てそう言い切りました。
揺るぎない決意を込めた眼差しを前に、私はため息をついて頷かざるを得ませんでした。
「わかりましたわ。では、この件の主役としてソファの真ん中に座ってください。モニカとエレン、コッペリアも同僚として――いえ、運命共同体として参加するのですから、立ってないで座ってください。ああ、ひとり分足りないのでその分の追加のお茶とお菓子をお願いしますね」
「なるほど。さしずめ夜中に集まって車座になり、悪巧みということですね」
促されても躊躇するモニカとエレン、ラナを差し置いてさっさと、空いているソファに座るコッペリア。
「「「…………」」」
顔を見合わせつつ、仕方ない……と観念したモニカがラナを私の対面のソファの真ん中に座らせて、エレンとふたりで追加の紅茶とコンポートを配置しながら、空いている席へつつましく腰を下ろすのでした。
全員がテーブルの周りに着いたのを確認した私は、封筒を手にして手持ちのペーパーナイフで封を切ります。
「奴隷売買に関わる資料と関わった人物の詳細に、こちらは……もともとラナたちが住んでいた村の調査報告書のようで――っ‼」
軽く流し見た私の目に飛び込んできたのは、その村が四年前に野盗らしい集団に襲われて、老人から赤子までことごとく皆殺しされていたという記載でした。
「どうかしましたか、ジル様?」
怪訝な表情を浮かべるエレンに、
「――順を追って説明しますわ」
そう答えてさらに封筒の中身を確認したところ、『巫女姫クララ様へ』と書かれた手紙が別に入っていました。
便箋五枚ほどを使ったこちらを手に取って軽く冒頭を読んでみれば、どうやら事の顛末をまとめたダンからの手記――いえ、遺書のようです。
そのことがわかった私は、その手紙を手に取って皆にわかるように朗読を始めました。
「『巫女姫クララ様へ。クララ様がこの手紙を手に取っているということは、間違いなく私はこの世にいないでしょう。それもおそらくは見せしめを兼ねた凄惨な死に様だと思われます――』」
そうして読み進めるうちに、その場にいた全員が当初の和気藹々とした雰囲気はどこへやら、真剣な表情で聞き入り、そうして手紙を読み終えたところで泥のような沈黙がその場を支配したのです。
そしてそれは私も――いえ、事に依れば私がラナよりも衝撃を受けていたかも知れません。
「……オーランシュ……」
ダンの遺志が示したその地の名を、私は万感の思いを込めて口に出しました。
 




