その頃のジルたちとその頃のエレンたち
さて、現在私は頭からすっぽりとフード付きの外套をかぶって、なおかつ『幻影』の魔術を併用して、身長を若干低めに見えるように調節した上で、なるべく目立たないように色彩を抑えてモニカたちの背後に付き従っています。
たださすがにこの季節にこの格好は怪しすぎるので、カモフラージュのために妖精族であるプリュイとアシミにも同じような格好をして隣へ立ってもらっています。
もっともふたりともフードは浅く、半ば顔はさらけ出していますので、通行人からは私たちを一見して「ああ、妖精族が周囲をはばかっているのだな」と納得してくれることでしょう。それが狙いです。
「――まあ、さすがに人間族にとって現人神に等しい二代目聖女様が、聖地を抜け出してこんな場末の裏路地でコソコソと隠れ忍んでいるとは誰も思わないだろうからな。というか、仕事を放置しておいて大丈夫なのか? さすがにすぐにバレると思うのだが……」
モニカと噂の商人とのやり取り――と、近くの露店で「さあさあ、聖女クララ様も巫女姫時代に密かに訪れ絶賛したキプフェルだよ!」と宣伝しているの――を固唾を呑んで見守っていると、隣に立っているプリュイが周囲を配慮してか、エルフ語で話しかけてきました。
私もエルフ語でその懸念について軽く囁き返します。
「執務室には私の代わりに、私の筆跡をそっくり真似でき、なおかつ執務速度でも私と互角に近いコッペリアを影武者に置いてきたので、早々発覚はしないと思いますわ」
書類の受け渡しはエレンが間に入ってやり取りしますので、直接顔を見られることもありません。とはいえさすがに長時間はごまかせませんし、不測の事態が勃発する可能性もありますから、もって数時間が限度でしょう。
そうした私の説明に安心するかと思いきや、逆に危惧をあらわにするプリュイ。
「コッペリアに後を任せたのか? 大丈夫か、おい。とんでもなく突拍子もない書類に許可を与えたり、政策を提言しているのではないのか⁉」
妖精族は樹の上で果物食べている猿みたいな種族ですから、新国家に所属した場合、全員挨拶は「ウホウホ」で、語尾に「~~だゴリ」と付ける法律を作りましょう! とかやりかねないぞ……と、なかなかファンキーな杞憂をあらわにするプリュイ。
「いえいえまさか。いくら何でも洒落になることとならないことの区別くらいはつきますわよ、コッペリアだって。それに、周囲は彼女を底抜けのあんぽんたんのように誤解していますが、普段のあの調子は一種の擬態に過ぎません。本気を出せば何事も完璧にできる……がゆえに、わざとネジの五、六本外れた演技をして、『完璧な人造人間』として人間味を演出しているのです。ですから、今回は遠慮せずに本気を出すように言いつけておいたので、心配せずとも大丈夫ですわ」
「そうかぁ……? それこそ買い被りのような気がするのだが……」
難しい顔でどこまでもコッペリアに対する不信を覆そうとしないプリュイ。
「どうでもいいが、いつまで俺は人間族の下らぬ乱痴気騒ぎに付き合っていなければならないのだ⁉ せっかく偉大な世界樹様が地上へお戻りになられたというのに、このような場所でぐずぐずと……」
それとアシミは現在の境遇が相当不満のようで、眼前の光景を無視して仏頂面で心中の不満を垂れ流しっぱなしでいました。
「私も世界樹様のお傍にお仕えしたいのは山々だが……アシミ、お前はそもそも忘れていないか?」
「なにがだ?」
「現在の世界樹様はあくまでジルの所有物であり、ジルの許可がなければ勝手にお傍に行くことも、触ることもできないのだぞ?」
「‼‼‼」
『地球はみんなのものだ』というような感覚で、世界樹が誰かの所有物などという概念がなかったのでしょう(私も言われるまで気が付きませんでしたけれど)。アシミが愕然――という言葉では到底言い表せない、さしずめ世界の破滅を見た預言者のような表情で、私の顔をフード越しに見据えたまま凝固するのでした。
「ところであそこの露店のキプフェル、私食べたことないのですけれど、ここで買って食べて事実の追認をしたほうが良いのでしょうか?」
とりあえず作動不能になったアシミは放置して、さっきから気になっていた露店を指さしてプリュイに尋ねると、
「いいから、モニカのほうへ集中していろ」
呆れた口調で窘められてしまいました。
◇ ◆ ◇
その頃、バカ話をしながらも手は休むことなく、猛烈な速度で積み上がっていた書類を片付けていたコッペリア。
一方、この場にジル本人がいないことを現在の《聖天使城》内で唯一知っているエレンは、完璧に模倣されたジルのサインを確認しては、決裁の終わった書類と問題があって差し戻しを指示された書類(ほぼ同じ量がある)とを、別室に詰めて秘書的な業務をしている新人侍女たちのもとへ運んで、新たに書類の束を持ってくる――というのを繰り返していたが、なぜか別に離して置いてあった再審議の書類を持って行こうとしたところで、コッペリアからの待ったがかかった。
「そっちの書類はボケナスの新人侍女のところへは持って行かないで、直接……そうですね、人事と移民に関することなのでルーカス殿下のところへ運んでください」
「??? 別に彼女たちに頼んで、ルーカス殿下のところへ差し戻しても同じじゃないの?」
「いいえ、信用できませんね。その関係の書類は何度か却下して、関係部署で調整するように言いつけているのですが、そのたびに手を変え品を変え、ちょいと言い回しを変えてクララ様の許可を得ようとトラップのように仕掛けられているんですよ」
忌々し気に書類の束を見据えて言い捨てるコッペリア。
「だいたいちょっと考えればわかるでしょう。女王のもとへいちいち下働きを雇っていいかどうか許可を求める阿呆がどこにいますか⁉ それを決めるのはもっと現場の人間だろうが、と」
「あー、確かに」
納得するエレンにさらに追い打ちで捲し立てるコッペリア。
「だいたいクララ様に決められるわけがないじゃないですか。〈聖女〉なんですよ。世の中の善人も悪人もまとめて救うのが名目の〈聖女〉に、『こいつ馬鹿で使えねーからナシで』なんて言えるわけがないでしょうが! だから、その前に盾になって泥をかぶるのが部下の役目でしょうが‼ それなのに面倒事をことごとくクララ様にぶん投げて寄こしやがって。ワタシが責任者だったら、クララ様に忠誠を誓ってなおかつ能力のある奴以外はバッサリと切り捨てるところですね」
コッペリアがそう憤るのに半ば同意しながらも、さすがに倫理的にアウトな部分は反駁するエレン。
「いや、自分に利益をもたらす相手とか、好きな相手以外はいらないとか、それ言いだしたら暴君とか独裁者になるんじゃない?」
「そっすか? 物語の主人公とかも『俺の大切な人たちを守るぜ』とか『生まれ故郷を守る』とか、つまるところ好き嫌いで線引きしてそれ以外は、その他と敵に分けて対応しているんですから、見解の相違だけで、行動原理は暴君や独裁者と同じだと思いますけど」
この手の議論は言葉遊びになりそうな気がして、ともかく目先の話題にエレンは話を戻した。
「……要するに、アンタって今度の新人たちを信用してないわけ?」
「〝興味がない”というほうが近いですね。この程度の事案をフィルタリングする能力がないんですから、新人たちは。もしくは甘えているんですよ、曖昧な内容の書類でもクララ様ならなんとかしてくれると」
「あ~……まあ、教団の関係者だから〈聖王女〉たるジル様の判断や能力に絶対の信頼を寄せるのは仕方ないかなぁ」
あたしも他人のことは言えないし、と胸中で付け加えるエレン。
途端、その思いを見透かしたかのようにコッペリアが揶揄するような口調で付け加えた。
「憧憬とか羨望ならいいんですよ。その背中を見て考えて行動しているわけですから。ですが崇拝や心酔は別です。本人を目の前にして実物ではなく『こうであろうという』幻想を見て、思い込みで言葉を歪曲しているわけですからタチが悪いなんてもんじゃありません」
なにしろ聖女教団の現人神にして古ユニス王国の最後の王女である(それゆえ初代〈聖女〉と区別する意味で、ユニス国内では〈聖王女〉と呼ばれている。いずれ伝播するのは確実だろう)。そのため、ごくつまらない日常会話であっても、聞いた者によって格言めいた崇高な言葉のように受け取られ、人から人へと伝えられるうちに善意によって脚色され、ますます熱が高じる……という悪循環に陥って、
「困りますわね~」
と当の本人も苦笑いするしかない状態となっていた。
もっとも生来の鷹揚さで、勝手に歩き出した虚構や虚像については、他人事としてあまり気にしていないようであったが、身の回りを世話する侍女までこの調子でジル様を神格化するのは確かにシンドイだろうと、エレンもいまさらながらコッペリアが何を懸念していて、ジルがモニカに何を期待したのか理解するに至ったのだった。
「……確かに。アンタの言うことも一理あるわね」
同意されて嬉し気にコッペリアは一枚の書類を取り出し、
「エレン先輩ならわかってくれると思っていました。そういうことで、クララ様への忠誠をはかるためにも、このノーパン条例を制定――」
「だからそれとこれとは別でしょうが!」
隙あらば書類にサインをしようとするコッペリアを、持っていた書類の束で殴り倒すエレンであった。




