忙殺のジルと一枚の面会状
作中ではジルはまだ15歳です(春生まれ)。
途中で16歳になります。
【ユニス法国、首都テラメエリタ】
月日が経つのは早いもので、セラヴィが突如として姿を消してから一月が経過しました。
「――もう一月ですわね」
うずたかく積み上がった書類仕事の合間にそう呟くと、紅茶のセットと定番のキュウリのサンドイッチ、スコーン、季節のケーキが添えられたケーキスタンドが載ったティーワゴンを押して、ここ《聖天使城》の最上階にある聖女専用の執務室に入ってきたコッペリアが一瞬考え込み――、
「ああ、愚民が死んでもう一月ですね。いゃあ、人の命なんてあっけないものですねー」
あっけらかんと相槌を打ちながら、アフタヌーンティーの支度をはじめました。
「消息不明ですわっ。まだ死んだと限りませんわ!」
そもそも現場の様子からして争った形跡がないので、誰か(何か)に襲われた可能性は限りなく低い……というのが、あの場にいた全員の一致した見解だったはずです。
「あー、そっすね。ならずいぶんと長い便所ですね。拾い食いでもして、延々腹でも壊したんでしょうか?」
「それは絶対に違いますわ」
「ではあれですね。思うにあの時、クララ様がルーカス殿下を選んだのは自明の理でしたので、袖にされたショックで愚民が自暴自棄になってそのまま雲隠れしたか、最悪嫉妬に狂って敵に寝返ったのではないでしょうか?」
「ですから、憶測で勝手な決めつけをしないでください!」
緊迫感のないコッペリアによる偏見ばかりの見解は別にして、セラヴィが何らかのトラブルに巻き込まれたのは確実でしょう。それもおそらくは精霊魔術による何らかの事件か事故。
そもそもあの場で最初に違和感に気づいたのは、私でもレジーナでも緋雪様でもない半精霊の少女でしたし――。
そう……あの時、私と緋雪様が今後のスケジュールの擦り合わせをしていたその場へ、
「マロードさま! なんか森が変になったよ⁉」
「ああ、わかっている。わかっているから俺の頭の上で踊るな、アンナリーナ」
不意に空中から幻のように現れて、稀人侯爵の頭上で得体の知れない踊りを踊りだした、見た目十四、十五歳ほどの水色がかった白髪に水色の瞳、妖精族のように尖った耳をして、とどめに背中に小妖精のような半透明の翅を持った少女の出現に、思わず私は会話を止めて呆然とその姿に見入ってしまいました。
「……な、なんですの、あの娘は……?」
「ああ、あれは侯爵が拾って飼っている珍獣です。普段はフラフラしていて居てもいなくても大差なく、ろくな役にも立たない芸が自慢のごく潰しですので、クララ様にはお目汚しかと」
即座になぜか冷淡な口調で役立たずと断じたコッペリア。……私の与り知らないところで、何か確執でもあったのでしょうか?
「――っていうか、侯爵はあの子を『アンナリーナ』と呼んでいるようですけど」
「ああ、名付けたのは侯爵らしいですよ」
逝去した妹姫の名前が『アンジェリカ』で、拾った謎生物の女の子につけた名前が『アンナリーナ』とは――
「立派なシスコンに成り果てたのですわね……前世お兄様。妹大好き過ぎて、拾った女の子に妹の名前をもじって付けて愛でるとは、さすがに元妹としては引きますわ」
「ちょっと待て、アンジェリカ! それは誤解だ。俺はお前の魂の安息と、己の罪の贖罪として、この身寄りのない子にあえてアンナリーナと名付けたのであって、別に代用品にしようだとか、邪まな目的で保護したとか、そんな意図は一切ない!」
戯れるアンナリーナを無理やり引き剥がしながら、心外だとばかり私へ向かって必死に抗弁する侯爵。
「……そうなのですか?」
事実関係を一番把握してそうな緋雪様に確認を取れば、
「シスコンはみな同じことを言うんだよ」
沈鬱な――「残念ながら君のお兄さんは不治の病なのさ」と言いたげな――表情で、ふっ……と肩をすくめて皮肉な吐息を放たれました。
「なるほど……」
「だから違うと――」
「ねーねー、マロードさま。いま、そこの森の中で誰かがガーっと隠れていて、誰かをこう……闇でグルグル隠して連れて行ったよー」
見た目の年齢の割に幼い子供のような口調で、何やら盛んにアピールするアンナリーナ。
その指さす先が、先ほどセラヴィが入った森のあたりなことに、にわかに不安になった私は緋雪様に断りを入れて、ルークとエレンとコッペリア、ついでにバルトロメイと侯爵、そして案内役のアンナリーナの先導で森に入り、そうしていくら声を張り上げても返事がなく、どこにもセラヴィの姿がないことに気づいて動転したのでした。
小一時間ほど散々探し回って、忽然と姿を消したセラヴィの行方が杳として知れず、憔悴をあらわにする私たち。
「こりゃもう絶望的ですね~。『何の取柄もない愚民。誰にも気づかれることなく、ここに眠る』――と」
あっさりと見切りをつけたコッペリアが、適当な木の板に墓碑銘を書いて、セラヴィが最後にいたであろう場所の地面へ突き刺しました。
「縁起でもないわね! それにこんなペットの墓みたいなのっていくらなんでも適当過ぎるでしょう!」
さすがに悪ふざけが過ぎると思ったのか、憤慨したエレンが木の板を引き抜いて、その場で膝を使って真っ二つに叩き割って放り棄てます。
「……罰当たりですねえ、エレン先輩」
「罰当たりなのはアンタの方よ!」
と、そこへアンナリーナの要領を得ない話をじっくりと聞いて吟味していた侯爵が、難しい顔をしてやってきました。
「アンジェリカ、どうもこのあたりの精霊は何者かの干渉を受けていたらしい。詳しい話を聞こうにもより上位の命令を受けて、何も覚えていない状態だということだ。――ま、逆にその不自然さにアンナリーナが気付いて騒いだらしいが」
「精霊に働きかける? それも完全に支配するレベルで? 精霊魔術でしょうか?」
最後の問いは様子を見に来られた緋雪様へのものです。
「さて、そのあたり私は管轄外だからねぇ……気が付かなかった、空穂?」
水を向けられた空穂様は、
「ほほほほほっ。姫様、鳳凰の羽ばたきならばともかく、羽虫の羽音などいちいち気にも留めないものですぞえ」
しれっと『そんな細かいこと知るか』と婉曲に明言しました。
「あー……まあ、ウチの連中は細かい作業には向いてないからねぇ。ともかく、さっき連絡をして探知系の魔将が総がかりで【闇の森】全域を捜索したけれど、さっきの――セラヴィ司祭だっけ? ――の姿は発見できなかったそうだ」
この短時間で【闇の森】全域を草の根分けても探し回るとは、さすがはカーディナルローゼ超帝国ですが、その結果を前にして私の肩が力なく下がります。
「まあ、逆に言えば死体も発見できないってことだから、死んだ可能性は低い……あくまで消息不明だね」
「そう、ですわね……」
緋雪様の気休めに同意しつつ、意気消沈しながら――レジーナが「小僧のことは心配しても仕方ないだろう。とりあえず飯だね飯!」と、場を収めたため――とりあえずこの場をあとにして、私たちは緋雪様の『転移術』で庵へ取って返して一息ついたのでした。
そうしてそのまま時間だけが過ぎてゆき、後ろ髪を引かれる思いでしたが、他にやるべきことが目白押しでしたので、やむなくあとの捜索を侯爵にお願いをして、私(とフィーア)は緋雪様の手引きでカーディナルローゼ超帝国本国――なんと成層圏に浮かぶ巨大な浮遊大陸でした――に、夏休みの残り一月ほど滞在して修行に明け暮れ、その間にルークとコッペリア、エレンは別便で途中、ブルーノとジェシーさんたち。ラナ、それとプリュイやアシミ、シャトンなどと合流しながらリビティウム皇国へと戻り、私も夏休みの終了に伴ってリビティウム皇立学園のあるシレント央国へと帰還して、変わらぬ一同とのつかの間の再会を喜んだのです。
とはいえ私の二代目聖女襲名(それも初代聖女スノウ様直々の指名)と【闇の森】の浄化開放に伴う、所有権の移転――多くの国々が聖女による『建国』と受け止めたようです――という驚天動地の出来事を前に浮足立ち。政治的な思惑も十重二十重に絡んで面倒なんてものではなくなったため、やむなく学園を無期限の休学として(ついでにルークも)外からの攻勢をある程度シャットダウンできるユニス法国の首都テラメエリタ。聖女教団の本拠地である《聖天使城》へと保護を求めたわけですが……。
「両手と『念動』、同時並列思考を使って、一秒間に五枚のペースで精査して決裁をしているのに、一向に書類が減らないのはどういうことですか⁉」
コッペリアが入れてくれた夏摘みのマスカテルフレーバー紅茶を口にしながら、思わず嘆息する私。ほとんど賽の河原の石積みのように、書類の山がなくなったと思ったら次から次へと新たな書類が運ばれてくるのですから嫌になってしまいます。
「これでもかなり篩にかけられて運ばれてきてるんですけどねえ。下の階では無能な神官どもが雁首揃えて、空っぽの頭を抱えて血反吐を吐きながら、この数十倍の数の書類と向き合ってますよ。ちょっと確認しましたけれど、計算間違いは多いわ、非効率的だわ、マジで使えねー土手カボチャ連中ばかりですね。いやぁ……いまになって偲ぶと、まだしも愚民はマシな部類だったんですね」
一応、神官というのはこの世界の知的階級なのですけれど、コッペリアから見ればスカスカな土手カボチャも同然らしいですわ。
「はあ~、聖域として外部からの干渉に対しては不可侵かと思えば、意外と世知辛いですし、周りは私を腫れ物扱いですし、ついでに秘書官さんを筆頭に【闇の森】を『新ユニス王国』として再興させようと、夜討ち朝駆けで説得してきて気の休まる暇もないですし。何か気分転換になることはないかしら?」
まあ無理よね、この状態では。さすがに私も無責任にホイホイ外出するわけにもいきません。下手をすれば警備にあたる人の首が物理的に飛びます。
と、そんな私の愚痴を聞いていたコッペリアが、ひらりと一枚の書類を執務机の上に置きました。
「――『面会希望』? ずいぶんと古い日付ね。もう半年前じゃない」
「無能神官どもが塩漬けにしていたようで、ま、確かにクララ様のご多忙を思えば後回しにしたのもわかりますが、希望者の名前がちょっと憶えがあるもので、クララ様にも興味があるのではないかと思って抜き取ってきました」
そう言われて改めて申請してきた方のお名前と職業を確認した私は、危うく飲んでいた紅茶を喉に詰まらせそうになりました。
「『奴隷斡旋所〝お菓子の家〟テラメエリタ支店長アンジェラ・オリヴァー』――これって⁉」
「ええ、ちょうどいい気分転換になるんじゃないですか?」
コッペリアの言葉に、私は一も二もなく頷いていました。




