聖女の誘惑と魔性の誘惑
第六章はこれで終了です。
次回より最終章となります。
ついでのように緋雪様が付け加えられます。
「住処なら、この近くに私の離宮の一つがあるので、そっくり君にあげるよ。通称は『銀星晶宮殿』といって、ま、さほどたいした規模のものではないけれど、それなりに見栄えはいい城と宮殿だし」
きっと緋雪様の比較対象がおかしくて、実際には大した宮殿なのでしょうねえ……と、ほぼほぼ確信する私がいました(そしてそれは事実で、帝都コンワルリスの帝居や封都インキュナブラの【花椿宮殿】を目の当たりにして免疫があったはずの私やルークが、くだんの『銀星晶宮殿』を前にして、あまりの規模と美しさに息を呑んで絶句したのですが、それはまた別のお話です)。
さて、怪しい通信販売のようにいろいろとおまけを追加しても、いまひとつ芳しくない私の反応に、「ん~~?」と軽く唸った緋雪様は、懐柔の方向性を変えたらしく、どこからともなく――『収納』の魔術ではなく本当に虚空から――ピンク色の薔薇のコサージュが付いた白いドレスと、一式揃いなのでしょう瀟洒な長手袋と膝上の長靴とを取り出して、有無を言わせず私に向かって押し付けました。
「そういえば小耳に挟んだんだけど、大事なドレスを今回の件で紛失したんでしょう? だったらこれはその代償ってことであげる。私の聖女としての正装である戦ドレス『戦火の薔薇』の色違いモデルで、名付けるならさしずめ『静謐なる薔薇』ってところかな」
半ば無理やり受け取らされたドレス――『静謐なる薔薇』は、気品の中にも機能美が満載され、さらにはこの世界のデザインとは一線を画した洗練さがあるドレスでした。その上で手触りが天女の羽衣か天使の羽かというくらいに軽くてなめらかです。
「うわ~、綺麗ですね! これジル様に凄く似合いそうですよ!」
女の子らしく目を輝かせて覗き込むエレンと、
「うわっ、なんですかコレ⁉ 素材強度が測定不能で、付与されている魔術方式も未知のもので、なおかつ大部分がミクロン単位でブラックボックス化されてますよ!」
錬金術師らしく目の付け所が違うものの、目を丸くして食い入るように見詰めるコッペリアがいました。
「確かに素晴らしいドレスだとは思いますし、『永遠の女神』の代わりに緋雪様からいただいたとなれば、誰からも文句はつけられないとは思いますけれど、これをまとったが最後、二代目聖女――と、付随して【闇の森】を受け取ったことを承諾したということですわよねえ」
どう考えても私では荷が重いというか、力不足だと思うのですが……。
「――ふん、このすっとこどっこいが。馬鹿の考え休むに似たりって言ってね。難しく考えすぎなんだよ。国なんざ興る時には興るし、滅びる時は滅びるもんだよ。盛者必衰、諸行無常、年年歳歳なんとやらだよ!」
レジーナが帝国の中興の祖とも思えない、無責任な(あるいは達観した)発言で――なお、バルトロメイが「魔女殿、それは『年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず』であり、また『馬鹿の考え』ではなく『下手の考え』であるのだが」と、脇からダメ出しをしていましたが、馬の耳になんとやらで――私の不安を一蹴して、
「クララ様、クララ様。とりあえず口先だけで『静謐なる薔薇』受け取っておいて、いつものようにトンズラこけばいいんじゃないでしょうか?」
続いて黒い笑みを浮かべたコッペリアが、したり顔で私の耳元で囁きますが――人聞きが悪いですわね。私を何だと思っているのでしょう、この駄メイドは⁉――どちらも無視をして、正直に緋雪様にいまの懸念を伝えました。
すると、
「ならしばらく私がマンツーマンで指導しようか? 君なら死者蘇生術『完全蘇生』でも覚えられると思うよ?」
不安を払拭する材料として、途方もなく魅力的な提案が提示されました。
「うっ……!」
聖女様の聖女様たる代名詞である『完全蘇生』を教授していただける。
これには私の食指も思いっきり動きまくりました。
「あと剣術と体術も教えてあげられるよ。なにを隠そう、私は一対一で稀人――侯爵に負けたことはないんだよねぇ」
そもそも君の記憶にある武術の修行の記憶とかは、私のものが半端に複製されたものだから、正式に補完できるよ~、と女神というよりも悪魔のようなささやきを口にされる緋雪様。
「うっ……ううううっっっ」
「おー、動揺している動揺している。脈拍、脳波ともにかつてない乱数を記録しています。さっきの提案よりもよほど魅力を感じて、心中の天秤が揺れまくっているのは確かですね」
思わず煩悶する私の顔色を窺いながら、コッペリアが微妙に呆れの混じった口調で私の内心を推し量りつつ、固唾を呑んで見守っているルークとエレンに解説していました。
「……そんなに僕に負けるのが我慢ならないのですか、ジル⁉」
「ジル様はそこらへんのお姫様のような、観賞用の花ではないですからねえ。これでこそジル様ということですよ、ルーカス殿下」
で、ここが攻め時だと確信したのか、緋雪様がちらりとエレンの腕の中で高鼾をかいて眠りこけているフィーアを一瞥してから、トドメの一言を放ちました。
「それと従魔の正しい使い方も教えてあげるよ。真紅帝国に所属する幹部になれば、所有する従魔を登録しておいて、万が一死亡したとしてもクールタイムを置けば、『再蘇生』可能だからね。お陰で真紅帝国の正式登録されている国民は、何回か死んだこともあるけどいまだに欠員になった者がいないのが自慢だからねぇ」
その瞬間、私の不安や躊躇はあっさりと消え去り、
「――不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします。お姉さま」
「いいともーっ!」
こうして私は陥落したのでした。
だって、フィーアの身の安全が保障されるのですわよ! 他の何を置いても受けなければならないに決まっています。
◇ ◆ ◇
「まったく嫌になる……」
森の中、いまだジルたちの姿が垣間見え、耳をすませばおまかな会話が聞こえる場所で、セラヴィは手近な大樹に背中を預けて自嘲と自責の入り混じった呟きを漏らした。
理由を付けてあの場から退いた――いや、逃げたのは、つまるところ八つ当たりである。自分ではどうしようもない家柄や才能の違いといった諸々の鬱憤を、すべて女神のせいにしてぶつけそうになった己の了見の狭さに。
そしてジルに対する嫉妬と渇望。なんとなればここにきてわかってしまったからだ。常にジルの視線が、心が誰に向いているかが――またしても自分が選ばれなかったことに対する憤り――エゴ丸出しの感情を抑制できなくなった……それが故の逃避であった。
わかっている。幸運も誰かを愛したり愛されたりすることも、突き詰めれば当人の資質の問題であり、自分にはその資質が足りないということに。どんなに努力しても、追い求めても手に入れられない……それが自分の限界なのだと、改めて事実を目の前に付きつけられた気分で、思わず逃げ出したのだ。
「……大丈夫だ。俺は、あいつらにも『良かったな。幸せにな』って言える。そうだ、いつも――」
『いつもいつも我慢しなければならない。こんな世界をひっくり返してみたい……そう思っていたんでしょう?』
不意に耳元でいつか聞いた女の声――聖華祭の最中に接触してきた半闇妖精族の男から転じた、敵の首魁である〈神聖妖精族〉――の囁き声が聞こえた。
「手前、尻尾を巻いて逃げたと思ったら、まだこの辺にいたのか……」
遠目にだが、蒼い髪の竜人族のような青年とともにジルと対峙していたことから、彼女が今回の件の黒幕であるのはまず間違いないところだろう。
てっきり遥か彼方へ撤退したと思っていたのだが――。
「《神帝》とそのバケモノみたいな腹心が雁首揃えている場所に、のこのこ顔を出すとは……よほど自信があるのか、俺が何もできないとなめられているのか」
素早く周囲に視線を走らせるが、あの〈神聖妖精族〉の女の姿は目に見えない。
『いいえ。これは私にとってもイチかバチかの賭けよ、セラヴィ・ロウ司祭。あなたが合図を送れば一瞬にして私は滅ぼされるでしょう。私の生殺与奪権はいまあなたにある。その上で提案するわ。私はあの連中に目にモノみせてやりたい。けれどいまはまだ届かない。足りないモノがあるから。そしてあなたも欲している、運命を変えられる力を。私たちの利害は一致していると思わない?』
そう姿なく囁く〈神聖妖精族〉の女。
「ふん、勝てないとわかっていて賭けに乗るバカはいない。俺に声をかけてきたのも、要は意趣返しか、保身のための人質狙いってところだろう」
悪意と嘲笑を込めてあてこするセラヴィ。
『劣等感』
と、ただ一言告げられた単語にセラヴィの心臓が大きく鳴った。
「っっっ――!」
知らず動揺が顔に出る。
『挫折を知り天に疎まれ、それでも折れない。私とあなたとは同じもの。表裏一体……いえ、そっくり同じと言ってもいいわね。ねえセラヴィ司祭。私は人生をもがくあなたに親愛の情すら感じているのよ。だから私に手を貸しなさい。あなたが欲しくて欲しくてたまらないものをあげるわ』
甘い囁きにセラヴィが平静を装って鼻を鳴らして反論した。
「ふふん。口当たりのいい御託を並べちゃいるが、具体的な条件を一切提示していない時点で詐欺か、もしくは人間を誑かす悪魔の類と自己紹介しているのも同然だぞ。そうして考えなしに同意すると、身を破滅させるような代価か代償を払わなきゃならないってのが道理だからな」
『賢明ね。さすがは〝神童〟。そんなあなただからこそ私は目をかけているのよ。――そうね。確かに条件を伝えないのは公平ではないわね。では単刀直入に言うわ。セラヴィ司祭、私は我が子――ストラウスに足りない魂魄をあなたで補いたいの』
「なにっ!!?」
『つまりあなたにストラウスと同化して欲しい……あなたの意志が勝てばあなたは神に等しい力を得られ、文字通りの〝神の子”になることができる――その上で組織を潰そうが、私を殺そうが好きにすればいいわ――けれど、負ければ我が子を構成する部品のひとつとなり果てる。私はいずれにしても完全なる〈神子〉を目の当たりにできれば本望だから文句はないわ。ねえ、悪い賭けではないでしょう?』
含み笑いの混じった提案に、セラヴィが無言で唾を飲み込む音がした
 




