セラヴィの煩悶と聖女スノウの贈り物
と――。
不意にパチパチという拍手の音がして、反射的にそちらの方を見てみれば、
「やあやあ、おめでとう。自分自身とレジーナの正体を知ったことで、長かった自分探しの旅もようやく終わったってところかな?」
いつの間にやら満面の笑みを浮かべた聖女スノウ様――緋雪様が、この場へ降臨されておられたのです。
「「「「「――っっっ……!!?!!」」」」」
小さな手で拍手をする緋雪様はともかく、その背後に付き従う従者らしい四人。その圧の凄まじさに、素人であるエレンを含めて私たちはその場に棒立ちになってしまいました。
タキシード姿をした金髪金瞳の超絶美形の青年は、先日もお目にかかった〈黄金龍王〉の化身である天涯様で、長い銀髪の浮世離れした美貌と雰囲気、そして白い六枚の翼を広げたメイド服の女性は〈熾天使〉の命都様ここまではわかります。
これに加えて今回は和服というか花魁風というか……やたら煽情的、いえ『婀娜』という表現がぴったりな女性がひとりに、全身に漆黒の完全鎧をまとった黒騎士がひとり同行していました。
新顔の女性の方は目立つ狐耳から狐の獣人族のようにも思えますが、それ以上に目立つのがお尻から生えた九本の尻尾です。あんな獣人族なんて聞いたこともありません。それに加えて無言で佇んでいる黒騎士のプレッシャーが尋常ではありません。
いえ、四人が四人とも常軌を逸した存在感を放っている……というか、四人揃って浄化前の【闇の森】全体から発する魔素と互角か、それ以上の魔力を放出しているような……。
「姫の御前である、控えよ!」
有無を言わせない天涯様の命に従って、理性よりも生存本能が勝手に反応をして、私たち――私、ルーク、セラヴィ、エレン――は、咄嗟にその場に平伏しました。
そのついでに阿吽の呼吸で、
「――へっ」
と、鼻で笑って無視したコッペリアを、四人がかりで押さえつけて土下座させるのも忘れません。
そうして跪拝しながら横目で見れば、レジーナ、マーヤ、バルトロメイ、侯爵は慣れた様子でうやうやしく膝を突いています。
そんな私たちの様子を窺って、緋雪様が面倒くさそうな口調でぼやきました。
「こういう仰々しいのは好きじゃないんだけどねぇ……ともあれ初見の相手もいるようなので、先に名乗っておくけど私は緋雪。世間じゃ『聖女スカーレット・スノウ』とか《神帝》とか呼ばれているけどね」
言葉は軽いですけれどトンデモナイ自己紹介を耳にして、ルーク、セラヴィ、エレンが揃ってぐらりと眩暈を起こして倒れかかりました。
「せ、せ、せ、聖女スノウ様――!!?」
「っ――超帝国の《神帝》陛下……!?!」
「……マジか。マジもんの女神っ。実在したのか⁈」
半信半疑で呆然とする三人に向かって、緋雪様が気楽な口調で肩をすくめて肯定します。
「うん、そうそう。聖女とか神様とか言われる、君らがここぞという時にだけ頼るアレだよアレ。――ま、人生は自分のものなんだから、私はなんにもしないけど」
言外に干渉しようと思えばできますが、自助努力を優先している……という含みを持たせた緋雪様のポリシーに、ルークとエレンは素直に納得してコッペリアも、
「ま、神はサイコロを振らないと言いますし、自分でサイコロを振って、運が良けりゃ成功して悪けりゃ最悪死ぬだけです。凡人の人生なんぞ十把一絡げですから、どーでもいいですね」
と同意を示しましたけれど、ただひとりセラヴィだけは露骨に渋い顔つきになりました。
「ん? そこの神官の君、なんか不満げな様子だね」
目敏くそれを見とがめた緋雪様が「言いたいことがあるんなら言ってみ」と促します。
「不満などあろうはずがなかろう! 姫を崇拝する教義に帰依する神官が、事もあろうに姫のお言葉に異議を唱えるなどあろうはずが――あってよいわけがない! そうであろう貴様!!?」
セラヴィが何か口にする前に、天涯様の怒りを押し殺した大喝が轟然と放たれました。
「まあ待て、天涯。そう頭ごなしに叱りつけるものではないぞえ。姫様の寛容なお慈悲により問いかけられておるのである。きちんと答えを聞くのも姫様に対する礼儀ではないかえ?」
九本の尻尾を持つ女性が、口元に長扇を当ててころころと笑って、囃し立てるような口調で天涯様を制します。天涯様を呼びつけにしていることといい、おそらくは命都様同様に天涯様と同格の存在なのでしょう。
「まあ、非公式な場ですのでオフレコということで問題ないのでは、天涯殿?」
「――ちっ、下郎が。やむを得ん、直答を許す。姫の恩情に七生に渡って報恩感謝するがよい」
命都様よりの援護射撃も加わり、天涯様が渋々――本気で不本意なのをギリギリで――譲歩をして、セラヴィに一瞥を加えました。
「それでは懸けまくもあやに畏き、我が教団の信奉する聖女スノウ様にお尋ねいたします」
セラヴィはセラヴィで堂々と意見を口にできるのですから大したものです。
「正直に申し上げて私は貴女様の実在を疑っておりました。なぜならこの世界には不幸、不平等、理不尽がはびこっており、いかに祈ってもそれを正してくれる神など存在しない……と信じておりました。だからこそ運命を従容と受け入れていたのですが――」
そこでギリっとセラヴィの奥歯が鳴った音が私の耳にも聞こえました。
「実態は『神は確実に存在し、我らの祈りの言葉も耳に届いているが、聞き入れずに放置している』というのは、あまりにも身勝手ではないでしょうか⁉ それでは女神どころか邪神も同ぜ」
刹那、ノーモーションから莫大な電撃がセラヴィ目掛けて、天涯様より放たれました。
稲妻の速度は音速の六百倍。この距離で躱すことなどできるはずがありません。
「――ちっ。黒耀、邪魔をするな。そこなる小虫は姫を侮辱したのだぞ」
ですが、一瞬のストロボのような閃光が消え、オゾン臭い空気が焼ける臭いの中、天涯様とセラヴィの間に、あの寡黙な黒騎士――どうやら黒耀様とおっしゃられるらしい方が、割って入って持っていた大盾で天涯様の怒りの一撃を見事に弾いていたようです。
忌々し気な天涯様の舌打ちと怒りの眼差しにも動じることなく、無言でその場に佇む黒耀様。
「まあまあ、そこまでにしといて。それに確かに耳に痛い意見ではあるんだけれど……」
静かな緊張感をもって対峙する天涯様と黒耀様。そこへ緋雪様の仲裁の声が響きます。
「そこの神官君――えーと……」
「セラヴィ・ロウ司祭ですわ、緋雪様」
「セラヴィ司祭。君の意見は正論だけど的外れだよ」
私の補足を受けて、緋雪様――聖女教団の崇める聖女その方――に名指しされたセラヴィ。天涯様の一撃を前に、さすがに硬直していた表情に精彩が戻りました。
「不幸、不平等、理不尽と君は言うけれど、それは誰かと比べた価値観だよね。それを決めるのは自分であって、私が関与するものではないよ。人の世界は人が創るものさ。いちいち神があーしろこーしろと言うのって逆に不健全じゃないかなぁ」
「だが、世の中には事故や病気、生まれの環境などで生きたくても生きられない人間もいます。そうした人々は不幸ではないというのですか⁉」
緋雪様の言葉になおも反論するセラヴィ。
「そうだね。そういうのは不幸だね。次の人生では幸せになってもらいたいねぇ」
そう口に出して、意味ありげに私と侯爵とを見比べる緋雪様。
「輪廻転生か。まさに神の視点ですね。人間にはいまの人生がすべてだというのに」
吐き捨てるようにセラヴィが合の手を入れました。
「それが私の役割だからね。なんだったら君の亡くなったご両親の転生後――いま現在の姿に会わせてあげようか?」
「!!! ば、バカな、そんなこと……!」
「できるよ。容易いことだね」
確実にウイークポイントを突かれたらしく、緋雪様の提案に苦悩の表情を浮かべて押し黙るセラヴィ。
「――ま、ともあれ。それはそれとして、無事に依頼を果たしてくれたジル、君には報酬を与えないといけないと思ってきたわけなんだけど」
話題を変えた緋雪様の視線が私へ向けられました。
「あ、いえ。果たしたといっても私の力ではなくて、師匠やフィーアの力が大なのですけれど……」
それに『喪神の負の遺産』の中でお会いしたヴァルファングⅦ世陛下や、カーサス卿のご助力も大きいです。
「まあまあ、ちゃんと魔眼――いや、とある方法で君の活躍は見ていたから、それに応えなければ私の気が済まない……ってことで、ジル、君には正式に真紅帝国――カーディナルローゼ超帝国でも構わないけど――国民にして私の血を引く眷属として《神子姫・那輝》の名を与えよう。ちなみに二代目聖女も兼任しているから」
「うわ~」
心から辞退したいですが、「まさか断るつもりではないだろうな⁉」と、オラついている天涯様の眼差しを前にしては何も言えません。
「それとついでに領地としてここを与えるから、好きに使っていいよ」
続いて副賞みたいに地面を指さした緋雪様に続けられましたが、これには思わず首を捻ってしまいました。
「ココというと、『喪神の負の遺産』があった場所の平地ですか?」
がらんとした平地は何にでも使えそうですが、【闇の森】のど真ん中の地所をいただいたところで、行き来するだけでも大変そうで、ぶっちゃけ原野商法でいらない土地を所有した気分です。
そんな私の心中を推し量ったかのように、緋雪様が軽く手を振って否定されました。
「違う違う、ここ――【闇の森】だったところ、全部」
「は――?」
一瞬呆けた私ですが、ようやく意味が分かったところで、
「はああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!」
人生で一番突き抜けた声が上がったのでした。




