封都の忘れ物と皆との再会
さて、これでひと安心――と思ったところで、
「ああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!?」
ですがふと冷静になった瞬間、私は途轍もなく重要なことを思い出して、全身から血の気が引いて、思わずその場にうずくまって頭を抱えていました。
「ど、どうしたんですか、クララ様。この世の終わりのような声を張り上げて⁈」
「な、ない! 指――」
「??? 指なら全部揃っていますけど?」
ワキワキと両手の指を動かし、ついでにロケットパンチを頭上目掛けて撃ちあげるコッペリア。
「そうじゃなくて、子供の頃ルークからプレゼントされた指輪が、牢に入れられた時に取り上げられたまま戻っていませんわ。――あ、それと『永遠の女神』もですわ! 『永遠の女神』を取り上げられたまま返してもらっていません‼ グラウィオール帝国皇帝陛下から下賜された衣装を失くしたなんて、下手をしたら国際問題に……そ、そこらへんに落ちていないかしら⁉」
思わず目を皿のようにして周囲を見回す私ですが、目に入るのは『永遠の女神』の切れ端どころかペンペン草一本見当たらない、どこまでも平坦な大地が広がっているだけです。
「特異空間の内部にあったものなら、たぶんですが、残らずフィーアに吸収されて素粒子も残っていないんじゃないですかね。命あっての物種とも言いますし、ぶっちゃけワタシ的には、あんなやっつけ仕事の装備とか、呪物でもない安物の指輪など、クララ様にはふさわしくないと思っていたので、断捨離できて勿怪の幸いとしか思えませんね」
自分の――というかヴィクター博士の技術に――絶対の矜持を持っているコッペリアが、帝国の技術の粋を凝らした魔術装備をバッサリと切って捨てながら、ルークからもらった指輪(最近はサイズが合わなくなってきたので小指に嵌めていました)と、『永遠の女神』が永久に消えたことを断言します。
その答えを半ば予想していた私は再度呻吟しつつ、皆が近づいてくる気配に覚悟を決めて、ゆっくりとその場に立ち上がりました。
正直、もう何もする気が起きませんが、レジーナの前で自堕落な姿をさらすなどという、神や邪神をも恐れぬ――否、それ以上の身の毛もよだつ――行為などできようはずもありません。
せいぜい頑張って虚勢を張ったところで、ほどなくマーヤに乗った師匠が真っ先に到着して、マーヤの触手でうやうやしく地面に足を下ろされました。
「――無事だったようだね。さすがはブタクサ、しぶといなんてもんじゃないね。【闇の森】を更地にしてもピンピンしてるんだからねえ」
愛用の長杖を手に、周囲を見渡して感心したかのような口調で、白々しく当てこすります。
「お、お陰様で……その、半日ぶりというべきか、先ほどぶりというべきか悩みますが、師匠もつつがなくお過ごしのようで、ご壮健そうで安心いたしました」
「あン? なに言ってんだい。あんたが庵を出て行ってから、もう一月近く経っているよ」
思いがけない師匠の返答に、私の口から思わず「は――⁈」と、我ながらすっとぼけた声が漏れてしまいました。
一瞬、師匠の悪ふざけかと疑ったのですが、コッペリアがそれを補足する形で肯定します。
「正確には二十五日ですね。細かな数値までは把握していませんが、閉鎖空間の内部と外部では時間の齟齬が発生する……ま、ありがちな現象です」
思いがけずに異郷異界に行って、帰ってみたら何百年も経っていた。または逆に何年もいたと思っていたのに、ほんの一夜の出来事だった……。た、確かに寓話や昔話ではよく聞く話ですわ。
「……つまり、もう夏休みも終わりで、実質私のしたことって、遠路はるばる【闇の森】まできて、夏休みの工作で庵の新築に従事しただけということに……」
「出来損ないのアンタにしちゃ、十分な成果じゃないか!」
徒労感を感じてへたり込みそうになる私の心境とは裏腹に、それはそれは嬉しそうにレジーナは、底意地悪そうに呵呵大笑するのでした。
「ジル様―っ!」
続いてバルトロメイに肩を貸してもらって(文字通り肩の上にちょこんと座って)、仔犬大になったフィーアを抱いたエレンと、侯爵がほぼ同時に到着しました。
到着すると同時に肩の上から飛び降りてきたエレンと、お互いに勢いよく抱擁し合います。
「きゃーっ、エレン、久しぶりー! 元気だった?」
「久しぶり~~っ! よかった無事で。なんか男たちがやたら騒いでいたから心配したけど、ぜんぜん大丈夫そうで安心したわ!」
故郷にいるせいか、侍女ではなくて私の親友モードで喜びをあらわにするエレン。その腕に抱かれているフィーア――今回の功労者――は、心なしか満ち足りた様子で、ポンポンに膨らんだお腹を上にして眠りこけています。
まあ、仮にも小世界をひとつ丸ごと呑み込んだのですから、疲れて当然ですが(質量保存の法則は仕事をしていないようで、エレンが平気で抱えています)もうちょっとドラマがあってもいいのではないかなぁと思いながら、私は寝ているフィーアのお腹を撫でて感謝を伝えました。
「……ありがとう、フィーア」
「――わふ……(お腹いっぱーい……)」
脱力するフィーアの寝言に苦笑したところで、見かけによらず空気の読めるバルトロメイが、一区切りついたとみて話しかけてきました。
「息災のようであるな、ジル殿。何やら禍々しい気配を感じて、急ぎまかり越したのであるが杞憂であったか」
先ほどまでアマデウスがいたあたりを見上げて、いまだ緊張を解かずにそう唸るように呟きます。
「遠目に見えたがあれが敵の首魁か? 確かに蒼神の面影はあったが……」
続く侯爵も同じく上空を見上げて、そう独白するようにそう口にしてから、
「なににせよ無事でよかった」
安堵の吐息とともにそう続けました。
「えーと、おふたりともご心配をおかけしました。それと『喪神の負の遺産』ですが、御覧の通り跡形もなく消えてしまったのですが……」
管理者である侯爵の仕事を奪ったも同然の行為に、私は居たたまれない気持ちでそう切り出したのですが――。
「上等だ。百五十年近く晴れなかった旧神の妄執を、ここまできれいさっぱりと浄化してくれるとは、嬉しい誤算ってやつだな。お陰で俺も退屈な仕事から解放されて、好きな時間を過ごせるってものだ」
当の侯爵は仮面の上からでもわかる、実に晴れ晴れとした声で屈託なく言い放ちました。
「ほう。貴殿に趣味嗜好があったとは初耳であるな。剣術の開祖として道場でも開く……とかの類であるか?」
バルトロメイの問いかけに、即座に「馬鹿ぬかせ」と否定する侯爵。
「ナンパだナンパ。ずっと娑婆っ気のない生活を送ってきたんだ。ここいらで潤いを満たさなきゃやってられんだろう」
そのうえで、非常に通俗的な欲望を赤裸々に暴露します。
この人、見た目の求道的な雰囲気とは裏腹に、中身は割と俗臭にまみれてますわね。
エレンとふたり、思わず距離を置いて軽蔑の視線を投げかけると、途端に狼狽した様子で弁解しだしました。
「い、いや、待て待て! ほんの気安い冗談というか、軽口であって。俺は昔から姫様一筋で……だから、そんな目で俺を見ないでくれ、アンジェリカが!」
「アンジェリカがって誰ですか、クララ様?」
ロケットパンチを腕に戻しながら、コッペリアが首を傾げます。
「私の前世の名前で、これまでの言動や状況からして侯爵の妹姫だったらしいですわね。――まあ前世の話なので、現在の私と同一視されるいわれはありませんし、こんな軽薄な兄などいりませんけれど(まあ血のつながった義兄たちはもっと低俗で、揃いも揃ってろくな思い出もありませんが)」
あてずっぽうの推測でしたけれど、どうやら図星だったらしく視線を外した侯爵が、何やらごにょごにょと口ごもりながら弁解していました。
その醜態を見下しながら鼻を鳴らすコッペリア。
「はっ! 前世だかなんだか知りませんが、クララ様はクララ様以外のナニモノでもないので、いちいち引き合いに出したり、適当な名前で呼んだりしないでください!」
ビシッと言い聞かせるコッペリアですが、初対面の時から一貫して『クララ様』と、頑固に間違った名前を通しているのは貴女のほうですわよね⁉
「これは何事ですか⁉ なぜ稀人様がジルに謝罪しておられるのですか?」
と、そこへセラヴィとともに遅れてやってきた――人としては俊足なのですが、今回は相手が悪かったとしか言えません――ルークが目を剥いています。
「え? ええと……なんだかジル様と前世でごたごたした関係があったみたいで、あと女遊びに伴っての所業についてと、ジル様に対する過ちを問い詰められて謝っているみたいな……?」
たまたま目が合ったエレンが、掻い摘んで説明というか、微妙に歪曲された話をしました。
コッペリアならわざと火に油を注ぐ目的で、この手の「嘘でもないけど間違っている」話を吹聴するでしょうけれど、エレンの場合は単に状況に追いつけていないため、覚束ない会話の点と点をつないだものになってしまっただけでしょう。
「グッジョブです、エレン先輩。いい仕事をしました」
実際、「あれ? なんか間違えた⁇」と、アタフタするエレンの肩に手をやって、コッペリアが満面の笑みとともに親指を立てて労いました。
「っ~~~~~~~~~~~~~~~⁉⁉」
刹那、これまで見たことのない顔で、声にならない叫びをあげたルーク。そこから一転して能面のような顔になって、無言のまま侯爵に向かって歩いて行ったかと思うと、次の瞬間、連続して刃音が響き渡りました。
「うおっ⁉ お前、さっきまで散々稽古をつけても会得できなかった奥義のコツを、いきなり掴みやがった! つーか覚醒するタイミングがなんかおかしいだろう‼」
いつの間に抜いていたのか双剣を振り抜くルークと、焦った様子で剣を合わせる侯爵。
「――なっ……なんですか、いまの気持ち悪い動きは⁉」
見た目は脱力した姿勢から緩慢な動きに繋げた……としか見えないのに、わずか一動作で少なくとも十連撃は交差しましたわよ!
動き自体は見えます。見えるのですけれど、普通なら存在する筋肉や関節の構造から生じる無駄な動きや空白がほぼ皆無という、軟体動物じみた攻防が繰り広げられています。
目で追えるのに視認できないという不可解な動きを前にして――言うなれば一秒間に八フレームのアニメを見慣れていたところ、海外の二十四フレームを使用したアニメを観て、そのヌルヌルした動きに違和感を覚えるようなものです――思わず驚愕の声を張り上げてしまった私へ、コッペリアがひたすらどうでもいい口調で解説してくれました。
「クロード流なんとか剣の奥義らしいですね。一般的な視覚だと非常にゆっくりと見えますが、それは早すぎて残像が見えているだけです。ノーモーションから瞬発的な動きに繋げるみたいで、ワタシの計算ではクララ様でも躱すのはともかく、避けたり受けたりするのは至難の業だと思います」
なんだか知らない間にルークが剣技において、私をいつの間にやら追い抜いていってしまったようです。なんということでしょう!!
「……あれって侯爵にお願いすれば、私にもコツを伝授してもらえるかしら?」
「いちいち対抗しないと気が済まないのか? お前、なんだかんだ言って無茶苦茶負けず嫌いだよなァ」
一進一退の攻防を繰り広げるふたりの剣技と体術の妙を羨ましく眺めながら、私が思わずそうこぼしたところへ、やってきたセラヴィがうんざりとした顔で合の手を入れました。
「おや、いたのですか、愚民。いまさらきても、クララ様の点数稼ぎにはなりませんよ? すべてはこの超高性能メイド、コッペリアが片を付けましたからね」
厭味ったらしい口調で悦に耽るコッペリアを、セラヴィが胡乱な目つきで見つめます。
「……なんでお前がここにいるのかはともかく、最終的に落とし前を付けたのはお前じゃなくて、そっちの愛玩動物だろう?」
セラヴィの指摘にも気後れすることなく、
「その間、クララ様の心身ともに支柱になっていたのは、疑うことなくこのワタシですから」
そう言い放つコッペリア。
今回に限ってはあながち誇張でもないのですが、ただでさえドヤ顔がウザいのに、変に持ち上げてこれ以上調子づかせるのも嫌なので――なんで毎回打ち返しにくいボールを投げるのでしょう、うちの駄メイドは? ――この場は苦笑いでやり過ごして、さりげなく立ち位置を変えていつでも全力ダッシュで逃げられるよう重心を移動させてから、私は改めてセラヴィに向かい合いました。
「お久しぶりですわね、セラヴィ。え~~と……お元気でしたか?」
「ああ、誰かさんのお陰で大陸中はもとより、諸島列島や【愚者の砂海】にまで足を延ばす充実した夏休みになったが。――ああ、逃げるな逃げるな! 別に恨んじゃいないし、蒸し返すつもりもない」
半ば条件反射でその瞬間に背を向けたところで、セラヴィの制止がかかりました。
 




