旧時代の終焉と【闇の森】の再生
無明の闇へと意識が落ちる寸前、
『オオ~~~ン(マスターッ)!!!』
フィーアの魂を揺さぶる遠吠えが聞こえた気がして、一瞬にして活が入れられました。
同時に細く頼りなかった魔術経路が、麻の糸からいきなり鋼鉄製の鎖に変わったかのように強化され、本来は術者≧使い魔に譲渡されるはずの魔力が、フィーアから逆に途方もない勢いでフィードバックされ、消えかけていた種火に燃料を投下されたかのように、たちまちにして全身に活力と魔力が満ち溢れます。
「これは……フィーア?」
唖然とする私ですが、突然の変化は私の内面だけでなく外部にも及んでいたようで、刹那、封都インキュナブラ――いえ、この封鎖世界そのものが震えたかと思うと、あっけなく蒼天の空が拭い去られたように消え去り、代わりに朝日に輝く明け方のごくありふれていて、それでいてほっと気持ちが落ち着く黎明の空へと入れ替わったのでした。
「なっ……!? 『虚霧』が消え去った! そんな馬鹿な――?!!」
愕然とするアチャコの動揺――その衝撃で集中が途切れたのか二柱の精霊王も霧散してしまいました――を見逃さず、「チャ~ンス!」とばかりコッペリアが放ったロケットパンチが、アチャコの左手に握られていた鉄鞭『使徒の傷痕』をひったくり、
「――よっと」
手元に戻ってきたところで躊躇なく、両手と膝とでそれをへし折ります(一応、神話級の失われた遺産なのですが……)。
「ふふん、これで概念兵器の効果もなくなったはずですね。――多分」
あっけらかんと言い放ったコッペリアの適当な推測を肯定するかのように(逆に取り返しのつかない可能性って考えないのかしら?)、
「えっ!? えええええええ~~~っ!?!」
私の全身から噴出する余剰魔力によって、『氷結』で強制的に繋げられていた手足の氷が砕け、切断された傷が『自動治癒』によって自然とくっつき、傷痕ひとつ残らず完全治癒したのでした。
立ち上がってその場で軽く屈伸をしたりジャンプしたりして、体の具合を確認する私。
違和感は皆無で疲労倦怠感もゼロです。何よりこの世界に来てから、全身にまとわりつくような妙な圧力と視線がきれいになくなって絶好調です。
「前よりも調子がいいんじゃないですか? 具体的には三十八%ほど。つーか、全身から余剰魔力がほとばしっているのですけど、なにげにクララ様って死にかけると超回復でパワーアップする体質なんですね? もう二三回死にかけてみてはいかがですか。多分、聖女を超えられますよ」
呆れたようなコッペリアの言葉に、私は肩を軽く振り回しつつ、先ほどまで発動しなかった上級氷系呪文の『凍る世界』を無詠唱で放ちました。
「グアアアアアアアアアアアアッ!!」
こっそりと切断された腕をトカゲの尻尾のように再生させて、コソコソと逃げ出そうとしていた両面宿儺をその場に氷漬けにして――やはり威力が倍ほども上がっています――おいて、うんざりと答えました。
「どこぞの戦闘民族ではないのですから、そんなチートな生態はしていませんわ。いまは一時的にブーストがかかっている状態なだけです」
あと原因はわかりませんけれど、魔力の封印も完全に解けて、体調も万全になりましたし。
「――我が偉大なる〈聖母〉よ」
ふと、上空に強力な魔力の気配を感じて振り仰いでみれば、〈神子〉ストラウスが背中の翼を広げて空中に浮遊していました。
「外部からの干渉により、この【花椿宮殿】を除外したすべてが消滅した」
淡々と告げられる事実の羅列に愕然とするアチャコ。
「……馬鹿な……」
「否、事実である。この宮殿も間もなく消え去るであろう。さらにこの場を目指して強力な力を持った存在が複数進行中である。速やかな撤退を提言する」
ストラウスの言葉に逡巡とともに、ちらり視線を凍り付いたままの両面宿儺――その口に咥えられた胎児――へと巡らせるアチャコ。
「ふむ。我が母はいまだに我が躯に未練を残しているようだ。後顧の憂いを断つべきか」
そう独白するように結論付けたストラウス。その言葉の意味を即座に悟ったアチャコが、
「待っ――!!」
と、血相を変えて止めるよりも早く、ストラウスの腕の一振りから白炎が噴き出し、抵抗も覚悟をする間もなく、凍り付いていた両面宿儺を燃やし尽くしました。
当然のことながら、口に咥えられていた胎児の亡骸もまとめて荼毘に付されます。
「あ、あああああああああああああ……ああ~~~~~っ」
合わせて地面に両膝を突いたアチャコの魂を切り裂かれるような悲痛な叫び声が響き渡りました。
「強靭な自我を持ち、受肉した存在は再び我に還元することは能わぬ。母の胎内より出でし赤子が母の中にもう戻れぬように。母よ、いつまでも腐肉にかまけている場合ではないでしょう?」
冷徹に告げるストラウス。相変わらず人間離れした魔力と生命力を内包していますが、不思議と半日前に会った時ほどの底知れぬ……絶望的なプレッシャーは感じません。
ついでに言うと魔力探知を向けてみれば、前には気が付かなかった違和感――心と体と魂。そして霊気と魔力と精霊力――に、微妙なズレを感じて、私は首を捻りました。
「――この気配、龍種? それと精霊の炎?」
魔術ではない強力な精霊の働きを感じて、思わず私が口に出すのと同時に、コッペリアがうんざりした顔で、同じくストラウスを見上げて吐息混じりに吐き捨てました。
「またパッチワークですか。さっきの蛇だかナマコだかの女や変態二面男といい、ここの施設は精霊と人間とドラゴン系の魔物との混合物の作製を目的としているようですけど、今度の奴は一番ひどいですね。最上位精霊と龍王クラスのドラゴンを無理やり人を模した器に収めたようですが、肝心の人の魂魄が空っぽじゃないですか。ワタシなら失敗作と見做しますよ? 出来損ないもいいところですね」
コッペリアの分析に霊視した私は思わず小首を傾げます。
「魂はあるように感じますけど?」
それも並の人間では到底持ち得ない莫大な霊気を内包した、ほとんど解析不能なブラックボックスのような魂魄を。
「クララ様、それは見かけ上の模造品です。おそらくは先ほど始末された胎児の霊的パターンを複製して――複製は複製。いかに巧妙に似せても魂は唯一無二ですから別物ですが――そこに、えらく大量の魂魄を押し込んで蟲毒の要領で作り上げられた疑似魂魄がその正体ですね。だからワタシは悪趣味極まりない『パッチワーク』と言っているわけです」
コッペリアの手厳しい評価に、
「うるさい、うるさい、うるさいっ!!! コレが失敗作なのは私が一番よくわかっている! だがそれでは誰が我が子の素晴らしさを、偉大さを伝えるというのだ! 誰からも必要とされず、闇に葬られた我ら母子の無念を誰が晴らすというのだ!?」
両手で地面を叩いて癇癪を起したように、アチャコが絶叫します。
「ああそうだ、別に私は蒼神を信奉していたわけでも愛していたわけでもない。ただ利用してやっただけだ。あいつが不要として捨てた我ら母子の踏み台として、我が子を新たな神とするための前座として、超帝国の奴らもろともに旧弊な過去の遺物とすることで、我が子が光り輝く存在と化す。我ら母子の復讐のため、ただそのためにコレを作り出したのだ!」
激昂するアチャコの言い分に一部同情できる部分はありますが、その手段が過激で常軌を逸し過ぎています。そもそも肝心の当事者(旧神と息子さん)が泉下にいる以上、何をしたところで自己満足に過ぎないのですから、普通に魂の安息を祈ったほうがよほど健全だと思うのですが……。
「……貴女のために命をささげた赤ちゃんは、復讐なんて望んではいないと思いますわ」
とりあえず感情を害しないように、なるべく穏やかに彼女の理性に伝わるように語り掛けました。
「ま、殺されることも望んでいなかったと思いますが――ふがっ!?」
すかさずまぜっかえすコッペリアの口を塞いだところで、こちらに接近してくる強力な魔力波動を感じ取りました。
「これはバルトロメイさんと、侯爵。それと師匠にマーヤ。あとフィーアとエレン……わっ、ルークとセラヴィまで!」
あわわわわ、と慌てふためく私を前にして、
「クララ様、手足ぶった切られた時よりも切羽詰まってませんか?」
コッペリアの割と真剣なトーンの問いかけに言い返そうとした瞬間、周囲の光景が蜃気楼のように揺らぎ始め、壮麗な宮殿も花盛りの庭園も何もかもが消えてゆきます。
「【花椿宮殿】回収完了。敵性個体との遭遇前に撤退する」
依然として上空に残っていたアマデウスの右手が振られて、私とコッペリアに向かって牽制でしょう、まるで炎でできた羽のような白炎の雨が降り注ぎます。
「『地獄の業火よ、壁となりすべてを灰燼と化せ』――『炎盾』」
火には水と思いがちですが、これだけの高熱相手にしては、文字通り焼け石に水でしょう。
そのため精霊の炎とは若干相性の悪い、上級魔術による炎の壁でこれを迎え撃ちました。
炎と炎のせめぎ合いは互角の勝負となり、
「あら、行けるかしら? この条件下ならアマデウス相手でもなんとかなりそうですわね」
そう手ごたえを感じたところで、不意に圧力がなくなったので上空を見てみれば、いつの間にかアマデウスの姿はなく、ついでにアチャコもドサクサ紛れに消えていました。
「逃げましたね。もう片手から水の竜みたいなのを出して、あの女を回収したパッチワークが、そのまま炎の翼を広げて北の方へ飛んでいきました」
私の背後で様子を覗っていたコッペリアが、北の方角を指さしてそう説明します。
「北ですの? ここから北だとリビティウム……」
というか、オーランシュ領ですわね。まさか、そんな一直線の逃走経路は使わないと思いますが、逆に裏をかいて……とも考えられるので難しいところですわ。
「――にしても、綺麗に更地になりましたね」
コッペリアの言葉通り、ものの見事に地平線の彼方まで三百六十度、ドームが覆っていた土地が舗装されたかのように、何もない――文字通り草一本ない――まっ平らな空き地になっています。
「闇の森とは思えないほど、魔素も薄いですわ」
「元凶がなくなったからじゃないですか? 多分、周りの森も段々と魔素が薄まって、普通の森に近くなるんじゃないでしょうか」
まあ、さすがに十年、二十年単位でしょうし、場所によっては魔素の吹き溜まりみたいなところは残るでしょうけれど、と続けるコッペリア。
「――でも、いずれにしても【闇の森】に新しい時代が来るのですね」
いつかは【闇の森】という言葉自体がなくなるかも知れません。
そんなことを思いながら、私は私の名を呼んで近づいてくる師匠やルークたちへ向かって、壮健であることをアピールすべく手を振るのでした。
近所の書店で漫画版ブタクサ姫を探して、ないな~、と思っていたら少女漫画の棚に置いてありました(;゜д゜)ゴクリ…




