秘宝の正体と聖母の秘密
〈聖母〉アチャコの制止を無視して、それどころかグツグツと腐敗した汚泥のような嗤いを放ちながら、さらに球体を締め付ける力を強める両面宿儺。
それに合わせて球体の内部から滝のように噴き出す、黄金色とも赤ともつかない光沢を放つ、コッペリアが言うところの『再生薬』。おそらくは以前に目にした錬金術による『万物溶解液』の上位互換な液体なのでしょう。触れたところから見る間に両面宿儺の傷が癒えていきます。
「――くっ、貴様ぁ……っ!!?」
憤怒という言葉すら生ぬるい降魔の相を満面にみなぎらせ、私とコッペリアは完全に眼中にない様相で、炎を噴き出しそうな視線を両面宿儺へと向ける聖母(他人のことは言えませんが、とても聖母とは思えない形相です)。
口で言っても聞かないと判断した彼女は、即座に左手に嵌めていた指輪のひとつに触れると、まるで最初からそこにあったかのように、空だった手の中に一本の鞭が忽然と現われました。
乗馬などで用いられる革製の鞭ではなく、金属製で短めのいわゆる『鞭』という武器に見えます。
「『収納の指輪』?! 地味ですけど、個数制限以外はほぼキャパが無限のアーティファクトですよ、クララ様!」
驚嘆! というか珍しいものを見た、眼福眼福――とでも言いたげな口調でコッペリアが、種明かしをしてくれました。
「――?」
そう声をかけられた私といえば、「へえ、いちいち亜空間から引っ張り出す手間がなくて便利そうね」と思いながらも、実際のところ意識の大半をいま初めて目にした聖母アチャコの全身へと向けていました。
どういうわけでしょう。なぜか既視感を覚えるのですよね。思わず記憶をひっくり返して、何度も首を傾げてしまいます。
まあ、そんなことを言ったところで、「錯覚です」の一言でコッペリアに切って捨てられるでしょうけれど。なぜか初対面の気がしないのですよね。
特にあの髪飾り。どこかで……どこかで、何気なく目にしたような……。
「死ねッ!」
すっかり回復した両面宿儺に向かって、その場から数度鞭を振るうアチャコ。
到底届く距離ではありませんが、おおかた何らかの魔術的攻撃手段が取れる武器なのでしょう。とはいえ、目視でも霊視でも特に目立った変化は見られませんでしたが――。
刹那、スパッと両面宿儺の三対六本の腕が肩口から切断され、天井からぶら下がる球体にしがみついていた巨体が、茫然自失といった表情のまま落ちてきて、床が抜けるほど揺らしてもんどり打って倒れ伏しました。
驚嘆すべきは、鞭を振るった瞬間、距離もタイムラグもまったくなしに、いきなり両面宿儺の腕がまとめて切断されたようにしか見えなかったところにあります。
「コッペリア、いまの攻撃見えた!?」
不可視の光線なりマイクロレベルの刃なり、あるいは空間を越えたり、次元ごと斬ったりしていないか、私以上に観測能力が高いコッペリアに確認してみましたが――。
「いえ、まったく。空間的にも位相的にも『棒を振った』という事象以外、まったく変化がありませんでした」
そのコッペリアも不可解な表情で首を横に振ります。
そんな私たちの困惑に応えるかのように――実際には床に這いつくばる両面宿儺に向かってでしょう――吐き捨てるかのように、手にした鞭をこれ見よがしにひけらかしてアチャコが言い放ちました。
「〝使徒の傷痕”。この鞭は『傷』という概念を与えるもの。ゆえに防御することも躱すことも不可能である」
「げっ、概念兵器ですか!?!」
珍しくも驚愕もあらわにするコッペリア。
「概念兵器?」
「事象に直接干渉できる類の禁呪が込められた兵器ですよ。伝説級武器の一部にある、『なんでも切れる剣』とか『絶対に切れない盾』とかのアレですね」
「……それって矛盾の最たるものではないかしら?」
そんな私の素朴な疑問に対して、コッペリアは「いえ」と、即座に否定しました。
「この場合は『剣で刺し貫けば盾を簡単に貫通できます。あくまで『切れない』だけですから、それ以外の攻撃手段に対してはまったくの無防備になります。あと『なんでも斬れる』ってことは、鞘に収まらず下手すればそのまま落下して、地面をどこまでも斬って回収不能になります。そのあたりに概念兵器の使い勝手の悪さがあって、ほとんどが色物兵器と化しているのですが……」
とはいえ詳細がわからないうちは、脅威としか言いようがありませんわね。
あの『使徒の傷痕』という鞭。『傷をつくる』という結果を先に、事象そのものに干渉してくるのでは、確かに防御も回避も不可能でしょう。
唯一の救いは最初に私たちに向かって放たれなかったことで、多少なりとも対策を講じる時間を得られたところにありました。
もっとも、あの指輪を見るに伝説級武器など、山ほど手の内にありそうな気がするので、まったくもって楽観視はできませんけれど。
「千のコマ切れになって死ぬがいい!」
まなじりを吊り上げたアチャコが、芋虫のように床を這いつくばる両面宿儺に向かって、再び『使徒の傷痕』を振りかざそうとしたその瞬間、球体にへばりついていた両面宿儺の六本の腕が五月雨のようにボトボトと落ちてきました。
そのうちの一本。特に球体の深くまで差し込まれていた上部右腕が、一番最後に地響きを立てながら両面宿儺の顔(大教皇ウェルナー側)のすぐ脇に落ちてきて、その拍子に閉じられていた掌が開き、コロリと音を立てるようにして、うすだいだい色をした肉の塊のようなものがこぼれ落ちます。
体積の半分を占める大きな頭に小さな手足、へその緒も付いた……。
「……赤ちゃん?」
面食らう私にマイペースを崩すことのないコッペリアが、掌で目の上にひさしを作って遠目に見えた内容を口にしました。
「生まれていれば三十七週未満の早産児。性別はオスですね」
「――生まれていれば?」
引っかかる言い方にオウム返しにコッペリアに聞き返せば、
「おそらくは死産ですね。『再生薬』のお陰で生きている状態を保っていますけれど、魂魄も生命反応もありません。肉人形も同然です」
まあ、本来『ゴーレム』てのは『胎児』って意味ですから、それ系統の研究成果ですかね~、と気楽に続けるコッペリア。
どのような理由で再生薬に浸かっていたのかはわかりませんが、胎児の遺体を無理やり引きずり出し、衆人の目の前に暴き出したというその光景に胸が痛くなった私ですが、それ以上――いえ、私など及びもつかない悲痛な、聞いているだけで胸が張り裂けそうな絶叫を放ったのはアチャコでした。
「嗚呼ああああああああああああああああああああああああっ、坊やっ!!!!」
「「――坊や?」」
髪振り乱して胎児の死体へと走り寄りかけたアチャコに先制して、両面宿儺の大教皇ウェルナーの顔がその胎児の死体に覆いかぶさりました。
「「「――っ!?!」」」
そうしてこれ見よがしに上体を起こして、口の中に入っている胎児をいつでも咀嚼できる……とばかり見せつけます。
「動クナ聖母――否、アチャコ。指先一本デモ動カセバ即座ニ神子ハ肉片ト化スノデアル」
両面宿儺の反対側にあるベナーク公の顔が、同時にアチャコの反撃を掣肘します。
「くっ…………!」
咄嗟に『使徒の傷痕』で攻撃をしかけて、苦渋の表情で思いとどまるアチャコ。
確かに、たとえ首を飛ばしたところでその気になれば最後の力で口の中のものを噛み千切ることも可能でしょう。
「神子……?」
「双子だったのでしょうか?」
一方でベナーク公の言葉に困惑を隠しきれないのは私たちです。
あの死産した胎児が神子というなら――実際、〈聖母〉アチャコの取り乱しようは演技とはとても思えず説得力があります――〈神子〉アマデウスとの関係は?
「くっ……アマデウス……ッ!」
ここにいないアマデウスに向かって助力を乞うアチャコですが、そんな彼女の姿をせせら笑うベナーク公。
「無駄ダ無駄ダ。アレニトッテハコンナモノタダノ肉ノ塊ニシカ過ギン。イカニ星幽体パターンヲ複製シタトコロデ、人ナラザル人間モドキ。ソレハ乃公トトモニ造リ出シタ貴様ガ一番ヨク知ッテイルダロウ」
「黙れっ、黙れーーーっ!!」
絶叫を放つアチャコを舐るように両面宿儺のベナーク公の顔が続けます。
「散々乃公ヲ馬鹿ニシテキタ貴様ダガ、何ノ事ハナイ貴様自身ガ蒼キ神ノ娼婦。タダノ性奴隷モ同然デアッタダロウ? ナニガ聖母、ナニガ妻ダ。体ヲ売ルシカ能ノナカッタ娼婦モ同然ノ存在ガ!」
「黙れと言っている! それ以上、言うなーーーーーーっ!!!」
アチャコの狂乱の様子を心地よい風情で眺めながら、ふと気が付いたという風な顔で両面宿儺の四つの目が私の方を向きました。
「ククククッ、知ッテイルカ? 蒼キ神ノ本命ハ貴様タチガ現在奉ジテイル紅キ女神ダッタノダ。アレハイイ女ダッタカラナ。コノ女トハ比ベ物ニナラン」
嘘か本当か思わず目を丸くする私。それではもしかして、世に名高い《神魔聖戦》の真相って、痴話喧嘩の発展形ですの!?
唖然とする私を無視して、ベナーク公はさらに続けます。
「ソシテ結果的ニ聖母アチャコハ捨テラレタノダ。マア当然ダナ。ソシテソノ時ニ命モ砕カレタ……」
『砕かれた』の意味合いが微妙ですわね。『殺された』ことの暗喩なのか、文字通り何らかの方法で命を魔術的な誓約で縛られていて、それを通じて破壊されたのか……なんとなく後者のような気がしました。
ですが、そうなるとなぜ目の前のアチャコさん(話を聞いているとなんだか同情してしまいました)が命をつないでいらっしゃるのでしょう? 魔術的な誓約。ましてや当時の最高神が施したものを、たとえ神聖妖精族といえども破棄できるとは思えませんが……?
「ダガ――」
「もうやめろっ! やめてくれ!!」
悲痛なアチャコさんの懇願を無視して、ベナーク公がその訳を口にしました。
「本来、死ヌハズダッタコノ女ノ代ワリニ、知ラズ胎ノ中ニイタ餓鬼ガ身代ワリニナッテ死ンダノサ。健気ナモノダ。本能的ニ母親ノ代ワリニナッタノダロウ。ダガソレニシテモヒドイ母親ジャナイカ、自分ノ身代ワリニ子供ヲ犠牲ニスルナンテ!」
「あ……ああああああああああああ……ああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
壊れたスピーカーのように焦点の合わない目で、胎児を瞳に映しながら慟哭の叫びをあげ続けるアチャコさん。
「ハハハハハ、滑稽ナノハコレカラダ。コノ女ハソノコトヲ認メラレズニ、死ンダ餓鬼――蒼キ神ガ意図シナカッタ私生児ヲ『神ノ子』トシテ生キテイルカノヨウニ振ル舞イ、模造品ヲ造リ出シテ〈神子〉だ〈聖母〉ダナドト箔付ケヲ始メテ悦ニ耽ッテイルノダカラナ。ダガ、所詮ハ模造品ハ模造品ニ過ギン。母親ノ嘆願ニモ何ラ行動ヲ移サナイジャナイカ。アレハ〈神子〉ナドデハナイ。文字通リノ偶像ダ」
ベナーク公の露悪的な暴露によって、がっくりとその場に項垂れるアチャコさん。
実際、その言葉の通りアマデウスの助勢の気配は欠片もありません。
「サテ、聖母サマ。命令ダ。巫女姫トヤラノ四肢ヲ飛バシテ乃公ノ傍ニ連レテコイ。達磨ニシテ、壊レルマデ犯シ抜イテヤロウ」
口に胎児を含んだまま舌なめずりをする両面宿儺。
「――クララ様っ!」
コッペリアが割って入り私が身を翻すよりも早く『使徒の傷痕』が翻り、
「が……?!!」
魔術防御など存在しないかのように、袈裟懸けに放たれた『傷』という概念によって、私の右腕と左足が斜めに切断されたのでした。




