脱出の手段と淑女たちの邁進
女媧の最後の欠片を『円環聖法陣』で浄化したところで、さすがに浄化術の連続で消耗をきたした私は、一息ついて改めてコッペリアが突然この場に現れた経緯について聞いてみました。
「そういうことでしたら、休息がてら一服されたらいかがですか?」
というコッペリアの提案に従って、体力と魔力を回復させるために(一般的な冒険者や魔術師であれば回復薬である程度持ち直せるのですが、私の場合はもともとも魔力量が大きい上に薬物への抵抗力があって、あまり効果がないため、結局のところ自然回復に任せるのが一番なのです)小休止をすることにして、オリアーナ皇女様へも声をかけようと振り返ったところ、いつの間にかその姿が消えていることに気が付きました。
「!?!」
そういえば戦っている途中から声がしなくなりましたけれど……まさか不測の事態に巻き込まれているのでは?!
慌てて先ほどまでオリアーナ皇女様が隠れていた植え込みまで小走りに走って覗き込んでみれば、オリアーナ皇女様は影も形もなく、代わりに一枚の絵が落ちているだけでした。
カンバスに描かれたそれは、改めて確認するまでもなく、ここに来る途中でヴァルファングⅦ世陛下から下賜された、高原と鈴蘭の花そして並んで佇む白銀の髪をした父娘の絵です。
『収納』してあったと思ったのですが、なぜこれがここに? と、疑問を覚えた瞬間に答えが閃きました。
「……ああ、そういうことですか。これを共感魔術の媒体に使われたのですわね」
合点がいった私は、感慨と感謝の気持ちを込めて、改めてその絵を収納し直しました。
その間に、庭園のど真ん中にどこからともなく取り出した折り畳み式の椅子とテーブルを置き、純白のテーブルクロスに同色同一デザインのナプキンなどを手際よく用意して(白のテーブルクロス等が使えるのは貴族のみに限られています)、温かな香茶を煎れ、ジンジャークッキーを準備してくれていたコッペリア。
「ささ、どうぞどうぞ、クララ様」
「……敵地でこんな大胆に寛いでいていいのかしら?」
「いいんじゃないですか。慌ててもどうにもなるものでもありませんし、いまはクララ様の回復と情報の擦り合わせを優先すべきと思います。それにどーせやることっていえば、邪魔する奴らを蹴散らしてこの閉鎖空間から脱出するだけですよね?」
単純明快なコッペリアの言いようですが、確かに的を射ています。
納得した私は勧められるまま、椅子に座ってジンジャークッキーをお茶うけにアフタヌーンティーを楽しむことにしました。
「――うん。美味しいですわ」
考えてみればまともに飲食物を口にしたのは、ずいぶんと久しぶりです。
というか、この空間にある物質は亡者の亡骸を素材にしているのですから、食べ物や飲み物はイコール死体を貪り啜るも同然ということで、余計な飲食をしなくて本当に良かったといまさらながら安堵するのでした(まあ、モノを食べるということは命をいただくということですので、綺麗事だとは思いますが、やはり生理的に嫌悪感を覚えずにはいられません)。
お茶とお菓子を満喫しつつ、
「それにしてもこれだけの大騒ぎをしていて、いまだ誰も来ないというのも変な話ですわね」
「ビビってるんじゃないんですか」
思わず口に出していた疑問に、コッペリアが軽い調子で相槌を打ちます。
「……あり得ますわね」
こうして相手の出方をうかがうために、挑発がてらこれ見よがしにお茶をしているわけですが(コッペリアは「お茶の時間なので準備しました」だけで、特に何も考えていないと思いますけど)、ここまで無視されると逆にいろいろと勘ぐってしまいます。
普通ならこちらの出方を覗っているのか、準備万端整えて手ぐすねを引いて待ち構えているのかと邪推するところですが、なんとなくコッペリアが言う通り、皆怖気づいて逃げたのではないかと思えるのでした。
常識的にあり得ないことですが、ここの住人たちの覇気のなさ。無気力で他人任せな黄昏た様子を思い出すに、その可能性が一番高そうに思えるところが困ったものです。
いえ、敵対する立場としては全然困らないのですが、そうであるならあまりにも情けなさ過ぎて、弱い者イジメをしているようで釈然としません。
「はは~ん、狼が襲ってきても、逃げ回ることしかできない羊の群れってことですね」
私の推測を受けて、コッペリアがしたり顔でそう頷きました。
迷える仔羊を教え導くとかいうのも巫女姫の役割のような気もしますが、仮にこの偽りの楽園から解放されたとしても、衣食住すべてがどこからともなく降って湧く……といった価値観に頭の先から爪先までどっぷりと浸かっている彼/彼女らに、
「生きるためには働かねばなりません。歯を食いしばり、石に齧りついてでも働きましょう」
と諭して、仮に禁断のハーバー・ボッシュ法を伝授したところで、当人たちに勤労意欲がなければ――そして確実に働く気はないでしょう――意味がありません。
いくら手助けしたところで、自ら動こうとしない以上、はっきり言えば生きることを放棄して、緩やかな自殺をしているも同然です。そして自殺を防ぐことはできません。
「――結局は信じるしかありませんわね。人の生きる意志に」
ふと、女媧の言葉が脳裏によみがえりました。
『憎悪、嫉妬、傲慢、憤怒、侮蔑、狡猾、残忍、淫蕩、怠惰、姑息、背信、強欲、不実、享楽、不義、横暴、不安、焦燥、恐怖、後悔、不信、無念、嫌悪、殺意、邪推、劣等感、懊悩、煩悶、諦観、空虚、失望、羨望、悲観、苦悶、理不尽、疑念、裏切、虚飾、忘恩、敗北、落胆、敵意、孤独、拒絶、悲痛、執念、偏見、そして絶望が我を生んだ』
確かに人の世は悪意と苦難に満ちていますが、それでも人は明日を信じて生きています。ならばそれを知る私が最初の一歩を踏み出せるよう、世界には『希望』があるのだということを、ただそれだけでも伝えなければなりません。
ふと、地球神話の『パンドラの箱』の逸話が思い出されました。
この世界の人間にとっては、私は災厄の詰まった箱を開けようとしているパンドラなのかも知れませんわね。
「まあいいじゃないですか。どうせこんな場所に飼われている人間なんぞ、そこらへんの有象無象同様に等しく無価値なんですから、いっそパーっと派手に滅びをもたらしてやったらどうですか?」
思い悩む私の懊悩を知ってか知らずか、『ひとりコロすのは可哀そうだから皆ゴロしにしましょう』的なライト感覚で、この世界の住人を塵芥のように一蹴するコッペリア。
相変わらず命に対する価値や人間の尊厳とかを一顧だにしていませんわね。憎悪に憑りつかれていた女媧と、まったく無関心なコッペリア。『悪名は無名に勝る』とも言いますけれど、この場合どっちもどっちな気がしますわ。
「そういう私も人間なのですけど……?」
ともあれ、さすがにその価値観は看過し得ないと思っての反論に対してコッペリアは、
「ははははははははははははははっ」
さも面白い冗談でも聞いたという顔で快活に笑いました。
……これはどういう意味の笑いでしょう? 気にはなりますが、ともあれまずは情報交換が先です。
私は香茶で喉を湿らせながら、この街――封都インキュナブラ――についてと、先ほどまで戦っていた女媧、それにこの地を支配する〈神子〉アマデウスと〈聖母〉アチャコについて掻い摘んで説明をしました。
ついでに現在、私の魔力がアマデウスによって半封印状態であることも。
「封印ですか? チェックしたところ、これといってクララ様に異常はありませんけど……あ、待ってください。クララ様の周りに妙な魔素の偏重がありますね。欺瞞されているので、自覚はないでしょうけど魔素の空白地帯があって、魔術を構成できなくしています。クララ様だからこそ曲がりなりにも魔術が使える状態ですね」
順調に人間を超越してますね~、と付け加えながら、ハタと思いついた表情で手を打つコッペリア。
「さっきのナマコの化け物といい、クララ様が遭遇した堕天使といい、逃げ出した半精霊といい、ここって一種の実験施設なんじゃないですかね。精霊とかドラゴンとかを、原初の混沌を模した世界で融合させたっぽい感じの」
「半精霊?」
聞きなれない言葉に思わずオウム返しにして首を傾げると、今度はコッペリアの方が私がいなくなった後の出来事を、立て板に水で語り始めました。
「――ということで、いまいち得体のしれない〈半精霊〉が開いた〝精霊の道”とやらを観測しようとしたところ、いきなりこの場所に跳ばされてきたというわけでして」
コッペリアの説明にはいろいろと重要な情報が含められていましたが、それよりも何よりも私にとって聞き捨てならない、何よりも緊要な問題が示唆されていました。
「なんでかフィーアが外にいて、ルークとセラヴィを連れてやってきた……ですって!?」
「あ、真っ先に反応するのはそこなんですか」
呆れたようなコッペリアのツッコミに、私は当然とばかり大きく頷きました。
「当然ですわ! そもそもあのふたりから逃げて頭を冷やすために【闇の森】まで戻ってきたのに。なんで二人三脚で追ってくるのかしら!?」
恋の三角関係で恋敵になった男子ふたりなら、お互いに確執を抱いて別行動をとるのが常道でしょうに。なんで仲良く困難を越えてくるのでしょう? 大方ルークがのほほ~~んと何も考えずに呉越同舟を提案して、セラヴィは利用できるものなら利用するの精神で、表面上の紳士同盟を結んだ……とかの展開でしょう。
「そうはいってもいつまでも逃げていては問題の解決につながらないと思いますが?」
コッペリアにそう諭されるように言われると、なにやら自分が途轍もない我儘娘になった気がします。
「そうはいっても、どちらかを選ぶということは、片方を傷つけるということで……」
「生殺しはなおさら質が悪いんじゃないですか?」
こんな時に限って常識を語るコッペリア。
「つーか、普通に考えればルーカス公子でいいじゃないですか。クララ様も好意を持ってらっしゃるのですし、相手もベタ惚れで顔も地位も権力も名声も将来性も大陸で一番ですよ。なんで躊躇しているのかワタシには理解できないのですが?」
続けざまにグイグイ来ます。
「……ルークの場合は、明日にでも輿入れとかの話になりそうで、そこのところが重いというか(いろいろと隠し事もあるのに……)」
私の言い訳にコッペリアが訳知り顔で頷きました。
「ははぁ、つまり結婚前にもうちょっと遊んでいたいということですか」
思いっきりぶっちゃけられ、図星を突かれた私は思わず逆上して、反射的に声を張り上げてしまいました。
「だって十五歳ですのよっ!」
まあこの世界の女の子の結婚適齢期は十三歳から十八歳ですので、見事にど真ん中ではあるのですが。
「じゃあしばらくは愚民とルーカス公子を天秤にかけて、適当にもてあそんで飽きたところで、どちらかを良人にしてはいかがですか? ワタシ的には両方の子供を産んでみて、出来の良いほうを種馬にすべきだと思いますが」
「どこの悪女ですか、それ!」
コッペリアのとんでもない折衷案(?)を、私が全力で拒否したのは言うまでもありません。
「うううう……っていうか、なんでルークもセラヴィも私なんかを巡って、こんなに一途というか命がけなのでしょう……」
そう嘆いた私の肩を、「クララ様」と優しく叩いたコッペリアが、やたらいい笑顔で一言――。
「そうやって自虐のフリをして自慢するのって、『マウント女』とか呼ばれて同性に嫌われるので、やめたほうがいいですよ?」
「自慢じゃありませんわ! 本気で嘆いているのですのっ!!」
「マジなら、それはそれでウザ絡みですね~」
ヤレヤレと肩をすくめるコッペリアの飄々とした態度に、割と本気でイラつく私がいました。
◇
「――くっ! この局面でイレギュラーとは」
歯噛みする聖母アチャコを前にして、泰然自若……というよりも、そもそも人ならざる者が人を演じて喜怒哀楽を模しているような薄っぺらな態度で、神子アマデウスが困惑の表情を作ってみせた。
「このタイミングで新たな不確定因子が加わるとは、確かに予想外ですね。しかも社稷壇の亡者が浄化されたことで、封都の存在そのものが揺らいできております」
「忌々しい小娘がっ。聖女の模造品……なりそこない如きが、この私の邪魔をするとは!」
遥か昔から唾棄し、毛嫌いしていた相手を思い出して、八つ当たりで幻影のジルを踏み潰すアチャコ。
疑似星幽体の投影によって作られていたジルとついでにコッペリアのフィギュアがたちまち霧散する。
本物の星幽体の投影であれば、これで本体にもダメージを与えることができるのだが(実際、封都内の住人であれば生殺与奪権はこのふたりの掌の内にあるも同然であった)、外部からの異分子であるジルとコッペリアに関しては、観測したデータを元に疑似的なコピーを創るのが限界であり、直接的な影響を与えることは現時点では不可能であるのが歯がゆいところであった。
「性急に事を進め過ぎたか……。アマデウス、現在の『予言』の精度は?」
「女媧が浄化されたことと、住人の半分を我に捧げさせたことで、七十二%まで下がっています」
焦った様子もなく淡々と答えるアマデウス。
「くっ……ならば細かな内容と将来のものは省いて、この後の連中の行動を予言しなさい」
妥協案として計算能力のリソースを、比較的至近の未来予測にあて、精度を高める方針へと転換したアチャコ。
それを受けてアマデウスが『予言』を始めた。
「……彼女たちは脱出の手がかりを掴むために、我と我が母から情報を得ようと、ここ『双神高楼』に忍び込んでくるでしょう」
「ふん、飛んで火にいる夏の虫ということですね。丁重にもてなしてあげるとしましょうか」
ニヤリと妖艶さと酷薄さが混じり合った笑みを浮かべたアチャコに対して、アマデウスが困惑した声音で尋ねた。
「しかし、宮殿内の騎士も衛兵もすべて持ち場を離れて逃げ出していますが?」
「逃げ出した者には処分が必要ね。まとめてエネルギー塊に換えて受肉をさせましょう。ちょうど手頃な核もあることだし」
そう言って意味ありげにアチャコが開いた掌の上に、澱んだ紫色の光を放つ魂魄が現われた。
霊視できる者であれば、その中に苦悶の表情を浮かべるベナーク公が視えたであろう。
◇
「それでは行きますわよ!」
「了解です、クララ様!!」
結局誰の妨害も入らないまま小休止をとれた私とコッペリアは、相談のうえでこの世界からの脱出の糸口を探るために、神子アマデウスと聖母アチャコの秘密を探ることにしました。
準備万端整えた私たちは、ふたりがかりで丸太を担いで、『大和殿』の正面扉を力づくで打ち破るために、助走をつけて思いっきり突進します。
「いや~、やっぱりクララ様は根っからの武闘派ですね~」
「〝慎重かつ迅速に“ですわ! わざわざアマデウスが待ち構えている『双神高楼』に向かうのは愚行ですし、どうせこちらの動きを察知されているのでしょうから、留守宅の玄関から飛び込むのが一番手っ取り早いですもの!」
フィーアが無事でルークたちが迫ってきていると聞いて、テンションが振り切れていたのでしょう。
外部に放出する魔力が限定されている状況ですので、すべてを肉体の強化や補助魔術に回して、私とコッペリアとは怒涛の勢いで大和殿の正面大扉に丸太を叩きつけて、
「たのもーうっ!!!」
道場破りのようなコッペリアの口上とともに、一撃で分厚い観音開きの門を打ち破って、私たちは中へと飛び込んだのでした。
◇
「…………」
同時刻、その場にひっくり返るアチャコがいた。




