聖母の暗躍と女媧の顕現
本日、6月18日は『リビティウム皇国のブタクサ姫11』の発売日です。
「〝天に星あり。地に花咲き乱れ。人は愛もて欠片を集め、闇を照らせし光もて夜明けに至らん。万物は悠久を超えて流転すれど、欠けたるものなし”」
私の詠唱に合わせて『星月夜の宝冠』が眩しい輝きを放ち、余剰エネルギーが天使の輪のような光輪を形作ります。
以前に使っていた『華の宝冠』はこれに耐え切れずに崩壊したものですが、その後コッペリアとふたりで強化した『星月夜の宝冠』は、見事に当初期待した性能を発揮したのでした。
同時に『光翼の神杖』の先端に、幾重にも魔法陣が浮かび上がります。
「――浄化術・聖秘奥義〝円環聖法陣”っ!」
手加減できる相手ではないと見て取った私は、《闇の澱》目掛けて最大威力の浄化術を放ちました。
かつて大陸中原において黒妖精族と洞矮族双方の総兵力を動員して、相対した強敵《屍骸龍》の首から上を消し飛ばした強力無比な浄化術を前に、
『『『『『かあああああああああああああああああっ!!!』』』』』
一斉にこちらへ顔を向けた《闇の澱》の口から、瘴気を凝縮したかのような黒焔が放たれます。
ただの炎ではないでしょう。その予想通り案の定というか、噴射された黒焔が通り過ぎた跡の地面は、草は枯れ、地面は汚泥と化し、空気や光すら腐敗したように感じられました。
空中で激突した『円環聖法陣』と、それを遥かに上回る大きさの黒焔の集合体ですが、いくら規模と威力が強くても所詮は負の力。光>闇の圧倒的な相剋関係にある浄化術には敵うべくもなく、抵抗虚しくじりじりと燃え尽きたかのように消えていく黒焔。
「――一瞬で消滅しないなんて、どれだけの密度の瘴気なんですか!?」
よほど高位のアンデットなら――それこそ〈屍王〉のような災厄級や、さらに高位の破滅級である〈不死者の王〉や〈吸血鬼の真祖〉クラスのでもない限り――ともかく、〈悪霊〉や、〈死霊〉、〈妖霊〉などであれば、抵抗などできずに真夏の朝露のようにたちまち霧散するはずの浄化の光に僅かながらでも抵抗できることに、私は内心で戦慄しました。
それでも黒焔を霧散させながら突き進んだ『円環聖法陣』が、ついに《闇の澱》へと到達し、
『『『『『うがああああああああああっ!!!』』』』』
『『『『『うおおおおおおおおおおっ、おーーーっ!!!』』』』』
『『『『『ぎゃああああああああああああっ!?!』』』』』
怨念の集合体であるその体積を大きく削りました。
自我のなかった《屍骸龍》と違って、抵抗の意思を満々に宿していただけあって、さすがに一撃で昇天とはいかないようですが、炎にあぶられた蝋細工のように悲痛な声を上げて、かなりの亡者が解き放たれた感触を得ました。
大きく窪んでドロドロに溶けた《闇の澱》が再び蠢いて融合し直そうとするところへ、
「“天に轟く聖なる天鈴たちよ、幾重もの永久なるしらべを奏で、不浄なる魂を冥土へと送還せよ”――“多重連撃・浄化の光炎”」
間を空けずに上級浄化術である(というか巫女の使える浄化術ではこれが最高とされています。『円環聖法陣』は聖女スノウ様しか使えなかった術ですので)『浄化の光炎』を連続で叩き込みます。
なお、言うまでもなく『浄化の光炎』をアレンジした『多重連撃・浄化の光炎』は私のオリジナルの術です。
『『『『『ぐおおおおおおおっ、おのれぇ!!』』』』』
もがき苦しみグニャグニャと蠢きながら、黒焔を四方から吹き散らし、液状の表面の一部を飴のように伸ばして直截的な攻撃を仕掛けてくる《闇の澱》。
「“多重連撃・浄化の光炎”」「“多重連撃・浄化の光炎”」「“多重連撃・浄化の光炎”」「“多重連撃・浄化の光炎”」「“多重連撃・浄化の光炎”」「“多重連撃・浄化の光炎”」「“多重連撃・浄化の光炎”」
威力は三割がた落ちますが、短縮呪文による数のごり押しでそれらを迎撃しつつ、カウンターで反撃を与えまくる私。
若干ですが相手の再生や攻撃頻度よりも私の浄化術による殲滅速度のほうが上回っている手ごたえを覚えましたが、少しでも油断すればたやすく均衡がひっくり返される程度の優勢でしょう。
「“多重連撃・浄化の光炎”」「“多重連撃・浄化の光炎”」「“多重連撃・浄化の光炎”」「“多重連撃・浄化の光炎”」「“多重連撃・浄化の光炎”」「“多重連撃・浄化の光炎”」「“多重連撃・浄化の光炎”」
全力で浄化術を撃ち込む私の背後で、傍観に徹しているオリアーナ皇女様が、
「あんた普段はうすぼんやりしていて、喋り方も眠くなりそうなトロい口調なのに、ここぞという時にはよく動くし、よく舌も回るものよねえ。これも世間の荒波に揉まれたお陰かしらね? 『習うより慣れよ』とはよく言ったもの。もうわたくしでは教えることはなさそうね」
感心したようにも小ばかにしたようにも取れる感想を口にして、軽く肩をすくめる気配がしました。
(※なお、ジルに対する世間の評価は、「しっとりと淑やかで穢れのない、いつまでも見ても見飽きない容姿と、耳元で囁くような淡く優し気な声音ながら、不思議と離れていても通る澄んだ声」という声が大半を占めていた)
推移を見守っている……と言えば聞こえは良いですが、オリアーナ皇女様の中の人を思えば、あとでどれだけ折檻するのか値踏みされているようにしか感じられません。
目前に迫る怨念の集合体よりも、あとの叱責を恐れて、私は《闇の澱》の浄化に努めつつ、
「いえ、まだまだですわ。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
合間にそう答えるのでした。
これは別に謙遜などではなく、実際の話、いまの私があるのも師匠から魔術や霊薬の作り方、家事、友人、生き方などを教わったからであり、そうでなければ何もできなかったでしょう。
「ふ~~ん、殊勝なことね。なら遠慮なく本格的にビシバシやっても大丈夫ってことよね?」
にんまりと、オリアーナ皇女様が舌なめずりをする気配を背中で感じながら、
――あら。もしかして選択肢を誤ったかしら……?
早くも後悔をする私がいました。
◇
「……マズいわね。陰と陽は表裏一体。これ以上亡者を消されると、聖域自体の損傷になるわ」
床の上に投影されているジルと《闇の澱》との戦いの様子を俯瞰しながら(不思議なことにオリアーナ皇女の存在は認識されていない)、イラついた様子でアチャコが歯噛みした。
「いかに膨大であっても、しょせんは実体のない亡者の集合体。統一された自我と肉体という殻を持たない以上、浄化術を使う巫女を前にしては不利は否めないでしょう。我の見積もりでは百五十二分後に完全消滅させられるはず」
淡々と応じるストラウスの言葉に、忌々し気にジルの投影された姿を見下ろすアチャコ。と、その視線が逸れ、少し離れた回廊の柱に隠れて固唾を呑んで覗っているひとりの女官へと向かった。
「――ほう。ちょうどいいところにちょうどいいモノがいたものね」
目を細めて女官の表情を見定めてみれば、《闇の澱》に対する恐れよりもジルに対する敵愾心や嫉妬に溢れているのが見て取れる。
「確か巫女姫とやらを魔女だと言い放った女官ですな。まあ虚言であるのは一目瞭然でしたが、それを傍証として利用できたので、今後とも使い道がありそうな駒でしたが……」
ストラウスの補足に、アチャコは蛇を思わせる仕草で舌なめずりをした。
「今後ではなく、いますぐ利用しなさい」
「ふむ……確かにこの者は他に比べれば優秀な部類ですが、それでもこの規模の闇を引き入れて堕天使と化せば、半日と持ちませんぞ?」
「構わないわ。こちらの小娘を贄にできれば、十分におつりが出るから」
冷徹に言い切ったアチャコの言葉に従って、立ち上がったストラウスが投影された女官――エリカの傍らまで歩み寄ると、己の伸びた爪で軽く左手の指先を切って、滴り落ちる鮮血をポタポタと、その上に垂らした。
鮮血に染まったエリカのミニュチュアを実体があるかのように軽く抓んで、無造作に《闇の澱》の中へと放り込む。
その途端、渦を巻くようにして闇が一気にエリカの体内へとなだれ込み、風船が膨らむようにその体が膨張し、やがて人とも蛇ともつかぬ異形の怪物へと変貌するのだった。
◇
「うあああああーーっ!」
不意に斜め後ろから聞こえてきた金切声と殺気を感じて身を躱せば、カーサス卿の婚約者であるエリカさんが、まなじりを吊り上げてナイフを両手で構えて私へと突進してくるところでした。
「死ねっ! あんたさえいなければ、ロベルトが心を動かすことなんてなかったのよ!」
「――へ……?!」
花盆底靴とは思えない速さで体当たりするように向かってくるエリカさんと、意味不明な叫びに思わず呆然としてしまいましたけれど、無意識にでも素人の動きを捌けぬわけもなく、反射的に『光翼の神杖』を翻して、石突の部分でエリカさんの手を打ってナイフを叩き落とし、棒立ちになったところを軽く鳩尾のあたりを叩いて後退させます。
「ぐっ……!!」
もともと荒事には慣れていないのでしょう。よろよろとかなり離れた位置まで後ずさりしたエリカさんですが、私を睨みつける眼光には怯んだ様子は欠片も見受けられません。
「え~~と、あの、私がなにかご不快な思いをさせたのでしたら謝罪いたしますが、いまは少々立て込んでおりますので、後ほどお願いできないでしょうか?」
なるべく刺激しないように、そう妥協案を提示したのですが――。
「……なんでわざわざ火に油を注ぐんでしょうね。このボケは……」
オリアーナ皇女様が深いため息をつかれたのと同時に、エリカさんも突如激昂しました。
「ふざけるな! 私など眼中にないというの!? バカにするなああああああっ!!!」
その怒りに呼応するかのように、この一瞬の停滞を見逃さずに《闇の澱》が、
『『『『『おおおおおおおおおおおっ!! 感じるぞ、怒りを!』』』』』
『『『『『感じるぞ、我らに同調する無念を!!』』』』』
『『『『『力をくれてやる! 代わりに貴様のその体。我らの依り代としてもらうぞっ!!』』』』』
噴水のように吹き上がったかと思うと、一転してアーチを描いて瀑布のような勢いで、棒立ちになっているエリカ嬢目掛けて雪崩落ちてきました。
「いけない!」
咄嗟に私はエリカさんの周りへ結界を張るべく、魔法陣を刻んだ魔晶石を等間隔に放り投げます。
が――。
「きゃあああああああああああああああっ、避けちゃだめですわ~~っ!!」
迷惑だとばかり避けたり、地面に落ちた魔晶石を蹴り飛ばしたりするエリカさん。
なすすべなく見守るしかなくなった私の目の前で、エリカさんに《闇の澱》が憑りつき、およそ全身の穴という穴から吸い込まれるように侵入していきます。
「ぐはああああ……ああああああぁぁぁ……」
苦悶とも快楽ともつかない悲鳴をあげるエリカさん。
無論のこと座視するわけには参りませんので、私も再度全力の浄化術を放つべく、光翼の神杖を構えて詠唱を開始しました。
「〝天に星あり。地に花咲き乱れ。人は愛もて欠片を集め、闇を照らせし光もて夜明けに至らん。万物は悠久を超えて流転すれど、欠けたるものなし”――〝円環聖法陣”!」
再び放たれた『円環聖法陣』が《闇の澱》に囚われて、影も形も見えないエリカさんのいた位置へ到達した刹那――。
乾いた音を立てて『円環聖法陣』が消え去り、同時に《闇の澱》も完全に祓われたかに見えたのですが……。
「……何かいる?」
光と闇が消え去ったそこに、小山のようなものが鎮座しているのに気づいて小首を傾げた瞬間、
「がああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
うずくまっていた――いえ、とぐろを巻いていた――女性の上半身に大蛇の体を持った怪物が、爛々と敵意を漲らせた視線を私へ向けて、身を起こしました。
「なっ……!? ――“多重連撃・浄化の光炎”」
咄嗟に準備していた短縮呪文を放ったところ、あちらも不意を突かれたのか不規則な軌道を描く五条の『浄化の光炎』が怪物の全身へと直撃しました。
――ですが、その結果は。
「無傷!?」
「受肉されたね。こりゃ物理攻撃か攻撃魔術に切り替えないとダメだね」
思いがけない結果に愕然とする私へ、オリアーナ皇女様が憮然と言い放ちます。




