堕天使の真実と神子の不調
「あたた……きっと思ったよりも安普請だったのですよ」
「土台ごと吹っ飛ばしておいて、そんなわけあるか~~っ!!」
「痛っ!」
私の手から『光翼の神杖』をひったくったオリアーナ皇女が、妙に慣れた手つきで、ポカリと私の頭を叩きました。
それから「フンッ!」と鼻息も荒く――その一撃で興が乗ったような、妙に愉し気な顔をして――まるで太鼓を叩くかのように、ポカポカと連続して私の頭やお尻を打擲するオリアーナ皇女。
「ちょっ、痛いですわ。皇女様! 私、いまできる精一杯を行っただけですのに」
「あんたのその考えなしの行動と間抜け面みていると、どうにも手が止まらなくなるよの! この大陸一のど阿呆っ!! いい加減に自分の尺度が間違っていることを自覚しなっ、あんたにとっちゃありふれた術でも、普通なら宮廷魔術師筆頭クラスが畢生の大業として編み出すもんだってことに!」
薔薇色の頬を膨らませ、神秘的な湖のような蒼い瞳のまなじりを吊り上げて、抗議する私の言葉も一蹴してオリアーナ皇女は打てば響く感じで面罵するのでした。
それといま気が付きましたけれど、興奮されると、微妙に口調がべらんめえ口調に崩れますわね、この方。
「……ううっ、〝帝国中興の祖”として、後世に伝わっている人物像と全然違いますわ」
多少の誇張があったとしても、常に穏やかで気品に満ちた女帝であったと記されているのですけれど……。
やっぱり偽物なのかしら? と頭を押さえて疑念を抱いたところで、とりあえず溜飲が下がったのか、『光翼の神杖』を放り投げて――額に直撃する勢いでしたが、どうにか反射的に掴み取ることができました――オリアーナ皇女様は肩をすくめられます。
「わたくしはわたくし。他人がとやかく言おうと、会ったこともない歴史家がしたり顔で講釈をたれようと、知ったことではないわ。あんただって勝手な風評で振り回されるのはまっぴらでしょう?」
私の考えはお見通しとばかり、小さな胸を張って堂々と言い切るオリアーナ皇女様なのでした。
まあ確かに、いつからか広められた『ブタクサ姫』という特大の風聞から逃れるために、【闇の森】へと隠れ暮らし、その後、いろいろあって今に至るわけですから、SNSの炎上並みに無責任な世間の人々が流す噂の残酷さ、醜悪さ、ナンセンスさは私も骨身にしみて理解しています。
「……そうですわね。いまの私も〝二代目聖女にふさわしい才能”とか〝まさに女神の化身”とか〝生まれ持ったすべてが違う”とか、微妙な評価をいただいて居たたまれないですし」
というか、才能とか美貌とかまるで私が何も努力しないで、様々なものを手に入れたようではありませんか。
それなりの努力を経て今の私があるのですけれど、いつの世にも、どこの世界にも、勝手な自分の願望や正義を押し付ける輩はいるものですわ、と私が嘆息すると、
「そこは素直に受け取っておきな、すっとこどっこい!」
同意した瞬間、即座に掌返しをするオリアーナ皇女様。
「えええ~~~っ!?」
あるいは、この傲岸不遜、唯我独尊さこそが大陸最強国家を形作った礎なのかも知れません。
と、しみじみと悟った瞬間――。
「なんだこれはっ!?!」
悲鳴のような絶叫が響き、その方向を恐る恐る茂みの中から覗ってみれば、カーサス卿が仰天した顔で、社稷壇のあった場所――不慮の事故で現在はほぼ更地になって、建物自体の厚みが百分の一ほどに縮小していますが――を前に呆然と佇んでいる姿が目に入りました。
「ふーん、〈聖人〉ベルナルド・グローリアス・カーサス……の成れの果てですか。あの鉄面皮が随分と感情豊かになったことね」
おそらくは報告するためでしょう、我に返ったところで顔色を変え、双神高楼へと取って返すカーサス卿の後姿を眺めながら、面白そうに鼻を鳴らされるオリアーナ皇女様。
「〈聖人〉ベルナルド・グローリアス・カーサス?」
ご挨拶された際の自称は、〈聖騎士〉ロベルト・カーサスだったはずですけれど?
「アレの前世――いや、元になった存在よ。史上最高の聖騎士にして、生きる伝説と言われた〈聖人〉ベルナルド・カーサス」
まあ、神祖吸血鬼との戦いで、あっさりと死んだ伝説になったわけだけど、とオリアーナ皇女様が肩をすくめられました。
「それの前世の記憶をなくした劣化版がアレってことね」
自信満々に言い切るオリアーナ皇女様の講釈を受けて、思わず私は失笑してしまいました。
「またまた~。前世とかありえませんわ。スノウ様も一笑に付されておりましたもの」
そう混ぜっ返した途端に、オリアーナ皇女様の爪先がとがったハイヒールの蹴りが、私の向う脛に連続して繰り出されます。
「痛、痛、痛、痛、痛いですわっ」
「このボケナス! ウスノロのボンクラ! その耳は節穴かい! スノウが言ったのは『異世界からの転生などというものはない』ってことだけで、『この世界内部での魂の転生はある』って明言してただろうっ!!」
必死に爪先を躱そうとするのですが、まるで私がどう逃げるのかわかっているかのように、着実に先手を取ってダメージを重ねるオリアーナ皇女様。本気で痛いのですが……。
「? よくご存じですわね、聖女スノウ様が語られた話の内容など」
そもそも存在が疑われる聖女様が、酔っぱらった勢いで話した内容など、なぜオリアーナ皇女様がご存じなのでしょう?
その言葉でようやく追撃の手(足?)を緩めたオリアーナ皇女様が、
「わたくしは千里眼なのですよ。――なんですか、その目は?」
取ってつけたように弁明されたのち、さすがに疑わしい私の眼差しに気づいて圧をかけてきます。
「……いいえ、別になんでもございませんわ」
非常に身に覚えのある眼圧に首を横に振りながら、私は密かに嘆息しました。
(さすがにこの私でも予想がつきます。オリアーナ皇女様の正体に……)
思い起こせばいろいろと平仄が合うのですけど、まさか伝説の賢帝様があんな偏屈で、口より先に手が出る人格破綻者で、私の人生を狂わせたある意味諸悪の元凶……と、際限なく思考が横道に逸れかけたところで、
「ボケっとしない。出てくるわよ!!」
切迫したオリアーナ皇女様の声と見詰める先を辿ってみてみれば、元社稷壇があったあたりからじわじわと黒い液体があふれてくるのが目に入りました。
「なっ――なんですか、あれは!?」
「ここに封じ込められていたものでしょうね。ここにいてもピリピリ来るわ」
ゆっくりと広がる黒――いえ、一切の光を反射しない――闇色のソレは、私の『神威』によって圧縮された社稷壇の残骸に這い寄ると、
「社稷壇が!?」
一瞬で闇に包み込まれた社稷壇の残骸が、強い酸に浸されたかのようにあっという間にボロボロになってしまいました。
社稷壇の残骸を溶かした闇はさらに領域を広げて、ここ【花椿宮殿】を侵食していきます。
「スライムのようですわね」
思わずそう呟いた私ですが、ソレから感じられる脅威と禍々しさ、何よりも明確な負の感情がそれが尋常な存在でないことを、直感的に感じて知らずに頬を汗が流れていました。
「封印されていたようですけれど、今の私ではちょっと勝てそうにありませんわね」
力量の底が見えない――ある意味《神子》ストラウスに匹敵する相手であると、そう踏んだ私の独り言が聞こえたのか、ゆっくりと広がっていた闇の一部が、泡のように膨らみ、さらに無念・憎悪・怨嗟・悲哀、慟哭……様々な負の感情に支配された老若男女の顔が浮かび上がってきたかと思うと、てんで好き勝手に口を開いて、
『おおおおおおおおおっ、神子ストラウス!』
『我らの血肉を贄にした悪魔!』
『封都を維持するため犠牲となった!』
『堕天使の汚名を着せ!!』
『それもすべて忌まわしいあの女と、あの女が造り出した神子のため』
『すべてを奪われ我らは封じられた!』
そう訴えかけていたかと思うと、不意に黙り込み、次の瞬間に一斉に狂ったような(実際に狂っているのでしょう)哄笑を放ち、
『『『『『『だが封印は解けた! 我らは自由だ!!』』』』』』
ゲラゲラと笑う、闇全体に浮かんでいた数百数千の顔たち。
『『『『『『与えてやろう。我らが苦痛を! 与えてやろう。世界に滅びを!!』』』』』』
「……これは、放置するわけには参りませんわね」
こんなものを自由にすれば世界(この内部世界はもとより外部世界も)がどうなるのか、考えるまでもありません。
底抜けの悪意を前に、私は『光翼の神杖』のほか、本気装備である『星月夜の宝冠』を『収納』してあった亜空間から取り出しました。
現状のコンデションでどこまで通用するか不明ですが、今できる限りの全力を出さなければ到底勝負にもならないでしょう。
そんな私の無謀ともいえる覚悟を前に、
「幸い頭数は揃っている、本来蒼神の眷属であった〈神滅狼〉なら、この乱れた『場』を突破できるかも知れないね」
オリアーナ皇女様がどこか虚空を眺めながら、何やら吹っ切った口調でそう口にしたのでした。
◇
「ぐああああああああああああああああああああっ!?!?」
突如、玉座の上で身もだえをする神子ストラウス。
「いかん! 社稷壇からの陽気の供給に何らかの異常が起きたか。神子様の存在が揺らぐ!」
その言葉通り、ストラウスの体が半透明に透き通り、さらには別の形へと変貌をして分離しようとするのだった。
青い龍と白い炎のような鳥、そしてその中心に位置する掌大のナニカ。
「やむを得ん。封都へ供給している龍脈を半分切って、その分を神子様へ」
ベナーク公が笏を振るのに合わせて、膨大な霊気や魔力がストラウスの全身へと注ぎこまれ、それに合わせて分離しかけていた体が安定し、半透明になりかけていた姿も実体を取り戻す。
「……ふう、何事か?」
「さて、社稷壇の贄に異常があったのかと思われますが、すぐに確認をさせます」
ストラウスの問いかけに、恭しく答えるベナーク公。
「その間は封都へ回す分の霊気などを神子様の安定のために使います。まあ、市民の半数が消滅するかも知れませんが、半分残れば御の字でしょう」
何でもないことのように言い放つベナーク公の言葉に、そんな些事など知らんとばかりに鼻を鳴らすストラウス。
この一連の出来事を、急ぎ報告に来たカーサス卿が声もなく、息をひそめて見つめていた。




