封都の澱と白魔の誘い
「……どういうことだ?」
知らずロベルトの口から疑念の声が漏れていた。
普段なら【聖断の塔】の出入り口に、二人一組で(面倒臭そうに)詰めている衛士の姿がない。
まあ、ここ【花椿宮殿】に限らず、仕事とは名ばかりで勤務中に持ち場を離れ、昼間から酒場や賭博場へ『休憩』という名目で離れていない……と考えるのが妥当であるが(腹立たしいことに、よくあることである)、忌々しく咲き誇る彼岸花の花畑にわずかに残された乱れを敏感に感知して、ロベルトは直感的に嫌な胸騒ぎを覚えた。
「念のために手隙の騎士を呼ぶか――いや、無駄だな」
一瞬、そう考えたロベルトであったが、証拠もなくそんな懸念を口に出したところで、「バカバカしい。〈神子〉様のお膝元でトラブルなどあるわけがない。気にし過ぎだ」と一笑に付されるのがオチだろう。
永き平和と安寧、惰性と享楽に浸りきり、何かあっても〈神子〉様や〈聖母〉様が何とかしてくれると考え、その庇護に慣れ切った封都に住まう大部分の人々にとって、日常とは変わらぬルーチンワークであり、予想外の出来事など考えたくもない厄介ごとであり、忌避すべき事柄なのだ。
(――確かに〈神子〉様も〈聖母〉様も、この国を守り人々に恵みをもたらしている。だが、その結果が人々の怠惰と無気力に繋がっていると、理解されているのだろうか?)
不敬だと思いつつも、そう疑念を抱くロベルトであった。
実際、ほんの一瞥しただけで、封都とそこに住む人々の生気のなさ、そして澱のように堆積した倦怠感に違和感を覚えたジルならば、
「ゆとり教育の極地ですわね。知らず自我を失くし、唯々諾々と従う駒を作る。形としてはハニートラップの一種ですわ。隷属に従い抗うという発想すらないのですもの」
と辛辣に口に出した事だろう。
そのジルと僅かばかりの交流を経たせいなのか、胸中にいままでなかった感情を抱きながら、ロベルトは【聖断の塔】の扉に手をやり、鍵が開いているのを確認をして、顔をしかめながら塔の中へと歩みを進めるのだった。
そんな彼の様子を、不審に思って密かに後を付けてきたエリカが、木陰からこそこそ窺いながら、ギリッと唇を噛み締めるのだった。女の勘でロベルトがジルに向ける感情の変化にいち早く気付いた彼女。
ジルに対する嫉妬と猜忌の念が渦巻き、知らずに悪意に染まる彼女の漆黒の髪の先が、徐々に闇の色に染まり始めたことに、エリカ本人は気付かずにいたのだった。
◇ ◆ ◇
「とりあえず内臓まで達する傷はありませんし、骨にも異常はありませんけれど、細かい傷が全身にある上に、衰弱が激しくHPが一桁まで下がってますから、無理は禁物です」
幸い霊薬の類は売るほど備蓄されていたので、コッペリアの指示の下、セラヴィが初級治癒術を施し、それと併用して複数種類の霊薬を手順に従って処方する一同。
なお、仔犬大になったフィーアを毛布でくるんで、飲み薬を飲ませているのは、バルトロメイが気を利かせたんだか余計な真似をしたんだか、ちょっと目を離したすきシャトンとともに西の開拓村まで行って、里帰りしていたエレンに事情を話したところ、目の色を変えてバルトロメイの案内で飛んできたエレンであった。
なお、シャトンは時季外れの行商人ということで村人たちに取り囲まれたところで、商魂に火が付いたのか、その場に残って即席の露店を広げて商売を始めてしまって戻ってこない。
まあ村のためにもなるのでいいかと納得したエレンはそのままシャトンを放置して、やってきてすぐに、ぐったりしているフィーアを甲斐甲斐しく漏斗で半ば無理やり飲み薬を飲ませて、軟膏を手で優しく塗りつけるのだった。
「フィーアちゃん、大丈夫? 苦しくない?」
「……くぅ~ん……」
「ただいま戻りました」
その間に青六以下〈撒かれた者〉たち八名(八体?)を引き連れて、栄養のある肉汁(ちなみにスープ全般を指す場合『羹』となる)の材料を調達をする――コッペリアが台所や貯蔵庫を確認したところ、大人数での宴会でもあったかのように、食料や保存食が軒並み消費され尽くしていた――ため、【闇の森】の比較的浅いところ(外縁部)にいる魔物を狩りに出かけてきたルークであった。
「とりあえず一角兎(魔獣ランク:F級)を六羽と、赤鬣熊(C級)、それと中型の剣牙猪(D級)を一頭ずつ獲ってきましたけれど」
「あー、熊はアクと臭いが強いのでしばらく熟成させないと駄目ですね。一角兎の方は逆に脂身がゼロで栄養価が低いので、今回は干し肉にでもしておきましょう。そうなると自動的に食べるのは剣牙猪ということで、解体して脊椎と頭蓋骨を煮込んで野菜を加え、クララ様直伝のチャンポンスープを作ります」
「あ~、あの白濁したスープにパスタが入った美味しい『豚骨ラーメン』ね」
思い出して至福の表情を浮かべるエレンである。
「いえ、今回は麺なしのちゃんぽんスープです。料理はクララ様の発案なので、『ちゃんぽん』の意味はわかりませんが……」
肩をすくめるコッペリアに向かって、
「『ちゃらんぽらん』の略称なんじゃないのか、お前みたいに」
セラヴィが軽口を叩いた瞬間、鋲付きのメリケンサックを嵌めたロケットパンチが、咄嗟に勘で躱したセラヴィの頭のあった位置を、間一髪で通り過ぎて行った。
「ぎええええええええええええええええええっ!!!」
一直線に飛んでいったロケットパンチが、密かに近づいていたヒドラ(個体によってS級~A級)のドテッパラを貫通して、一撃で血祭りにあげる。
「チッ、愚民の分際でワタシのメイドパンチを躱すとは……」
舌打ちをしたコッペリアの腕が戻って装着される。その手にはヒドラの魔石が握られていた(元来、ヒドラは再生能力が強いが、さすがにピンポイントで魔石を抜かれれば即死するしかない)。
「殺す気か!? 洒落にならないぞ、いまのは!」
「大丈夫です。脳は外す軌道でしたから、いざとなれば脳味噌だけ他の生物に移植して、新たな生命体として生きるのも一興ってなもんよ」
冷や汗を流しながら絶叫するセラヴィの抗議を、軽くスルーしながら料理に取り掛かるコッペリア。
(命に関する重さが軽いなぁ……)
こんな風だからお気軽に、黒妖精族の子供を土壇場とはいえ改造するんだろうな……と思ったところで、その元黒妖精族の幼児たちを思い出したルークは、エレンに小声で尋ねた。
「そういえば、アラースとコロルはどうしました?」
「とりあえず集団生活を送らせたいというジル様の意向で、あたしの実家で預かっています。人見知りして最初はなかなか打ち解けなかったですが、いまでは村の子供たちと一緒になって跳ねまわってます」
少し前までは村の子供たち(主に女の子)の監督をするのはエレンだったのだが(男子はブルーノ)、いつの間にかその役目は、エレンが面倒を見ていた年長組の少女が代わりにやるようになっていた。
お転婆な幼児を相手に右往左往しながらも、お姉さんぶる後輩たち。
その様子は微笑ましく、ついでに彼女たちの仕草や注意の内容が、当時の自分の焼き直し……いや、多分背伸びして真似しているのだろう(彼女たちにとっては、エレンは頼れる姉貴分であり、村から出て都会で貴族に仕えるという、偉業を成し遂げた憧れの存在なのである)様子に、面映ゆいものを覚えたエレンであった。
その間にレシピを紙に書いて、コッペリアはその他必要な材料を〈撒かれた者〉たちに持ってくるように指示する。
「とりあえず先にスープを作って、そこに薄切り肉と適当な野菜を入れれば完成です。本当は臭い消しにエシャロットの類を入れた方がいいんですけど、ワンコに玉ねぎは毒ですからね~」
他にも即興で作る料理を決めると、獲物を協力して担いできた〈撒かれた者〉たちに、剣牙猪の解体と、旧庵跡で勝手に農業やら木工やらやって、集落を築いている〈撒かれた者〉たちに増援を言づけて、他の獲物の処理や適当な野菜を持ってくるように命じるのだった。
「つーか、家の中やこのあたりの近辺、〈撒かれた者〉にも確認しましたけれど、影も形もないんですが、クララ様はどこに行ってるんでしょうね?」
材料が集まってくるのを眺めながら、コッペリアが首を傾げる。
「ウチの村にも最近は来てないわよ」
フィーアを毛布で包んで抱いたまま、エレンも首を横に振ってこの件に関知していないことを示す。
「となると、公子様と愚民が追ってきたのを感知して、トンズラこいたんでしょうかね」
「「――うっ……!」」
コッペリアの邪推に、ルークとセラヴィが息を飲む。
「あ~~、それって案外正解かも知れないわね」
決まり悪げに視線を逸らすふたりを、微妙に冷ややかな眼差しで見据えるエレン。
「もともとこうなった原因って、学園の、王侯貴族が集まる、公衆の面前で、ジル様の気持ちも考えずに、一方的に告白したためなわけで。その元凶が追ってきたと知れば、さらに逃げるのは当然ですよね。――っていうか、なにしに来たわけですかふたりとも? まさかどっちを選ぶか、この期に及んでジル様に無理やり選択させて、追い詰めるつもりじゃないでしょうね?」
「「…………」」
図星を指されて撃沈するルークとセラヴィのふたり。
「なに考えてるんですか! 自分勝手にもほどがあります! いいですか、自分の気持ちを告白すれば貴方方の気持ちは楽になるかも知れませんが、押し付けられたジル様はたまったもんじゃありませんよ!! 揃いも揃ってジル様を何だと思っているんですか!? 何をされても笑って受け入れてくれる道端の聖女様じゃありませんよっ!」
「いや、聖女はきっちり反撃してきやがりましたが……」
ジルの親友として苦言を呈するエレンと、聖女と直に対峙して放言を放った結果、続けざまに雷撃を喰らったコッペリアが、厨房で食事の支度をする傍ら、聞こえよがしに合いの手を入れたが、いつもの讒言と思われてその場の全員から無視された。
「……確かに。ジルは自分を犠牲にしてでも、人の不幸を放っておけない優しい女性で、僕はそんなジルが好きになって、また甘えてしまったのですね」
「――ふん。結局のところ俺が焦ったのは、地位と金、その他にも俺が持たないすべてがあるルーカスに、周りのお膳立てもあって気持ちが惹かれるジルを引き止められない、自分自身の無力さが原因なのだろうな」
反省するルークと、頭が冷えたのか自分の行動を客観視するセラヴィであった。
ともかくジルに会ったら、発作的に告白して追い詰めるような真似をしたことを素直に謝ることを決め、エレンにも反省していることを口に出して、謝罪するふたりであった。
「――ふ~む……」
それを厨房から聞き耳を立てていたコッペリアが、意味ありげに嘆息して小首を傾げた。
「白黒はっきりつけろとせっつかれて、思い余ったクララ様のことですから、安全牌のルーカス公子様を選ぶと見ていたのですが、ここで梯子を外されたとなると、振り出しに戻って、可哀想好きが高じて愚民を選び直す可能性もありますねぇ」
ワタシ的にはグラウィオール帝国の継嗣王子たるルーカス公子のほうが、血統的にもお似合いだと思うんですけど、と続けながら料理に集中するコッペリアだった。
そうして多少の時間はかかったもののフィーアの治療を終えて、栄養の補充のために剣牙猪のトンコツスープを匙ですくって、一口ずつエレンが食べさせながら、生身の三人でテーブルを囲んで食事を摂る。
二時間ほどかけて出来上がったトンコツスープ汁とトマト煮、ロースカツを主食に、陸稲のサフランライスを給仕しながら、
「グランド・マスターはまだ瞑想中ですか? 一応、別にとっておいたのですが」
置物のようにレジーナの寝室の前の廊下から動こうとしない、使い魔のマーヤにコッペリアが尋ねるが、
『必要ない』
というように、マーヤは肩から生えた触手を振るのみだった。
また、主人に殉じてマーヤ自身も断食中らしく、椀によそわれた生肉には見向きもせず、水だけを飲んで終わりとする。
ともかくも夕食というには若干早いが、昼食抜きで【闇の森】を越えてきた若い男子の胃袋ふたつと、久々の実家の味に物足りなさを感じていたエレンにとって、久方ぶりの満足できる食事は慈雨のごとく、気が付けば十人分は作っていた鍋が空っぽになったところで、多少なりとも回復したフィーアが、
「ちょっ、ダメよフィーアちゃん!」
「腹ごなしの運動ですかね~」
「「そんなわけないです(わきゃないだろう)!!」」
覚束ない足取りでヨロヨロと歩き始め、エレンが椅子から慌てて立ち上がって抱き上げ、立って給仕をしていたコッペリアが頓馬な感想を言って、ルークとセラヴィに窘められた。
普段であればこう見えても《神滅狼》の化身である。エレンの手を振り払うなど造作もないことであったが、まだまだ回復にはほど遠いのだろう。見た目通りの仔犬のような力で、それでも必死に外へ出ようとするフィーアの様子に、四人は顔を見合わせる。
「……もしかして、ジル様のところへ行こうとしているんじゃ?」
「考えられますね。だとしたら完全に日の落ちない、いまのうちに連れて行った方いいのでは?」
「だが、どの程度離れた場所かわからない以上、夜になる可能性が高いぞ。夜の【闇の森】となると、超高難易度ダンジョンの最終階に匹敵するだろうな」
「単に食うもの喰ったので、トイレじゃないですか? つーか、エレン先輩、洗い物くらい手伝ってください」
エレンとルークはその意図を察して、フィーアの案内でジルのもとへ行こうとするが、セラヴィがその危険を口に出してふたりに冷静になるように諭し、コッペリアは面倒臭そうに食器を重ねて、裏口から井戸のところへ運びながら、口を尖らせるのだった。
なお、実際は超高難易度ダンジョンどころの危険度ではなく、さらに歩いて行こうとすれば一月、二月かかる【闇の森】の中心部付近であるのだった……。
「「「……う~~~ん」」」
三者三様に考え込んだその時、
「『癇癪持ちの事破り』というが、短兵急に結論を急ぎすぎるようであるな」
裏口からバルトロメイが顔を覗かせ、焦る三人を窘めた。
「それに行ったところで何の助けにもならん。その神滅狼が『喪神の負の遺産』を越えてこられたことが奇跡のようなものだからな」
そう言って顔に仮面を付けた騎士風の青年が、バルトロメイの背後から姿をあらわしたのだった。
 




